袁紹伝やる
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袁紹、字本初、汝南汝陽人也。高祖父安、爲漢司徒。自安以下四世居三公位、由是勢傾天下。
袁紹は、字を本初といい、汝南郡汝陽県の人である。祖父の祖父袁安は、漢の司徒であった。袁安以降は四世において三公の位であり、そのため天下を傾けるほどの力があった。
蒼天の袁紹はイケメンやったな
なお
最後なんで達磨みたいになったんやろ?
紹有姿貌威容、能折節下士、士多附之。太祖少與交焉。以大將軍掾爲侍御史、稍遷中軍校尉、至司隸。
袁紹は立派な容貌と威容があり、よく下の者にへりくだったため、多くの士が付き従った。太祖は若い時に交友があった。大将軍(何進)の掾によって侍御史にされ、少しすると中軍校尉に昇進し、司隸となった。
漢王朝の臣下のトップスリーと思ってええで
靈帝崩。太后兄大將軍何進、與紹謀誅諸閹官。太后不從。乃召董卓、欲以脅太后。
霊帝が崩御した。太后の兄で大将軍の何進は、袁紹と謀って諸宦官を誅殺しようとした。太后は従わなかった。かくして董卓を召し、太后を脅そうとした。
常侍?門聞之、皆詣進謝、唯所錯置。時紹勸進、便可於此決之。至于再三、而進不許。
中常侍や黄門はこれを聞くと、皆何進の元に行って謝り、処置を任せた。この時袁紹は何進に勧め、ここで(誅殺を)決するべきだとした。再三しても、何進は許さなかった。
令紹使洛陽、方略武吏檢司諸宦者。又令紹弟虎賁中郎將術、選?厚虎賁二百人。當入禁中、代持兵?門、陛守門?。
袁紹を洛陽に遣わし、武官を調略させて諸宦官を監督させた。また袁紹の弟で虎賁中郎将の袁術に命じ、温厚な虎賁二百人を選ばせた。禁中に入れ、武器を持つ黄門と代わらせ、門戸を守らせた。
中常侍段珪等、矯太后命、召進入議、遂殺之。宮中亂。
中常侍段珪らは、太后の命と偽り、何進を議論の名目で召し、遂に殺した。宮中は乱れた。
術將虎賁、燒南宮嘉德殿青瑣門、欲以迫出珪等。珪等不出、劫帝及帝弟陳留王、走小平津。
袁術は虎賁を率い、南宮嘉徳殿青瑣門を焼き、段珪らを追い出そうとした。段珪らは出て行かず、帝及び帝の弟の陳留王をさらい、小平津に逃げた。
紹既斬宦者所署司隸校尉許相、遂勒兵捕諸閹人。無少長皆殺之。
袁紹は宦官を取り立てた司隸校尉許相を斬り、兵を率いて諸宦官を捕らえた。老幼問わず皆殺した。
或有無鬚而誤死者。至自發露形體而後得免。宦者或有行善自守、而猶見及。其濫如此。死者二千餘人。
あるいは鬚のない者が誤って殺された。自ら体を露わにして免れた者もいた。宦官には善行をして分を守っていた者もいたが、それでも殺された。その行き過ぎはこのようであった。死者は二千余人となった。
急追珪等、珪等悉赴河死。帝得還宮。
段珪らに切迫すると、段珪らは皆河に身を投げて死んだ。帝は宮殿に帰ることが出来た。
董卓呼紹。議欲廢帝、立陳留王。是時紹叔父隗、爲太傅。
董卓は袁紹を呼んだ。議論して帝を廃し、陳留王を立てようとした。この時袁紹の叔父袁隗は、太傅であった。
紹偽許之、曰「此大事、出當與太傅議」卓曰「劉氏種不足復遺」紹不應。
袁紹は認めたふりをし、言った「この大事は、退出して太傅と議論せねばなりません」董卓は言った「劉氏の種は残すまでもない」袁紹は答えなかった。
橫刀長揖、而去。紹既出、遂亡奔冀州。
刀を横たえ長揖(体を傾ける礼)をし、去った。袁紹は退出すると、冀州に逃亡した。
袁紹が逃げた理由がわからんけど兵の多寡かな?
この時董卓が
皇帝を自由に廃立できる絶大な権力を握ってたから
袁紹だけでは対抗できないんや
この後渤海に行って力つけ
反董卓連合作ってようやく対抗できるようになる
彼らは袁紹を庇い、袁紹は大事がわからず逃げた、追い詰めれば反乱を起こす、袁家は名門なので協力者も多数いるだろう、太守にでもすれば袁紹の憂いはなくなるだろうと進言
董卓は進言に納得し、袁紹を勃海太守、?郷侯にする。
紹遂以勃海起兵、將以誅卓。語在武紀。
袁紹は遂に勃海で兵を起こし、董卓を誅しようとした。話は武紀(曹操の紀)にある。
紹自號車騎將軍、主盟、與冀州牧韓馥、立幽州牧劉虞爲帝。遣使奉章詣虞、虞不敢受。
袁紹は自らを車騎将軍と号し、同盟を主宰し、冀州牧韓馥と共に、幽州牧劉虞を皇帝に立てようとした。使者を遣わし印章を奉じさせて劉虞の元に行ったが、劉虞は受けなかった。
公孫賛が董卓討伐の名目で冀州に入ると韓馥は恐れを抱く
袁紹はそれに乗じて陳留の高幹、潁川の荀諶らを遣わし説得する
韓馥を諌める者もいたが彼はそれに従わず冀州を袁紹に譲る
袁紹は冀州牧となる。
天子を迎えて天下に号令し服従しない者を討伐するよう進言
袁紹はその言葉に喜び、沮授を監軍、奮威将軍にするよう上表
董卓が執金吾胡母班、将作大匠呉脩に詔を持たせて袁紹を説得させようとすると袁紹は河内太守王匡に殺させる
董卓はそこで袁紹の宗族である太傅の袁隗らを殺す
また韓馥はこの頃袁紹を恐れて張?の元に逃げたが、後に袁紹が使者を張?の元に遣わすと、自分が図られるのではないかと思い自殺した
袁紹はまさに部下の進言聞かなくて滅びた人物やな
陳寿もそこを責めてる
初、天子之立、非紹意。及在河東、紹遣潁川郭圖、使焉。
当初、天子(献帝)が即位したのは、袁紹の意ではなかった。河東に行くと、袁紹は潁川の郭図を遣わして、使者とした。
圖還、?紹迎天子都?。紹不從會太祖迎天子都許、收河南地、關中皆附。
郭図は帰ると、袁紹に天子を迎え?を都とするよう説いた。袁は従わず折しも太祖が天子を迎えて許を都都市、河南の地を収め、関中は皆付随した。
紹悔、欲令太祖徙天子都?城、以自密近。太祖拒之。
袁紹は後悔し、太祖に天子を移して?城を都にするよう命じ、自らに接近させようとした。太祖はこれを拒んだ。
天子以紹爲太尉、轉爲大將軍、封?侯。紹、讓侯不受。
天子は袁紹を太尉とし、大将軍に転任させ、?侯に封じようとした。袁紹は、侯を辞退して受けなかった。
頃之、?破賛于易京、?其衆。出長子譚、爲青州。
この頃、公孫賛を易京で撃破し、その衆を併合した。長子袁譚を出し、青州を治めさせた。
沮授諫紹「必爲禍始」紹不聽、曰「孤欲令諸兒各據一州也」又以中子熙、爲幽州。甥高幹、爲?州。
沮授は袁紹を諌めた「必ず禍の始まりとなります」袁紹は聞かず、言った「私は子供たちに命じ各々一州を拠点とさせたい」また中子袁熙に、幽州を治めさせた。甥の高幹に、并州を治めさせた。
衆數十萬、以審配逢紀統軍事、田豐荀諶許攸爲謀主、顏良文醜爲將率、簡精卒十萬、騎萬匹、將攻許。
衆は数十万で、審配、逢紀に軍事を統べさせ、田豊、荀諶、許攸を参謀とし、顔良、文醜を将軍とし、精鋭十万、騎馬一万匹を選ばせ、許を攻めようとした。
これより前に劉備が袁術を破り、また刺史車冑を殺して小沛に駐屯すると太祖に攻撃される
田豊はこの隙に太祖の背後を攻撃するよう説くが袁紹は子の病を理由に実行しなかった
袁紹は正史でも
あからさまにだめだめやね
演義の優柔不断はちゃんと元ネタがあるんや
演義はある意味正史に忠実
紹進軍黎陽。遣顏良攻劉延于白馬。沮授又諫紹「良、性促狹。雖驍勇、不可獨任」紹不聽。
袁紹は黎陽に進軍した。顔良を遣わし劉延を白馬で攻めさせた。沮授はまた袁紹を諌めた「顔良は、性格が偏狭です。驍勇ですが、単独で任せてはなりません」袁紹は聞かなかった。
太祖救延與良戰、破斬良。紹渡河、壁延津南。使劉備文醜、挑戰。太祖?破之、斬醜。
太祖は劉延を救って顔良と戦い、顔良を破って斬った。袁紹は黄河を渡り、延津の南に砦を築いた。劉備、文醜を遣わし、戦いに挑ませた。太祖はこれを?破し、文醜を斬った。
再戰禽紹大將。紹軍大震。太祖還官渡。
再び戦って袁紹の大将を捕らえた。袁紹軍は大いに震えた。太祖は官渡に帰った。
沮授又曰「北、兵數衆而果勁不及南。南、穀?少而貨財不及北。南利在於急戰、北利在於緩搏。宜徐持久、曠以日月」紹不從。
沮授はまた言った「北は、兵数が多くとも強さは南に及びません。南は、穀物が少なく財貨は北に及びません。南の利は速戦にあり、北の利は持久戦にあります。ゆっくりと持ちこたえ、日月を延ばすのがよろしいでしょう」袁紹は従わなかった。
連營稍前、逼官渡合戰。太祖軍不利、復壁。紹、爲高櫓起土山、射營中。
軍営を連ねて少しずつ前進し、官渡に迫って合戦した。太祖軍は利がなく、また砦を築いた。袁紹は、高い櫓を築き土山を作り、軍営の中に射掛けた。
悪い人ではないんやろうけどなぁ…
友人と主君は違うからな
友達なら許せるけど
上司にしたくない人とかワイも腐るほど知ってる
營中皆蒙楯、衆大懼。太祖乃爲發石車、?紹樓。皆破、紹衆號曰霹靂車。
軍営の中の皆は盾を被り、衆は大いに恐れた。太祖はかくして発石車を作り、袁紹の楼を攻撃した。皆破り、袁紹の衆は霹靂車と号した。
袁紹軍が滅びた時点で半分消化試合だからなぁ
横浜三国志ではカントがわずか1Pだったけど
言いたい事はわかるけど
横浜で草
>>409
消化試合っていいながら
真っ先に負けたのが魏なんだよね
横山は倉亭以降全部カットという謎
アニメだと官渡だけはやってたけど
曹丕ソウエイが短命なのがね…
そこらへんもあるな
寿命が長ければ
司馬一族につけ込まれなかったかも
曹叡が長かったら国力疲弊で詰みやろ
確かに
魏ってもしかして詰んでた?
曹丕がいくらか戦争がうまくて長命だったら変わったかも
曹丕は性格があれなだけで
治世をさせるなら名君だからそうだよな
曹丕が長生きしていれば
まともなのが4代続くのはレアケだから
そら(前任が死にまくれば)
そう(部下の専横が始まる)
よ
紹爲地道欲襲太祖營。太祖輒於?爲長塹以拒之。又遣奇兵襲?紹運車、大破之盡焚其穀。
袁紹は地下道を掘って太祖の軍営を襲おうとした。太祖はすぐさま内に長い塹壕を掘ってこれを拒んだ。また奇兵を遣わして袁紹の運搬車を襲撃し、大破して穀物を焼き尽くした。
太祖與紹相持日久。百姓疲乏、多叛應紹、軍食乏。
太祖と袁紹は対峙して久しくなった。百姓は疲弊し、多くが背いて袁紹に呼応し、兵糧は乏しくなった。
こっからひっくり返すから
曹操さまは曹操さまなんだよなぁ
曹操はこの時代でもトップクラスの人物だ
これは勝ったな
武威やねん!袁紹軍
なお仲が悪い模様
會紹遣淳于瓊等將兵萬餘人、北迎運車。沮授?紹「可遣將?奇、別爲支軍於表、以斷曹公之鈔」紹復不從。
たまたま袁紹は淳于瓊らに兵一万余人を率いさせて遣わし、北に運搬車を迎えさせた。沮授は袁紹に説いた「将の蒋奇を遣わし、別に支援の軍として表に置き、曹公の略奪を防がせてください」袁紹はまた従わなかった。
瓊、宿烏?去紹軍四十里。太祖乃留曹洪守、自將?騎五千、候夜潛往攻瓊。紹遣騎救之、敗走。破瓊等悉斬之。
淳于瓊は、烏巣に宿営し袁紹軍から離れて四十里であった。太祖はかくして曹洪を留めて守らせ、自ら歩兵騎兵五千を率い、夜を待って密かに淳于瓊を攻めに行った。袁紹は救援の騎兵を遣わしたが、敗走した。淳于瓊らを破りことごとく斬った。
三国志大戦でもいっつも使ってたわ
武に顔、文で智に田、沮がいるから割と戦える
太祖還、未至營、紹將高覽張?等、率其衆降。紹衆大潰。紹與譚、單騎退渡河。餘衆偽降、盡坑之。
太祖は帰ったが、軍営に到らぬうちに、袁紹の将高覧、張?らが、衆を率いて降伏していた。袁紹の衆は潰滅した。袁紹と袁譚は、単騎で撤退して黄河を渡った。その他の衆で偽って降伏した者は、ことごとく埋められた。
この時の曹洪・荀攸は神がかった守備は圧巻
高覧張βが降伏したのつみって感じがしてすこ
袁紹軍の内部争いはやばい
沮授、不及紹渡、爲人所執。詣太祖。太祖厚待之。後、謀還袁氏、見殺。
沮授は、袁紹が渡河せぬうちに、人に捕らえられた。太祖に会わされた。太祖はこれを厚遇した。後に、袁氏の元に帰ろうとし、殺された。
田豊は持久戦を献策するが袁紹は聞き入れず
それでも強く諌言すると袁紹は怒って田豊を投獄
後に田豊は殺され、これは袁紹が表面こそ寛容だが内では人を忌むことの例として挙げられている
冀州城邑多叛。紹復?定之。自軍敗後、發病。七年、憂死。
冀州の城邑の多くが背いた。袁紹はこれを攻撃して再び定めた。自軍が敗れた後、発病した。七年(202年)、憂いのうちに死んだ。
評曰。袁紹劉表、咸有威容器觀、知名當世。表跨蹈漢南、紹鷹揚河朔。然皆外寬?忌、好謀無決。有才而不能用、聞善而不能納。
評に曰く。袁紹、劉表は、皆有威容と度量、見識があり、名を当世に知られていた。劉表は漢南に跨り、袁紹は河朔に鷹揚していた。しかれども皆外は寛容だが内は人を忌み、謀を好んで決断が出来なかった。才人がいても用いられず、善言を聞いても入れられなかった。
太平の世だったら袁紹・劉表って名士を重んじる明主なんよなぁ
治世の名君が乱世でも名君とは限らんからな
おは劉禅
劉禅は治世だと万暦帝になりそう
部下の進言を聞くって点ではやっぱり曹操に劣るよな
曹操は官渡の時逃げようとしてたけど荀彧に諌められて留まったし
廢嫡立庶、舍禮崇愛。至于後嗣、顛蹙、社稷傾覆、非不幸也。昔項羽背范增之謀、以喪其王業。紹之殺田豐、乃甚於羽遠矣!
嫡子を廃し庶子を立て、礼を捨て愛を優先した。後継の時になり、窮迫され、社稷が覆ったのは、不幸ではない。昔項羽は范増の謀に背き、その王業を失った。袁紹が田豊を殺したのは、羽にすら遠く及ばない!(※)
※項羽は楚の覇王、范増はその参謀
項羽は范増の度重なる進言を聞き入れず、結局敗死する
だが項羽は范増を疑っても殺しはしなかったので陳寿はそれに比べて袁紹を批判している
よかったやん田豊、范増やて
みんな離れていったからね
でも袁紹には”郭図”がいるから…
郭図とかいて負け軍師と呼ぶ風潮
そのあだ名考えた人センスあるわ
かわいそうだけど
冀州獲れへんかったら袁紹はここまで飛躍せんかったで!
地味にかなり辛辣よな
日本だとだれやろ?
義経以下とかかな
袁紹が田豊を殺してしまったのは事実だから
陳寿にこう書かれてもしゃーないといえばしゃーない
統率と武力が分けられてないシリーズだと
曹操が一騎打ちで猛将討ち取ったりとかもあるし
田豊や顔醜コンビ、張合βはいなくなったとしても
審配や逢紀といった有能軍師は残ってたから
跡目争いが無かったら曹操と勢力分けて
三国時代ももっと混沌としたかもな
そもそも袁譚と袁尚が争って
国力を大きく落としたのが袁氏没落の原因だから
もしそれがなかったら
袁氏、曹氏、孫氏の三分だったかもしれん
官渡以降袁紹が死ぬまで
曹操が手出ししなかったからすごいよ
袁家は
官渡で勝ったら
袁紹が滅びたと思ってる人も多いみたいだけどそうなんだよね
むしろ袁兄弟が争わなければ曹操も勝てたかどうか
武力 90
知力 43
魅力 16
今見ると魅力やべーな
うーん
決定打が許攸の裏切りだから
大勢は変わらなかったと思う
緒戦から勝ってそうじゃない?
麹義は袁紹に処刑された人物だから袁紹が殺さなかったと仮定する
もし麹義が従軍していても
袁紹は麹義の進言はまず聞かないだろうし
重要な任を任せなかっただろう
そして許攸が裏切って結局敗北する
ワイの考えはこんな感じかな
手だしできなくなるんか?そのあたりとか
>>474
中原とったら勝ちゲー感あるな、中国史は
でも後半はそうでもないやで
発展している中原を押さえるのは重要やけど
それ以外から統一した王朝もないわけではないで
河北で言えば例えば漢の光武帝なんかは
河北で転戦して最後に漢を再興したで
文化が発展している所押さえるのは
それだけで有利やからな
田豊とかもそうだし変わったとこだと臧洪とか
猜疑心が強いらしいからね
項羽より酷いって評価もなっとく
近世以前は人口密集地帯と農業地帯押さえたものが
圧倒的有利やからな
中国史以外はわからんけど
恐らくそうなんやろな
大正義袁紹軍の打線www
左 高覧(張合βとの名コンビ)
二 許攸(官渡の決戦におけるキーマン)
一 張合β(頼れる生え抜き)
三 顔良(言わずと知れた2枚看板)
右 文醜(言わずと知れた2枚看板)
捕 淳于瓊(名門・西園八校尉)
中 麹義(白馬陣を破った名手)
遊 劉備(曹操から涙のFA)
投 郭図(出れば負け軍師の天才)
→田豊(と並ぶ天才)
→沮授(言うこと聞かれない天才)
→審配(内輪もめの天才)
すまん、これに勝てる奴おる?www
良将高幹がいない。やり直し
天才多すぎ
投手陣がやばくないですかね?
やったわ
袁術軍と合体できたらもっと強かったのに
ツートップて揉めて自滅やろ
ワイもどっかで必ず分裂しそうやと思う
袁術が袁紹の元に逃げ込んだらどうなるんかね?
袁紹としては一国に二人の君を作ったらやっかいやし
理由つけて殺しそう
まあ玉璽奪ってさっさとグサーやろな
アイツが長生きできる未来が見えないわ
>>502
ダメじゃん
じゃあワイはそろそろ落ちるで
乙やで~