中世欧州 イスラム

メフメト2世は何故ビザンツ帝国を滅ぼしたのか?

1: 名無し 2008/08/16(土) 17:34:59 0
メフメト以前のオスマン帝国スルタン(バヤジド1世、ムラト2世ら)は
ビザンツを服属させるだけで満足していたはず。

2: 名無し 2008/08/16(土) 17:41:57 0
とれるものはとれるときにとれるかぎりぶんとる、というのが国際標準なんだが。

3: 名無し 2008/08/16(土) 17:47:09 0
コンスタンチノープルの文物や、ギリシャ人官僚といった人材がほしくなったから

その後、オスマン・トルコに官僚制度やイェニチェリが定着した

16: 名無し 2008/08/18(月) 20:19:50 0
>>3
カプ・クル制度はそれ以前からあったが?

4: 名無し 2008/08/16(土) 19:34:25 0
メフメット2世はコンスタンティノープルを陥落させる前に、ビザンツ皇帝に対しては一応、モレアス専制公領に移れ、そしたら命だけは助けてやる、という通告出してたんじゃなかったっけ?

コンスタンティヌス11世がそれを飲んでたら、あるいはビザンツ帝国はペロポネソス半島で細々と続いていたかも知れん。

5: 名無し 2008/08/16(土) 19:38:58 0
パレオロゴス朝始祖のミカエル8世の悪事を考えると、コンスタンティノス11世ザマーミロ
って感じだな。

17: 名無し 2008/08/19(火) 01:51:20 0
メフメト2世は幼い頃からアレキサンダーなど英雄の伝説を読んで育ったから、征服者として名を残すことを切望していた、との話を読んだことがある。

18: 名無し 2008/08/19(火) 08:52:58 0
>>17
しかしそれはアリアノス等の描くアレクサンドロスではなく
ペルシアの「王書」等に取り込まれたイスカンダル・ズルカルナインの像なんだろうな。

そういやイルハン朝期に描かれた「イスカンダルの書」のミニアチュールでは「マケドニア兵」を表現するのに思いっきりトルコ・モンゴル風の甲冑を着て盾だけビザンツ風の騎馬戦士が描かれてるそうだw

19: 名無し 2008/08/20(水) 16:14:17 0
コンスタンティノープルだけでなく、ローマ(ヴァチカン)も征服していればどうなっていたのか?
もうちょっと長生きしていれば、そうなっていたはず。

25: 名無し 2008/08/21(木) 18:21:24 0
>>19
法王はすでに逃げ出す準備をしていたそうだ。
そうなっていれば、ヴァチカンの礼拝堂あたりはモスクに造りかえられていただろう。ルネッサンスの美術品がどうなっていたかは、考えただけでも恐ろしいな。

27: 名無し 2008/08/22(金) 01:15:16 0
>ルネッサンスの美術品がどうなっていたかは、考えただけで
>も恐ろしいな。

メフメト2世はイタリアから画家や彫刻家を宮廷に招いていたし、自分のコレクションの中の聖母マリアのイコンに灯明を捧げていたという証言まである。
とりあえず彼の生きてる間は無事だろう。
ただ息子が敬虔なムスリムで親父の集めた異教徒の美術品を死後に全部破却させちゃうんだけどね・・・

48: 名無し 2008/09/27(土) 00:38:22 0
>>19
>コンスタンティノープルだけでなく、ローマ(ヴァチカン)も征服していればどうなっていたのか?
もうちょっと長生きしていれば、そうなっていたはず。

これはとってもおもしろい想像だ。
かつてキリスト教は西のバチカン、東のコンスタンティノープルに二分され
それぞれ法王と総主教を頂点としてまとまっていた。
しかし東がオスマン帝国に滅ぼされた結果、東方正教会は分裂
今では民族ごとまたは国ごとに組織を作っている。
オスマン帝国がローマも征服していたらカトリックも分裂したことだろう。
少なくてもそうなる可能性はある。

51: 名無し 2008/09/28(日) 09:53:39 0
>>48
正教というのは元々国ごとに正教があるのは、カトリックとは組織が違うから。
エチオピアやロシアは直接は東ローマ、オスマン両方とも支配を受けた訳ではない。
また、正教が国ごとに分かれているからと言って、コンスタンティノープルから独立している事を意味してはいない。

独立した部分も神学論争との絡みによるもの。征服が分裂を起こす訳ではない。
プロテスタントは個々に独立した新興宗教の側面があるが、これがカトリックから分裂した原因は新大陸の利権をバチカンから奪う為だったと思う。

話は変わるがバチカンにとってコンスタンティノープルがイスラムに陥落させられたのは相当ショックだったと思う。
ラテン王国を拡大させて地中海にローマ帝国領を復活させ、東ローマ皇帝を屈服させて分裂したキリスト教を再統一し、ローマが再び地中海を支配する事はかなわなかった。

新大陸から巨大な利権があがると、今度は北方のキリスト教徒が反抗し、英蘭独米が中心となる中でバチカンは世界の中心から離れていった。

この動きを阻止する事はスペイン人やポルトガル人、イタリア人には出来なかった。
ポルトガルはエチオピアを支配下に置こうとしたが、皇帝から警戒され失敗した。
ロシア正教もコプト教会もバチカンに警戒はしても、現時点で支配に入るつもりはない。
しかし、バチカンにとっては未だに東西・新旧に分かれたキリスト教を再統一する夢は捨てていない。これは前法王も現法王も同じである。

22: 名無し 2008/08/20(水) 23:43:21 0
コンスタンティノープルの戦いは世界史史上屈指の名勝負だな。

24: 名無し 2008/08/21(木) 10:15:39 0
一つの国、一つの文明が滅びる壮絶な最期の記録が詳細に残されているからだろう。「名勝負」というのは戦力が互角でないと言えないと思うが、「世界史史上屈指の戦い」であることは間違いない。イスラム対正教の戦いであり、カトリックまで絡んでいるからな。

そしてあのローマ帝国の最後のわけだから。1453年のあの日を上回るほどの重要な日は他にはないのでは?

37: 名無し 2008/08/24(日) 00:41:40 0
バヤズィト1世(12万) vs ティムール(20万)
アンカラの戦いこそ世界史史上屈指の名勝負、間違いない
ここでオスマン帝国にトドメをさしておけばローマ帝国も現代まできのこったのに詰めが甘いというか

39: 名無し 2008/08/24(日) 10:46:53 0
>ここでオスマン帝国にトドメをさしておけばローマ帝国も現代まできのこったのに

もしオスマン朝の基盤を本気で潰そうとすればバルカン半島まで進むしかない。バルカン側でオスマン朝の有力者が全員倒されたとしても、すでに各地を占領しているオスマン・トルコ人たちが新たな支配者となったチャガタイ・トルコ人の元で再編されるだろう。つまりビザンツ帝国にとって状況はまったく変わっていない。

その上、なんだかんだいって数百年間キリスト教徒と隣接して生きてきたアナトリアのトルコ人よりチャガタイ人が異教徒に寛容だという保障はどこにもない。

40: 名無し 2008/08/25(月) 17:21:43 0
メフメト2世がもうちょっと長生きしてたら、スレイマンがウィーンを制圧していたら、レパントの海戦でトルコが勝っていたら・・・。

今頃どうなっていた?

41: 名無し 2008/08/25(月) 18:17:42 0
サンピエトロ大聖堂がそのまま巨大モスクになってたんじゃね

42: 名無し 2008/08/26(火) 01:16:40 0
結局中欧ではウィーンあたりが攻勢限界なんじゃない?

43: 名無し 2008/08/26(火) 14:39:08 0
ウィーンを一時的に陥としたとしても、どっちみち大帝国の維持は無理だったんじゃないか?いまアナトリアを支配し、イスタンブールも確保し、トルコという国が残っているだけでもかなり凄いことだと思う。

45: 名無し 2008/09/06(土) 09:36:30 0
ティムールは明を落とせれば後はどうでもいい人だったからね。所詮対トルコ戦はストレス解消の一環に過ぎない。肝心の明と戦う前に氏ぬんだけどな。

つーか、ココでティムールが本気を出しても結局コンスタンティノープルはティムール帝国に編入されてイスラム化する流れは止められなかったんじゃないのかな?

46: 名無し 2008/09/06(土) 13:00:13 0
>>45
というより中核地域のマー・ワラー・アンナフル周辺が繁栄すれば後はどうでもいい人。たぶん死後は元からいたトルコ人勢力が独立するんじゃないか。

70: 名無し 2009/02/04(水) 17:42:01 0
イスラム勢力がもっと前の時代にコンスタンティノープルを抜いていれば今頃ヨーロッパはどうなっていたのやら

76: 名無し 2009/02/17(火) 09:01:57 0
>>70
アメリカ人が驚いた時にオーマイゴッドじゃなくオーマイアラーと言うようになるだけさ

71: 名無し 2009/02/05(木) 00:12:26 0
イスラム側の方も大量に異教徒を抱え込みすぎると、変質を余儀なくされた事であろうな。イスラム教は、アラブ貴族らのみの信仰として、インド仏教がヒンズー教の駆逐された様に、異教に駆逐されてしまったかもしれん。

72: 名無し 2009/02/05(木) 02:23:29 0
>>71
実際にペルシア人やトルコ人を大量に抱え込んで変質したじゃないか

73: 名無し 2009/02/05(木) 05:34:27 0
欧州でシーア派とかよりも過激な異端が生まれて、アラブの脅威となったかもしれないね。

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