ティムールって人種的には、今の何民族に近いんだろうね。
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>>62
没落貴族ではなかったのかねえ。
そうだとすると、朱元璋と世代的にも同じだし、気が合ったりして。
どっちもモンゴル帝国の後継者的な面を持っているし。
インドから余計な使者が来ず、モンゴル高原方面に進出していたとしたら状況次第で中国本土に侵攻したかも
ただ、明は長江以南で生き残ったとは思うが
靖難の変の最中に攻めて来られたら、明は大ピンチだな。
建文帝の朝廷は、ティムールの動きにはそれなりに注意を払っていたんだろうか?
それとも全く無関心?
印象としてはティムール側の方が中国人より
広範囲の情報を敏感に収集しているかんじがする
建文帝の周辺が中央アジア方面にまで関心を持っていたとは思えないなあ
燕王も
内陸アジアの遊牧民を糾合できればいいけど。
>>79
ティムールとその息子たちは
チンギス・ハンの血をかなり意識していたと思える
ティムール自身、キュレゲン(ハン家の娘婿)の称号により国書など発していた
ティムールの息子たちもハン家の血を引く女性たちと婚姻していました
長庶子ウマル・シャイフは1394年に戦死ないしは事故死しましたが、彼の妻でチャガタイ・ハン傍系ヒズル・オグランの娘マリカトをわざわざレヴィレート婚させ四男シャールフに嫁がせたほどです
また同じく次男で嫡男のジャハーンギールの妻でジョチ・ウルスの血を引くソユン・ベグを三男アミーラーンシャーにレヴィレート婚させてます
本家モンゴルと比べるとチムール政権は中央アジアが根拠地だから
そのままでは少なくとも江南までは取れなかったと思う
元も南宋を滅ぼしたのは、東だけが分離したクビライの時代だし
当時の明は南京を首都とする経済システムが機能していたから
華北も長期占領維持できたか微妙だが
もし北で占領時代にムスリム化が進んだとしたら
北と南が別民族化して近代を迎えた可能性もあるんじゃないか
ティムールは1397年に対明遠征のため、前哨地域となるモグーリスタンに兵站基地を作り、増産命令により作られた穀物をそこへ備蓄し、4万の先遣隊を既に駐留させていた
ティムールが急拠、明ではなくインド遠征に変更したため明遠征は幻になったが、もしこの時、明に遠征されていたならば明は太祖が気が触れたような粛清により軍が弱体化していたため、明にとりかなり苦しい状況となったのは確実だと思う
その場合、永楽帝が北明を建国したりして
明は陝西と黄河以北は失陥しても、江南、四川は維持できるんじゃないか。
ティムールも、秦嶺~淮水の線より南はなかなか侵攻しづらいだろう。
今も売ってますかね?
まあ古本屋でのんびり探します
図書館で取り寄せしたらあると思う
勝敗は戦う場所次第だと思う。
アンカラの戦いで敗れたバヤジットにしても、コソボの戦いを制し、ニコポリス十字軍を撃破して、ヨーロッパ勢を圧倒していた軍事天才だからね
それを一撃で粉砕したティムールは驚異的
しかしそのアンカラの戦いでオスマン側として最も奮戦したのはセルビア人騎兵部隊という皮肉
>>103
ティムールも帝国全域に強固な支配を敷いているわけでもないだろうから、東征軍は、中央アジア、旧チャガタイ・ハン国の地域の軍勢が中心だろうね
それにモンゴル高原の遊牧部族の参加が期待されるって感じかな
ティムール配下の軍の中核となった主要部族は
・オイラート族
・コンキラト族
・オルナウト・ケレングト族
・スルドゥス族
・バルラス族―ティムールの出身部族
・ドゥクラト族
・ベスト族
・エルチギデイ族
・ヤサウリー族
これら部族はモンゴルが出自だが、ティムール時代には民族的文化的に完全にテュルク化されている
エルチギデイ族とヤサウリー族は他にカウチン族、ウズベク族、ブダド族とともにかつてはモンゴル時代には一つの部族だったようだ
簡単に言えば民族的組成や文化・言語がテュルク化イスラム化したモグール人
ペルシャ語でモンゴル人のこと
モンゴロイドとコーカソイドのどちらに近かっただろうか
微妙なとこだ
中央アジアはテュルク、モンゴルが入ってくる以前は全くイラン系の世界
それにセム系のアラブがイスラムひっさげ入ってきて混沌としたからね
確実な話ではないが、コーカソイドの血が混じったモンゴロイドで妥協したら?
軍政家としては世界的なチートだが
ドラマチックないかにも英雄的な生き様が凄いと思ふ
彼の死後、直ぐに反乱が起きたからな
忠誠がティムール自身のカリスマ頼りというのはかなりマイナスと言わざるを得ない
ティムールはむしろ韓信クラスと比べるべき
当時の明では、対騎馬民族戦術が、その担い手もろとも太祖自身の手によって破壊されてしまったから、軍の数としても勝てなかっただろう。まして臨機応変機略縦横のティムールに勝てる天才将校がいたか?永楽帝では荷が重いぞ。
組織力、非情さはティムール
冷酷さ、不誠実ぶりはバイバルス
それだけ相手が悪かったってことなんだろうけど
アンカラの戦いさえなければこの人はオスマン帝国最盛期だったかもしれない
負けた相手がティムールだからな
>>136
バヤジットにもラッキーな部分も多い
まずビサンティンの弱体化が著しかったこと
第二にバルカンの大国だったセルビアが小国分裂していたこと
(アンゴラの戦いでオスマン側で一番勇戦したのはセルビア騎兵)
そして第三に13世紀後半から次世紀にかけ勇名をはせたキリスト教陣営最強の傭兵団アルモガバルスがいなくなっていたこと
〔かつてはこのアルモガバルスにオスマン軍は連戦連敗し小アジアを散々に荒らされたところが戦闘には滅法強いが、暴走するアルモガバルスに手を焼いた雇い主のビサンティンが頭領を謀殺。怒ったアルモガバルスが領内のギリシアで独立国家をつくり反乱を起こしビサンティンの弱体化に拍車をかけた。もともとの雇い元のカスティリアも扱いに手を焼き厄介払いしていた傭兵団だ。アルモガバルスはキリスト教国だけでなく、モロッコにあったイスラム教国マリーン朝にも雇われ活躍している〕
彼は中国史上唯一、モンゴルまで自ら軍を率いて5度も戦った皇帝だぞ
しかも明の最盛期をもたらした史上最高の皇帝とされている
3-5回は対した戦果なかったぞ
副将が朱棣
中堅が徐達
次鋒が李文忠
先鋒が常遇春
これならティムールに勝てる
ティムール>>>朱元璋
シャールフ>>永楽帝
ウルグベク=建文帝
なんだ、ティムール帝国の圧勝じゃん
ティムは、世界史上最強の漢だからね
大勢力になって以降の後半生はガチで負け無しだからな
しかもバヤジット、トクタミシュとそれなりの才幹を持ってる相手にも圧勝してて雑魚ばかりとやって勝ち星稼いだわけじゃない
バヤジットはそれなりどころかオスマン屈指の軍人皇帝だし
少なくとも戦闘では永楽帝には負けないだろうな
前半生はトゥグルクやホージャに負けっぱなしだけどな
バヤジットにしてもトクタミシュにしても内紛に付け込んだだけだし
到底名将と言うには程遠いしょせん成吉思汗のパチモン
「泥沼の戦い」で一度負けただけじゃないの?
自身が手足に重傷を負う惨敗だったけど
遊牧民出身の創業者は初期の戦歴は同じ遊牧騎兵同士の遭遇戦か奇襲略奪がほとんどで、勝敗にどの程度まで大将個人の才幹に関わるか微妙だから評価は付けづらい
ジンギスカンにしろまともな軍隊を率いるようになったのは40以降だろうしそれ以降に限れば戦績は史上最高レベル
初期の戦歴をどの程度考慮するかで遊牧民系の指導者の評価はだいぶ変わると思う