武田家

武田信玄があと10年長生きしていたら? その2

2018年8月19日

405: 人間七七四年 2008/01/26(土) 22:41:26 ID:d8z0AzkN
信玄が長生きしてても、信長包囲網が崩れていたから信玄は帰国して甲斐を守り続け、
信長は本能寺もなくて、織田、武田、北条、上杉、毛利がけん制しあう時代がダラダラと長引いて、結局は年齢が若かった家康が生き延びて天下人になっただろうね。
幕府が江戸だったかどうかは判らないけどね、秀吉の飛躍が無い歴史だから。

406人間七七四年 2008/01/26(土) 23:20:16 ID:nJB8yJ3T
いや、別に包囲網って一瞬の奇跡みたいなもんじゃないし。
ほつれたらいくらでも繕えばいい。
408人間七七四年 2008/01/27(日) 01:52:21 ID:awtvvaBc

まあ三方ヶ原のすぐ後に死んじゃったからな。
あの野戦軍撃破はインパクト強いから早晩三河あたりは武田の物になった気がするけどな。まあでも信長も
朝倉が引いたあと動いてないんだよな。 

今、武田とぶつかるとマズイとでも思ったのかねー信長。 

409人間七七四年 2008/01/27(日) 02:05:38 ID:BsCEq3o3
信長が全力を傾けてきたら信玄の進撃も押しとどめることはできるだろう。
でもその場合ようやく制圧しかかっていたそれ以外の地域がまた火を噴くことになる。
418人間七七四年 2008/01/27(日) 22:57:10 ID:OHUkMwF9

10年というか、三方ヶ原の戦いを終えた時に信玄が元気だったとして
そのまま京を目指して三河を超え、尾張に進軍していったかどうかだろうな。 

生きていたとしても、野田城から甲斐に帰還してたら、もう再度上洛は信玄なら考えなかった可能性が高いと思うんだけどな。織田が予期せぬアクシデントで混乱したら別だけど、やはり織田と武田の情勢がひっくり返る事が難しいのは明らか。 
信玄は領国を固めつつ、長い年月の果てに織田方と和議(配下になる)か徹底抗戦か の選択なんだが、これも信玄は武田存続を優先して和議になったと思う。 

だから、野田城の時点でも元気だったとして、上洛を目指してたか否かが問題。 
朝倉がひいて、織田本軍も加勢してくる可能性があるけど、ここで帰還したら次が難しい。で、どうしたか?俺はやはり帰還したと思うんだよな。 

要するに、信玄が生きていたら甲斐武田が滅亡しないですんだ可能性こそあるが、信玄が天下人になる事は無かったと思える。川中島と駿河切り取りに時間をさいてる間に織田が伸してしまった時点で、信玄の天下の目も無くなっていたという結論だと思う。 
しかも武田は義信が幽閉、自害の後に勝頼を支持する派と、そうでない派があり、その亀裂も抱えていて、それは信玄が生きている存在感で、益々領土を広げてゆくゆくは上洛という餌で家臣団をなんとかまとめていたのが現状。 

甲斐の国の武田が、京に上って日本を治めるって想像以上に難しい話で、武田だって今川義元が戦死して今川が弱体したの見て、はじめて上洛に色気をだしたのだろうし。それでも距離はあるし、織田徳川も伸してるし。 
信玄が万が一美濃で織田本軍と決戦になって、それに勝って上洛したとして 
その間甲斐が余所に攻め入られる問題もある。 

やはりどう足掻いても、信長、秀吉、家康の世の中か、もしくは信長の子息が世継ぎとなり、秀吉家康がそれを支えた天下なのは揺るがなかったような気がする。 
個人的には織田より武田のが好きだけどね。 

419人間七七四年 2008/01/27(日) 23:26:13 ID:7/sYMhv0

1573年の正月
もし本当に信長が危機的状況だったなら若しくは武田を恐れていたのなら
信長は朝倉が雪で動けない隙に行動に出なきゃいけないはずなんだが
(でないと春になって朝倉が動けるようになるとますます苦しくなる)
実際には動いていない 

このことから織田は危機的状況では無かった若しくは武田のことを恐れていなかった 
考える方が論理的だと思うのだが 
単純に冬だから織田も兵を休めていたとかそんなところじゃないかと思うが 

まあ武田の兵站の限界を見切っていたとか信玄の病状を知っていたとか 
あるいは朝倉は春になっても恐れる必要がないという何らかの情報を得ていたのか 

もっとも織田が完全に追い詰められていて動くことも出来ないって可能性もあるけど 
その後の2月3月の織田の行動考えると、その可能性は低いかな?

420人間七七四年 2008/01/27(日) 23:32:48 ID:wftNYhQw
信長が動かなかったのは恐らく浅井、朝倉、足利といった近距離の勢力を叩く為の準備期間だったのではないかと。
事実、細川や荒木を諜略してるし浅井朝倉の家臣団にも引き抜き仕掛けてる。
武田の兵站は素人目で見てもきついのは明らかだし、当面は正面から事を構える必要は無いと判断したんじゃないかな。
421人間七七四年 2008/01/27(日) 23:43:00 ID:bUg7B6SG

確かに信長なら朝倉撤退でできた時間的余裕を最大限に利用して、
得意の機動力を活かして対武田問題を片付けにかかるかもしれないね。
でも対武田戦が短期間で片付けられたら問題ないが、長期戦となり泥沼化したら拙い。
対武田にてこずっていると同時に、その間に朝倉が息を吹き返すチャンスを与えるという事となる。 

やはり信長の置かれた状況からすると、対武田は保留してまずは弱らせた浅井・朝倉の首をそのまま絞め続けて北近江戦線を収拾するのがベターな選択だったんだと思う。 
本当に信長が危機的状況だったら、朝倉撤退の時間的余裕の間に状況を打破しようと 
思い切って武田本隊を叩きにいくかもしれないね。 
そう考えると、動かなかった(武田本隊を叩く必要に迫られてなかった)信長はそこまで危機的状況ではなかった可能性が高そうな気がするね。 
完全に追い詰められて動くに動けない状況でも、 
史実での行動を考慮すれば信長は座して滅亡を待つよりも、積極的に動いて状況を打破を試みるタイプぽいしね。 

427人間七七四年 2008/01/28(月) 00:40:29 ID:4jXsfoFC
それで東美濃の城が落とされるのを黙って見てたって言うのか?
明らかに動きたくても動けなかったとしか見えないが。
444人間七七四年 2008/01/28(月) 10:33:10 ID:L0NTowxt

武田信玄があと10年長生きしていたら? 

・勝頼が継ぐ時期が大幅に遅れた 
・長篠の戦いが無かった 

この辺は間違いと思う。信玄以外に、謙信もあの1578年より長生きしたら 
さらに違っていたしね。そして、この二人が長生きしてたら、本能寺も無かった気がする。逆に信玄、謙信が息災で、本能寺じゃなくても信長が先に死んでいたら、さらにややこしい事になる。織田の跡目争いと信玄の野望が複雑に絡んで、その構図と上杉や他の勢力との立ち居地やその状況でこそ起こりうるアクシデントとかは予測不可能。

446人間七七四年 2008/01/28(月) 12:28:38 ID:/qrLbliG

長篠は詰みの状態の武田が唯一残された戦略(決戦で一発逆転を狙おう!)な訳で
どの道詰んでしまっている武田は信玄だろうと勝頼だろうと長篠は起こしたと思うけど

あと織田は信忠が後継で盤石

448人間七七四年 2008/01/28(月) 13:15:59 ID:L0NTowxt

確かに武田は詰んでたけど、三方ヶ原以後大きな損失なかったから、領国の
守りを固めて堪える選択をしてる可能性も、信玄ならあった気がするけどな。
明らかに部が悪
く、包囲網すらなくなった状態で、信玄もノコノコ長篠やるかな? 
コレって一か八かとかじゃなくて、確実に負けると予測できる筈だけど。 

手取川の例もあるように、棟梁次第で間抜けな負け戦をするか否かも違ってるくる気がするのと、駿河は比較的早く失ってただろうけど、長篠みたいな戦をしなければ、武田はああいう滅亡のし方にはならなかった気がする。 
ただ、上杉は江戸時代も存続し、武田が滅んだという歴史はそのままだった可能性高いのは否定しない。景勝は羽柴秀吉の軍門に下ったが、勝頼はその時代まで武田を存続させていたとしても、秀吉に徹底抗戦してたと思うし。 
その頃まで信玄が国主でいる事もないだろうし。1586年だと10以上経つしな。 
信玄が死んだの1573年だから。 

個人的に信玄息災でも長篠を起こした可能性は五分五分と思う。 
ただ、武田がどの道滅んだんだろうなって思ってるけどね、勝頼が継ぐんだから。 

>あと織田は信忠が後継で盤石 
信忠は弟達より評価が高い後継者だったし、上昇志向の塊秀吉も黙らせて 
織田政権を存続させてた可能性高いだろうね。たとえ信長がいなくても。 

442人間七七四年 2008/01/28(月) 05:50:07 ID:4jXsfoFC
そもそも、1573年も後半になると毛利の東部戦線もあらかたかたがついて、
備前を巡って織田と対立し始める時期じゃないか?
史実通り夏に朝倉が壊滅してしまうと一進一退だが、信玄存命でにらみを利かせていれば、そう簡単にはことは進まないかもしれない。
449人間七七四年 2008/01/28(月) 13:25:48 ID:Mj3im+wB
信玄存命中なら朝倉が多少生き延びるかもしれないが、三好も同じ。
そしたら毛利と対立するのは織田ではなく三好になるから、
史実のような状態を2、3年延ばすだけになるだろ。
その後織田が弱ってる敵から片付いて、対浅井、朝倉の兵力を他所に転用できるほど余裕が出来るが、信玄が長生きしようと対徳川に関して勝頼よりうまくやれる可能性は低い。
そしたら織田と和睦するか長篠のように一発逆転を狙うかしか信玄に残される選択はない。
455人間七七四年 2008/01/28(月) 21:24:32 ID:Mt2Z/YPg

そもそも信玄が生きていれば信長は動けなかった、動きが鈍ったと言うこと自体が決め付けでは?
俺は信玄が生きていようが死んでいようが史実どおりに信長は動いていたと見るね。
武田軍主力が三河に展開していた3月の時点で織田軍は岐阜をがら空きにして足利義昭の篭る二条城を攻撃してる。
武田には岐阜まで進める余力が無い事を見切っての事だと思うよ。 

俺は信玄の作戦行動は上洛目的ではなく、遠江を占領する為の物だったと考えている。 
でなければ貴重な前線基地になる浜松を放置して三河に進む事が考えられない。 
現代の火力と物量にモノを言わせて短期に決着がつく時代ならまだしも 
輸送手段も兵力の移動手段も乏しい戦国時代に大軍が飛び地を作って長距離遠征を行うなどまず有り得ない。 
ましてや慎重の上に慎重を期す信玄がいくら自身の健康状態に不安があったとしてもその様な行動を取るとは思えん。 
おそらく信玄は野田、吉田あたりまで進出して遠江を孤立させた上で撤退するつもりだったのだろう。 
信長もその辺を読みきっていたから、あえて武田の攻勢を無視して対朝倉、浅井の撃滅準備に専念した。 

結論としては信長はほぼ史実通りに動いて、家康は大半の領地を失い事実上天下取りレースから脱落。 
武田は更に領土の拡大を目指して尾張、三河、東美濃方面に兵を出して、いずれかで長篠同様の合戦が行われたと思われる。 
流石にその合戦の勝敗やら、その後の事までは予測がつかん。

458人間七七四年 2008/01/28(月) 21:39:48 ID:EIbeiRlo

義昭攻めたときは最初から和睦狙いで
出陣しても16日くらいですぐに岐阜に戻ってきたんだけど。
そんで結局余力を残した義昭は後でまた信長に対して反旗を翻す。
信玄あてにして挙兵だけど信玄死んで武田が動けなかったから信長にあっさり
やられてしまったけど。 

信玄本人が美濃行くといってるんだけどね。ほかの勢力ともそう連絡とってる。 
当時の家康は別に天下取りレースとか考えてる場合じゃないはずだけど。 
そんな事言われても信玄動いてるときは実際浅井朝倉に対して動けてないし。

684人間七七四年 2008/02/02(土) 01:45:23 ID:v0qHxMq3
正直三方が原で徳川に致命的な打撃を与えるか、余勢を駆って浜松落とすかしなかった時点で武田の東海侵略は頓挫している。あの状態から何とか五分以上の講和に持っていくならそれこそ信長を討ち取るぐらいしないと結局史実どおりに天目山だろうな。
685人間七七四年 2008/02/02(土) 02:15:29 ID:iOoh+onU
遠江に居座り、勢力を浸透させながら信長の来援を待ち受け、
合戦に及んでそれを打ち破る、って辺りが普通じゃないの。
信長が総力を挙げてきた場合には決戦を避けつつ他の地域の反信長勢力に期待、
半端な戦力で来たら合戦で撃破。
信玄必勝とは言わないが、そこそこ分のある勝負だと思う。
747人間七七四年 2008/02/29(金) 22:39:46 ID:2pkr3QDY
信玄が死んだときに勝頼がそのまま尾張、美濃に進軍してればどうなっていたか
当時の織田家はご承知の通り、信長は武田家に全力でぶつかれないもで、勝つかのうせいはあったと考える
748人間七七四年 2008/02/29(金) 23:08:06 ID:HVMxubc5
>信玄が死んだときに勝頼がそのまま尾張、美濃に進軍してればどうなっていたか
織田本隊と対峙中に徳川に退路を遮断されて、前に進めず引くにも引けず長篠パターンへ突入
750人間七七四年 2008/02/29(金) 23:18:18 ID:2pkr3QDY
なるほど、でも三方が原で大負けした家康が城を出て、信玄と一戦交えれる事できるかな
755人間七七四年 2008/03/01(土) 21:49:32 ID:LqbhMfWd
747が言ったのは「信玄が死んだとき勝頼が引き返さずそのまま進軍」
というのだから、徳川の活動は史実通りになるだろう。
そもそも徳川が打って出たとき信玄が死んだという情報がまだ流れてなく、
武田の動きが鈍った
→ちょっとちょっかい出してみよう
→大した反撃はないからやっちまおう
だったから、勝頼がそのまま進軍して尾張か美濃で織田本隊と睨みあったままなら、
徳川がこの失地回復の好機を逃がすわけがない。
756人間七七四年 2008/03/02(日) 14:00:19 ID:cd/ycl6O
というか信玄死んだ状態で遠征続けたら
その情報を手土産に裏切りかます奴続出だろ常識的に考えて。
758人間七七四年 2008/03/08(土) 19:06:51 ID:HrSNm1MU
というより、広義に指揮系統が乱れる危険性があるってことじゃね?
武田は小領主連合みたいなもんだから信玄死ぬと
「あいつの命令をここで下手にうけてしまったら、
今後ずっとこの関係を維持するにちがいない 」
みたいな腹のさぐりあいが起こっちゃって、
うかうかしてると戦に負けるし今後の権力闘争にも気が行くしってことで、
こんな戦役疲れてしょうがないということで、撤退が無難じゃね?ってことで撤退したんじゃね?
759人間七七四年 2008/03/08(土) 23:01:27 ID:U4rZt33d
情報を売り渡す人間が居ても「信玄が死んだ」ほどの情報は裏が取れないと誰も真に受けない。
たとえ徳川がそういう情報を受け取ったとしてもそれを前提に反撃するわけではなく、
自分の動きに対する武田の反応を探りながら行動するだろう。
767人間七七四年 2008/05/29(木) 15:44:11 ID:Mctt2E/I
せめて死ぬ前に家康を降伏させていれば流れ変わったかもな
779人間七七四年 2008/08/03(日) 13:43:46 ID:Lq5uyDxw
信長との戦いはわからんけど
三河を平定できてたのは恐らく間違いないな
というか包囲網自体信玄は本格的に信長と戦うつもりはなかったんじゃないかな
どちらかというとあくまで三河進行への口実作りと信濃や甲斐の国人に対するアピールや知行を与えるための進軍のような気がする
三河は領地もそこそこ肥沃だし、三河衆は屈強だから多少なりとも取り込んでおけば武田軍の力にもなるだろうし
内部争いが起こっても信玄は優秀だからうまくやりこめる自信はあっただろう
んで三河を平定して内政や国人や家康旧臣の取り込みを行って信長と同盟あるいは大きな戦闘を起こさず、鍔迫り合い程度を美濃か尾張でしつつ謙信と戦って越後越中攻略に全力を傾けるような気がする 
843人間七七四年 2009/01/08(木) 00:44:17 ID:FJYzCRp1
浅井朝倉足利滅亡の時点で、武田単独では織田に勝つのは不可能になる。
信玄は兵力で勝ってない戦は行わない。
となると信玄は武田・上杉・北条の三国同盟を考えるはず。
足利が滅亡していれば上杉と同盟の脈があるが加賀越中の一向衆の扱いが課題となる。
844人間七七四年 2009/01/08(木) 00:50:25 ID:orulTP/+
浅井朝倉足利滅亡の前から
武田単独で織田に勝つのは不可能だったと思うが
845人間七七四年 2009/01/08(木) 00:55:58 ID:yLs/CMJP
そのための包囲網だし。
信玄が生きて兵を進めてれば朝倉浅井足利も簡単には滅びなさそう。
869人間七七四年 2009/02/11(水) 06:12:36 ID:I7r06azI
とりあえず徳川は落とせたと思う。
だが逆に織田&上杉の包囲網に北条が参加してアボン。
971人間七七四年 2009/04/04(土) 14:27:11 ID:L4GU42wZ

実際のところ三方ヶ原の時点では、浅井も朝倉もいる分織田のほうが不利だわな。
長篠の逆バージョンになるんじゃないか?
そうさせないために、浜松に篭城しろと命令出してるぐらいで。
徳川が打って出てあぽーんした以上、
武田としては抑え程度の兵を浜松に睨みの利く城に残せば良いわけだから。
織田と同数以上の兵力にはなるんじゃないか?
勝頼の代でも長篠までは兵力少数の武田有利に戦争が行われているところを見ると
敵が三河にいるうちに、決戦を強いられる織田が不利だと思うけどな。





武田氏滅亡 (角川選書)
平山 優
KADOKAWA
2017-02-24







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