ソクラテスの弟子であるギリシアの哲学者アリスティッポスは、
ある時、コリントスへ向かって船旅をしていた。
この時に嵐に襲われた彼はとても狼狽したので、客の1人が
「私たち凡人でも平気なのに、あなた方哲学者がビクビクなさるとはね。」
と、言った。
これに彼は、
「君と私とでは、助かろうとしている命が同じではないのさ。」
と、言った。
ある人が海に潜れることを自慢していると、
アリスティッポスは、
「恥ずかしくないのか。イルカのすることを勿体つけたりして。」
と、言った。
また、彼は、
「賢者と賢者ではない人はどこが違うのか?」と問われ、
「2人とも裸にして、見知らぬ人たちのところに連れて行ってみなよ。
そうすればわかるだろうさ。」と、言った。
ある人が深酒をしても酔わないことを自慢すると、
彼は「そんなことはラバにもできるさ。」
と、言い返した。
ある人が、
「食料品に金をかけすぎている。」と彼を非難すると、
彼は、
「しかし、君は3オボロスでこれらが買えたとしたら、買わなかっただろうか?」
と、尋ねた。その人が同意すると、
彼は、
「それならば、もはや、私が快楽好きなのではない。
君がお金好きなのだよ。」と、言った。
また、「ソクラテスはどんな死に方をしたのか?」と尋ねられると、
彼は、「私だってあのようでありたいと願うようにだ。」と、答えた。
ニュース
哲学者列伝かね?
ある日ソクラテスの弟子がわざと服のほころんだ所を
目立つようにして町を練り歩いていた。そのとき
「君のそのほころびに隠れた虚栄心が見えるね」とソクラテスが指摘した。
この発言が頭に残ってる。
それと「自然学はエジプト人が起源である」との言葉も。
李世民は王羲之の書を愛しており、
天下から蒐集すると自身の陵に納めてしまった。
後に武則天が王羲之の係累(十代を経た親類の子孫)に
書の所蔵を尋ねたところ、
李世民に献上せず手元に残した王羲之の書は一軸のみであった。
回答と共に武則天には王氏歴代の書が献上されたが、
武則天は家宝を献上させるには忍びないと考え、
序を付けて表装させると本物を返し、自身は写しだけを所有して済ませた。
なお、武則天自身の書も高く評価されています。
我が国では光明皇后が武則天を意識したとされますが、
彼女の書も相当なレベルです。
神風攻撃にかんする報道禁止の解除は、
4月12日、ジョージア州ウォーム・スプリングでの
ルーズヴェルト大統領の突然の死と偶然にも一致した。
連合国の新聞はアメリカ大統領の死で一面を埋めた。
また、ある米艦の乗組員の語る所によると、
東京ラジオもルーズヴェルトの死を
「礼儀正しく、かつ簡単に」放送したという。
ルーズヴェルトは
「偉人の一人―――最も偉大な政治家の一人」として評価された。
鈴木首相は
「アメリカを今日の優越した地位」
に導く責任を負っていた人物を失ったことに対して、
米国民に哀悼の辞を送った。
だが、鈴木首相の哀悼の辞は、日本の新聞では報道されず、
毎日新聞は社説の中で
ルーズヴェルトの死を〝天罰”であると述べていた。
この哀悼の辞に対するアメリカのマスメディアの反応が知りたい
もしかしてスルー?
それとも、国際儀礼的には特に目立ったことではないとか?
「あなた方はアメリカが祖国なのだから日本あいてに堂々戦いなさい」
武田勝頼が殺され甲斐源氏滅亡の折り、
織田方で勝頼の首実検が行われた。
信長は親子二代に渡って自分を苦しめた武田が許せず、
勝頼の首を台から落として何と足蹴にした。
これを哀れんだ家康が信長がいなくなった後、勝頼の首を台の上に戻し、
首に向かって念仏を唱え、礼節を持って故勝頼を扱った。
これを見ていた家来衆は、徳川方はもとより、
織田方の家来衆まで最後は家康が勝利するのではないか、
と感じた者も多かったという。
武田遺臣を取り込んだ徳川家のそういう逸話を作る需要も考えると
家康がそんな間抜けには思えん
そもそも信長って裏切り者には厳しい当たり方するけど
かつて強敵だったものに対してはそこまで苛烈じゃないんだよなぁ
他の知識人や芸術家たちとともに、
建設中止を求める陳情書を提出したほどであるが
彼らの反対もむなしくエッフェル塔は完成してしまった
するとモーパッサンは、
エッフェル塔の下のカフェに毎日のように通うようになった
なぜかは、言うまでもないだろう
そこならエッフェル塔を見なくてすむからである
ツンデレじゃないの?
変な勘違いしないでよね
彼を真っ二つにしてこういった「たしかに解いた」と。
本朝のとある平安貴族。
「庭石を高く買い取るから持参せよ」
と命令したところ、多くが門前に集まった。
それを見て「やっぱり止めた」と言い出したので、
各自持ち寄っていた石を持ち帰るのも面倒だと門前に放棄。
しかる後、主が門から出て来て石を選別し、
気に入った石を予定通りただで庭石にした。
これにより、当時専門の庭石業者がおらず、
また即座に売りさばける市場がなかったことも分かる。
燕の楽毅により滅ぼされたかけた際、斉では王が殺され、
その子である法章は身分を隠し、太史の家に雇用された。
しかし、太史の娘は法章を只者ではないと思い、
情を通じると法章即位後に后に立てられた。
后の父は野合した娘を勘当したが、彼女は賢婦人であった。
夫の死後、秦が玉で出来た知恵の輪を送り、
「これが解けますか」と言って来た。
息子の王も群臣も悩んでいたところ、
太后が出て来て槌で叩き割り、こう言った。
「謹んでお解き致しました」と。
アレクサンドロス大王の死より、半世紀ほど後の話である。
また臨終の際、彼女が「用いるべき臣は」と言いかけたところ、
王が筆記用具を持ってこさせたので、
「もう忘れてしまいました」と言った
(悪い意味で金科玉条とされることを憚ったため、でしょう)という。
これが「チャイニーズリング(カルダノの輪)」なんだろうか。
出典は戦国策でしょうか?
ご名答。
ありがとうございました
なるほど、こんな話だったのかww
てっきり解くために知恵者をうんたらかんたら
みたいなのだと思ってたのにww
ああ、そういえば直江山城守兼続にも似た逸話がありましたね。
「茶碗を木箱に入れてみよ」
と言われたが、どうしても茶碗が入らない。
そこで茶碗を切断して箱に入れ
「切るのが駄目なら最初からそう仰って下さい」と。
閻魔への手紙の話といい、
どうも知恵者というよりは力技の印象が残るのですが。
秀吉いわく
「天下を獲るには、
小早川筑前には勇が足りず、直江山城には智が足りない。」
いずれも後世出来た話だとは思いますが。
稀代の天才カール・フリードリヒ・ガウスは
信心深く、保守的な人であった。
彼は君主制を支持し、フランス革命の際にはナポレオンと対立した。
時は1807年、
フランスのナポレオン軍がプロイセンを攻め、
ゲッティンゲンの都市あたりまで侵攻した。
そのとき、
ナポレオンはこの都市を攻撃対象から外すように命令したという。
その理由を次のように部下に伝えて言った。
「ここには人類史上最も偉大な数学者が住んでいる」
ところがガウスさんナポレオン戦争のことも知らずに天文台に篭り、
戦後は「ナポレオンは私がいたのでゲッティンゲンを砲撃しなかった」
と言い続けたとのエピソードもあるという。
一方ローマは鉛筆を使った
それ、ソフィー・ジェルマンが働きかけたからだって説もあるよね。
彼女はアルキメデスの最後に心打たれて数学者を志したというし。
ローマ皇帝ウェスパシアヌスは侮辱や怨恨などすぐに忘れ、
復讐を考える人間ではなかった。
彼は政敵のウィテッリウスの娘のために素晴らしい良縁を世話し、
持参金や花嫁道具さえ持たせた。
皇帝ネロの時代、彼は宮殿への出入りを禁じられて愕然とし、
「どうしたらいい、どこへ行こう」
と尋ねた。すると、宮殿の受付係が彼をいきなり外へ追い出し、
「病魔の国へ立ち去れ!」
と命じた。後に、この者が赦しを乞いに来た。
この時、ウェスパシアヌスは言葉の上では激情にかられたものの、
かつて受付係があびせたのと同じ程度、同じ意義の言葉を吐いただけで、
それ以上のことはしなかった。
ウェスパシアヌスは僅かな猜疑心や恐怖心によって
誰彼かまわず破滅させるような人では無かった。
友人たちが、
「メッティウス・ポンプシアヌスに気をつけろ。世間は彼が生まれた時の星位が
最高司令官を予告していると信じているぞ」
と、忠告した。
しかし、ウェスパシアヌスは、
「いつかその時に、彼がこの恩恵を思い出してくれることだろう」と言って、
彼を執政官にした。
>世間は彼が生まれた時の星位が最高司令官を予告していると信じているぞ
>彼を執政官にした。
方向性の違ういい話。
・功なき賞は……①
青砥左衛門尉は公明正大、世のため人のために己が損をし
労をとることを厭わず、評判であった。
ある日、執権は「青砥左衛門尉に恩賞を与えよ」という夢告を受け、
与えようとしたが、左衛門尉は受け取らなかった。
いわく「夢告で故なくして恩賞を賜るという仰せですが、もし罰を与えよ
という夢告が出たら、やはり故なくしてお与えになりますか」と。
・功なき賞は……②
晋の智伯から、衛国に名馬四頭と白壁が贈られて来たので、喜んだ衛では
祝杯が挙げられたが、一人南文子だけはうかぬ顔であった。
「何もせずに賞を賜り、何もせずに礼を受けるというのは、その背後にあ
るものを考えてみないといけません。小国である我が国が大国の晋に贈る
のなら分かりますが、晋が我が国に贈って来たのです。君にはよくお考え
下さい。」
衛は国境の警備を厳重にさせたので、智伯は国境まで軍を率いて来て引き
返すと「衛には賢人がいるものだ。我が謀を見破るとは。」と言った。
弛緩したところを、一気に占領するつもりだったのである。