イスラム

【世界史】ティムール帝国について語ろう!というか教えてください!

2022年1月26日

1: 名無し 2010/12/16(木) 12:32:16 0

ティムール帝国に関する史料って何がありますか?
またその訳本は?

ニュース


2: 名無し 2010/12/16(木) 18:46:39 0
>>1
ティムール帝国がある程度関係する史料で最も有名なのは、
多分「バーブル・ナーマ」じゃないかな。ティムール帝国の王族で、
後にムガル帝国を築くバーブルによる自伝なんだけど、当時の、
サマルカンドの様子なんかが詳しく書いてある上、チャガタイ語の研究にも、
役立つ貴重な資料だよ。日本語訳については、確か間野英二先生が、
それの訳とそれに関する研究について書いた本を出してたと思うよ。

 

3: 名無し 2010/12/16(木) 21:22:44 0

>>1
カスティリャ王国の使節クラヴィホの旅行記

「チムール帝国紀行」と
「遥かなるサマルカンド」のふたつの邦訳がある
入手は後者の方がしやすいだろう

 

53: 名無し 2011/05/01(日) 23:11:04.24 0
>>3
外部からの観察者の記録としては、
クラヴィホの『チムール帝国紀行』の他には、
明朝の永楽帝の使節としてティムール治下のヘラートへ赴いた
陳誠の『西域番国志』もある。

 

5: 名無し 2010/12/17(金) 17:58:09 0
川口琢司 「ティムール帝国支配層の研究」に主な史料の論考があるよ。

 

6: 名無し 2010/12/17(金) 21:01:41 0

アラブシャーのティムール伝の英抄訳読んだことあるけど
文体が華麗すぎてなるほど、わからんって感じだった

あとこれも英訳で、シャイバーニー朝時代の「トルコ人の系譜」
という史書を読んだけど、ティムール朝の情報あるかと思ったら
最後のページになって
「アミール・ティムールの事跡については他の史書に詳しく
書かれているのでそちらを参照」
で済ませてたw

 

14: 名無し 2010/12/24(金) 21:49:29 0
ティムールは自分の死後も帝国がまとまった形で存続できると思ってたのかね。
一応後継者は指名してるけど。

 

15: 名無し 2010/12/24(金) 22:25:12 0
>>14
実際、アブー・サイードの頃までは帝国は勢力を保ててたから、
ティムール本人も特に心配する必要はなかったんじゃないの。

 

16: 名無し 2011/01/03(月) 11:26:22 0
ティムールの趣味は将棋。
口癖は「男の行く道はただ一つ」
兵に生水を飲むことを禁じたことが、茶(チャイ)を飲むトルコの習慣の起源だとされる。

 

17: 名無し 2011/01/09(日) 04:17:40 0
なんでトルコの起源になるんだ?ティムールとオスマン朝ってアンカラの戦い以降はほぼ没交渉だったんだろ?

 

18: 名無し 2011/01/09(日) 17:25:37 0
不思議に思うかもしれんがティムールはウズベクは既に当然だけど
トルコ自体でも自分達の偉大な英雄扱いなんだなこれが
実際ティムールの彫像はウズベクだけじゃなくってトルコにも存在してて
そこで自民族の英雄として記念切手にもなってたりしてるし

 

57: 名無し 2011/05/03(火) 02:34:15.82 0
中国をタクラマカンを越えて征服したヤツはいないが
チムールが死ななければどこまで到達できたかな?

 

58: 名無し 2011/05/03(火) 09:22:18.36 0
岡田英弘さんの本では明というより北元を征服して
大ハーンを傀儡にして旧モンゴル帝国圏に号令するのが
目的だったとか書いてたけどどうなんだろう

 

59: 名無し 2011/05/03(火) 13:34:42.87 0
>>58
カタ落ちした別スレではそう言う風に言ってたね
ただ岡田氏は大の学会嫌いなせいか学術会議の場でその主張をせず
自分の学問書でその主張を繰り返してるだけなんだよな
なもんで今のところその説はただの少数意見って事の扱いにされている

 

63: 名無し 2011/05/08(日) 04:51:01.79 0
>>58
そんな大それた発想、もってなかったと思う。
いつも通り、宝物をサマルカンドに運ぶのが目的だったと思う。
買いかぶりもはなはだしい。

 

76: 名無し 2011/06/03(金) 21:09:23.91 0

>>63
シャイバニー勢力が当時のマーワラー・アンナフルの住人を
皆殺しにして総入替えになったわけじゃないんだから、別に
何も変じゃない。

徳川に滅ぼされたのは豊臣だけなのに、大阪人がみんな死んで
三河人や江戸人に入れ替わったと勘違いしてるようなもの。

 

61: 名無し 2011/05/04(水) 01:51:45.02 0
今更元朝皇帝とか持ってきても従う奴がいたんだろうか

 

62: 名無し 2011/05/04(水) 06:56:00.45 0
>>61
従う人がだれもいないならオイラト部とかが必死に傀儡ハーンを、
立てようとはしないでしょ。まだそれなりに権威はあったと思うよ。

 

64: 名無し 2011/05/08(日) 04:54:17.11 0

チムールが中国に攻め込んで
長城の内側を征服していたら
まさしく人類史上の壮観だったのに

ただチムールの騎馬軍団に
攻城技術があったのかどうかは疑問

モンゴルの優れた攻城技術をもってしても
長城を突破することはできなかった

 

65: 名無し 2011/05/08(日) 09:33:43.35 0

>ただチムールの騎馬軍団に
>攻城技術があったのかどうかは疑問

十字軍が押さえていた小アジアのイズミルを攻略したときは
城壁の周りに投石器や攻城塔をずらりと並べて大規模な土木工事を行い
海からの支援を阻止するための陸橋まで作ったそうだ。

 

66: 名無し 2011/05/08(日) 20:42:12.48 0
>>65
そのイズミルはオスマンが何年かけても落とせなかったらしいから、
攻城技術に関しては相当あったと思うね

 

100: 名無し 2011/12/12(月) 19:07:35.07 0
ティムール帝国の人たちって、朝青龍顔の弁髪オヤジだったの?
コーカソイドの血の濃厚に入ったイケメンだったの?

 

102: 名無し 2011/12/12(月) 20:43:05.55 0
>>100
遺体から復元した有名なティムール像は二重で髭濃い渋いオッサンだったよ

 

101: 名無し 2011/12/12(月) 19:40:48.76 0

ミニアチュールとか見てると、あの時代の西アジアやイスラム圏って、
中国人風のナヨナヨしたやつらが多いよね。

いまと人種がちがったのか?

 

104: 名無し 2011/12/13(火) 02:15:56.48 0
>>101
13~14世紀の挿絵みた人が必ず思うことだが、中国的画風(顔つき・体つき)なんだよな。
なんらかの形でモンゴルが中国画の影響うけてたとすると、モンゴル支配下にあった中東でも、
濃いぃ中東人であろうが様式としてああいう描き方されるに至ったんじゃね?

 

109: 名無し 2012/02/18(土) 02:22:48.24 0

>>104
だろうね。
中国から、中国画の画工たちを連れてきたりしたろうから、
中国画の影響が、その地の絵画の伝統として定着しちゃったんじゃないのかな?

極端な話で言うと、もしアキバから絵師を連れてくれば、アニメチックな人物画が広まったかもしれないw

 

126: 名無し 2013/01/14(月) 13:58:23.75 0
史上最高クラスの戦術、戦略の天才軍人扱いされてるけどいまいちどんな戦術や戦略とったのかわからない
誰か教えろください

 

161: 名無し 2013/03/02(土) 19:27:26.98 0
>>126
『アイハヌム2008』読め。
とくに終わりのほうにティムールの軍制と戦術についてそこそこ詳しく書いてある。

 

127: 名無し 2013/01/14(月) 15:02:10.95 0
確か大草原で遊牧民の軍隊を追いかけて補足して撃滅とか
難攻不落の海上要塞の周囲を浮きで埋めて陥落とか

 

128: 名無し 2013/01/14(月) 15:39:00.10 0
戦局に応じて、適切な手段をもって対応し、なおかつ結果を上げ続けたから

 

129: 名無し 2013/01/14(月) 18:11:35.74 0
大まかに右翼、中央、左翼に分かれていた戦闘隊形を
さらに前衛、中央、後衛に細かく分けたらしい。

 

130: 名無し 2013/01/14(月) 20:45:00.84 0
徹底的な虐殺で勝利したんだろ?

 

131: 名無し 2013/01/15(火) 00:17:56.52 0

まず勝利しなかったら虐殺も何もできないからw

オスプレイ・メンアットアームズのThe Age of Tamerlaneなんかでは
「チンギス・ハーンは冷徹に、具体的な目標を視野に入れて虐殺を行ったが
ティムールは明らかに無意味なサディズムの行為に耽溺していた」
とか書かれてるね。

 

132: 名無し 2013/01/15(火) 01:03:37.52 0
ティムールによって繁栄した地域なんかでは「チンギス・カンは破壊し、ティムールは建設した」
なーんて言われたりするというから面白いもんだ

 

133: 名無し 2013/01/16(水) 12:41:24.29 0
モンゴルは恐怖統治だったから被害者が過大な被害報告するのを黙認どころか推奨したからな
イメージ悪すぎるわりにけっこうまともなことしてるんだが

 

134: 名無し 2013/01/16(水) 17:39:54.73 0
と言うよりもモンゴル帝国は滅んだから好き勝手言われてるだけでしょ

 

138: 名無し 2013/01/19(土) 06:12:36.65 0
ティムール有名な割には何したかよくわからん
まじで日本語の本出せ

 

139: 名無し 2013/01/19(土) 07:35:29.58 0
確かに本少ないな
あることにはあるんだが、少なすぎて書かれてるのが正しいのかどうか判断できない

 

141: 名無し 2013/01/20(日) 03:55:55.54 0
チンギスさんどっちがつおい?

 

142: 名無し 2013/01/20(日) 23:45:10.45 0
軍事ならティム一択
チンギスが信長ならティムールは秀吉的な何か

 

143: 名無し 2013/01/21(月) 01:24:09.20 0
チンギスハンはカリスマ性ととんでもない統率能力って感じ
人材を手に入れたり使うのだがうまい
単純な戦闘ではジャムカや諸部族にけっこう負けてる

 

150: 名無し 2013/02/02(土) 22:34:38.55 0
ティムールって一応弱小ではあるが貴族?の出なのか

 

151: 名無し 2013/02/02(土) 22:55:11.49 0
トゥグルクティムールが攻めてきたときにバルラス部の長に任じられるぐらいだから
そこそこの家柄なのでは?

 

154: 名無し 2013/02/03(日) 13:11:52.72 0
興味持って調べ始めたらティムールっていう名前もった奴がたくさんでてきて混乱した

 

155: 名無し 2013/02/03(日) 20:54:11.18 0
○○テムルだったら山ほど出てくるからな、モンゴル帝国。

 

156: 名無し 2013/02/03(日) 21:03:49.89 0
モンゴルの言葉で鉄って意味らしいからな
テツさんの大帝国

 

177: 名無し 2013/12/02(月) 10:17:35.59 0
序盤はティムールけっこう失敗してんだな
領主になってから怪物化したけど

 

181: 名無し 2013/12/02(月) 21:07:32.11 0
>>177
若い頃に一度大失敗して右手と右足に生涯に残る傷を負ったけど
それと引き換えにそれ以降は全戦無敗の無敵の総帥へと変貌していく訳だ

 

184: 名無し 2013/12/04(水) 10:36:18.70 0
領主になってから戦い続けてたもんで事実上の常備軍化して強かった

 

207: 名無し 2014/01/07(火) 10:00:41.14 0
ティムールはいつもしかめっつらであんまり笑わなかったらしいが、ほんまかいな
盗賊の棟梁とか部隊長からのし上がるんだったらもっとコミュ力いると思うんだが

 

208: 名無し 2014/01/07(火) 10:10:56.62 0
荒野とかを延々と移動してる生活だとむしろ誰でも口数少なくなりそう

 

210: 名無し 2014/01/07(火) 22:19:00.18 0
しかめっ面で大成した実業家なり政治家は山ほどいる。
むしろヘラヘラしている大物の方が少ない。

 

211: 名無し 2014/01/07(火) 23:31:17.61 0
惣領として多弁な大物は曹操くらいしか知らないな

 

212: 名無し 2014/01/08(水) 12:29:06.79 0
西にはアレクサンドロス、カエサルと有名どころがいるが
東、特に遊牧騎馬民族は実力主義だから口より手を動かす文化なのかも

 

221: 名無し 2014/01/25(土) 22:02:36.00 0
明はティムールについてどのくらい知って
いたのだろうか?

 

222: 名無し 2014/01/25(土) 22:23:07.92 0
ティムールの息子が馬を贈ったらその馬が暴れ馬で乗りこなせなくて永楽帝がブチ切れたら
「申し訳ありません、しかし父ティムールの乗ってた馬であったので名馬だと思っておりました」って息子は返答した
永楽帝はティムールに乗りこなせて俺は乗りこなせなかったぐぬぬってなって文句を言えなくなった
ちなみに父の馬ってのは息子の嘘

 

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