ワイマール共和国関連スレ・・・
このスレは意地でも潰さんよ
我が青春の共和国1918ー1933R.I.P.
ありがとうございます。ワイマール共和国の歴史は民主主義を語る上で欠かせない事跡です。
このスレが我が国における民主主義発展の一助になれば幸いです。
ワイマール憲法。女性参政権、社会権、国民発議による国民投票etc
・・・、当時としては画期的な進歩的憲法であった。しかし、フーゴー・プロイスをはじめとする憲法起草者達が見落としていた大きな落とし穴があった。48条である。48条2項がホーエンツォレルン王朝への忠誠を公言する老元帥の手に握られたとき悲劇は始まった。
ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、ライヒ大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。この目的のために、ライヒ大統領は一時的に第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(信書・郵便・電信電話の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の権利)、第124条(結社の権利)、および第153条(所有権の保障)に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。
※ライヒ=ドイツ国のこと
>48条2項がホーエンツォレルン王朝への忠誠 を公言する老元帥の手に握られたとき悲劇は始まった。
ワイマール共和国の歴史をあまりに単純化しすぎてしまいました。
憲法48条と大統領はもちろん、既存政党(特にSPDと人民党)の無能。フランスをはじめとする戦勝諸国の経済的、軍事的圧力。シャハト総裁の暗躍共産党の存在、シュライヒャーの国防軍扇動、老紳士パーペンの権謀術数・・・それから、あまり語られてこなかった一因として私は相次ぐ要人横死による人材枯渇を上げます。エーベルトが生きていたら、エルツベルガーが生きていたら、シュトレーゼマンが生きていたら・・・
ゲスラー国防相に行政権を委譲いたします”
ゲスラーの失脚も痛かったですね。SPDを恨みます。
彼も左右両極からスケープゴートにされた共和国政治家の典型ですね。
「国防軍が国防軍を討つことはいたしませぬ」のゼークト総監を罷免にした勇気、授権後堅物ぞろいの国防軍をまとめて左翼暴動を粉砕した勇姿・・・
あと、「背後からの一突きが無ければ、ドイツはまだ戦えた」とみんなが信じてたから、素直に平和主義を受け入れられなかったんじゃないかと。
匕首伝説ですか。ヒンデンブルクが無条件の休戦を命令したことをかばい続けたエルツベルガーにグレーナー・・・
彼らがかばい続けた老元帥は悲しいかなそれに値しない小物だった・・・
彼らが回顧録ではなく公衆の面前で沈黙を破っていれば愛国熱に沸くドイツ民衆を覚醒させることも可能だったかもしれない・・・
第二次大戦後の日本やドイツが民主体制に移行できたのは、
首都を焼け野原にされるぐらいやられたからなんだよな。
国民の大多数が「もっと続いてたらまだ戦えた」って信じてたら、
ワイマール共和国のように「今度やったら勝てる」って主張する政治勢力が増徴してたと思う。
連合国がワイマール共和国から学んだ結果第二次大戦後の敗戦国処遇は劇的に変わりました。
まず、戦勝国が敗戦国の主権を制限して直接統治する、そして徹底した旧体制払拭教育を行い、テクノクラート層(特に法曹界)からの旧体制関係者の一掃をはかる。
イラクでも、旧反体制派のていたらくが続くようなら、旧バース党官僚復帰もありうる。
現に、一部地域では、元大統領親衛隊大佐率いる部隊に治安を委ねている。
事前に重大な人権侵害が無いかどうかチェックした上での起用だけど就任後に発覚した場合は公職追放、訴追もありえるそうな。
トルコなどは、一回独裁政治を止めて民主制にしたのに、国民の駄目さ加減でまた独裁制に戻ってしまった。
この場合でも、諸々の混乱と無策の果てに、既成政党に嫌気が指した国民が「誰でも良いから何とかしろ」と思い、某伍長が台頭する事になった。
……何処かの島国と酷似している気がするのだが。その島国も既成政党の腐敗の末に、軍部に実権を握らせたのだから。
この場合でも、諸々の混乱と無策の果てに、既成政党に嫌気が指した国民が「誰でも良いから何とかしろ」と思い、某伍長が台頭する事になった。
ナチスの宣伝工作&甘言に乗せられた低所得層や落魄した中産階級が彼らに投票しただけのこっちゃ。
高い見識があったわけじゃない。
既成政党に嫌気がさしたちゅーよりはDQNにはユダヤ人って諸悪の根源だよねー
というフレーズが分かりやすかったということだろう。
ナチス台頭の責任を直接国民に帰せるかは難しいところですね・・・
ヒトラーが組閣した当時はすでに大統領内閣の時代でしたから、上層部の大統領に対する働きかけ次第で内閣が決まる時代で民意が直接組閣に反映されませんでしたから。事実、当時ナチスは共産党との共同ゼネスト参加で保守派の反目にあい議席を大きく減らしていた時期ですしね。
途中から入党したヒトラーがとんとん拍子に党の総裁になって二次大戦おこしたのはおかしいですねとかいっていたような。
あまりにも発言が酷くて芳樹を見限ったな。
その説では誰が黒幕だったんですか?
欧州の財閥らが黒幕になって・・・という類のトンデモ説だったと思う。
赤い盾でも読んだのかもしれんな。
これだから嘘を嘘と見抜けぬ奴は・・・
ドイツの財閥ならまだしも
コメントのしようが無いですね・・・
訂正
プレスコットは大統領の祖父です。
スカル&ボーンの一員です。
自動車王のフォードも親ナチ派だったっけ?
軍事的にやばくなってきて、OHLは休戦交渉しようにも、ウィルソンが軍国主義者とは交渉しないと言ってくるし、そこで議会に泣きついてSPD中心の内閣作ってもらったわけだけど、結局これによって、敗戦の責任が休戦協定にサインしたエルツベルガーたちにあるような格好になってしまった。
OHLのヤツらはその後、あの時はまだ戦えたなんて言い張って
匕首伝説でっち上げたわけだな。
ええ。当初OHL(ルーデンドルフ)はウィルソンとの休戦交渉でドイツ帝国領の保持等高いハードルをつけていたが、ドイツ革命の勃発もありヒンデンブルクが革命政権にたいして無条件の休戦を承認した。ただ、この事実は戦後もずっと伏せられていたわけです・・・
ヴァイマル共和国にとって、一番の失敗は何だと思う?ヒトラーは例外として。
やはり、陰険将軍ヒンデンブルクが大統領になった事だと思うか?
そうですねぇ、>>5に挙げた諸々の事実が蓄積した結果だというのが一番妥当な意見でしょうか。
ただ国家の根幹憲法に48条という「欠陥」があったのは大きいですね。そしてこのトラップを踏むにふさわしい大統領が登場した・・・
5: 名無し 04/06/09 18:14
>48条2項がホーエンツォレルン王朝への忠誠 を公言する老元帥の手に
>握られたとき悲劇は始まった。
ワイマール共和国の歴史をあまりに単純化しすぎてしまいました。
憲法48条と大統領はもちろん、既存政党(特にSPDと人民党)の無能。フランスをはじめとする戦勝諸国の経済的、軍事的圧力。シャハト総裁の暗躍共産党の存在、シュライヒャーの国防軍扇動、老紳士パーペンの権謀術数・・・それから、あまり語られてこなかった一因として私は相次ぐ要人横死による人材枯渇を上げます。エーベルトが生きていたら、エルツベルガーが生きていたら、シュトレーゼマンが生きていたら・・・
特にシュトレーゼマンとエーベルトの喪失は共和国にとって計り知れない損失です。エーベルトだったら25年の大統領選挙で国家人民党支持者と共産党支持者は別として、少なくとも所謂「大連合」を現出した政党(SPD、民主党、人民党、中央党)の支持者の支持は得ていたでしょうね。
エーベルトが生きていれば大統領選挙は26年ですよ。
あと、25年選挙で共産党がオットー・ブラウンを統一候補として認めたことを考えれば(結局マルクスが統一候補になったので共産党は離反しましたが)、共産党がエーベルトを支持した可能性もなくはなかったと思います。
ドイツが陰で推し進めていた再軍備について、貴方はどう受け止めているのか。
申し訳無いが、お答えして欲しい。
やはりユンカースJー19旅客輸送機は、オーパーツ的な傑作だったな。
あまり飛ばしすぎると息切れしますよ。
政治的には>>5で大体あがったとおりだと思いますね。
「要人横死」は私も考えていたので、同じ点に注目してる人がいるのは嬉しい。
シュトレーゼマンなぞは、コンラート・アデナウアーより2歳【年下】ですからね。
それにエーベルトが生きていれば、
26年の大統領選挙では当然勝利していたでしょう。
48条は難しいですね。
エーベルトは初期の混乱期に何度か緊急令を発していますし、
ミュラー内閣が失業保険問題で倒れたときも、
ミュラー首相は一時期緊急令で掛金率を決めようと考えていました。
48条は諸刃の剣であって、条文そのものではなく
これをうまく制御する法を制定できなかったのが問題だ、
という考えもあるようです。
勿論、諸刃の剣であるが故に48条そのものが問題だと、
そういう考え方もありますけど。
48条に関してはまさに「諸刃の剣」が良い得て妙ですね。授権法がなかったら>>6で挙げられている時など共和国の存亡にもかかわりますからね。ただ、ラーテナウ外相が暗殺された後に布告された「共和国保護に関する大統領令」において48条の実効性があまり示せなかったのは皮肉というかなんと言うか・・・
6: 名無し 04/06/09 18:14
ゲスラー国防相に行政権を委譲いたします”
私はむしろ、戦勝国がなぜ再軍備に繋がる一連の動き(闇国防軍、対ソ軍事関係、民兵温存)を徹底的に追求しなかったかが気になります。一定の賠償金を確保するのに固執しすぎてラインラント問題も含めて軍事面で譲歩しすぎたのか、はたまた欧州安全保障の確保を目指すあまりワイマール政府を信頼しすぎてしまったのか・・・
折角徹底的に搾取しようとしている国に攻撃を仕掛けてわざわざ支払い不能になるまで痛めつけるとは考えづらい。私は。
政府そのものは全く信用していないと思う。ヨーロッパ人に信用という文字は存在しない。
仮にフランスが強硬な態度に出ようと思っても、イギリスが足を引っ張る可能性が高いと思う。
ソ連と組んでいるとなるとそう簡単には手を出せない。というか出したくないのかも知れない。
トハチェフスキーと冬将軍に散々痛めつけられたのだし、当時はまだスターリンの魔手が軍部に及んでいなかった。
だから、国内で堂々と再軍備をやられるのならともかく、ソ連で再軍備をやられるのは黙認せざるを得なかった……。
どうなんだろうか、この筋書きは。
なるほど。ソ連との関係は西欧諸国には脅威でしょうね。ロカルノ会議の時も相当ソ連のチチェーリンがベルリンで暗躍してましたし(シュトレーゼマン出発の前日の夜中まで官邸に押しかける始末!)英仏は警戒していたでしょう。ただ、シュトレーゼマンとブリアン、それからオースティン・チェンバレンの信頼関係と欧州平和へ向けた信念は認めてやりたいです・・・
グスタフ・シュトレーゼマンの大ファンなので贔屓目になってるのかもしれませんが・・・