55: 名無し 2017/12/07(木)20:30:26 ID:d6u
そろそろ始めるで
まずは鄧艾伝からや
56: 名無し 2017/12/07(木)20:30:44 ID:d6u
鄧艾、字士載、義陽棘陽人也。少孤、太祖破荊州、徙汝南、爲農民養犢。
鄧艾は、字を士載といい、義陽郡棘陽県の人である。若くして父を亡くし、太祖が荊州を破ると、汝南に移り、農民となり子牛を飼った。
60: 名無し 2017/12/07(木)20:32:28
鄧艾って荊州人やったんかはえ~
62: 名無し 2017/12/07(木)20:33:37 ID:d6u
>>60
せやで
59: 名無し 2017/12/07(木)20:31:45 ID:d6u
年十二、隨母至潁川、讀故太丘長陳寔碑文、言「文爲世範、行爲士則」艾遂自、名範字士則。後宗族有與同者、故改焉。
年十二にして、母に従って潁川に到り、元の太丘の長陳寔の碑文を読むと、書かれていた「文は世の範たり、行ないは士の則たり」鄧艾は自らを、名を範字を士則とした。後に宗族で同じくした者がいたので、故に改めた。
61: 名無し 2017/12/07(木)20:32:49 ID:d6u
爲都尉學士、以口吃、不得作幹佐、爲稻田守叢草吏。同郡吏父、憐其家貧、資給甚厚、艾初不稱謝。
都尉学士となったが、吃音のため、幹佐になれず、稲田守叢草吏となった。同郡の吏の父が、彼の家が貧しいのを憐れみ、物資を支給することは甚だ厚かったが、鄧艾は最初感謝を述べなかった。
67: 名無し 2017/12/07(木)20:37:07
>>61鄧艾「艾は、艾は……」
司馬昭「鄧艾君の吃音はびといなぁ~。一体鄧艾は何人いるんや?」
鄧艾「世人は『鳳凰だ、鳳凰だ』と申しますが、鳳凰は何匹もおりますまい」キリッ
すこ
71: 名無し 2017/12/07(木)20:39:25 ID:d6u
>>67
これ演義で知ってる人も多いだろうけど
面白い逸話だよね
63: 名無し 2017/12/07(木)20:33:48 ID:d6u
?見高山大澤、輒規度指畫軍營處所、時人多笑焉。
高い山や大きな沢を見るたびに、常に測量し軍営の置き所を図示したので、時の人の多くが笑った。
64: 名無し 2017/12/07(木)20:34:49 ID:d6u
後爲典農綱紀、上計吏、因使見太尉司馬宣王。宣王奇之、辟之爲掾。遷尚書郎。
後に典農綱紀、上計吏となり、使者となった太尉司馬宣王(司馬懿)に会った。宣王はこれを奇才だとし、招いて掾とした。尚書郎に昇進した。
73: 名無し 2017/12/07(木)20:39:57
>>64
農政部門の文官が
蜀を滅ぼす名将になるんだから
すごいよね
78: 名無し 2017/12/07(木)20:41:09 ID:d6u
>>73
世に名将は多くとも鄧艾はその中でも多才だよな
文武両道
80: 名無し 2017/12/07(木)20:41:26
>>78
なお吃音
86: 名無し 2017/12/07(木)20:43:34 ID:d6u
>>80
むしろ吃音でしか貶せない鄧艾と考えた方がいい
88: 名無し 2017/12/07(木)20:44:00
>>86
最期もガバガバなんだよなぁ
90: 名無し 2017/12/07(木)20:45:56 ID:d6u
>>88
それ言われたらアカンわ
でも名将なのは確かやから・・・
81: 名無し 2017/12/07(木)20:42:16
吃音とかいう
先天的なものでしか揚げ足とれないのが
鄧艾の凄さを物語ってるよね
65: 名無し 2017/12/07(木)20:35:54 ID:d6u
※朝廷が田地の拡大と穀物の貯蔵を考え鄧艾を検地に遣わすがこのくだりは長いので省略
鄧艾は陳項以東から寿春まで調べると水の少なさに注目して『済河論』を著し、灌漑を進言
また陳、蔡の田地は良質なことから、許都付近の田地を廃止してその水を東に流し、淮河の南北で屯田を行うことを進言
司馬懿はそれを良いと考え全て実行する
66: 名無し 2017/12/07(木)20:36:56 ID:d6u
出參征西軍事、遷南安太守。嘉平元年、與征西將軍郭淮、拒蜀偏將軍姜維。
(地方に)出て参征西軍事となり、南安太守に昇進した。嘉平元年(249年)、征西将軍郭淮と、蜀の偏将軍姜維を拒んだ。
68: 名無し 2017/12/07(木)20:37:55
ワイの鄧艾きたああああ
71: 名無し 2017/12/07(木)20:39:25 ID:d6u
>>68
せっかくやから見てってや
69: 名無し 2017/12/07(木)20:38:02 ID:d6u
維退、淮因西?羌。艾曰「賊去未遠、或能復還。宜分諸軍以備不虞」於是留艾屯白水北。
姜維が退くと、郭淮はそれにより西に行き羌を攻撃しようとした。鄧艾は言った「賊が去ってまだ遠くはなく、あるいは戻ってくるであろう。諸軍を分けて不測の事態に備えた方がよろしいでしょう」こうして鄧艾を留めて白水の北に駐屯させた。
70: 名無し 2017/12/07(木)20:38:33
姜維を拒むことしかしない
74: 名無し 2017/12/07(木)20:40:11 ID:d6u
>>70
ある意味
姜維の好敵手やからな
72: 名無し 2017/12/07(木)20:39:35 ID:d6u
三日、維遣廖化自白水南向艾結營。艾謂諸將曰「維今卒還、吾軍人少。
三日後、姜維は廖化を遣わし白水より南に行かせ鄧艾の向かいに軍営を築かせた。鄧艾は諸将に言った「姜維が今にわかに戻り、我が軍は人が少ない。
75: 名無し 2017/12/07(木)20:40:26 ID:d6u
法當來渡、而不作橋。此、維使化持吾、令不得還。維必自東襲取?城」
兵法に則れば渡るべきなのに、橋も作らない。これは、姜維が廖化を使って私と対峙させ、帰れないようにしたのだ。姜維は必ず東から?城を襲い取るであろう」
76: 名無し 2017/12/07(木)20:41:05
鄧艾さんはどこで兵法を学んだんやろか
83: 名無し 2017/12/07(木)20:42:31 ID:d6u
>>76
どこで学問したかわからない人物多いからな
想像するしかない
77: 名無し 2017/12/07(木)20:41:06
姜維には毎回勝ってるし
好敵手じゃなくて天敵やろ
83: 名無し 2017/12/07(木)20:42:31 ID:d6u
>>77
確かに
85: 名無し 2017/12/07(木)20:43:04
生姜繊維すり下ろし機鄧艾
79: 名無し 2017/12/07(木)20:41:22 ID:d6u
?城在水北、去艾屯六十里。艾?夜潛軍徑到、維果來渡、而艾先至據城、得以不敗。
?城は白水の北にあり、鄧艾の駐屯から六十里離れていた。鄧艾がその夜軍を密かに動かして真っ直ぐと到ると、姜維は果たして渡ったが、鄧艾は先に城に拠っていたので、敗れなかった。
84: 名無し 2017/12/07(木)20:42:41 ID:d6u
賜爵關?侯、加討寇將軍、後遷城陽太守。
関内侯の爵位を賜り、討寇将軍を加えられ、後に城陽太守に昇進した。
87: 名無し 2017/12/07(木)20:43:43 ID:d6u
※鄧艾が異民族の対応を上奏するが長いので省略
并州の右賢王劉豹の反乱につけ込み匈奴を分裂させるように進言
司馬師は鄧艾の意見の多くを聞き入れた
89: 名無し 2017/12/07(木)20:44:44 ID:d6u
遷汝南太守。至則、尋求昔所厚己吏父。久已死、遣吏祭之、重遺其母、舉其子與計吏。艾所在、荒野開闢、軍民並豐。
汝南太守に昇進した。(任地に)到ると、昔厚遇してくれた吏の父を探し求めた。すでに死んで久しかったので、吏を遣わして祭り、その母に重き贈物を与え、その子を推挙して計吏とした。鄧艾は所在で、荒野を開拓し、軍民は並んで豊かとなった。
91: 名無し 2017/12/07(木)20:46:07 ID:d6u
※諸葛恪の敗亡を司馬師に予言するが長いので省略
諸葛恪は誅されこの予言は当たる
101: 名無し 2017/12/07(木)20:50:13
>>91
諸葛瑾さんのお子さんやね
104: 名無し 2017/12/07(木)20:51:10
>>101
パッパはちゃんと諸葛恪の危うさわかってたよな
どうしてあの親からアレがでてくるのか
112: 名無し 2017/12/07(木)20:53:27
>>104
諸葛亮「せやな」
117: 名無し 2017/12/07(木)20:54:33
>>112
孔明のところはお国のために散ったのでセーフ
92: 名無し 2017/12/07(木)20:47:04
頭いい奴は先が読めるからな
94: 名無し 2017/12/07(木)20:47:56 ID:d6u
>>92
なお自分の未来は読めなかった模様
諸葛恪のことを見ていなかったのかね?
100: 名無し 2017/12/07(木)20:50:11
>>94
昔から吃音煽りはあったやろうし
元々のコンプレックスが大きい
→出世してそいつらを見返したので傲慢になったと予想
107: 名無し 2017/12/07(木)20:52:15 ID:d6u
>>100
なるほどな
吃音がコンプレックスになっていたと
93: 名無し 2017/12/07(木)20:47:06 ID:d6u
遷?州刺史、加振威將軍。
?州刺史に昇進し、振威将軍を加えられた。
95: 名無し 2017/12/07(木)20:47:58
中華特有のなぜか糞ニートから
どこで勉強したのかいきなり輝くタイプ
(股のした潜りおじさん)を考えると
鄧艾はまだ勉強したんやなっていい切れるだけましやな
102: 名無し 2017/12/07(木)20:50:28 ID:d6u
>>95
韓信って
まじでどこで勉強したかわからん
109: 名無し 2017/12/07(木)20:52:46
>>102
哀れすぎて貧乏な婆さんに施しされてたくらいやし
よくわからんやつやな
大志があるとかいう割には
周りからなにもしとらんアホ言われてたし
どこで学んだのか、学ばずあれだけできたのか
111: 名無し 2017/12/07(木)20:53:16
>>109
政治はからきしだし
天性やろか
116: 名無し 2017/12/07(木)20:54:27
>>111
天性であの才能か
むしろ転生でもしとるんちゃうか
119: 名無し 2017/12/07(木)20:55:32 ID:d6u
>>109
水を背にする戦法とか兵法の常識を破る戦い方は
兵法を学んでなかったからこそ出来たみたいな仮説
125: 名無し 2017/12/07(木)20:58:55
>>119
反対とか献策したやつを無理やり黙らせたか説得したのかようわからんな
まぁ他にも勝ちまくってるから
無学だとしたらマジでこいつはヨーロッパあたりに生まれてれば
戦史がごろごろ書き換えられそう
96: 名無し 2017/12/07(木)20:48:08 ID:d6u
※鄧艾の上言があるが長いので省略
農業の奨励を提言
97: 名無し 2017/12/07(木)20:48:21
無双だと何故かマッチョマンにされてるんだよな
文官出身なのに
102: 名無し 2017/12/07(木)20:50:28 ID:d6u
>>97
恐らく演義で姜維や文鴦と互角に戦ったから
98: 名無し 2017/12/07(木)20:49:28 ID:d6u
高貴?公?尊位、進封方城亭侯。?丘儉、作亂、遣健?齎書、欲疑惑大衆。
高貴郷公(曹髦)が皇帝に即位すると、方城亭侯に封爵を進められた。?丘倹が、乱を行い、健脚な者に書を持たせて遣わし、大衆を惑わせようとした。
103: 名無し 2017/12/07(木)20:50:38 ID:d6u
艾、斬之、兼道進軍、先趣樂嘉城、作浮橋。司馬景王至、遂據之。
鄧艾は、これを斬り、倍の速度で進軍し、先に楽嘉城に赴いて、浮橋を作った。司馬景王(司馬師)は到ると、これに拠った。
105: 名無し 2017/12/07(木)20:51:46 ID:d6u
文欽、以後大軍、破敗於城下。艾追之、至丘頭。欽奔?。
文欽は、後から大軍で来て、城下で破られた。鄧艾はこれを追い、丘頭に到った。文欽は呉に逃げた。
108: 名無し 2017/12/07(木)20:52:43 ID:d6u
?大將軍孫峻等、號十萬衆、將渡江。鎭東將軍諸葛誕、遣艾據肥陽。艾、以與賊勢相遠非要害之地、輒移、屯附亭。
呉の大将軍孫峻らは、十万の衆と号し、長江を渡ろうとした。鎮東将軍諸葛誕は、鄧艾を遣わし肥陽に拠らせた。鄧艾は、賊軍と遠く(肥陽は)要害の地ではないと思い、すぐに移動して、附亭に駐屯した。
115: 名無し 2017/12/07(木)20:54:12
>>108
諸葛誕って鄧艾の上司やった時もあったんか
結構偉かったんやな
118: 名無し 2017/12/07(木)20:55:11
114: 名無し 2017/12/07(木)20:54:04 ID:d6u
遣泰山太守諸葛緒等、于黎漿拒戰、遂走之。其年、?拜長水校尉。以破欽等功、進封方城?侯、行安西將軍。
泰山太守諸葛緒らを遣わし、黎漿で拒ませ、これを敗走させた。この年、召喚されて長水校尉を拝命した。文欽らを破った功により、方城郷侯に封爵を進められ、行安西将軍となった。
120: 名無し 2017/12/07(木)20:55:42 ID:d6u
解雍州刺史王經圍於狄道、姜維退駐鍾提、乃以艾爲安西將軍、假節、領護東羌校尉。議者多以爲、維力已竭未能更出。
雍州刺史王経が狄道で包囲されているのを解くと、姜維は撤退して鍾提に駐屯し、かくして鄧艾を安西将軍、仮節、領護東羌校尉とした。議論した者の多くが、姜維の力はすでに尽きて改めて出てこないとした。
121: 名無し 2017/12/07(木)20:56:56 ID:d6u
※鄧艾が反論するが長いので省略
五つの点で敵が出陣すると主張
敵には勝った勢いがあり味方は虚弱であること
敵は訓練されて武器も鋭利だが味方は交代されたばかりの兵で武器も整っていないこと
敵は船で移動するが味方は陸路で移動するので疲労が違うこと
味方は狄道、隴西、南安、祁山に分かれねばならぬが敵は一ヶ所に集まれること
祁山には熟した麦があること
122: 名無し 2017/12/07(木)20:57:56
>>121
論理的ンゴねえ…憧れるわ
126: 名無し 2017/12/07(木)20:59:05 ID:d6u
>>122
鄧艾はかなり理知的な人やと思うわ
現代にいたら学者やってそう
130: 名無し 2017/12/07(木)21:00:17
>>126
地図見ただけで地形把握や合理的な用兵戦術は
論理的な人間じゃないとできんからなぁ
136: 名無し 2017/12/07(木)21:02:22 ID:d6u
>>130
まさにその通りやな
そういうところが鄧艾はすごい
123: 名無し 2017/12/07(木)20:58:02 ID:d6u
頃之、維果向祁山。聞艾已有備、乃回從董亭趣南安、艾據武城山以相持。
この頃、姜維は果たして祁山に向かった。鄧艾がすでに備えをしていると聞くと、かくして戻って董亭から南安に赴き、鄧艾は武城山に拠って対峙した。
127: 名無し 2017/12/07(木)20:59:16 ID:d6u
維與艾爭險、不克、其夜、渡渭東行、?山趣上?。艾與戰於段谷、大破之。
姜維は鄧艾と険要を争い、勝てず、その夜、渭水を渡って東に行き、山沿いに上?に赴いた。鄧艾は段谷で戦い、これを大破した。
131: 名無し 2017/12/07(木)21:00:47
>>127ここの鄧艾VS姜維は純粋な武力衝突でええのか?
もしそうだったら蜀の士卒もなかなかやな
139: 名無し 2017/12/07(木)21:04:10 ID:d6u
>>131
蜀は弱いというわけではないで
段谷の敗北があるまでは王経を大破したり
徐質を殺したりの大勝があった
129: 名無し 2017/12/07(木)21:00:12 ID:d6u
※甘露元年(256年)に詔があるが省略
鄧艾を鎮西将軍とし、隴右の諸軍事を都督させ、鄧侯に封爵を進める
また五百戸を分けて彼の子の鄧忠を亭侯にする
132: 名無し 2017/12/07(木)21:01:21 ID:d6u
今回省略多いけど
真面目に鄧艾伝やったらかなり長いからこうするしかなかったんや
詳しく知りたい人はこんな糞訳やなくて
ちゃんとちくまとかの本で読んでみてやで
133: 名無し 2017/12/07(木)21:01:32 ID:d6u
二年、拒姜維于長城、維退還。遷征西將軍、前後增邑凡六千六百?。
二年(257年)、姜維を長城で拒むと、姜維は撤退して帰った。征西将軍に昇進し、前後で邑はおおよそ六千六百戸に増えた。
135: 名無し 2017/12/07(木)21:02:13
北伐マシーン(成果が出るとはいってない)
137: 名無し 2017/12/07(木)21:02:40 ID:d6u
景元三年、又破維于侯和、維卻保沓中。
景元三年(262年)、また姜維を侯和で破ると、姜維は退却して沓中を保った。
138: 名無し 2017/12/07(木)21:03:04
ま た
140: 名無し 2017/12/07(木)21:04:20 ID:d6u
四年秋、詔諸軍征蜀。大將軍司馬文王、皆指授節度、使艾與維相綴連、雍州刺史諸葛緒要維、令不得歸。
四年(263年)秋、諸軍に蜀を征伐する詔があった。大将軍司馬文王(司馬昭)は、皆を指揮し、鄧艾を姜維と連なって対峙させ、雍州刺史諸葛緒に姜維が求めても、帰れないようにさせた。
142: 名無し 2017/12/07(木)21:05:11
まーた諸葛の血が出て来た
144: 名無し 2017/12/07(木)21:05:49
>>142
諸葛諸って一切血縁わからんのよな
143: 名無し 2017/12/07(木)21:05:22 ID:d6u
艾、遣天水太守王?等直攻維營、隴西太守牽弘等邀其前、金城太守楊欣等詣甘松。
鄧艾は、天水太守王?らを遣わして真っ直ぐと姜維の軍営を攻撃させ、隴西太守牽弘らをその前で待ち伏せさせ、金城太守楊欣らを甘松に行かせた。
145: 名無し 2017/12/07(木)21:06:24 ID:d6u
維聞鍾會諸軍已入漢中、引退還。欣等追躡於彊川口、大戰、維敗走。
姜維は鍾会の諸軍がすでに漢中に入ったと聞くと、撤退して帰った。楊欣らは彊川口まで追撃し、大いに戦い、姜維は敗走した。
148: 名無し 2017/12/07(木)21:07:20
>>145
あっさり漢中破られてんな
姜維ご自慢の防衛システムとはなんだったのか
160: 名無し 2017/12/07(木)21:09:57 ID:d6u
>>148
そもそもこのころ魏の内乱が終わって
征伐に本腰を挙げられるようになってる
さらに劉禅が黄皓の言葉聞いて
援軍出し遅れたりとかもある
146: 名無し 2017/12/07(木)21:07:02
姜維ってすごい頑張ってたんやな
諸葛亮死んだ後とか知らなかったわ
151: 名無し 2017/12/07(木)21:07:51
156: 名無し 2017/12/07(木)21:08:50
>>151諸葛亮で無理だったんだから
ガチガチに守り固めれば良かったのにね
まあ、いずれは潰されそうだけど
154: 名無し 2017/12/07(木)21:08:31 ID:d6u
日本やと孔明死後までやる作品はなかなかないからな
165: 名無し 2017/12/07(木)21:11:20
>>154
最後まで読んだの北方しかないんや
149: 名無し 2017/12/07(木)21:07:24 ID:d6u
聞雍州已塞道屯橋頭、從孔函谷入北道、欲出雍州後。諸葛緒聞之、卻還三十里。
雍州(軍)がすでに道を塞ぎ橋頭に駐屯していると聞くと、孔函谷から北道に入り、雍州(軍)の後ろに出ようとした。諸葛緒はこれを聞くと、三十里退却した。
150: 名無し 2017/12/07(木)21:07:27
定期姜維敗走
152: 名無し 2017/12/07(木)21:08:06
この伝中ではほんとやられ役やな
155: 名無し 2017/12/07(木)21:08:42 ID:d6u
維、入北道三十餘里、聞緒軍卻、尋還、從橋頭過。緒、趣截維、較一日不及。
姜維は、北道に三十余里入ると、諸葛緒が退却したと聞き、次いで帰り、橋頭から通過した。諸葛緒は、姜維を遮りに行ったが、一日の差で及ばなかった。
157: 名無し 2017/12/07(木)21:08:56
姜維「勝てないわね…勝てない」
158: 名無し 2017/12/07(木)21:09:21
どうして姜維って
こんなに負けてるのに降板しなかったんやろ
人材不足すぎて草も生えない
163: 名無し 2017/12/07(木)21:10:36
>>158
暗黒でローテ守って2勝10敗みたいな感じ
167: 名無し 2017/12/07(木)21:11:24
>>163
原樹理かな?
166: 名無し 2017/12/07(木)21:11:23 ID:d6u
>>158
単純に姜維に代われる人がいなかったのではないかな?
169: 名無し 2017/12/07(木)21:12:06
>>166
個人的には閻宇大将軍を見てみたかった
162: 名無し 2017/12/07(木)21:10:12
負けてるからこそやけど
それが宮中では負けるくせに
金と人を浪費して帰ってくるようなやつで
反感買うんやろなぁ
164: 名無し 2017/12/07(木)21:11:16
この時、呉内心ビクビクしてそう
次はワイらや!ワイらが攻め込まれるぞ!みたいな
161: 名無し 2017/12/07(木)21:10:12 ID:d6u
維遂東引、還守劍閣。鍾會攻維、未能克。
姜維はかくて東に退き、帰って剣閣を守った。鍾会は姜維を攻めたが、勝てなかった。
168: 名無し 2017/12/07(木)21:11:28 ID:d6u
艾上言「今賊摧折、宜遂乘之。從陰平、由邪徑、經漢德陽亭、趣?、出劍閣西百里、去成都三百餘里。奇兵衝其腹心。劍閣之守必還赴?、則會方軌而進。
鄧艾は上言した「今賊は挫かれたので、これに乗じましょう。陰平から、小径を経由し、漢の徳陽亭を経て、?に赴き、剣閣の西百里に出れば、成都から三百余里の所に行けます。奇兵でその腹心を突くのです。剣閣の守備兵は必ず帰って?に赴くので、鍾会は車を並べて進めましょう。
174: 名無し 2017/12/07(木)21:13:12
>>168
有能過ぎる
177: 名無し 2017/12/07(木)21:14:08
>>174
周りは「成功せへぇへんやろ」みたいな空気やったんやろなぁ
170: 名無し 2017/12/07(木)21:12:38
陰平突破キター!
173: 名無し 2017/12/07(木)21:13:11 ID:d6u
劍閣之軍不還、則應?之兵寡矣。軍志有之曰『攻其無備、出其不意』今掩其空?、破之必矣。」
剣閣の軍が戻らねば、?に対応する兵は少なくなります。兵所ではこれをこう言います『其の備え無きを攻め、其の意(おも)わざるに出ず』と。今空虚を急襲すれば、必ず破れましょう。」
175: 名無し 2017/12/07(木)21:13:56
剣閣門。要害すぎる
179: 名無し 2017/12/07(木)21:14:28
>>175
さすが中国
181: 名無し 2017/12/07(木)21:14:36
>>175
はえ~
初めて見たわ
183: 名無し 2017/12/07(木)21:14:41
>>175
うーん…無理やな(確信)
178: 名無し 2017/12/07(木)21:14:21
天険の要害、だいたい抜かれてる説
日本でいう難攻不落の城みたいな
186: 名無し 2017/12/07(木)21:15:36
>>178
熊本城「アハハ!」
西郷軍「」
180: 名無し 2017/12/07(木)21:14:33 ID:d6u
冬十月。艾、自陰平道、行無人之地七百餘里、鑿山通道、造作橋閣。
冬十月。鄧艾は、陰平道から、無人の地を七百余里行き、山に穴をあけて道を通じさせ、橋や閣を造らせた。
187: 名無し 2017/12/07(木)21:15:38 ID:d6u
山高谷深、至爲艱險、又糧運將匱、頻於危殆。艾、以?自裹、推轉而下。將士、皆攀木?崖、魚貫而進。
山は高く谷は深く、険阻の至りで、また兵糧の運搬も乏しくなり、危機に瀕した。鄧艾は、毛氈に自ら包まり、転がって下った。将士は、皆木をよじ登り崖にすがり、魚の串刺しのように進んだ。
192: 名無し 2017/12/07(木)21:16:37
>>187
簀巻き鄧艾が転がるのを想像して草
189: 名無し 2017/12/07(木)21:16:20
>魚の串刺しのように進んだ
表現に草
200: 名無し 2017/12/07(木)21:18:13
次の無双で鄧艾の武器決まったな
毛布や
207: 名無し 2017/12/07(木)21:19:37
>>200
仕事人みたいな殺し方しそう
193: 名無し 2017/12/07(木)21:16:41 ID:d6u
先登至江由、蜀守將馬?降。蜀衞將軍諸葛瞻、自?還緜竹、列陳待艾。艾、遣子惠唐亭侯忠等出其右、司馬師纂等出其左。
先頭が江由に到ると、蜀の守将馬?が降伏した。蜀の衛将軍諸葛瞻が、?から緜竹に戻り、陣を並べて鄧艾を待った。鄧艾は、子の恵唐亭侯鄧忠らを遣わしてその右に出し、司馬師纂らをその左に出した。
199: 名無し 2017/12/07(木)21:18:01
>>193
何で司馬師が生きてるんや
203: 名無し 2017/12/07(木)21:18:55
209: 名無し 2017/12/07(木)21:19:46 ID:d6u
>>203の解釈でいい
213: 名無し 2017/12/07(木)21:20:58
>>209
サンガツ
197: 名無し 2017/12/07(木)21:17:37 ID:d6u
忠、纂戰不利、並退還、曰「賊、未可?」艾怒曰「存亡之分、在此一舉。何不可之有」乃叱忠纂等、將斬之。
鄧忠、師纂は戦っても利がなく、並んで撤退し、言った「賊は、いまだ?てません」鄧艾は怒って言った「存亡の分は、この一挙にある。どうして出来ない事があろうか」かくして鄧忠、師纂らを叱り、斬ろうとした。
202: 名無し 2017/12/07(木)21:18:52 ID:d6u
忠纂馳還更戰、大破之、斬瞻及尚書張遵等首。進軍到?。劉禪遣使奉皇帝璽綬、爲箋詣艾請降。
鄧忠、師纂らは馳せ帰って更に戦い、これを大破し、諸葛瞻及び尚書張遵らの首を斬った。進軍して?に到った。劉禅は使者を遣わし皇帝の璽綬を奉らせ、文章を鄧艾に届けて降伏を請うた。
205: 名無し 2017/12/07(木)21:19:27
>>202
張飛のマッゴェ……
204: 名無し 2017/12/07(木)21:19:11
なんかもう三国志の斬首の基準がよう分からん……
210: 名無し 2017/12/07(木)21:19:59 ID:d6u
艾至成都、禪率太子諸王及羣臣六十餘人、面縛輿?詣軍門。艾、執節解縛焚?、受而宥之。
鄧艾が成都に到ると、劉禅は太子、諸王及び群臣六十余人を率い、面縛し棺を担いで(※)軍門に行った。艾、執節解縛焚?、受而宥之。
※面縛は両手を後ろにして縛り、顔を前に突き出すこと
自らを縛り棺を持って行くのが降伏側の礼儀で、その縛を解いて棺を焼くのが降伏を受ける側の礼儀であった
ちなみに孫晧伝でもこのようなやり取りがある
211: 名無し 2017/12/07(木)21:20:29
>>210
はぇー
224: 名無し 2017/12/07(木)21:23:22
>>210
艾、執節解縛焚?、受而宥之
これ訳し忘れかな?
232: 名無し 2017/12/07(木)21:26:04 ID:d6u
>>224
すまん訳し忘れや
意味は節を受け取り縛を解き棺を焼き
受け入れて宥めたみたいな感じや
214: 名無し 2017/12/07(木)21:21:04 ID:d6u
檢御將士、無所虜略、綏納降附、使復舊業、蜀人稱焉。
将士を検察して統御したが、略奪はせず、降伏した者を慰撫し、元の業に戻らせたので、蜀人は称賛した。
216: 名無し 2017/12/07(木)21:21:31
蜀人の手首はもうボロボロ
217: 名無し 2017/12/07(木)21:22:02 ID:d6u
輒依鄧禹故事、承制拜禪行驃騎將軍、太子奉車、諸王?馬都尉。蜀羣司各隨高下、拜爲王官、或領艾官屬。
鄧禹の故事(※)に倣い、専断の権利により劉禅を行驃騎将軍、太子を奉車都尉、諸王を?馬都尉とした。蜀の官僚も各々の位により、(魏)王朝の官吏とし、ある者は鄧艾の属官とした。
※東漢の初めに鄧禹が河東を制圧すると光武帝の命を受けずに李文を河東太守にし、所属する県の令や長を独断で置いたという故事
221: 名無し 2017/12/07(木)21:22:45
>>217
将外にありては君命にも従わざるやな
223: 名無し 2017/12/07(木)21:23:10
>>217
故事に従っただけやったんやな
226: 名無し 2017/12/07(木)21:23:54
>>223
いや、故事を言い訳にした感あるで
222: 名無し 2017/12/07(木)21:23:03 ID:d6u
以師纂、領益州刺史。隴西太守牽弘等、領蜀中諸郡。
師纂に、益州刺史を兼任させた。隴西太守牽弘らには、蜀中の諸郡(の太守)を兼任させた。
227: 名無し 2017/12/07(木)21:24:07 ID:d6u
使於緜竹築臺以爲京觀、用彰戰功。士卒死事者、皆與蜀兵同共埋藏。
緜竹に台を築かせて京観(※)とし、戦功を顕彰とした。士卒で死んだ者は、皆蜀兵と共に埋葬された。
※死体を積み上げ土で覆ったもの
勝利を記念して作る
229: 名無し 2017/12/07(木)21:25:11
これで蜀の古くからの家臣たちも守られたな!
233: 名無し 2017/12/07(木)21:26:04
そろそろ廖化が死ぬ頃か
235: 名無し 2017/12/07(木)21:26:30
>>233
何時まで生きてんねん
238: 名無し 2017/12/07(木)21:27:14
>>235
たしか洛陽に送られる監車のなかで死んだんだっけ?
242: 名無し 2017/12/07(木)21:27:53
>>238
せや
251: 名無し 2017/12/07(木)21:29:21
>>242 関羽時代からバリバリ使えてたやつやろ?
すごいな
237: 名無し 2017/12/07(木)21:27:01 ID:d6u
艾、深自矜伐、謂蜀士大夫曰「諸君賴遭某、故得有今日耳。若遇?漢之徒、已殄滅矣」
鄧艾は、深く自らを誇り、蜀の士大夫に言った「諸君は某と遭遇したおかげで、今日を得られたのだ。もし呉漢(※)のような輩に遭遇すれば、滅ぼされていたであろう」
※東漢初期の将軍
敵を根絶やしにする性格と蜀を攻略した事績から引き合いに出しているのであろう
248: 名無し 2017/12/07(木)21:28:39
>>237
呉漢はマズイですよ!
252: 名無し 2017/12/07(木)21:29:27
>>237
実際略奪もしてないし
元の業務につかせてるわけだからな
250: 名無し 2017/12/07(木)21:29:05 ID:d6u
又曰「姜維、自一時雄兒也。與某相?、故窮耳」有識者笑之。
また言った「姜維は、一時の英雄だ。某と会い、故に窮したのだ」有識者はこれを笑った。
253: 名無し 2017/12/07(木)21:30:11 ID:d6u
※十二月に詔があるが長いので省略
鄧艾を太尉とし、邑を二万戸増やし、子二人を亭侯に封じ、各々の食邑を千戸とした
256: 名無し 2017/12/07(木)21:31:06 ID:d6u
※鄧艾が司馬昭に上言するが長いので省略
呉を下すために軍の威勢を見せてから降伏を勧告する策を提案
そのために軍を蜀に留めて休息させ、製塩と鋳鉄を興して軍事や農業の助けとし、船を製造させて呉に攻める態度を見せ、劉禅を厚遇して呉を降伏しやすいようにするべきだと上申
司馬昭はそれを実行しないよう監軍衛?を通じて鄧艾に伝える
鄧艾はそこで再び上言して専断の利点を述べ上記の策を実行すると宣言
鍾会、胡烈、師纂らはこの態度から皆鄧艾が変事を起こそうとしていると建白
結果詔があって鄧艾は檻車に入れられて召喚される
259: 名無し 2017/12/07(木)21:32:52
>>256
言ってることは正しい気がするけど却下されたのはなんでなんやろ
264: 名無し 2017/12/07(木)21:33:44 ID:d6u
>>259
司馬昭が鄧艾の専横を恐れたからだと思う
267: 名無し 2017/12/07(木)21:34:09
>>259
・まだ呉を滅ぼす気がないから
・鄧艾が遠くにいるから
・鄧艾が勝手にいろいろ決めてイラついてるから
268: 名無し 2017/12/07(木)21:34:19
>>259
司馬昭「お前に言われんでも分かっとるわ」的な奴やろ
260: 名無し 2017/12/07(木)21:32:56
>鍾会、胡烈、師纂らはこの態度から皆鄧艾が変事を起こそうとしていると建白
一人お前が言うなってやつがいますねぇ
263: 名無し 2017/12/07(木)21:33:39
鍾会「最低だよ、どうなんだ人として!」
258: 名無し 2017/12/07(木)21:32:28 ID:d6u
艾父子既囚、鍾會至成都、先送艾、然後作亂。會已死、艾本營將士追出艾檻車、迎還。
鄧艾父子が囚われると、鍾会は成都に到り、先に鄧艾を送り、その後に乱を為した。鍾会が死ぬと、鄧艾の本営の将士は鄧艾の檻車を追うために出て、迎えて帰った。
262: 名無し 2017/12/07(木)21:33:35
今、龍が如く極2やってるけど
次の外伝は三国志で「劉が如く」作って欲しいンゴねぇ
266: 名無し 2017/12/07(木)21:34:08
>>262
桐生(劉備)
大誤算(劉禅)
273: 名無し 2017/12/07(木)21:37:36
275: 名無し 2017/12/07(木)21:39:09
>>273
法正(風間のおやっさん)
孔明(冷麺)
Vやねん!
305: 名無し 2017/12/07(木)21:49:48
>>275
とりあえずトン兄が真島の兄さんなのは間違いないやろな
309: 名無し 2017/12/07(木)21:50:17
>>305
愛され枠がどっちにしろぶれない名采配
265: 名無し 2017/12/07(木)21:33:51 ID:d6u
?、遣田續等、討艾、遇於緜竹西、斬之。子忠與艾?死、餘子在洛陽者悉誅、徙艾妻子及孫於西域。
衛?は、田続らを遣わし、鄧艾を討たせ、緜竹の西で遭遇し、これを斬った。子の鄧忠は鄧艾と共に死に、その他の子は洛陽で尽く誅され、鄧艾の妻子及び孫は西域に移された。
269: 名無し 2017/12/07(木)21:35:04 ID:d6u
初、艾當伐蜀、夢坐山上而有流水、以問殄虜護軍爰邵。
当初、鄧艾がまさに蜀を討伐しようとすると、夢で山上に座り流水があり、殄虜護軍爰邵に問うた。
271: 名無し 2017/12/07(木)21:36:08 ID:d6u
邵曰「按易卦、山上有水曰蹇。蹇?曰『蹇、利西南、不利東北』
爰邵は言った「易の卦を調べると、山上の水を蹇と言います。蹇の言葉は『蹇は、西南に利、東北に不利』です。
272: 名無し 2017/12/07(木)21:37:25 ID:d6u
孔子曰『蹇利西南、往有功也。不利東北、其道窮也』往必克蜀、殆不還乎」艾憮然不樂。
孔子は『蹇は西南に利は、行けば功有りだ。東北に不利は、その道が窮まるだ』と言いました。行けば必ず蜀に勝ちますが、大方帰れないでしょう」鄧艾は落胆して楽しめなかった。
274: 名無し 2017/12/07(木)21:38:16 ID:d6u
※泰始元年(265年)、晋室が興り、詔を下すが長いので省略
鄧艾は罪に服したので後継を立てるのを許し、祭祀を絶やさせなかった
また議郎段灼が上疏して鄧艾を擁護する
九年(273年)にも詔があり嫡孫の鄧朗を郎中とする
276: 名無し 2017/12/07(木)21:39:18 ID:d6u
艾在西時、修治障塞、築起城塢。泰始中、羌虜大叛、頻殺刺史、涼州道斷。吏民安全者、皆保艾所築塢焉。
鄧艾は西方にいた時、城塞を修理し、塢を築いた。泰始中(265-74年)、羌族が大いに背き、頻繁に刺史を殺し、涼州道を断った。吏民で安全であった者は、皆鄧艾の築いた塢に籠った者である。
277: 名無し 2017/12/07(木)21:40:26 ID:d6u
評曰。鄧艾、矯然彊壯、立功立事、然闇于防患、咎敗旋至。
評に曰く。鄧艾は、強壮で、功を立て事績を立てたが、憂患を防ぐことには暗く、たちまち咎を受け敗れた。
278: 名無し 2017/12/07(木)21:41:19 ID:d6u
これで鄧艾伝は終わりや