この三人はやっちまった
西洋学問のおおよその基礎付けを1人でやっちまった
まだ、下巻が250ページあるから、先は長いんだけど、
あれだな。プラトンの哲学をイデア論だとしたのはアリストテレスなんだな。
プラトンは「国家」の第五巻から第七巻にかけて洞窟の比喩でイデアについて語るけど、「テアイテトス」では物事の本質はわからないといっている。
つまり、プラトン哲学は、物事の本質はわからないというのが本来であり、イデアという別次元の実体があるというプラトンの解説はアリストテレスによって普及した誤謬だ。
彼が残した対話編を読んで後世の我々があれこれ解釈するよりも、
アリストテレスの話をそのまま受け入れるほうが妥当
プラトンの著作と言っても、書簡集以外はすべて対話編で、プラトン自身の学説について論じるには、あれこれ解釈が必要。
解釈は間違っているとか言い出すのは、とんでもなく愚かしいことだと思わない?
この世ならざる不滅の存在の証明をイデアの証明やってたんだから、
プラトンがイデア論持ってたのは事実だろ。
晩年のティマイオスでも宇宙の実在の背後にあるもの論じてるし。
ソピステスだパルメニデスだ。
イデアを論じてる。
アリストテレス云々は関係ない。
質量、形相の考え方でイスラムの神が証明され
中世スコラ学に援用されまくり、西洋文明2000年の基礎を支え続けた
バケモノ級のやっちまった感
ゆうてもまだ2000年やし
地球の歴史から見たら一瞬やん?
寝そべりながらな 美男たちと
ギリシャ哲学の影には生活の雑事をやってくれる奴隷の存在が必要不可欠なわけだが
最近そのことにも抵抗がなくなってきたな
奴隷は彼らの仕事をまっとうしてたわけだし
(また奴隷制を復活させたいわけではない)
ヘラクレイトス・パルメニデス→まだ人間的哲人
ソクラテス→ギリギリ人間的哲人
プラトン→人間やめました哲学者
アリストテレス以降→機械人間学者
現在
↓
・機械人間信用ならない
・哲学者・哲人キモい
・懐古するならタレスより前の時代もっとクローズアップされろ
人々の人間でありたくない心が産んだ甘ったれ(傲慢)の歴史ともとれる
哲学は人を思い上がらせ甘やかす
そしてギリシャは破綻した
宗教とは
人々の何かにすがりたい心が産んだ依存(嘘)の歴史ともとれる
宗教は人を鬼にさせ家畜にさせる
日本も天皇家の存在を隠れ蓑にしている限り争いは免れない
哲学は人々を機械人間にし
宗教は人々を争わせる
どちらも沈没する宿命だ
生身の人間の暮らし、喜怒哀楽・生老病死をなめてかかる奴らは必ず沈没する
自分さえ良ければそれでいいを攻撃したことから哲学が始まった。
功罪ともにとてつもなく大きい。
商売と割りきったソフィストより、
金を取らないソクラテスの方が罪が重いとか反民主主義だとかの話もあり、
おもしろい。
民主主義がいきすぎてアテネは没落したからなおさら。
様々な類型のソフィストとの議論の中に哲学的議論の本質は全部入っているから。
相対主義批判、功利主義批判、利己主義批判から始まって。
科学や数学の客観性から認識の可能性、現象学、構造主義、分析哲学。
その後、展開される哲学の議論はバリエーションにすぎない。
プラトンの結論に賛成、反対はおいといて。
カール・ロジャーズという人から学ぶべきものは大きいよ
知識は事実と合致してるだけじゃなく、その根拠が正しいか否か。
そこをぐるぐる回っているだけ。
やっぱり、プラトンはイデア論なんて語ってなくて、
イデア論を語ってるのは「国家」の洞窟の比喩においてと、
アリストテレスの「形而上学」でプラトンはイデア論について語っていたとアリストテレスが述べているだけ。
実際正しい
プラトンがイデアについて主に語ってるの国家の一部だけ
しかもそれを語った目的は明らかに「善のイデア」のためで他のイデアはそのための導入にすぎないわけで
後にパルメニデスではイデアは批判され、最後の法律ではイデアはもはや語られていない
「善のイデア」からイデア削って、プラトンの最終結論は「善ト・アガトン」に帰着したんだからプラトンの主要思想は善思想とするべき
でもプラトンがイデア論を論じてないとかはありえない。
国家とかメノンとかティマイオスとかイデア論を論じたものはきりがない。
有名な想起説なども永遠なものがあり、それを魂が思い出すことなわけで。
イデア論そのもの。
イデア論への批判に対する反批判の著作も多いし。
イデア論が比喩が本音かはわからないけど、プラトンがイデア論を論じていないとかないから。
「国家」はイデア論を語ってるのを認めるが、「国家」の面白いのは正義論であって、イデア論ではない。
個人の刹那的な立場や欲望絶対化する相対主義に隠れた局所的、
絶対主義を批判するためで。
イデア自体の実在、非実在はどうでもいい。
イデア説自体はアプリオリを中心に哲学はまわってきたから、
むしろ主役といってもいいが、
ウィトゲンシュタインみたいに、論理学なアプリオリ性さえ、
認めない立場があり、おそらくはそっちが正しい。
いずれにしても、イデア自体は重要じゃなく、その個人主義や機会主義、
功利主義や利己主義や懐疑論や唯物論ぶっ飛ばす論理の運動こそが凄いんであって。
感覚でも経験でもないアプリオリで、超経験的なものが存在し、かつてそれに触れたことがあるから想起できるから、人間は相対的で感覚的なものを越える。
そもそもは相対主義者や功利主義者が唱えるリゴリズムを叩くために、自分の立場を一方的に正当化する相対主義に名を借りた、個的絶対主義を叩くために、無知の知で相手の立場を崩した。
人間はそれを思い出すから相対的ではない絶対的な知識を持てる。
正方形の対角線が無理数とか測定からは出てこない。
絶対的な知識は測定や感覚や経験からは出ない。
そういうものとは別の絶対的な知識領域があり、それを思い出す。
それが想起説。
美のイデアを過去において見てるから美を知る饗宴とかパイドロスとか、魂は永遠であって、良い死にかたを知ることが大切だという、パイドンとか参照してみて。
実在論がイデア論じゃなかったら何だというのか。
美しさという価値の永続性を忘れないため、イデアという発想でいわばピン留めしているのだろうか
それとも、現に花々は「美しさ」という一点に向かって進もうとする衝動を持っているのだろうか
そして「美しさ」は確かに実在しているが、それは存在物の中には見いだされないということだろうか
表現の不正確性への対抗策がイデア論だろうか
不正確性は言葉や観念の本来の性格に由来する
「このものは○○である」から「ゆえにこのものは美しい」は導き出せない
けれどそれ以外の表現を人間は持っていない
そのことの自覚がイデア論を生んだのだろうか
困るからだろ。
美も善も真も一致するとされていた。
美だけならまだいいけど善や倫理や真がちがったら、
人々が正しく行動できなくなり困るからだろ。
だが、これはまちがっていて、不正による得より、助け合うことによる経済活動の方がより大きな富を生む。
ここまではわかるのだが、この後、ロボットと助け合う社会となると、
急に何が正しいのかわからなくなる。
正義とは何だ。
ロボットに全てを任せられる状況なら正義もくそもない。
哲学は必要ない。
で機会主義的に己のエゴを主張するより、協調し、共通の目的のために、努力した方が得なのは事実なんだよ。
そして、そこから全ての病が噴出する。
人間が己の欲望を素直に噴出していればいいだけなら、正義も何もないけど、人は気楽で世界は平和だった。
殺人も戦争もなかった。そこまでのトラブルなど生じようがなかった。
人が自分の欲望を堪えて献身した方が自分にとっても得だとなった時に、そういった行動を利用して搾取支配を行う人間が出てくる。
人が正義のために献身するから、階級も搾取も生まれる。
正義なんかなければそんなものは存在の余地がない。
正義がなければ正義の戦争もない。
人ができないことを約束して破滅したりさせたりすることも、正義がなければありえない。
正義があるから信用があり高度な信用経済が成立するが、それは恐慌や破産や階級や搾取と隣り合わせ。
プラトンによる正義の存在の証明はそれに伴うあらゆる災厄の、存在証明でもある。