やはり愛し合う男性たちの勇気が軍隊を不敗、無敵の強力な組織にして呉れるのだな。
マケドニア王のピリッポス二世が涙ながらに感嘆したのも諾なるかな。
ニュース
ホモが力強い軍隊を作った双璧は古代ギリシアと戦国期日本だな
必死に守らせたらしいな
右の奴が好きな左の奴は自分の左の奴が好きで
その左の奴が好きなのはまた左の奴という
三角関係なんてメじゃない愛憎劇が繰り広げられるわけだな
「ニカンドロスよ、君の脚の毛が濃くなってきたから気をつけたまえ。
すぐに尻まで同じように濃くなるぞ。
そうなったらきっと誰も君を愛してはくれない。
君の美しさは松明のようなものだ。」と。
名誉を求める彼らの信条に加え
すぐそばに恋人がいてかっこつけなきゃならないから
略奪もほとんどしなかった
「どちらにしても君は後悔するだろう。」と答えた。
ソクラテスとクサンティッペのケンカは夫婦漫才みたいで面白い
一方的などつかれ漫才ではあるが
>>320
ベリサリウスの妻アンントニナなんかもよくわからん女性だよね。
年がら年中、若い男と浮気を繰り返している割には、
ユスティニアヌスに疎んじられ粛清されかけていた夫を何度か助けてもいる。
「英雄の妻」という自分の立場を守るため行動とも思えるけど
名誉を剥奪され財産を没収されたベリサリウスに最期まで付き添い、
その死をみとってもいる。
中国南北朝、陳の後主。
隋軍が帝都建康に攻め込んできた時、
後主がふと玉座の周囲を見回すと、
皇帝を最後まで守ろうとする忠臣たちがいた。
その顔ぶれを見ると、遊興三昧だった自分に
口うるさく諫言を重ねてきた人たちばかりであった。
日頃遊興のお伴をして心地よい言葉を連ねていた側近たちは
皆逃げ失せて影も形も無かったという。
なるほど。討ち死になさったわけではないのか。
討ち死にどころか、宮中の井戸の底に隠れていた所を
敵軍に発見されて捕虜になってる>陳の後主
後主がそれまで散々冷遇していた真の忠臣たちは
「せめてこうなったら玉座に端然と座して敵軍を引見し
天子の威厳を示されませ」と進言したんだけど
それを退けて命惜しさに井戸の底に逃げこんだ。
でも一族ともに助命されて天寿を全うしたのだから、まだ幸運だね。
但し、一緒に井戸に隠れた美貌で知られる側室の一人が、
後の煬帝が自分の妾にしようとしたんだが
「この女に惑わされて陳国は亡んだのです」ということで処刑されている。
暗愚で知られた西晋の恵帝。
八王の乱のさなか、反軍に皇帝と側近を乗せた馬車が追撃され
矢が文字通り雨の如く降り注いだ。
侍中という高位にあった嵆紹はがばと皇帝に覆いかぶさり、
全身に矢を浴びながら息絶えるまで皇帝を守り抜いた。
追撃を免れて皇帝一行が川のほとりにさしかかった時、
従者が血まみれとなった皇帝の御衣を洗おうとした。
恵帝は言った。
「これは嵆侍中の血だ。洗うなかれ」。
人民が飢餓に瀕していると聞いて
「米が無いなら、なぜ肉粥を食べないのだ?」
と言ったほどの暗君であった恵帝だが、
目の当たりにした壮烈な忠義に報いる心は持っていた。
4~50年ほど前に聞いた話。
その人は中国戦線を渡り歩いていた。
その中で一番激しかった城市での戦い。
数日続いた城内からの攻撃が突然止んで、市民が何人か転げだしてきた。
来てくれと言われるままに城内に入ると死体だらけ。
負けるとわかった国民党軍が城内を略奪して
市民や兵士同士殺しまくって逃げてしまったらしい。
んで日本軍が総出で死体を埋葬するのだが、
沢山の死体に気が変になる兵士が続出。
これが終わると城内を一戸ずつ廻って生存者の戸籍を作る。
それでその人は除隊されたけど、
再徴用されて同じ城市の仮設役場の仕事をし、終戦を迎える。
帰国する時、市民は国民党軍の支配下になることを嫌い嘆き悲しみ、
日本軍にとどまってくれと懇願されたそうだ。
世界初の電子戦が行われたのは日露戦争の旅順攻略戦
日本艦隊が発信した電文をロシアの通信兵が同じ周波数で乱打しました。
旅順要塞降伏後、
捕虜になったロシアの通信兵と日本の通信兵がお互いに顔を合わせ
「お前だったのか!!!」と大爆笑。
特徴があるので通信兵はお互い分かるらしい。
二人は無線機を前に通訳官を間に談笑していたが、
数時間後殴り合っていたらしい。
何でも原因は電波の受信を最大にするには出力を大きくするか?
使っていない周波数に合わせるか?
だったそうです。
その後、八木アンテナが開発されて、喧嘩の原因は解決しました。
所属国家の縛りを超えて歓談できるのも、
専門域での意見の違いで衝突するのも。
ユーゴスラビア王ペータル2世はドイツの侵攻によりイギリスに亡命した
同地で同じく国を追われていたギリシャの王女アレクサンドラと結婚、
子を授かった
が、アレクサンドラが出産した嫡子が男子だった場合
ユーゴ生まれではないため王位継承権がなくなってしまう
このためイギリスに掛け合い
出産場所であったクラリッジス・ホテル212号室をユーゴに割譲してもらった
無事にユーゴで誕生したアレクサンダル2世は
その後王国滅亡の為即位はならなかったが
現在セルビアで王制復古を目指して活動している
オランダも似たようなことしたよね
ソクラテスが金持ち達を食事に招いた時、
クサンティッペはご馳走がない事を恥じた。
ソクラテスは彼女に
「心配するな。心得のある人達ならこれで我慢するだろう。
つまらない人達なら、そんな者達を私達が気にかけることはない。」
と言った。
またソクラテスは他の人達は食べる為に生きているが、
自分は生きる為に食べていると言った。
末席に座っていた老将軍がうつらうつらうたた寝をしてしまった。
慌てて隣の者が起こそうとすると
大王
「よいよい、その者は戦争の際に寝ずの番をして
余の安全と安眠を命がけで守ってくれた、そのまま寝かせておけ」
そう言うと大王は老将軍が目を覚ますまで晩餐会を待っていた。
カエサルは酒をほとんど嗜まなかった。
政敵のマルクス・カトでさえ
「後にも先にも素面で国家転覆をはかったのはカエサルだけだ。」
と言っている。
ガイウス・オッピウスの伝えるところによると
カエサルは食べ物に淡白だったそうだ。
ある時、招待主から新鮮なオリーブ油の代わりに古くなった油を出された。
他の客は見向きもしなかったが、
カエサルだけは主人を責めているととられないように
普段よりもたくさんおいしそうに食べたという。
部下が手をつけない中我慢して食った話あるな。