中央狙える気がするんだけど。
最初の大統領選挙で社会民主党の候補だったのでは?
一回目の選挙の時にせめてヴァイマル連合の統一候補を擁立出来てたら・・・
まあ歴史にIFを意ってもしょうがないけど
>>203
こちらの見落としだった。Thx
これで連立だったらマルクスが候補になっちゃうだろうなぁ。
ヒンデンブルクには勝てないだろう。
あの老害に勝てる見込みがありそうなのが、
バーデン公マクシミリアン辺りしか思いつかない。
ヒンデンブルクの下じゃ無理だろうけど
ミュラーの後釜には良いと思う。
ラーテナウが生きてれば間違いなくラーテナウだがw
ヒンデンブルクは一回目は候補者でない
一回目の候補者でないものが二回目の決戦投票選挙に立候補できるというのは
おかしな規定と思うけど
例えたら日本の国会で首班指名の票が割れた時に野党側が別な議員を一致して首相に推すようなもんか。
人民党のヤレス
もう一度洗い直してみた。
といっても手元にあるのがネメシスだけなので変だったら適宜修正願う。
第1回目の投票(1925年3月29日)の候補者は以下の七名
カール・ヤーレス(デュイスブルク市長)
→国家人民党・ドイツ人民党など右翼諸政党の共通候補
オットー・ブラウン(プロイセン首相)
→社会民主党
ヴィルヘルム・マルクス(元首相)
→中央党
エルンスト・テールマン(共産党指導者。地位役職不明)
→共産党
ハインリヒ・ヘルト(バイエルン首相)
→バイエルン人民党
ヴィリィ・ヘルパッハ(バーデン首相。博士)
→民主党
エーリヒ・ルーデンドルフ(元参謀次長。国会議員)
→ナチス党
これで一応一回目はヤーレスが取ったけれども、
共産党以外の左翼・中道政党がマルクス一本に意志統一
それだと勝てないのでヤーレス帰れ、となり、
皇太子は無理、ゼークトは極左右両方鎮圧経験有りで受けが良くない
んで、シュトレーゼマンらドイツ人民党の反対を押し切ってヒンデンに、
という流れらしい。
……ゲスラーで良かったんじゃないだろうかw
彼自身は保守的傾向はあるが理性的で職務に忠実なのは国防相としての事績から証明済
ただ軍を敵視するSPDと、それと別にシュトレーゼマンとの折り合いが必ずしも良くなかった事が響いたのかな?
共産党は彼が大統領に就任した場合、
フランスが不法軍備についての掴んでる情報を流すだろうとし、
国家人民党はスキャンダルをでっち上げた。
これで流れたんだそうな。
確かに叩けば埃が出る人だったらしいが、馬鹿なことしたと思う。
どっちも自分らの足下すら見えてない党だから仕方ないかもしれないが。
アイクの本にはもうちょっと色々あったと思う。
大勢の人間の様々な愚考愚行の積み重ねの果てのドイツ亡国か
エーベルトの死にしたところであれは間接的な殺人だしねぇ。
民主化に民度が追いついてなかったとしか。
非常大権を行使しまくってた二期目のブリューニング内閣あたりで、さっさと帝政復活しとけば
自らの老耄による迷走もヒトラー内閣の出現も避けられたのにな。
帝政を復活させられるほどの民意も基盤も政治力も存在しなかった>ヒンデンブルグ
彼の帝政復活志向は、個人的な願望以上の物ではなかった。
あの御仁は他人の尻馬には乗るけど自分では動かない。
成功は俺の物責任はお前の物なあまり近づきたくないタイプの人だと
個人的には思っている。
素人考えなんだけど、シャイデマンが先走って帝政廃止を宣言したりせず、
立憲君主制の下でエーベルト内閣で乗り切っておけば、極右が暴れることもなかったんじゃないの?
ゼークトがいれば、とりあえず軍部はなんとかなったろうし、極左は鎮圧できるし。
>>226
> 素人考えなんだけど、シャイデマンが先走って帝政廃止を宣言したりせず、
> 立憲君主制の下でエーベルト内閣で乗り切っておけば、
極左が大暴れして革命起こっただろうねどのみち。
ロクな奴が居ないホーエンツォレルン家で
その皇帝に誰が座るかが大問題だけど、
帝政廃止は先走りだというのには同意。
でも、ゼークトは頭の良い自分の組織第一人間なので
排除した方が良いと思う。
もしカイザーがベルギーの大本営から軍隊率いて、すぐにベルリンに飛んで帰ったら、
どんな状況になったろうか?
この時点での軍隊の統制は上官によって辛うじて維持されてたが
カイザー自身は負け戦を始めたということで怨嗟の的
っつーか帝政廃止しないと講和できないでしょ
>>232
それではバイエルン王と同等ということか
帝制にした一つの理由はドイツ領内の諸王、諸候の上に立つ者の意味があると思うが
イギリスでは英国王がスコットランド王位を兼ね
英皇太子がプリンス・オブ・ウェールズの称号を帯びる
英王室がブリテン島唯一の王権であるような環境とドイツのような既存の王国、公国が存在する連邦的帝権という環境では違いがある
テイラー先生の本が出てこないからちょっとそこまで見られないんだが
具体的にどういう条件だったか分からない。
確かそう言うのがあったと思うし、バーデン公内閣がその第一歩だと思うんだが、
14箇条には入ってないんだよねぇ。
立憲君主制という形での帝室存続は可能なんだろうか?
ただし、ウィリーIIは絶対に退位。これは鉄板。
バイエルン王が先走ってまっさきに退位したりしなければ、
ドイツ諸侯の王冠が失われることはなかったと思う。
バイエルンで王制が倒れたのが、ドミノ現象をおこしたのだから。
クルト・アイスナーとその一派が武装蜂起を始めてたんだから仕方ないよ。
まあそのせいでバイエルンが右翼過激派、ひいてはナチ党の地盤になったんだが。
一遍左翼過激派の支配を経験すると徹底的な反共になるよな。
極端な左翼が権力振るう資格がないのが良く分かる。
>>241
超遅レスだが、バイエルンがドイツ諸邦の中でまっさきに王政が倒れたのは、
やっぱり築城マニアの狂王ルードウィヒ以降、精神的におかしな王様が続いてたりして、
王家そのものが信望をなくしてたからじゃないのかね。
ドイツ一保守的な土壌というわりに、とうとう君主制は復活しなかったし。
安定期ならともかく混沌とした時期に実施したのは不味かった気が。
保守層が安定した勢力を保っていればナチスの台頭は防げたかも。
>>242
戦勝国なのに、イタリアもそれで政情不安に陥ったね
でも、オランダでは不思議とそういうことがなかった
イタリアの政情不安は経済不振からだと思う。
回収出来ないと思ったからか戦争終結前に米の借款が停止してた。
大企業の賃金未払いとかもあったようだし。
だから、「私は国会議員になるには上品すぎる」と言って、政党政治家を蔑視していた
ゼークト閣下も選挙運動なんぞしなくても人民党の国会議員になれた。
党首がガッポリ票を掻き集めて来るんだから。
選挙がいやだから。
アメリカ式のお祭り騒ぎや日本式の土下座選挙見てると、
こんなの政治家の本来やるべきことじゃないだろって思うよな。
政局より政策ってのは正論だ。
比例代表制の選挙制度は当然政党の存在が前提
政党は政策が一致した者の集団(建前はそうだが人と人の繋がりだから現実にはそう単純では無い)
候補者の選定でもおのおのの政党の内部事情によって国民から見て不都合な人が混じることもあろう
直接候補者を選ぶ方式では少しは緩和される
残念だが歴史的に比例制で議会が機能した例はほとんど無い
土下座したから投票するという民度の国民は(昔から言われてることだが)それに相応した政治家しか持てない
>>254
スイスやオランダ、オーストリアが半世紀以上、比例代表ですが。
第二次大戦後のイタリアも、長らく比例代表制(90年代に廃止されたが、近年復活)。
議会が機能しないということはない。
>>254
>土下座したから投票するという民度の国民は(昔から言われてることだが)それに相応した政治家しか持てない
さすがにそういう層は、日本でも、昔より減ってきていると思うぞ。
>>254
5%条項とかもうけて、ミニ政党排除すれば、なんとなるでしょ
ポーランドもそうしてる。
オランダ、オーストリアもいまだに比例代表制。
ていうか、アメリカや日本の選挙見てたら、
選挙自体に無駄な労力と時間を浪費してるようにしか思えない。
乱痴気騒ぎで時間とカネとエネルギー使うくらいなら、
本来の政治をきちんとやってくれ。
>>255
任期を長くすれば、ある程度弊害を抑えられる。
たしかにアメリカの下院の任期の2年は短すぎるな。
アメリカの下院は、当のアメリカ人ですら何やってるかさっぱりわからんって言ってるからな。
日本の参議院より存在感が薄い。
2年はホントになあ
歴史があるからなんとか機能するかもしれないが・・・
上院も最初は直接選挙でなく連邦政府に対する単なる州代表の役割だったようだが