1937年1月30日に4年延長
その後は形跡なし
戦争に突入し合法性もへちまも無くなったんじゃないか
こういうことは戦争中でもきちっとやるドイツ人らしくないな。
シュトレーゼマン内閣時代の1923年11月11日に帰国してるけど
それ以前にラーテナウが尽力してたということは確認出来ない
そうだとしても不思議ではないが
ディートリッヒがズボン履いてパリを訪問したとき、
パリ警視庁は風俗びん乱で検挙しようか迷ったという
この時代のドイツって風俗、文化の最先端だったかも
実際、バウハウスからの亡命者が、アメリカに世界初のガラス張りのビル建設している
それが平均的ドイツ人から反感をかったのかなあ・・・
ハイパーインフレで資産を無くした人も多かったし
東西ドイツ統一直後のドイツでも、ガラス張りのビルが嫌われて、石造りの建物が流行ったな
あの頃が、ヘルムート・コール首相の絶頂期
この時代、特にハイパーインフレの時は
合法、非合法を問わず破壊的な政治運動が高揚したのは事実
国民からすればベルサイユ条約に基づく戦時賠償がその原因と感じられたのでは
(政府も失政の責任回避のために誘導した可能性も有るか、文献を当たったが見つけられなかったが)
その後共和制を支持する、しないを問わずベルサイユ条約改定は上下一致、左右一致の国論となった
こういう中で責任を引き受けたシュトレーゼマンは政治家として凄いと思う
本質的に(戦前の政治姿勢をみれば一目瞭然)ナショナルリストだとしても非難する理由はないと思う
馬鹿国民の目にはそう見えたんだろうな
本当はカイザーが乱発した戦時国債が敗戦で紙切れになったことが原因なのに
大ナタを振るわないとガタガタのままで
復活できなかったんじゃないの?
そりゃ賠償金の返済予定が1990年代だからな。
賠償金要求を途中で辞めたからベルサイユ条約はチャラwwwとか抜かしてる阿呆が居るが
そのままだと再軍備したドイツが対仏開戦しそうだから止めただけとしか思えない。
英仏が善意でそんな事するわきゃねえだろと
しかも共和国成立のかなり初期から。
>>81
比例代表制選挙が原因。
個人で立候補できないから中道右派や左派の付け入る余地がまったく無い。
一人や二人なら頑張れば議会に送り込める勢力はゴロゴロ居たが
そいつ等に参政権与えなきゃそうなって当然
SPDとかは普通に組織で選挙やってたんじゃない?
むしろ、比例代表のせいで、少数政党が乱立し、安定した政権がつくれなかったからだと聞いたが
だから戦後、得票数の下限が定められたと
>>83
共産主義みたいで悪いが
それじゃ選挙は資本家のモノだ。
誰かが無所属議員やって電波飛ばしてこその民主主義。
戦後、得票数の下限が定めた時点で今のドイツも終わりだ。
ヒトラーが忌み嫌った比例代表制をまだやってる時点でドイツに民主主義など存在しない
要するに政治参加するための資金力の問題
比例代表制しかないと極右か極左しかカネ出せない。
直接選挙制は貧乏人向けのもんなんで
>>87
> 比例代表制しかないと極右か極左しかカネ出せない。
それは全く逆だろ。金がかかる選挙制度なら、極右や極左のような、貧乏な上に
広範な支持を獲得し得ない勢力こそ参加できない。
>>88
全然逆だね。比例代表制だと地元の利益誘導とかが一億年望んでも無理だし
極右や極左のような広範な支持を獲得できる連中しか政治家になれない。
だって先鋭的な事言わない政党は当選できないから。
草の根当選の糞田舎の貧乏議員なんぞ居ないドイツ議会はクリーンかもしれないが
それって民主主義か?
>>89
> 極右や極左のような広範な支持を獲得できる連中
…頭おかしいんじゃないか?
それなら日本の参議院も、極右極左だらけじゃ無いとおかしい。
>>90
日本は人で選ぶ直接選挙だもの。政党云々は議員の先に来る問題
極右や極左は極めてウケが悪い。それよりも利益誘導が望まれる
比例代表制ってキチガイ政党に政権取られる可能性だらけだから目に見えて最悪
緑の党(笑)に政権取られて原発廃止政策をマジでやっちゃったドイツ共和国
あの国は未だに極右政党と極左政党の巣窟
ドイツ連邦共和国の比例代表制は、州ブロックですよ。
州政府が議員任免の連邦参議院の権限・役割も大きい。
地元利益誘導は、ちゃんとあるだろ。
そしてそいつ等を鎮圧した連中も
ベルサイユ条約違反の非合法軍事組織
俺が中学の時の世界史の教科書
「ワイマール憲法は当時では一番民主的な憲法です」
こういう記述ちょっと著者の主観が入ってないか?
出版社は捨てたから分からないが・・・
>>145です
レス㌧
全文を読むには手に入れやすい本はないけど
一番というような形容詞をつける時点で???
それはともかく俺の見解は
この憲法の特徴
1.権力を行使する側は可能な限り民主的手段(結局は選挙しかない)で選ぶ
2.一旦合法権力となるとなかなかチェックが入りにくい(仮に各機関が違う方向の時混乱をさける制度上の担保が不十分)
3.国民の基本権や労働者の保護規定は充実してるが半面ここまで憲法に書くのは法制として疑問(現実にはそれを許す状況がなければ空文に等しい)
4.最終的に政治情勢が混乱した時は大統領に頼る(48条の規定)
しかしながら大統領の政治行為は憲法の想定してない独自のスタッフの介入を招く余地がある
いずれにしても憲法もいいがそれだけじゃダメなのはこの共和国自身が実証してると思う
評価の難しいところ。
体制として民主的ではあったと思う
ナチか共産党かどっちかを政権内に取り込まないと行けないような状況になったのは悲劇だよな。
まだナチの方がましな感じするし。
ブリューニングの政策にもう少しヒンデンブルクが我慢してればって部分はあると思う。
「飢餓宰相」って仇名されるブリューニングも大概だが。
>>155
ヒンデンブルグは80代の老人で多くを期待するほうがそもそもムリ
ブリューニンク内閣の成立も議会で1/3の議席を占める社会民主党の政権離脱で多数派の形成が不可能になったからだが
首相任命の経緯はともかく議会での消極的支持派の獲得(かなり居ただろうに)に努力した様子もない(はなから48条に頼る姿勢が明確)
当時のドイツの経済は外国資本の投資に依存する度合いが高く巨額の賠償支払いが財政を圧迫した
恐慌の影響は深刻
戦後出版された「回想録」にはこの辺のことはどう書かれているのだろう?
ブリューニングは議会の支持を失った時点で一度辞職を申し出てるんだよね。
それをヒンデンブルクが許可せずに所謂「大統領内閣」の樹立に踏み切った。
そこまで信任してるならとことん行けば良かったんだけど。
ブリューニングのやったことはドイツ経済の悪化を放置して賠償金支払いの能力がないことを連合国に知らしめ、賠償義務を解消しようっていう危険な政策だけど、ナチや共産党の統治と較べてどっちがましか? って考えると難しいんだよね。
彼のやったことの結果として議会から超然としたパーペンやシュライヒャーの内閣が出来ては潰れ、議会に圧倒的な勢力を保有するナチ党に政権を委ねるという選択が不可避になった。
功罪の評価が難しい人物ではある。
>>157
ご指摘の通りだと思う
聖職者(確か)だから政治的柔軟性に欠けてたのかな
現在だから尤もらしいことが言えるけど・・・