神聖ローマ帝国はフランス語圏を領内に含んでいたが結果的にその殆どをフランスに奪われ
結果的に独仏の国境は(厳密には違うが)ゲルマン系とラテン系の民族境界線となった
両者の間には自然国境はなく、フランスが全ドイツを併呑するという道も有りえた
けれども、双方とも同じフランク王国から分裂したにもかかわらず再統合されることはついぞなく
フランスは神聖ローマ帝国の領土を少しずつ削っていくだけで、ナポレオンすらもドイツの大部分を併合することはなかった
一体何が独仏の統合をここまで拒ませ続けたのだろうか?
併合なんてできなかった
ブーヴィーヌで皇帝オットー四世がフランス王フィリップ二世に負けたのが痛かった
逆に拮抗してしまうのか?
フランス語が成立したよりも以前から取っていた筈なのになぜここがフランス語地域になってしまったのか?
一度もフランス王権に支配されたことのない筈の現イタリア領アオスタ谷まで
そこまでフランス語は便利だとはとても思えないが
イタリアの方に関心があったからでは?
少なくともイタリア諸国よりは神聖ローマのマクシミリアンのが強い
ランツクネヒト強いしな
シャルル軽率公ェ…
フランスは、西フランク王国の時代に比べれば領土を広げてるけど、
結局今現在の国土が限界だったということじゃないかな
神聖ローマ帝国を全部併呑するほどの国力はなかった
ドイツ帝国ですら全諸侯併合してないし
神聖ローマ皇帝になるならそこまで条件きつくない
そして神聖ローマ皇帝になれれば名実ともに欧州のトップ
神聖ローマ皇帝は神聖ローマ全諸侯の首領で帝国議会での発言権が一番あるわけだから
ヴォルテールの意に反して結構政治的影響力でかいんだよね
同じラテン系の国だから意外にうまくいったかも
地中海はフランスの海になっていたりして
イタリアはもっと複雑でラテン系に加え北部のロンバルディ系(ランゴバルド)と南部のノルマン系
フランスが神聖ローマを征服しようとしても、他の国が邪魔をしただろう
というのも神聖ローマ帝国はドイツ(東フランク王国)、イタリア、ブルグンドの各王国の集合体で、その中心地ドイツ自体もザクセン、フランケン、シュヴァーベン、バイエルンというほぼ自立した部族大公領からなる王国だったので
フランスと神聖ローマ帝国で同君連合、ということになっていたんじゃないの?
カスティーリャ王国とアラゴン・カタルーニャ連合王国のようなもの
ナショナリズムが勃興する時代になったら分離したんじゃね?
東西フランク王国が分裂したのは自然なこと
ほとんど外国語と言っていいほどなのに、
なぜ統一を維持できたんだろう
>>28
中原という一つの地理的まとまりを一度征服事業に乗り出したら最後まで行かざるを得ない「天下」がある
中原を統一できたら関中・河西走廊・巴蜀・ビン越を征服できる国力も自然とつく
それに始皇帝が漢字を統一したのはデカい
あれで方言差は無意味になった
もう一つモンゴルや女真やトルコ系の遊牧民が支配することが多く彼らの機動力は半端ではなかったのであれだけの広大な領土を支配出来たのではないだろうか
あるいはフランスを極度に弱体化させるという
シナリオはなかったのだろうか
間に天敵のスイスがいるから飛び地支配になってあまりメリットないだろ
オーストリアはベーメン、ハンガリーを足掛かりに東方に活路を見いだしていた
カール5世以降だと神聖ローマ帝国はプロテスタント、スペインはアメリカ進出でフランスどころじゃない。
>>32
ヴァロア朝が断絶してブルボン朝が発足したときに、スペイン軍が介入してフランス全国各地を転戦している。
三十年戦争のときも、スペイン軍がパリに向かって侵攻した。このときは危なかったが、スペイン軍が途中で進撃を中止したので助かった。
この時代は南ネーデルラントがスペインの領土で、そこにスペイン陸軍の精鋭が駐屯していた。
フランスにとっては大きな脅威だった。
中世から東方植民をしていたし
ドイツは東へ東へと延びていって、最終的にはオーストリア・プロイセン・ロシアの
三国でポーランドを分割した
神聖ローマはフランスを併呑することはできなかったが、
代わりにポーランドを手に入れることはできた
そうだね
ポーランドはなぜかフランスと馴染み深い
自由選挙時代、ヘンリク・ヴァレージィ(フランス国王アンリ三世)がポーランド国王に選ばれたというのがきっかけとなったのであろうか?
時代はもっと後になるがフランス皇帝ナポレオン一世にも好意的で最後の自由選挙時代の国王の一門から出たユゼフ・ポニャトフスキは皇帝の配下の将軍だったし
音楽家のショパン、物理学者のマリー・キュリーもポーランド出身でフランスで活躍した
実際はドイツの方がはるかに関係深いけどね
隣国だから当たり前だけど
もともと統一される素地があったのか
でも夏から秦まで2000年もかかってるしな
漢が崩壊してから、隋の統一まで400年かかったが
始皇帝が一度統一したら再度統一が容易になるようなインフラを整えた
「始皇帝」ではなく「フビライ・ハーン」なら、その意見に賛成できる
>>44
始皇帝はそれまでゴチャゴチャしていた漢字の字体を今見る形に統一し
各国でバラバラだった度量衡も統一し
車輪の幅も統一したそうだ
なんでフビライなら?
フビライハーン以後は、長期にわたって分裂したことがない
クロ―ヴィスやカール大帝のフランク王国も、しょせん未開の部族社会に
毛が生えた程度だからな
中国のような長い文明の歴史がある地域とは違うだろ
五胡16国時代は似たような感じだと思うけどね
ただ南部は征服されなかったらそこが違う
フランク王国より、五胡十六国時代の中国北部のほうが遥かにバラバラなカオス
>>53
でも中国では結局異民族が漢族の文化に同化してしまった
ゲルマン人はローマ文化に完全に同化しなかった
あの辺も統一帝国ができてもよさそうなものだが
むしろ逆にクメール帝国が分裂してる
>>89
インドシナ半島はわりと平坦な地形だが、無数の河川と湖沼に寸断された濃密なジャングルは、非常に統一しにくい風土
それでも、クメール帝国は大きかった
クメール人が統一しかけたが、
その後侵入してきたベトナム人とタイ人と
ミャンマー人はそれなりに全部大勢力だもんな
プロイセンが台頭する前のドイツと同じで
一強になりにくい
アングロ・サクソン期の領邦君主領を解体し、
王が全国土の支配者となって司法・課税権を一手に集中した
貴族も課税対象となる
地方における王権の代理人には、王に納付金を納める代わりに
職務を請け負う「シェリフ」がなるが、大陸にも片足を置く王権に対して
土着勢力としての独立性を帯びる
たとえシェリフが王に反抗しても、王権の代理人というその機能が確立
しているため、王政そのものの解体ではなく、王政の枠組み内での
発言権を確保する方向に働いた
このためイングランドは、統一国家の成立と地方自治システムが
バランスを保って進行した
フランスの三部会にあたる議会についても、王政と貴族とのバランスが
保たれている
たしかに、征服王朝だってのが大きいな。
1人の封建領主が、周囲の封建領主を次々に併合していくのは並大抵のことではない。
近代になってからは欧州の後進地域になってしまったな
それはシチリアだけでなく、南欧全体にいえることなので仕方ない