一小国にされてしまって可愛そうです(´;ω;`)ウッ
ニュース
最後は本当にあっけなかったよな・・・・・・(´;ω;`)ブワッ
しかたがない。
持たなかっただろう。
共通点:
内部で生じていた軋轢が、戦争という契機によっていっきに噴出して瓦解した
相違点:
ロシア帝国
社会構造の変化にくらべて、制度が疲弊していた
オーストリア・ハンガリー帝国
多民族国家の自治要求
オスマントルコ帝国
国力にくらべて広大な領土維持が困難になっていた
何ヶ国にも分裂した。
メッテルニヒの時代が最高潮だったんだろうな
カール5世=カルロス1世の時でしょ。
なんだかんだでハンガリーすら扱いに困ってたわけだし
現在のEUのような国家連合に移行していれば存続の可能性はあっただろう
しかしながらボヘミア和協の可能性を討議していた1870年前後と違い、20世紀前後の三重帝国案を出していた人達は民族主義を否定しハプスブルク帝室の存続を第一とすりる保守主義者ばかりであったことを考慮せねばならないだろう
あとイタリア人、ルーマニア人、セルビア人という国外にその民族国家が既に存在している民族とドイツ帝国にドイツ人居住地域のみ分離併合を望むドイツ民族主義者も弊害になるだろうね
>>30
オーストリア継承戦争
この時は帝位を奪ったバイエルン選帝侯が、オーストリアも併呑しようとした。
バイエルン継承戦争
バイエルン系ヴィッテルスバッハ家の断絶後のゴタゴタ。プファルツ系のヴィッテルスバッハ家が継承したが、バイエルンにこだわりがなかったもので、皇帝ヨーゼフ2世の提案でネーデルラントとバイエルンの交換に応じかけた。プロイセンのフリードリヒ2世の横槍が入って御破算。
第一次大戦後、第二次大戦後
バイエルンの分離独立って構想はその都度上がっていて、オーストリアとくっつけるという案もあった。
ハプスブルグ家領の本拠がオーストリアだったってイメージ。
ドイツ帝国に編入されるのは無理?
バイエルンでさえ北方の田舎王国の支配下に入ったのに。
ヒトラーのようにドイツ人意識あるエスターライヒ人は少数か。
戦争に勝ったからといって、勝ちすぎるととたんにヨーロッパのバランスオブパワーが働くから
逆に危険になる。
・オーストリア帝国全土の編入は無理がありすぎた。
・ドイツ人地域だけ編入というのも、頭だけもぎ取るようなもので無理があった。
シュレージエン割譲とはわけが違う。
むしろ考え方が逆。
統一ドイツからオーストリーを排除するための戦争だったわけで
オーストリーがドイツに加わればドイツ帝国はプロイセン=オーストリー二重帝国化する。
それも皇家も二つある、完全な二重帝国w
宰相ボイストも普墺戦争時ザクセンの首相だったため、当初は皇帝と同意見だった
しかしながらメキシコ遠征などを見てナポレオン3世に不審感を抱き、対普協力政策に転換し皇帝をたしなめた
>>95
バイエルンはぎりぎりまでナポレオンの同盟国としてふるまったおかげで王国にも昇格したし、国も大きくなったわけだが。
ザクセンはうまく立ち回れずに、王国に昇格はしたけど、ウィーン会議で国土の半分以上をプロイセンにぶんどられた。
>>98
バイエルンはその前からフランスと仲良かったけどね。
三十年戦争でもフランスとバイエルンは繋がっていたとされるし、オーストリア継承戦争では、フランスはバイエルン選帝侯を皇帝にしようとした。
歴史的に見て、ハプスブルク家はフランスの西への領土拡大圧力からドイツ諸侯を守ってきたんだよね。
軍事力では他のドイツ諸侯より上だったから、三十年戦争後もマリア・テレジアが出てくる前までは、一応盟主的な立場にはいた。
オーストリア継承戦争以降だと思うよ、この地位が危なくなるのは。
で、その地位を守るためにハプスブルク家がフランス(ブルボン家)と親しくしたことで、他の中小のドイツ諸侯は保護者を失った形になる。
ドイツにおけるハプスブルク家の優位が「どの脅威に対して必要とされるものか」をマリア・テレジアは分かってなかったような気がする。
多くの諸侯には基本的にはフランスの脅威こそ重要なわけで、対プロイセンなんて、他のドイツ諸侯には大して重要な問題じゃなかったと思う。
その認識差が露呈したのがナポレオン戦争、と。
ハプスブルクの対仏政策は領土におけるネーデルラントの地位によって変化していったといっても過言じゃない。
その辺りを勉強してから考え直す事をお勧めする。
>>107
ネーデルラントの領土的地位はスペイン領、オーストリア領問わず一括して国王・皇帝の直轄地であり、総督が派遣されて統治されてた。
お前さんの言うとおり勉強したら大体国王・皇帝の庶子や出戻り娘が総督やってたってのはわかったが、どこに対仏政策に絡んでくるんだ?
まさかスペイン領時代はフランスと友好的でオーストリア領時代は対立してました、とか言うんぢゃねーだろーなw
>>111
つまりハプスブルク世襲領と一般に総称される所領群の中で、ネーデルラントの地位が相対的に低下していったという事を指していると思われます。
ネーデルラントの獲得・維持がハプスブルクの勢力全体に大きな影響を及ぼしたマクシミリアン1世の時とは違い、カール6世以降のオーストリア系ハプスブルク家の再掌握以降は単なる飛び地のひとつになっていきます。
ハプスブルクとフランス王家の対立の深部にはネーデルラント領有問題があったので、外交革命はネーデルラントを放棄しても別に問題が無かったというハプスブルク側の事情が大きく影響していた事は事実だと思いますよ。
なにげにいいな。その呼び名。
歴史的にはドイツ領だろ
返還するべき
そんなこと言ってたらシュレスビヒとホルスタインは
歴史的にデンマークのものだぞ
歴史的云々言うならオルテンブルクはデンマーク支配下に入ったことはあるし
ブルゴーニュは帝国領と主張できる
問題なのはどこで線引きするかだ
あ そうするとオーストリアもドイツに併合かww
税金の関係で意味あるよ。
法人税やガソリン税のなどの高い国と安い国とか。
テレビで見たよ。イギリス人がドーヴァー渡ってフランスにビール買い出しに来るとかドイツ人おばちゃん軍団ががオランダに買い物バスツアーするとか。おばちゃん軍団はコーヒー豆だの紙おむつだの買いあさってた。
交通費かけて日常雑貨買出ししてもペイするってのも相当の差だ。
逆に地域主義が強まってるらしいな、EU加盟国では。
将来は面積が増えてないのに国家数が4倍ぐらいになってるかもしれんw
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