アッバース朝について教えて頂けたら幸いです。
劇場版のドラえもんにもハールーン=アル=ラシード出てくるね。
選ばれてるのに対してアッバース朝は奴隷の子からカリフが
選ばれてるのはなぜですかね?
思い付きだけど、アッバース朝期に
奴隷の子でも正式に認知すれば嫡出子と変わらないっていう
コンセンサンスができたんでは?
なんでそうなったのか、理由がわからんよね。
胃が痛い。
日本人の奴隷の概念とはかなり違うみたいね。
日本人の奴隷の概念とはかなり違う。
中世農奴を農民と言い換える歴史家が多いけど実際のところ農奴でしょう。
後継ぎが子供だった場合、有能な奴隷に摂政役みたいなことやらせるんだよな。
場合によっては母親と結婚させて、権威付け&後ろ盾もさせる・・・だったような。
なにか良い言葉無いものか。
「マムルーク」って呼べばいいんでないの?
マムルークは奴隷といっても解放奴隷。
軍人としての養育が終わった時点で解放手続きが取られたらしい。
権威付けをしている。ファーティマ朝の宰相だって、奴隷
上がりが大多数なんじゃない?
興味あるねえ。
俺もそういう本があれば読みたい。
たぶん、ジャーミーでの集団礼拝を指導したり儀式の時に出てくる以外は
宮殿の奥でひっそりと暮らしてたんだろうな。
徳川時代の天皇と似たようなものだろう。
ブルジー・マムルーク朝のスルタンとしてごく短い期間(1年以内)、
例の亡命アッバース朝カリフがスルタンを兼ねたと書いてあるが、
いったいどういう経緯があったんだろ。
ただの皇帝教皇主義のパクリ。
「スルタン=カリフ制」という用語自体、疑問視されてますね。
皇帝教皇主義なのはわかるが近代とオスマン帝国とイスラムってテーマにからんで、いろいろありそうな気がする。
江戸時代の天皇関連の読み漁った記憶が・・・
だからアッバースやビスマルク時代の皇帝と宰相の関係とかも興味ありあり
でも中世(:宗教が社会の中心にある時代)はみんな分離してるんじゃない?
最初のころはヘゲモニーを持ったカリフも出てたようになってるけど。
アッバース家を担いだのは、血統上の正当性を持たせたかったんでしょ。
なんか当のアッバースのおっさんも、しょぼい人間だったらしいし。
血統上の正当性を持たせるんなら
アッバース家の連中より適当なのがいくらでもいるし
やはり当人たちが有能であったのではないかと
オスマーン朝にカリフ位を譲った事実はないとされてるのでは?
「イスラーム辞典」
セルジューク朝が分裂したのでカリフのナーシルはその勢力を排除しようとして、セルジュークの属国から台頭したホラズム・シャー朝のテキシュに援助を要請。
遊牧部族の勢力を引き入れて強大な軍事力を得ていたテキシュはレイの近郊でたいした兵力もなかったイラク・セルジューク朝のトゥグリル3世に圧勝して殺害する。
ナーシルはこれでアッバース朝の権力を回復できると思ったところ、テキシュはセルジューク朝の後釜に座ってカリフを意のままにしようとしていた。
テキシュが死んで息子のアラー・アッディーン・ムハンマドがホラズム・シャーになると完全に両者は衝突しムハンマドはバグダードに向けて出兵する事態になる。
ゴール朝を滅ぼして東方の最強勢力となったムハンマドの力を持ってすれば、バグダードがホラズム・シャーの支配下に入るのは間近と思われた。
ところがチンギス・ハンの遠征によってホラズムはあっけなく崩壊。ナーシルがモンゴルを唆してホラズム・シャーへの遠征を行わせたという話もあるがこれはどうだろうな。
やはり、天皇のような存在となって民族主義高揚時は現人神のような存在となっていたのか?
オスマン帝国のスルタン=カリフがそれにあたるんじゃない?結局共和制選んだけど。
でも民族主義って、イスラム帝国そのものが他民族を宗教で統合して共存していこうって考えで出来たのでは?
カリフが形骸化した時点で、アッバース家カリフの存在意義は政治的には死んでいたわけで。
それだとフラグの後もマムルーク朝にカリフが迎えられたのも、セリム一世の禅譲伝説もスルタン=マフムードの衣の話も説明できなくないか?
誰かがセリム一世と同じ事をやるだけというならわかるが。
マムルーク朝の場合は対モンゴル用の戦意高揚を目的としたもの。
エジプトの確保が確定的になった途端に闇に葬られたのでは?
確かに、各民族の共通点つなぎ合わせるような、緩やかな専制政治ではあると思うし、この政治形態から学ぶ部分は多々あるとおもいます。
【バグダッド=松尾博文】
「現代のモンゴル軍(米国)はイラクの門前で自殺行為を犯すことになるだろう」――フセイン・イラク大統領は17日、湾岸戦争から12年を記念したテレビ演説で一段と強い口調で米政府を挑発した。米国を、中世にイスラム世界を攻撃したモンゴル帝国に例えた。」
さすがバグダードの主は言う事が違う。「現代のモンゴル軍」だぜ、日本風にいえば「神風が吹く」ってやつ・・・、アレ?反対じゃないか!モンゴルに滅ぼされたんだろ?アッバース朝は。いいのか?この表現。
せめて十字軍って言えばねぇ(苦笑)
サダム・フセインの発言面白いね。
アッバーズ朝になぞらえてるってことか。
十字軍だとカイロにヒーローの座がいっちゃうしなあ。
他の時代だとペルシア領だし、あとはバビロニアまで遡るしか無い訳か。
基本的にイラクはペルシアと歴史的に一体で、ほとんど歴史的に国家として実体が無いという側面が浮き彫りになってしまった発言だ。
フセインも・・・
フセインはスイス銀行にたんまり金を持ってるよ
サダム・フセインは「最後まで祖国に残って戦う」そうだ
メソポタミアどうなる?またもや異民族の支配下に落ちてしまうのか? イラク戦争(いらくせんそう)Wiki
アメリカ合衆国が主体となり2003年3月20日から、イギリス、オーストラリアと、工兵部隊を派遣したポーランド等が加わる有志連合によって、イラク武装解除問題の大量破壊兵器保持における進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、イラクへ侵攻したことで始まった軍事介入である。(第二次湾岸戦争とも)
正規軍同士の戦闘は2003年中に終了し、同年5月にジョージ・W・ブッシュにより「大規模戦闘終結宣言」が出たが、アメリカが指摘した大量破壊兵器の発見に至らず、さらにイラク国内の治安悪化が問題となり、戦闘は続行した。2010年8月31日にバラク・オバマにより改めて「戦闘終結宣言」と『イラクの自由作戦』の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた『新しい夜明け作戦』が始まった。
そして2011年12月14日、米軍の完全撤収によってバラク・オバマが、イラク戦争の終結を正式に宣言した。