煮魚とか味噌醤油以前は塩だけ?
釜の蓋を開けずに米を焚くのは日本人だけ?
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味醂はどの時期からあったんだろう。
醤油は諸説あるようだ。(豆醤時代~・味噌のたまり由来~等)
味醂も飲用としての歴史は古いが調味料としては江戸時代かららしい。
まぁ普通に考えると、魚醤(いしる等)・潮汁(魚介の持つ塩分のみ)ってとこだろうな。
飛鳥か奈良時代だと思う。
ひょっとしたらもっと古いかもだけど。
(梅が酸っぱい味の代名詞だった証拠)
それは曹操じゃなかったか?
梅は元々工業用の酸を取るため(塩に漬けて梅酢を作る)の技術と薬用や調味料としての烏梅の技術が飛鳥くらいに入ってきたのが始まりかと
製法や利用法が合流して梅干と言われるようになったのが室町くらい
あれっ火も使えないからどんな蕎麦だったんだろう?
薪で沸かせるぜ。
天麩羅の屋台だってあったんだよ。
薪は火持ちがしない(燃え尽きるのが早い)から炭を使うと思う。
それも備長炭のように堅めのやつで。
小型の七輪ですむしね。
家庭や店の竈なら薪でもいいけど、屋台の場合はねぇ。
なるほど備長炭で暖めていたという事は
当時の深夜の出店そばはかけそばみたいな感じだったのでしょうか
冬なのに風鈴をつけて客に来た事を知らせていたようですが
そうみたい。熱々のダシをかけて客に渡したらしい。
幕末になると、鍋焼きうどんもあったそうだよ。
>>569さんが書いてる通りで、七輪に小鍋だと意外と楽みたいです。炭の燃焼カロリーはプロパンガスより高いから少量で高温になる。
焼き魚などで炭を使うといいのは、水素を含んでない(少ない)から水蒸気が発生しにくいのでパリッと焼きあがるところだね。
ガスコンロでも火加減に手間取ってるのに。
それ以前にてんぷらは日本には無かったし、握り寿司だって生魚じゃ無かったよ。
食材の傷みによる「食あたり」はあっただろうし、それを防ぐ手立ては必要だったんじゃないの?今みたいに冷蔵技術がある訳でもなし、酢締めか火を入れる形で食あたりを防いでたんじゃないの?
ていうかね、今と同じような衛生観念が当時にあったかってことでしょ。
夏の冷蔵技術なんて概念すら無い時代なんだし。
そりゃアンタ、今と同じような形での衛生概念はないだろうけど、少なくとも「あたらない」程度の配慮はするでしょうよ、てことよ。
煮アナゴはその名残。
マグロも"づけ"にして少しでも腐敗を防ごうとしたっけ?
結果 江戸時代とか明治初期は赤身が人気で トロ,オオトロなんか人気ないどころか捨てられたときいた・・・
割と近代だよねトロ,オオトロのような油こぃいネタが好まれるようになったの・・・
今でもさぁ、どっちがマグロの味がするかって言うと絶対に赤身。中トロくらいまでは脂身の旨味も楽しめるけど、大トロまでいくと脂臭いだけで旨味はないように思うよ@俺の舌
ああ、一度でいいから本当の江戸時代の味を味わってみたいね。でも醤油も味噌も、下手したら塩までも味が変わってるんだろうし、完全な再現はできないのかね。
文献や伝統的な製法その他で、完全な再現はできるかもしれない。
だが、それが完全な再現かどうかは誰も判断できない。
江戸時代を生きた人は今、ひとりも生存していないから。
当時のスタンダードな、味の濃さとかも不明だし。
味噌なんか作ってる家ごとに味がちがうしねえ。
昔、親父の実家で自家製味噌の味噌汁を出されたけど、
やたらと塩っ辛くて色の薄い味噌汁だったなあ。
あれは豆をケチった味噌だったのかなあ。
江戸時代にもそんな味噌があったかもしれない。
豆や米よりかなり貴重だった。
そのため、塩を使わない乳酸発酵による保存食品(漬物、熟鮨など)も発明されている。
何より労力が大変
新入り浜式が開発されたのは源内さんの
時代だから(別に彼が開発したわけじゃないけど)
その頃までの塩は貴重だったんだろうな
根本的な塩不足は戦後しばらくまで解決してないよ。終戦間際なんか海沿いに配置された軍人の主な仕事は本土決戦に備えて陣地を築く以上に塩作りがメインだったくらいだし。
日本は暑い時は降雨が多く台風まで来て塩田を壊滅させるし乾燥してる時は気温が低いし、塩田を止めた昭和30年代まで日本人は塩不足での死と隣りあわせだったと言っていいよ
>>596
>終戦間際なんか海沿いに配置された軍人の主な仕事は
当時の内地での塩の自給率は1/4程度。
昭和20年5月末の総力戦会議では、穀類と塩の輸入が最優先とされたそうだが、その基礎となった大蔵省専売局の報告では、
日光浴させれば、髪の毛に塩が吹くだろ
そんな簡単に塩は集められるのに、なんでそうしなかったんだろう?
藻塩の作り方はそんな感じだけど、効率悪くて大量生産は無理だ。
>昭和30年代まで日本人は塩不足での死と隣りあわせだったと言っていいよ
うそだろう、今とは発刊を伴う労働形態が違うとはいえ、
日本人は塩漬け民族だったはず
少々の塩不足で人間は死にはしない
それに塩田がなくなったのは昭和40年代だ
日本の場合は内陸部での塩の確保が大変だったんでしょ。
沿岸部だったら各家庭で海水を煮詰めて塩を作ることもできるだろうけど、岩塩が取れない土地柄だと内陸部では塩を安定的に確保することは難しい。
確かに漬物やら何やらで塩はよく使ってるけど、これにしても内陸部では粕漬けや味噌漬けで代用したりしてる訳で、「ないところにはない」のが、当時の塩だったんでそ。
だから、粕、味噌、という形にするか魚を塩漬けにしたりすることで塩そのものも保存していた。
ある程度もれるのは覚悟して運んでたと思うよ。
たしか、東北か信州の山間部だったかなぁ?
吊るした塩入袋の下に皿をおいて、無駄にしないようにしてたのは。
あちこちでやってそうだが。
調(献上品)として都に運ばれたりしたんだろうか。
確か海草に海水をかけて乾燥したものを煮詰めるんだっけ?
カリウムとかヨードとか含んでて味わい深そうだ。
藻塩焼きは最初は干して焼いただけのもの
海藻の灰そのものを使用しており灰塩といった
時代が下がると灰塩を海水に溶いて煮詰める
焼かずに干した海藻と海水を混ぜ煮詰める
と進歩していった
船舶不足、国共内戦や朝鮮戦争による中国からの輸入途絶
朝鮮特需による工業用需要の増加で世界的な価格高騰など
貴重な闇米で闇塩を買ってたっていうからな
>>614
なるほどそんなこともあったのですね。
物心ついた頃から専売公社の食卓塩が常に常備されていたので、思いもよりませんでした。ありとあらゆるものが不足して闇で扱われていたってことだけは知ってますから、塩だって、そうなのだったかなくらいな気持ちしかないです。
話変わって
藻塩って海岸で採取した藻を干して焼いて灰にして固めるだけでいいんでしょうか?
本多勝一氏の『ニューギニア高地人』では山中の塩水の泉に枝や草を浸し、それを焼いて灰を固めて、塩として流通させているとありましたから、藻塩も同じようにやればいいとは思いますが。
私事で申し訳ないですが、子供の夏休みの自由研究にちょうどよいかと思っております。
化学塩乙
ところで>>620は今のイオン透析膜による製塩法がニガリ分を削るとでも思ってるのかな?
ニガリをとるのは遠心分離によってで製塩法の変化とはあまり関係ないんだが
5%でしたか、いい事聞いた。
>>620
海水をそのまま煮詰めて、出来た結晶を舐めてみると面白いよ。
にがりを完全に取り除くと味気ないけど、ある程度は除かないと苦くてしょうがないんだよ。死海の水が不味い理由だね。夏休みの間に一度試してみては?
伝統的製塩でもニガリを分離する。塩水を煮詰めて、ある割合まで塩の結晶が析出したら麻布で水分を分離する。
「ある割合」ってのが当時の製塩の秘伝になってる部分で、腕の良い職人ならかなり純粋な塩が製造できたようだ。
濾した時の水分が豆腐製造に使うニガリになるのは言うまでも無い。
玉割できる酒が歓迎されたので、そういう味を狙った。
そうだったんだ。その当時、日本では作ってなかったの?
江戸・関八州は清酒や醤油を上方や紀州から輸入していたってぇ話ですね。
アルコール度数も測定法も無い時代であり、製造もお天気任せ
価格と味を安定させる為に問屋でブレンドし玉割して小売へ、そこでまた玉割
だから、原酒は濃い味である必要があった。
お江戸は水道、元を正せば玉川の水
その水で割ったから玉割
現在でも江戸前の和食では
玉割酒 は使う言葉