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荀攸、字公達、彧従子也。祖父曇、広陵太守。攸少孤。
荀攸は、字を公達といい、荀彧の従子(一族の下の世代。荀攸の曽祖父と荀彧の祖父が兄弟)である。祖父の荀曇は、広陵太守であった。荀攸は若くして父を亡くした。
ゆるゆるとやっていく
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及曇卒、故吏張権、求守曇墓。攸年十三、疑之、謂叔父衢曰「此吏有非常之色、殆将有姦」衢寤、乃推問。果殺人亡命。由是異之。
荀曇が亡くなると、(荀曇の)もとの吏の張権が、荀曇の墓を守りたいと願い出た。荀攸は十三歳だったが、それを疑い、叔父の荀衢に言った「あの吏は普通ではない様子ですから、おおよそ悪事を働いたのでしょう」
荀衢は気がついて、そこで問いただした。果たして人を殺して亡命したのであった。このことで彼を優れていると思った。
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何進、秉政。?海内名士攸等二十余人。攸到、拝黄門侍郎。董卓之乱、関東兵起、卓徙都長安。
何進が、政権を掌握した。海内の名士荀攸ら二十人余りを召し寄せた。荀攸は到着すると、黄門侍郎に任命された。董卓の乱により、関東で兵が起こり、董卓は都を長安に移した。
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攸、与議郎鄭泰、何?、侍中?輯、越騎校尉伍瓊等、謀曰「董卓無道、甚於桀紂、天下皆怨之。雖資彊兵、実一匹夫耳。
荀攸は、議郎の鄭泰、何?、侍中の?輯、越騎校尉の伍瓊らと、謀って言った「董卓は無道で、桀紂(桀は夏、紂は商の暴君)より甚だしく、天下はみな怨んでいる。強兵を頼っているといえども、その実は一人の匹夫というだけだ。
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今直刺殺之、以謝百姓、然後拠?函、輔王命、以号令天下。此、桓文之挙也」
今すぐ彼を刺殺し、百姓に謝罪し、それから?山・函谷関に依拠し、王命を輔佐して、天下に号令しよう。これは、桓文(春秋斉の桓公、晋の文公。それぞれ周王室を助けて覇を唱えた)の挙である」
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事垂就而覚、収?攸、?獄。?、憂懼自殺。攸、言語飲食自若。会卓死、得免。
事が成就する前に発覚し、何?・荀攸は捕らえられ、獄に繋がれた。何?は、憂え恐れて自殺した。荀攸は、言葉も食事も平然としていた。おりしも董卓が死に、逃れられた。
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棄官、帰。復辟公府、挙高第、遷任城相、不行。攸、以蜀漢険固人民殷盛、乃求為蜀郡太守。道絶不得至、駐荊州。
官職を捨て、帰郷した。ふたたび公府に召され、高第に上げられ、任城の相に昇進したが、行けなかった。荀攸は、蜀・漢の険固で人民が盛んであることから、蜀郡太守を願い出た。道が断絶して行けなかったので、荊州に留まった。
董卓殺そうとする忠義を見るに独立は考えてないと思う
劉焉といい鍾会といい勘繰りたくなってしまう
荀攸がそんな性格でなくても
でも仮に荀攸が独立したら面白いな
北から西安行って曹操と対立ないし
東から江陵行って孫権と対立するとかロマン
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太祖迎天子都許、遺攸書曰「方今天下大乱、智士労心之時也。而顧観変蜀漢、不已久乎!」於是、?攸為汝南太守、入為尚書。
太祖(曹操)は天子を迎えて許に都を置き、荀攸に書を送った「まさに今天下は大いに乱れ、智謀の士が心を労する時である。しかし蜀・漢で変化を見ていて、久しくそのままでいるとは!」そこで、荀攸を召して汝南太守に任じ、(許に)入れて尚書とした。
法正その他から見限られたし結局無理そう
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太祖素聞攸名、与語大悅。謂荀彧、鍾?曰「公達、非常人也。吾得与之計事、天下当何憂哉」以為軍師。
太祖はもとより荀攸の名声を知っており、彼と語って大いに喜んだ。荀彧、鍾?に言った「公達(荀攸)は、平凡な人ではない。私が彼を得てともに事を計るならば、天下で憂いることはない」そこで軍師とした。
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建安三年、従征張繍。攸言於太祖曰「繍与劉表、相恃為彊。然繍以遊軍、仰食於表。表不能供也、勢必離。
不如緩軍以待之、可誘而致也。若急之、其勢必相救」太祖不従。
建安三(198)年、張繍征伐に従った。荀攸は太祖に言った「張繍と劉表は、互いを恃みとするから強いのです。しかし張繍は遊軍となれば、劉表に兵糧を頼りましょう。劉表がそれを供給できなければ、勢いとして必ず離反いたします。
戦いを緩めて待ち、それを誘ってそうなるようにいたしましょう。もし厳しく戦えば、勢いとして必ず互いを救い合いましょう」太祖は従わなかった。
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遂進軍之穣、与戦。繍急、表果救之。軍不利。太祖謂攸曰「不用君言、至是」乃設奇兵復戦、大破之。
ついに穣に進軍して、戦った。張繍は危急となり、劉表は果たして彼を救った。戦いに利はなかった。太祖は荀攸に言った「君の言葉を用いなかったから、こうなったのだ」そこで奇兵を設けてふたたび戦い、敵を大破した。
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是?、太祖自宛征呂布、至下?。布敗退、固守。攻之不抜、連戦、士卒疲、太祖欲還。
この年、太祖は宛から呂布を征伐し、下?に到った。呂布は敗退し、(下?を)固守した。攻めても落とせず、連戦して、兵士は疲れ、太祖は帰還しようとした。
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攸与郭嘉、説曰「呂布、勇而無謀。今三戦皆北、其鋭気衰矣。三軍以将為主、主衰則軍無奮意。夫陳宮有智而遅。今及布気之未復宮謀之未定、進急攻之、布可抜也」
荀攸と郭嘉は、説得した「呂布は、勇敢ですが無謀です。今三戦してすべて敗北し、その鋭気は衰えております。三軍(全軍)は将を主としますから、主が衰えれば軍は奮起しなくなります。
そもそも陳宮には智恵があっても(決断が)遅れます。今呂布の鋭気が戻らず陳宮の謀が定まらないうちに、進んで厳しく攻めるならば、呂布は攻略できます」
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乃引沂泗、灌城。城潰、生禽布。
そこで沂・泗より水を引き、城に注ぎ込んだ。城は潰え、呂布を生け捕った。
※ここでは省略されているが、侯成・宋憲・魏続が陳宮を捕らえて降伏し、また包囲が厳しかったため、呂布は自ら降伏したのである
呂布伝参照
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後、従救劉延於白馬。攸画策、斬顔良。語在武紀。
のちに、白馬で劉延を救うのに従った。荀攸は画策し、顔良を斬った。
話は武帝紀にある。
※荀攸は曹操を渡河させ、袁紹軍を西に引きつけて分散させた
それから軽装兵で白馬を奇襲し、当時降将であった関羽が手ずから顔良を斬り、包囲は解かれたのである
武帝紀参照
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太祖抜白馬、還、遣輜重循河而西。袁紹渡河追、卒与太祖遇。諸将皆恐、説太祖還保営。攸曰「此、所以禽敵、奈何去之!」太祖目攸而笑。
太祖は白馬を落とすと、帰還し、輜重を送って河沿いに西に行かせた。袁紹は渡河して追い、にわかに太祖と遭遇した。諸将はみな恐れ、太祖に帰還して陣営を保持するように説得した。
荀攸は言った「これこそが、敵を捕らえる理由であるのに、どうして去れようか!」太祖は荀攸に目配せして笑った。
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遂以輜重餌賊、賊競奔之、陳乱。乃縦歩騎撃、大破之、斬其騎将文醜。
そこで輜重を賊に対しての餌としたので、賊は競ってやって来て、陣が乱れた。こうして歩兵・騎兵を出して攻撃し、敵を大破し、その騎将の文醜を斬った。
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太祖遂与紹相拒於官渡。軍食方尽、攸言於太祖曰「紹運車、旦暮至。其将韓?、鋭而軽敵。撃可破也」
太祖はついに袁紹と官渡で対峙した。兵糧がまさに尽きようとしたころ、荀攸は太祖に言った「袁紹の運糧車は、朝晩やって来ます。その将の韓?〈カンジュン〉は、強くとも敵を軽んじます。攻撃すれば破れます」
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太祖曰「誰可使?」攸曰「徐晃可」乃遣晃及史渙、邀撃破走之、焼其輜重。
太祖は言った「誰に行かせるべきだ?」荀攸は言った「徐晃ならよいでしょう」そこで徐晃と史渙を遣わし、迎え撃たせてこれを破って敗走させ、その輜重を焼かせた。
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会許攸来降、言「紹遣淳于瓊等将万余兵、迎運糧。将驕、卒惰。可要撃也」衆皆疑。
たまたま許攸が投降して来て、言った「袁紹は淳于瓊らに一万余りの兵を率いさせ、輸送される兵糧を迎えさせます。将は驕り、兵は怠惰です。迎え撃つべきです」人々はみな疑った。
唯攸与賈?、勧太祖。太祖乃留攸及曹洪、守。太祖自将攻破之、尽斬瓊等。紹将張?、高覧焼攻櫓、降。紹、遂棄軍走。
ただ荀攸と賈?だけが、太祖に(迎撃を)勧めた。太祖はそこで荀攸と曹洪を留め、(本陣を)守らせた。太祖は自ら指揮して撃破し、淳于瓊らを全員斬った。袁紹の将の張?、高覧は櫓を焼き、降伏した。袁紹は、ついに軍を捨てて逃げた。
201: 名無し 平成31年 04/04(木)21:54:55
これほんとよく決断できたわ
二荀と賈?の判断能力の高さは異常
曹操の成功の八割はこの三人のおかげな気がする
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?之来、洪疑、不敢受。攸謂洪曰「?、計不用、怒而来。君何疑?」乃受之。
張?が来ると、曹洪は疑い、受け入れようとしなかった。荀攸は曹洪に言った「張?は、計が用いられなかったので、怒って来たのです。君が疑われることはありません」そこで彼を受け入れた。
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七年、従討袁譚尚於黎陽。明年太祖方征劉表、譚尚争冀州。譚遣辛毘乞降請救、太祖将許之。以、問群下。群下多以為表彊、宜先平之、譚尚不足憂也。
建安七(202)年、黎陽での袁譚・袁尚の討伐に従った。翌年太祖が劉表を征伐しようとすると、袁譚と袁尚は冀州を争った。袁譚は辛毘を遣わして降伏して救援を求め、太祖はそれを許そうとした。
そこで、群臣に諮問した。群臣の多くが劉表は強いため、まずこれを平定するべきで、袁譚と袁尚は憂慮するに足りないとした。
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攸曰「天下方有事、而劉表坐保江漢之間。其無四方志、可知矣。袁氏拠四州之地、帯甲十万、紹以寬厚得衆。
荀攸は言った「天下はまさに有事でありながら、劉表は座して江・漢の間を保つのみです。その四方への志がないことは、わかりましょう。袁氏は四州(冀・幽・并・青)の地に割拠しており、武装兵は十万、袁紹は寛大さで人心を得ておりました。
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借使二子和睦以守其成業、則天下之難未息也。今兄弟遘悪、此勢、不両全。若有所并、則力専。力 専則難図也。
仮に二人の息子が和睦して(袁紹の)成しとげた業績を守るのであれば、天下の難はまだやまないでしょう。今兄弟は憎み合っており、その勢力は、両立しません。もし(どちらかの勢力を)併合すれば、力は一つになります。力が一つになれば図るのは難しくなりましょう。
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及其乱而取之、天下定矣。此時不可失也」太祖曰「善」乃、許譚和親。遂、還撃破尚。
その混乱につけ込んで攻略するのであれば、天下は定まります。この時を失ってはなりません」太祖は言った「善し」そこで、袁譚との和親を認めた。ついに、帰還して袁尚を撃破した。
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其後譚叛。従斬譚於南皮。冀州平、太祖表封攸曰「軍師荀攸、自初佐臣、無征不従。前後克敵、皆攸之謀也」於是、封陵樹亭侯。
そののち袁譚は叛乱を起こした。南皮で袁譚を斬るのに従った。冀州は平定され、太祖は上表して荀攸を封じていうには「軍師の荀攸は、当初より臣を輔佐し、すべての征伐に従軍いたしました。前後に敵に勝ちましたのは、すべて荀攸の謀のおかげです」こうして、陵樹亭侯に封じられた。
曹操に勝てなくともにわかに河北を奪われることはないから
曹操の行動が極端に遅れる
そこで江南の孫氏が勢力拡大、南北で分裂とか想像した
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十二年、下令大論功行封、太祖曰「忠正密謀、撫寧内外、文若是也。公達其次也」増邑四百、并前七百戸、転為中軍師。魏国初建、為尚書令。
建安十二(207)年、命令を下して大いに論功と封爵が行われ、太祖は言った「忠正にして密謀を巡らせ、内外を慰撫して安寧にするのは、文若(荀彧)だ。公達(荀攸)はそれに次ぐ」
邑四百を増やされ、前と合わせて七百戸となり、中軍師に転任した。魏国(曹操が漢王朝より王位を与えられて建国した魏)が初めて建てられると、尚書令となった。
曹操の統治下の冀州で領民が袁紹時代を懐かしんでたってどこかで聞いたから
平和な世なら袁紹は名文官になれたんやろうね
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攸、深密有智防。自従太祖征伐、常謀謨帷幄。時人及子弟、莫知其所言。
荀攸は、底知れず綿密な智謀があった。太祖の征伐に従軍してからは、常に帷幄(陣幕)で謀を巡らした。時の人や彼の子弟のうち、彼の発言を知っている者はいなかった。
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太祖毎称曰「公達、外愚内智、外怯内勇、外弱内彊。不伐善、無施労。智可及、愚不可及。雖顏子甯武不能過也」
太祖はつねづね称賛した「公達は、外見は愚かだが内面には智恵があり、外見は臆病だが内面は勇敢で、外患は弱くも内面は強い。才能を誇らず、人を苦労させない。その智恵には及べても、その愚鈍さには及べないだろう。顔子や甯武といえどもこれ以上ではあるまい」
外見ボロカスに言ってて草
よっぽど陰キャくさい見た目だったんかな
荀彧はよく書かれてんのに
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文帝在東宮、太祖謂曰「荀公達、人之師表也。汝当尽礼敬之」攸曾病、世子問病、独拝牀下。其見尊異、如此。
文帝(曹丕)が東宮にいた(太子だった)とき、太祖は言った「荀公達は、人の模範である。お前は礼を尽くして彼を敬うのだぞ」荀攸がかつて病気になると、世子(曹丕)は見舞いに来て、寝台の下で拝礼した。その尊敬され特別に扱われることは、この通りであった。
于禁「これは生還果たしたワイも手厚くもてなされるやろなぁ」
せやな、太祖の墓参りしてきーや
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攸、与鍾?善。?言「我、毎有所行、反覆思惟。自謂、無以易。以、咨公達輒復過人意」
荀攸は、鍾?と仲が良かった。鍾?は言った「私は、つねに何かを行えば、何度も考え直した。自分で、変えるところがないようにした。それから、公達に相談すると(彼は)つねに人の考えを越えていた」
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公達前後凡画奇策十二、唯?知之。?、撰集未就、会薨。故世不得尽聞也。攸従征孫権、道薨。太祖、言則流涕。
公達は前後でおおよそ十二の奇策を案じたが、ただ鍾?だけがそれを知っていた。鍾?は、(荀攸の)撰集を完成させないうちに、おりしも亡くなってしまった。そのため世間ではそのすべてが伝わらなかったのである。
荀攸は孫権征伐に従い、道中でなくなった。太祖は、言葉を発する旅に涙を流した。
ここまで補佐に徹してたら
自分の撰集はいらんみたいな事依頼してたりして
彼の謙虚さなら言いそう
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長子緝、有攸風、早没。次子適、嗣。無子、絶。黄初中、紹封攸孫彪、為陵樹亭侯、邑三百戸。後、転封丘陽亭侯。正始中追諡攸、曰敬侯。
長子の荀緝には、荀攸の風があったが、早くに亡くなった。次子の荀適が、後を継いだ。子がなく、そのあとは断絶した。
黄初年間(220-226)、荀攸の孫の荀彪を封じて(紹封は断絶した諸侯を再興させること)、陵樹亭侯とし、邑は三百戸であった。のちに、丘陽亭侯に転封された。正始年間(240-249)に荀攸に諡を追贈し、敬侯といった。
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評曰。荀攸賈?、庶乎算無遺策、経達権変。其良平之亜歟。
評にいう。荀攸・賈?は、おおよそ算段には失策がなく、臨機応変に通達していた。それは良平(漢の謀臣の張良と陳平)に次ぐものであろうか。
それわかるわ
講談に登場するような軍師やってる