近世

【北軍】南北戦争【南軍】

1: 名無し 2011/10/12(水) 17:11:39.76 0
南北戦争について語るスレ

9: 名無し 2011/10/14(金) 02:32:22.74 0
考えてみれば南軍が勝った事例って思い浮かばないな・・・。
中華王朝      
・・・ 漢(楚滅ぼす)、隋(北朝勝利)、元(南宋滅ぼす)

南北朝時代(日本)
・・・ 北朝勝利

アメリカ独立戦争 
・・・ 北軍勝利

ベトナム戦争   
・・・ 北ベトナム勝利

10: 名無し 2011/10/14(金) 12:16:59.15 0
クリミア戦争とか日露戦争でロシアの南下政策阻止

11: 名無し 2011/10/14(金) 13:43:15.92 0
ソ連のアフガニスタン侵攻阻止

12: 名無し 2011/10/14(金) 19:10:40.05 0
>>10-11
そのへんは、明らかに違う国家間の戦争なので、南北戦争とは言わないかと。
後に同じ国になっていても、倭vsアイヌとか、ローマvsガリアとかは含まない。

中国・日本・ベトナム・イエメン・アメリカ・フランス・イタリアは北軍勝利。
朝鮮もたぶん……

21: 名無し 2011/10/19(水) 21:18:32.78 0
自由貿易重視 vs 国内産業保護 の路線対立で前者が勝利したって見方はあってる?

22: 名無し 2011/11/07(月) 11:05:00.38 0
>>21
農業重視か工業重視かと見たほうが正しいだろ

23: 名無し 2011/11/07(月) 22:59:15.79 0
亀レスで悪いけど逆でしょ。北部は>>22の言うように工業重視だったから、イギリスなどの工業製品から国内の工業製品を守るために、保護貿易を、主張してたけど、南部は奴隷を使った農業によって多く生産してた綿花を、イギリスなどに輸出したかったため自由貿易を主張してたからね。それで、結局勝敗は北部の国内産業保護派(保護貿易派)の勝利で終わったしね。

24: 名無し 2011/11/07(月) 23:31:14.65 0
イギリスは、介入する余裕はなかったの?

26: 名無し 2011/11/19(土) 22:27:51.19 0
>>24
リンカーンが奴隷解放宣言しちゃったから
それが北軍側の大儀になってしまった後で南軍を支持するわけにはいかない

37: 名無し 2012/03/31(土) 02:34:37.16 0
戦史オタの俺から見た南北戦争史におけるベスト会戦は、チャンセラーズヴィルの戦いかな。
戦術レベルでこの会戦以上の凄みを持つ戦争はあんまりないな。
リーとジャクソンという天才二人抱えてたがゆえに出来た芸当かな。

38: 名無し 2012/03/31(土) 08:37:38.00 0
南部は北部と異なり、農業中心の経済で、綿花はもちろんの事、主要産品は、コメ、タバコ、サトウキビ、トウモロコシ、柑橘類などが多かった。天然資源も豊富で、石油の採掘はまだ本格化していないが、セメント、砕石、石灰、砂、砂利などを生産採掘していた。

また南部の主要加工品も小麦粉、コーンミール(ひき割りとうもろこし)、木材、加工したタバコ、綿製品、テレピン油などの食料加工品や嗜好品が多く、農作物由来品がほとんどだった。これらの生産高は当時の合衆国全体のGDPの一割にも満たなかった。

また、南部経済の特徴には、大変貿易依存度が高い経済だった事があげられる。

特に綿花をヨーロッパ、特に英国に輸出していた。それが英国の繊維産業を中心とする産業革命を支えていたが、イギリス製品がアメリカ国内に流入し北部の製造業への重大な脅威と競争相手になっていた。

南部は英国の産業界への原材料供給地として大きな利益を得ていたが、北部の産業界は、イギリス製品との激しい国際競争に晒されており、事実上南部は北部産業界から見ると商売敵への原材料供給地と見なされていた。

その為に北部産業界は、彼らの支持政党である共和党を使い、南部経済の中心である大農園(プランテーション)を支える黒人奴隷制を攻撃する事でイギリスへの原材料供給を妨害する策に出始めた。

41: 名無し 2012/03/31(土) 21:54:11.90 0
南北戦争ってのは、外形的にはアメリカの北部と南部が戦った訳だが、リンカーン政権は、実はイギリスと経済的戦争を行っていたとも言える。

南北戦争によりアメリカ北部の製造業(産業界)が完全に立ち上がった。
また英国製品をアメリカ国内から締め出すために高関税政策を取り、北部の産業界を保護育成する政策をリンカーン政権は採用した。

さらに海上封鎖で南部がイギリスへ綿花や資源などを輸出する事を妨害する軍事作戦も行った。

この様にリンカーン政権は、イギリス経済に大きな打撃を与える政策を取り続けた。
その為にイギリスは、南部を助ける為に南北戦争に参戦し北部のリンカーン政権を攻撃しようと常に伺っていた。カナダにイギリス陸軍を駐留させ南軍と挟み撃ちにする計画であり、更にイギリスの海軍力を使い、合衆国海軍の海上封鎖を破ろうとしていた。

しかしリンカーン政権が、奴隷解放宣言を行った為にロンドンの新聞は、一斉に北部に肩入れし、リンカーン大統領を賛美する論調に変わってしまった。
その為にイギリスは、南北戦争に参戦するチャンスを失ってしまう。

39: 名無し 2012/03/31(土) 12:27:21.79 O
でも建国当時の姿をそのままに残す貴族的イギリス風の貴重で美しい建物や農場の風景が破壊されたのは残念だったよな

場所に教会、ドレス・・
戦争はあらゆるものを破壊するね。
もう一度でいいから牧歌的な美しい景色や建物観たいな。 

42: 名無し 2012/03/31(土) 22:19:01.52 0
>貴族的イギリス風の貴重で美しい建物や農場の風景が破壊されたのは残念だったよな

アメリカは、元々イギリスの植民地だったが、南部は特に英国風の文化が独立後も温存されていた。文化だけではなく、経済もイギリス産業界への原材料供給地として確固たる地位を占めていた。

アメリカ南部は、独立後もイギリス経済に組み込まれていた、と言っても良い。

その為にイギリス製品に対抗する形で、五大湖周辺で立上がり始めたアメリカの産業界(製造業)が北部経済の中心になり北部の政治力も押える様になった。
リンカーン政権が、イギリスに対し経済的に対抗しようとしたのはこの為である。

しかし一方で、南部ではイギリスを最大のお得意先販売先とする大農園が引き続き南部経済の中心であり、南部の政治を支配していた。北部と南部では経済構造と国益が全く異なる二重体制になっていた。南部は独立後100年たってもイギリスに従属し大英帝国の経済的分業体制に組み込まれ続けていた。故に南部は自由貿易に固執しリンカーン政権の高関税政策を忌避した。

北部と南部の対立は、それぞれの政治のスポンサーの利益や主張が異なる為、激しく衝突し始めた、と言っても良い。北部の製造業者+鉄道資本と南部の大農園主は、互いの主張や利益をめぐり真っ向から対立し、お互いに相手を殲滅する事を企んでいた。

47: 名無し 2012/04/01(日) 11:56:35.55 0
結局、北部が南部でやりたかった事は

①南部の原材料や食料の収奪
②高関税による外国(欧州)製品の排除(輸入代替工業化)
③物流網整備の為のインフラ建設メンテの推進(公共事業拡大)

ナンダなこれが。

プロパガンダとしての奴隷解放なんて実は如何でも良くて、アレクサンダー・ハミルトン財務長官が考案しヘンリー・クレイ上院議員や経済学者フリードリッヒ・リストが提唱した、いわゆるアメリカ・システムを南部でも実現したかっただけだろう。

アメリカ・システムを求める勢力や経済学者をアメリカ学派 (経済学) と言った。

実は、アメリカ・システムは、アメリカの中西部と南部から大反対されていた。
なぜなら中西部と南部は、食料と原材料の生産地であり欧州向けの輸出で成り立っていたからだ。

ヘンリー・クレイ上院議員は、「アメリカ・システムが完成すれば、北部の工業地帯と都市部住民が、中西部と南部で生産される食料と原材料を消費するようになるので高関税は関係ない」と言う主張を繰り返しアメリカ・システムの反対派に反論し続けた。

実は、もっとも大きなアメリカ・システム反対派が、そっくり南部の大農園主であり、合衆国を統一市場として構築する北部の計画に真っ向から反対し続けたのが彼らだった。

48: 名無し 2012/04/01(日) 15:56:48.17 0
>>47
>プロパガンダとしての奴隷解放なんて実は如何でも良くて

リンカーン政権としては…

ロンドンの新聞を味方につけて
イギリスの参戦を阻止したかっただけだよw

まんまと成功したし。

でも国内では、あんまり奴隷解放宣言って評判良くなかった。

何で黒人奴隷の為に死ななきゃいかんのだ?
との意見が大半だった。

おかげで南軍の工作員のプロパガンダが大成功してニューヨークでは大暴動。
ニューヨーク州警察では押えられなくなり、
南北戦争真っ最中に北軍が治安出動してニューヨーク市民と市街戦をしている。

50: 名無し 2012/04/02(月) 12:58:33.90 0
南北戦争開始後に北部に残留した民主党は民主党内では反主流派だった。
しかしリンカーン共和党政権を支持する戦争民主党とリンカーン政権に反対する平和民主党の真っ二つに分裂した。

平和民主党は、リンカーン政権の軍事国家的専制的支配に反対し、特に議会を無視しての政権運営に激しい批判を浴びせていた。

もっともワシントン政界では、リンカーンの議会を無視する専制的政権運営は、戦時という事もあり、それほど批判は無かったが、南北戦争に批判的な平和主義者と南部ビイキの勢力は、それを口実にリンカーン政権を攻撃していた。

その為にリンカーン政権は、平和民主党を平和主義に名を借りた南部支持派とみなし、弾圧の対称にしていた。平和民主党の活動家の中には南軍のスパイとして処刑された者も居る。事実、南軍工作員が平和民主党に潜入しており、反戦運動にかこつけた反リンカーン政権運動を北部で展開していた。ニューヨークの大暴動でも平和主義勢力と南軍工作員のジョイントオペレーションであった。

そして暴動は、ニューヨークだけではなくオハイオ州とイリノイ州でも発生し、そちらでも北軍が治安出動して市民と市街戦となっている。

この様に北部で市民層の暴動が発生したのは、リンカーン政権が徴兵制を導入した事にある。徴兵されるのは白人男性であり、黒人奴隷の為に死ぬ確立が高い軍隊に徴兵される事を北部白人市民層は大変嫌がった。
その為に平和民主党の反戦運動が、北部でも支持を広げ、ニューヨーク、オハイオ州、イリノイ州などで市民の暴動と言う形で現れ始めていた。

51: 名無し 2012/04/02(月) 13:14:06.88 0
>>50
徴兵は金出せば猶予されるし
金で身代わりだしてもおkなんだぞ?

52: 名無し 2012/04/02(月) 13:40:50.84 O
>>51
アメリカにも、そのシステムが有ったんだ。
でも、それが可能な層と不可能な層に分かれただろうから、不可能な層の不満は余計に大きくなったとか?
ナポレオン戦争当時のフランスにも似た様なシステムが有って、やはり不満の対象だったと。

53: 名無し 2012/04/02(月) 14:16:11.23 0
それが出来る人は限られていた。

特に移民でアメリカに来たばかりのアイルランド系移民は、孤独な貧困層であり、事実上徴兵を逃れる事は不可能だった。

ロックフェラーやカーネギーなんかは、お金や身代わりをだして徴兵を逃れたけど。

62: 名無し 2012/06/15(金) 13:11:35.63 0
>>53
徴兵は籤引き制で、人口の多いニューイングランドの都市部じゃ当たる率はかなり少なかったんじゃないの?

マーク・トウェインは「ミシシッピ河上の生活」で、南部では30年以上経っても男が数人集まって飲み食いすると必ず戦争の話になる、たまに戦争以外に話がそれてもすぐまた戦争話に戻る、北部では滅多に戦争の話なんか出ない、と書いてるぞ。

55: 名無し 2012/06/12(火) 12:56:28.73 0
南部がずーっとヴァージニア式の装甲砲艦しか作れなかったというけど、欧州の工業国が11インチなどの重砲を売ってくれなかったから、9インチまでの砲を沢山並べる方式しか出来なかったんだよね。

もちろん旋回砲塔に張る厚い甲鉄とかそれを支えるベアリングとか自在に旋回させる小機関なども作れなかったろうけど。

欧州列強は南部が負けると見越して遠慮してたのかね?

56: 名無し 2012/06/13(水) 09:43:26.43 O
>>55
売ってくれたとしても、海上封鎖されていたからねぇ…

57: 名無し 2012/06/13(水) 11:14:13.32 0
>>56
だって9インチや6インチだって兵隊に持たす鉄砲や野砲だって輸入モノだぜ。

58: 名無し 2012/06/13(水) 13:33:08.59 O
>>57
封鎖突破艦隊で小数に分けての輸入だし、突破出来ない事の方が多かったらしい。
輸送コスパの悪い物は避けって話しも。
少なくとも必要量を手にする事は出来なかった。
前に借りた本に海外の対応が出てたけど、じっくり読まなかったのを後悔orz

61: 名無し 2012/06/14(木) 16:32:37.85 0
改造ヴァージニアを設計した人は、乗っていた測量船が日本に漂着して咸臨丸に便乗して帰国したブルック氏なんだよね。
福沢諭吉は日本人士官や水夫が彼らの助けを借りずに航海したなんて福翁自伝に書いているが、彼らの助けなしには海を渡れなかったらしいね。

63: 名無し 2012/06/16(土) 08:55:25.25 0
>>61
当初は咸光丸を使う予定だったのに、ブルック大尉が船体を点検して改修が必要と進言。
その後、紆余曲折が有って咸臨丸に決定と、航海前から世話になってる。
日本人乗組員の一部からは「難破した失敗者」と軽んじられていたけど、航海中も色々と助けていたと思うよ。
アメリカ到着後、軍艦奉行の木村が千両箱三つを示して、「礼として好きなだけ小判を取ってくれ」と言った位だからね。
ブルック大尉は受け取らなかったけど。

64: 名無し 2012/06/18(月) 22:29:23.49 0
>>63
実際には、ほとんどの日本人乗組員が船酔いで当直にも立てないような状態だったという話らしいね。ジョン万次郎はともかくとして、小野友五郎や(船乗りではないが)福沢諭吉といった数名以外はほとんどがぶっ倒れていたというし。

もっとも、ブルック大尉自身も経験がないほどの悪天候に突っ込むことになった理由の一つは、正使一行が乗った米艦より先に着きたかったから
ブルック大尉達の意向があったからという話もあるようだけど、仮にそうでなくても多分たどりつけなかったろうね。

65: 名無し 2012/07/02(月) 16:28:54.47 0
潜水艇ハンリーは設計者たちにとって三番目の艇だった。
一番目は試験段階でニューオーリアンズが陥落した時、運河で注水して沈めた。
二番目は避難先のモービルで割り当てられた工場で建造した。
この工場にはシャイロで負傷したディクソンが銃の改造作業をしていて仲間に入った。
曳航水雷でボロ船を沈めて見せ、さらに湾口で試験のため被曳航中に高波で沈んだ。

ここで初期グループは資金が尽きたので、南軍のために機雷を作っていた、主にテキサス人からなるシンガーグループを紹介されて一緒に作ることになった。
艇体の材料であるボイラー板は同グループが提供した。
完成後、比較的防備の良いモービル湾よりチャールストンで使うべきだというのでフロリダ半島の根元を横断して鉄道輸送された。

66: 名無し 2012/07/10(火) 11:02:42.66 0
最初の二隻は"American Diver"、"American Diver 2" と名付けられていたが、最後の潜水艇には最大の出資者であるH. L. Hunleyの名がつけられた。
彼はルイジアナの裕福な農園主であり、戦争前はニューオーリアンズの税関吏も務め、戦争中は南部陸軍への補給の仕事をしていた。

シンガーグループは元々テキサスの民兵隊が流れてきたものらしいが、モービルで機雷を作り始め、自分たちの機雷が北部の艦船に与えた損害額の一部を海軍からもらっていた。
それは私掠船が受け取るものよりかなりいい掛率で、従って資金は十分持っていた。
彼らは"Singer Secret Service Corps"とか"Singer Submarine Corps"とか"Singer's Torpedo Company"とか呼ばれていた。

彼らは最初、艇の動力として今で言う蓄電池と電動機を考えていたが、もちろん技術もなく材料も手に入らないので次に蒸気機関を考えた。
潜水前に罐で作った球型タンクに高圧蒸気を貯めてから潜るもので、この方式はずっとのちにヨーロッパで試験されそれなりの成績はおさめた。
しかしこれもうまく行かず、結局前の二隻同様にクランクをつけて人力推進とした。
これらの試行錯誤にかなり時間と金を使ってしまった。

68: 名無し 2012/07/23(月) 13:05:18.74 0
陸上での訓練のあといざチャールストン港のドックから漕ぎ出してみると小さい全没艇にとって湾内の流れは想像以上に複雑だった。
しかも干満の潮流は速く、やがて夜間に湾の奥から漕ぎだして湾口の敵を攻撃して朝までに帰るのは不可能と分かった。
それで出撃地はチャールストン港から近郊の町マウント・プレザントへ、最終的にはムールトリー要塞のあるサリバン島の内水路に面した場所に変わった。

港口が遠いとわかってきた頃、蒸機推進の半没水雷艇のダヴィッドに機雷を曳いたまま途中まで曳航してもらう試みが行われたが、曳航中に潮流によって機雷がハンリーを追い越してダヴィッドに急接近したきわどい事件があり、ダヴィッドの所有者から以後の協力を断られた。

69: 名無し 2012/07/23(月) 13:14:42.09 0
こうしたこともあって開発グループは極めて慎重に慣熟訓練やパトロールを行なってきた。
ある時北の装甲砲艦数隻が威力偵察を試みて一隻がムールトリー要塞の前で座礁したがすぐ霧に隠されて撃てなくなった。海軍側の市防衛司令官からハンリーに出撃して砲艦を処分せよとの命令が下され、グループがそれに従わなかったため、海軍で接収してすることにした。ハンリーがすぐ結果を出せないのは海の素人だからで、玄人たる海軍の将校以下にやらせればすぐ出来ると思ったのである。

艇の価値が査定され、実際の費用にかなり近い数字が出たが結局払われずじまいになった。
第一回の沈没事故が起きたのはそれからで、結局艇はグループの手に戻され海軍は漕手だけを提供することになった。

70: 名無し 2012/08/19(日) 22:09:54.76 O
南北戦争の制服かっこよすぎ

73: 名無し 2012/09/11(火) 21:35:40.84 0
>>70
南軍がしょぼい。北軍鹵獲を使用したりしてたらしいけど。

75: 名無し 2012/09/15(土) 08:44:54.36 O
>>73
戦争後半の南軍は、入隊が決まるとバターナッツ色の生地と真鍮か木製のボタンを支給され、各々軍服を仕立る様にと。
まるでグスタフ・アドルフのスエーデン軍。
最末期には、それさえも充分行き渡らず、兵隊なのか農園労働なのか見分けの付かない風体に・・・

78: 名無し 2012/09/17(月) 06:11:45.04 O
>>75
でもバターナッツ色とか木製のボタンとかいかにも落花生や木みたいな 南部らしさ

の制服でかっこよくないか?

南軍で戦った連中には戦後西部開拓の際アウトローになったような連中が大勢いる

彼らは商業中心でマスケット銃の扱いになれてない北軍の兵士よりも 勇敢であり獰猛であり馬の扱いや銃の扱いにもなれてた

これがほとんどケルト人を起源とするアイルランド系アメリカ人の性質と一致するところが実に興味深いね。
アイルランド人は勇敢で獰猛で好戦的だから。
日本の武士とは少し違うけど。

83: 名無し 2012/09/20(木) 22:39:39.62 0
そもそも南部は何故工業化が遅れていたんだろう。
・工場の労働者に採られると農業が困るから?
・石炭がとれないから?

84: 名無し 2012/09/21(金) 02:59:23.10 O
>>83
南部はもともと農業をするためにアイルランドなどから移民してきた人達が多くいたからかな。
彼らは工業化を望まなかった。
ジャガイモ飢饉前のアイルランド人のほとんどが貧しい小作農民だったしイギリス人から弾圧受けてたからアメリカで自由な農業がしたかった。
近代化・工業化の象徴であるイギリス人が嫌いなんだよ。

86: 名無し 2012/09/21(金) 13:51:33.98 O
アイルランド人云々は判らないけど…
北部は工業製品を自国で生産し、それを保護する為にヨーロッパ製品に高い関税を掛たのに対して、南部は農作物を輸出して工業製品は安価なヨーロッパ製品を輸入すれば良いとしたと。
何故、農業に執着したのかは判らないけど、変化を嫌った?得意分野を生かそうとした?

87: 名無し 2012/09/21(金) 19:32:16.29 0
・北部で工場がいっぱいできたら、労働賃金が徐々に上がって、安い人件費を求めて、南部に進出したりしないのだろうか?

88: 名無し 2012/09/21(金) 21:00:01.04 O
>>87
そういった北部対南部、工業対農業って話は読んだ事は無いけど・・・

92: 名無し 2012/09/22(土) 22:52:20.03 0
白人同士の内戦に乗じて先住民達が独立国家を目指すような動きが出なかったのだろうか。
ロシア内戦では遊牧民達がバスマチ運動を起こして独立国家を一時宣言したりしていた。

93: 名無し 2012/09/23(日) 15:06:58.85 0
>>92
一応、ダコタ戦争というのが起こってるよ。
まぁ、実態は独立運動と言うよりは単なる暴動に近かったらしいけど。
南北戦争中に起こった有名なインディアン戦争だよ。
他にもサンドクリークの虐殺など、インディアンと白人の衝突は、南北戦争中にもいくつか起こってるよ。

94: 名無し 2012/09/23(日) 19:24:29.49 0
アメリカの先住民は外の世界を知らなさ過ぎなのか
ロシアの遊牧民のようにトルコや日本に接触して協力を求めるようなことをしなかった。
白人の侵略を防ぐために白人外の勢力と接触を図ったのは太平洋のハワイだけ。

96: 名無し 2012/09/24(月) 17:09:16.87 0
>>94
フレンチ・インディアン戦争なんかに代表されるように、インディアンも必要とあらば、敵対してる白人とは別の白人と組んだことはあったけどね。
フランスやイギリスやスペインなど、色々な白人勢力とインディアンは同盟してた。
でもその一方で、確かに白人以外の勢力と同盟した例はあまり見ないね。
もちろん、同じインディアン同士で同盟した例ならあるんだけど。
外国の非白人勢力と同盟して戦争した例はあまり見られないね。

95: 名無し 2012/09/24(月) 14:29:55.15 O
南北戦争中ニュージーランドではマオリ族とイギリス軍、ニュージーランド植民地軍との戦争(マオリ戦争)が起きていたね。
あまり知られてないけどニュージーランド植民地軍の青っぽいユニフォームもおしゃれだね。

オーストラリアではアメリカみたいな内戦は起きなかったけどカリフォルニアから来た金鉱目的の移民がユーリカ砦でイギリス軍と戦った。

金鉱を掘るのに高い税金をとってたイギリスに対する鉱夫たちの戦いだったけど

もう少し鉱夫達が強くて時代が南北戦争よりも前にその戦いが起きてればオーストラリア版独立戦争に発展してたたかも知れない。

税金のとりすぎに対する抗議は

アメリカの印紙に対する税金に似てる感じがするかな

つまり植民地の人たちが本国のやり方に対して抗議した。

103: 名無し 2012/09/25(火) 21:20:28.48 0
アメリカ南部では今に至るまで南北戦争の恨みが消えてないらしい

104: 名無し 2012/09/25(火) 21:59:10.56 0
>>103
奥羽列藩同盟とかジャコバイトとかの比じゃないくらいの略奪やったからな。

108: 名無し 2012/09/26(水) 08:18:05.59 0
差別の無い自由の国とか言いながら
ヨーロッパの階級差別を劣化した形で持ち込んだだけじゃん。

109: 名無し 2012/09/26(水) 17:22:44.50 O
>>108 キリスト教的に差別がなかっただけだよ。白人のためのキリスト教だよ。

115: 名無し 2012/09/28(金) 22:40:59.85 0
そもそも、北部の工場は、奴隷を従業員に雇うとかいう発想はなかったのか?

116: 名無し 2012/09/29(土) 09:03:55.89 0
北部で奴隷解放を行ったのは機械化によって奴隷の労働力が必要なくなったからだ

118: 名無し 2012/09/30(日) 01:29:25.10 0
北部はそもそも黒人がほとんど折らず、南北戦争で南部に行って初めて黒人を見た兵士とかもいたという話がある。

119: 名無し 2012/09/30(日) 06:34:18.09 O
顔に髭を生やして見た目は南部人も北部人も変わらないけれど

一方は南部の人種主義差別者で黒人を銃で簡単に撃ち抜く南部人もいればもう一方は黒人すらみたこともない人種差別しない北部人が初対面の黒人奴隷に友好的に接するという
対照的な姿にロマンみたいなものを感じる

121: 名無し 2012/09/30(日) 06:38:18.60 0
黒人は地主と暮らして
貧困層の白人より生活良かったらしいからね

133: 名無し 2012/10/02(火) 20:26:47.45 0
>>121
黒人奴隷も最初は待遇が良かった。黒人奴隷の価格も高く、きつい労働は、白人奉公人にやらせるべきで奴隷にやらせるべきではないとしていた。
白人奉公人は年季が決まっているので、使い潰すことができるが、奴隷は永年年季のようなものだから使い潰すことは不利益になるからだ。
家庭菜園を作って、それを売ったり、自分を買い戻したりもできた。
しかし、そんなたばこ栽培時代から綿花栽培時代に切り替わっていくんだよね。

135: 名無し 2012/10/02(火) 21:16:28.59 O
>>133
黒人奴隷は大事な財産でしたからね。
北部の見解も、そうでしたし・・・

議席数を住民の人数に応じて振り分ける時、後の南部諸州は黒人奴隷も住民として数えるように主張したのに対して、後の北部諸州は黒人奴隷は住民では無く、個人の財産だと主張して議席数を振り分けたと。

145: 名無し 2012/10/04(木) 20:21:06.24 0
>>135
黒人がカウントされない分、州の直接税の割り当てが減るというメリットもあるんじゃない。

184: 名無し 2012/10/19(金) 02:26:42.36 O
マスケット銃かっこいいから欲しい(´・ω・`)

186: 名無し 2012/10/19(金) 10:10:41.90 O
>>184
先込め式のマスケットでも新規に輸入するには無可動銃に改造しないとダメなんだよね。
もったいない

210: 名無し 2012/10/24(水) 21:00:50.60 0
マーチングバンドの起源は、もちろんトルコであるが、現代的モデルの起源は、ひょっとして南北戦争?

211: 名無し 2012/10/24(水) 22:01:45.79 O
>>210
ナポレオン戦争の頃じゃないかな?
カンパニードラマーの指揮→ドラムコーポラル
ミュージシャンの指揮→バンドマスター
全体の指揮→ドラムメジャー
みたい編制になったのは。
それより前はファイフ&ドラムのイメージだし。

221: 名無し 2012/10/27(土) 18:18:47.46 0
南部軍は黒人兵を捕虜にしたら虐殺していたのか、それとも奴隷として使役したのか。

223: 名無し 2012/10/29(月) 10:42:10.59 0
>>221
1864年に南軍がピロウ要塞を強襲して手をあげていた黒人兵を大量殺戮するまで、
黒人は知らないが双方の将兵は「書類上の捕虜交換が完了するまで武器を取らない」
宣誓書にサインして開放されていた。
その事件のあと黒人捕虜を白人のと同等に扱うべしという北部の要求を南部が拒絶してから、捕虜交換システムは崩壊し双方捕虜キャンプを建設し始めた。

222: 名無し 2012/10/28(日) 10:50:49.40 O
南北戦争の映画で指揮官が兵士達にボーイって呼んでるのはなんでなぉ?

223: 名無し 2012/10/29(月) 10:42:10.59 0
>>222
当時普通に「野郎」って感じで男を「ボーイ」と呼んでいたと思う。
マーク・トウェインの本を読んだ感じ。

227: 名無し 2012/10/30(火) 20:30:12.60 0
>>222
中くらいの「英和辞典」でも(米略式)自国の兵士、兵士の意味が載っているはず。
多分、指揮官(年配)から見たら、若年兵・ひよっこ・ルーキーは、犠牲的な家族(軍隊)における息子的な意味合いからきている。野郎・奴の意味からは、身内以外の相手に対する使用で、こちらのほうは年齢はあまり関係ない。

236: 名無し 2012/10/31(水) 22:18:53.15 0
綿花生産は、
ブラジル>アメリカ(南部)>インド>中国
だけど、何でブラジルが衰退したんだろ?

237: 名無し 2012/11/01(木) 00:18:14.41 0
コーヒーの大量生産に成功してプランテーションの主力生産品がコーヒーにシフトしたのがでっかい
アメリカ南部は綿花に取って代わるものが無かった

240: 名無し 2012/11/01(木) 14:10:23.97 O
ト音記号みたいなのが書かれた制服かっこいい

241: 名無し 2012/11/01(木) 20:31:31.24 0
>>240
ズアーヴ式のユニフォームかな?
あれ良いよね、ユニフォームで志願兵を釣るだけ有ってw
シャスール式も良いなぁ

242: 名無し 2012/11/02(金) 04:22:46.56 O
>>241
うん!(^-^)たぶんそれ

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