ニュース
西ローマ帝国の滅亡から
なぜ統一された王国ができたなかったのか不思議だ
>>4
理由はいろいろと考えられる
まず第一に、ミラノは皇帝、ローマは教皇、ナポリはアラゴン国王という具合に、いくつもの巨大な権威によって分断されていた
ヴェネチアやジェノヴァはイタリア半島にとどまらず地中海全域に進出し、それぞれ巨大勢力を築いた
そもそも根本的な原因として地形
「イタリアは征服するには長すぎる」とナポレオンが言ったように細長く、しかも「西海岸から東海岸に行くには、船でグルッと海を回ったほうが早い」と言われる山岳国家
北のロンバルディア地方は、半島とは言語も異なり、同じ民族と思ってなかった
海洋民は寄れる港さえあれば国土なんか必要ないから
他国支配下が長いから統一国家ができなかったのかな
んで他国支配がなくなっても公国レベルがどんぐりの背比べになったと
ドイツとイタリアの統一が遅れたというより、フランスとスペインの統一が早かった
一足お先に、この両大国が中世から早抜けしてしまった
文豪のほうはサッパリやな
ダヌンツィオ
輩出はしてないけど国民作家という位置づけの文豪はいる
マンゾーニは日本語Wikiでは4600バイトしかなく知名度も低いが
イタリア語は14万バイトある
夏目漱石でさえ93000バイト
20世紀だと、イタロ・カルヴィーノも日本での認知度が極端に低いな
>>13
ダヌンツィオに限らず、この時代のイタリア文学者は、政治的な方面でアツくなりすぎたようだ
現代の日本にたとえれば、文学者が「北方領土奪回!」とかを叫んで、ろくに作品を書かないようなもの
三島由紀夫は、ダヌンツィオにかなりの影響を受けたと言われているな
イタリア統一運動が盛んなのはダヌンツィオに限らず、19世紀のイタリア文学界全体の傾向。
当時のイタリア政治文学の大半は、後世に残らず消えた
枢軸国のくせに途中から連合国へ鞍替えしたイタリアだが
第二次大戦後は反独感情と反日感情のどちらが強かった
のやら
日本とは直接的な接点や利害関係は薄そうだがローマ五輪で
日本の選手が現地のイタリア人から嫌がらせを受けたり卵を
投げつられたりとかされたんかね?
反独という見方が正しいのかわからんが少なくとも反日感情よりはあったろうね
イタリアで一般的に知られてる第二次世界大戦末期の歴史なんて、ナチスドイツ軍の支配への抵抗ぐらいのもんだからね
日本ではファシズム枢軸のイタリア代表のイメージしかないけど
イタリアではそれなりに評価され孫がEU議員になったりしてるよな
ローマ人の物語の作者が当時の生き残りの人たちの話を直接聞いて回ったら労働組合も家族手当の制度もできて学校と駅も多く建ったと答えたそうな。
郵便はちゃんと届くようになったし汽車も遅れなくなったし役人は親切に、店員もごまかさなくなった、という言葉も紹介していた。
大航海時代に、大西洋沿岸諸国に圧倒されたのは仕方ない
イタリアだけでなく、ドイツやロシアも同じ
ロシアはシベリアや中央アジアや極東に進出できた
進出した極東にウラジオストクなんてまんまな名を冠してたな
他国から奪うより安上がり
隣にオスマンという安定した大国があるのは幸いであり不幸であり
>>24
17世紀のヴェネツィアは、毛織物の輸出でも
イギリスやオランダに負けるようになったな
その時のヴェネツィア人は、イギリスやオランダの毛織物は
品質は悪いが低価格だから売れるのだと言っていた
>>28
毛織物はフィレンツェの特産品
ヴェネチア商人が扱ってたのは、フランドルの毛織物ではなかったか?
ヴェネツィアでも毛織物は生産されていたよ
毛織物職人のギルドもあったし
イタリアも、リビアとかバルカン半島に進出した
どこにも行くとこ無かったドイツよりはマシ
南西アフリカとか山東とか
そういえばドイツは南西アフリカに入植者の子孫が現在も住んでるが
イタリアは自国の進出した地域に入植者がそれほど渡ってないような
たいてい新大陸に渡ってるよな
>>33
アルゼンチンはスペイン語圏だけど、スペイン系よりイタリア系の移民のほうが多かった
アメリカでも、イタリア系は一大勢力
母を訪ねて三千里もイタリアからアルゼンチンに向かう話だったな
ウルグアイもイタリア系の方が多い
イタリア統一に協力したから逆にイタリアに統一されないって矛盾の塊やん
こういうんがイタリア人の気質なんか?
ヨーロッパの小国家は未だに絶対王政だし
王が権力を手放したくなかったんじゃね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%8E
>サンマリノは、現存する共和政体を採用する国としては世界でも最も長い歴史をもつ。アメリカ大陸がヨーロッパ人に知られる以前、すでにサンマリノ共和国初代執政が就任していたといわれる。
ヴェネツィア共和国とかジェノヴァ共和国という名を聞いた時,
その都市だけで一つの独立国家を作ってるもんだと思ってた
実際にはその都市を首都とし周辺地域も領域となっている国家
だったのね
>>45
都市が自治権を獲得し、周辺の農村からの徴税権をも封建領主から奪い取って、事実上の領域国家と化していく。
こういう都市国家を「コムーネ」といい、中世イタリアに特有の現象とされる
神聖ローマ帝国の封建秩序にとっては深刻な脅威で、皇帝と都市の抗争が長く続いた
中世ドイツの自治都市は、皇帝から特許状をもらって商業に専念する「帝国都市」だった
それに対して、中世イタリアの自治都市は、周囲の農村をも支配して事実上の領土をもつ領域国家と化した。
教皇の権威をバックに、皇帝と対立することが多かった
皇帝によってイタリア統一を成し遂げることを夢見た
彼はその考えを『帝政論』にまとめている
このためにダンテは祖国フィレンツェから裏切り者として
重罪を宣告されることになった
>>50
タイミング良く、若きカリスマ皇帝が登場したんだよなあ
残念ながら、早死にしたが
イタリアを征服するという最終目的を持った
スペインとフランスのバトルフィールドとなっていった
スペインがイタリアに領土持ってたんは知ってるけど
フランスはイタリアを領有することに(ナポレオン以前に)成功したことあるん?
戦争ふっかけた事は知ってる
フランスという国家としてはイタリアを支配した例はないが、
聖王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューが南イタリア攻略に成功し、シチリア王になったことならある
1463年 - 近隣リミニ(現エミリア=ロマーニャ州リミニ県)のマラテスタ家の侵略に晒された。しかし独力で撃退、追撃を加えて逆に領土を拡大した。
1631年 - 教皇ウルバヌス8世より独立を承認される。
1739年 - アルベロニ枢機卿によって一時的に占領されるが、教皇クレメンス12世の勧告により独立を維持。
1815年 - ウィーン会議で、サンマリノの独立が再確認される。
1849年 - イタリア統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディをオーストリア軍の追撃からかくまう。
1854年 - 教皇ピウス9世が、ガリバルディをかくまったサンマリノを「自由主義者の巣窟」として糾弾。トスカーナ大公国に命じてサンマリノ共和国の教皇領併合を企てるが、失敗。
ローマ教皇のお墨付き
なかなかの自衛力(というかイタリアがばらばらだったおかげか)
ガリバルディの恩義
こんなとこ?
1266年、シャルル・ダンジューは、ローマ教皇クレメンス4世からシチリア王カルロ1世として戴冠され、
教皇の承認を得て十字軍を称し、アンジュー、プロヴァンスの兵に加えてフランス中から兵を集め、イタリアに進撃した。
同年、ベネヴェントの戦いでマンフレーディを討ち死にさせ、シチリアを占領した。
さらに1268年、北イタリアに侵攻してきたコンラート4世の子コッラディーノも捕らえ処刑することにより、ホーエンシュタウフェン家を完全に滅亡させ、南イタリアの支配に成功した
次から次へと外来勢力の支配が入れ替わるのか
>>60
中世のシチリアは先進国、ナポリは欧州屈指の大都会
常に、ドイツ・フランス・スペイン・オーストリア・ノルマン人その他による争奪戦
イタリアの都市国家は、フィレンツェ・シエナ・ヴェネツィアなどを除いて
共和政から君主政へ移っていったな
やっぱり内ゲバがひどすぎたんだろうか
フィレンツェが「トスカーナ大公国」になったのが、共和政から君主政へ移っていった代表例
>>71
近代ルーマニア語についてもそんな話をきいたことがあるな
標準語を策定するときかなりスラブ語化していた元の言葉をラテン語純化したそうな
>>71
>一国を近代化するためには、言語の標準化が欠かせない
だから多民族・多言語国家だったハプスブルク帝国は
近代に入ってうまく機能しなくなったのか
>>78
近代は画一化と大量生産によるコストダウンが大本にあるから
国内が複数の言語にわかれていると、新聞・雑誌・行政文書等重複コストがかかり
富国強兵にとってマイナス要因となる
また国民皆兵である近代軍の兵士への命令伝達に齟齬がないようにするためには言語標準化は必須だった
イタリアが統一されたときも(日本の幕末維新とほぼ同時期)、どうやって「標準イタリア語」を創るかが問題になった
結局、トスカーナ地方、つまりフィレンツェの言語が標準になった。
イタリア語とスペイン語は「ゆっくり話せばだいたい分かる」というくらい似ているとよく言われるが、それほど似るようになったのは19世紀後半からの話。
もしもミラノやトリノの言語が採用されていたら、もっとフランス語に似ていただろう
そして北イタリアは実際は異言語か
スイスの「イタリア語圏」に標準イタリア語が浸透したのはいつ頃なんだろう
アオスタ谷がフランス語圏になったのもいつ頃からなのか
元サヴォイア公国領でフランス王権下に入った事は一度もない筈だが
スイスの「フランス語」圏もそうか?
知ったのはずっと後になってからですたorz
>>73
俺は逆でクオレの方が先だった
「アペニン山脈からアンデス山脈まで」と言う原題でね
何か変なタイトルつけるなあと思ったら
戦前に既に「母を訪ねて・・・」だったらしいね
ソマリアはよくわからないけど、ルワンダ・ブルンジは分断統治に変な仮説を白人が持ち込まなければ、のちに不毛な内戦も起きず、現時点でスワジランド程度には発展していたかも
というかルワンダは結構有望な国らしいな
ソマリアもケニアのソマリ人は結構やり手らしいiから、いつか日本の戦国時代みたいに一人の英雄が終わりをもたらして、統一国家ができて栄えるか?
自国の言語だけはかたくなに英語だけ、というのを守っているな
>>82
英語を公用語と定めている州もあるが、大都市は他言語社会そのもので、英語はデファクトスタンダードではあるが絶対的な存在ではない。
とくにカリフォルニアやテキサスの社会は、もはやスペイン語を抜きにしては考えられない。
この状況に対して、「英語ができない移民は入れるな」と主張しているのがトランプ
ユタ州では州民の圧力で州のスペイン語サイトが閉鎖されたってのを
どっかで見たおぼえがある。
それはそうとフランスではアメリカ文化の流入による英語の侵略から
フランス語を守ろうとする動きがあったそうだけど,アメリカのほうでも
他国語の侵略から自国の言語を守ろうとする動きがあるのね。
ニュース
エチオピアでの毒ガス使用、アフリカやバルカン半島での住民の
強制収用や虐殺などは裁かれなかった
ドメニコンの虐殺(1943年2月)をはじめとするギリシア各地での
イタリア軍・ファシストによる戦争犯罪は忘却されていた
戦争犯罪をうやむやにできたんじゃない?
後ドイツの強制収容所の方が宣伝効果があったとかな
カチンの森事件を起こしたソ連と原爆投下したアメリカは裁かれない裁判にそもそも何の価値もないけど
かけられたり処刑されたって話は聞いた事がない
(ムッソリーニはおいとくとして)
>>90
イタリアが寝返ったり、日和見を決め込んだりするのは、そのときに限らず、いつものことだ
それが半島国家の習性なのかもしれない
と言ってもヨーロッパって半島国家だらけだけどあんまり類似性があるように見えん
イタリアの日和見や寝返りは仕方ないと思うよ
イタリアには英仏露独のような主体になれる力がない
第二次世界大戦ではスペインもほぼ同様の立ち位置だったがフランコはギリギリで踏み止まりムソリーニは踏み込んでしまった
>>93
でも統一の主役が北イタリアだから、そことは同文同種ということになるのか....
というかそれを言うならモナコも北イタリアと同じ言語だから、モナコも併合しないといけなくなる
よくあの小国がイタリアに対しても独立を保てたな。
自分の街を守るなら勇敢に戦うのだろうが意義もよくわからん対外戦争なんてやる気も湧かんのではないか
第二次世界大戦でのイタリア軍の東部戦線での闘いぶりはドイツに酷評されてるがイタリア兵からしてみたらこんな地の果てでロシア人と戦えと言われても命をかける意義を見出せないだろう
イタリア人にとってイタリアのために戦えと言われるのは、
現代のヨーロッパ人がEUのために戦えと言われるのと
同じような感じだったんだろうな
やっぱり統一前の小国分立の名残りは今もあるのかな。
サッカーでも、イタリア代表と他国の試合より、国内の他の都市のクラブと対戦するときのほうが、ずっと熱くなってるな
まあ、イタリアに限らず欧州諸国にはアリガチな傾向だけど
全国民が一丸となって外国の敵と戦うという経験はあったの?
>>101
1908年のオスマン帝国の動乱(青年トルコ党革命)を機に始まったリビア侵略戦争では、イタリア全国の世論がかなりの盛り上がりを見せた
でも、結局はオスマン帝国との戦争になり、苦戦する中で熱気は冷めていった。
熱しやすく冷めやすい国民性に加え、リビアには砂漠しかないことが分かり、植民地に移民するという南イタリアの貧民の夢が幻滅に変わったこともある。
日本では第一次世界大戦は忘れられた戦争とつけた本が出るくらいで高校の世界史の扱いは軽い
しかも半分くらいはロシア革命の記述に割かれている
選書の類では当然詳しいのだが大半が西部戦線の塹壕戦とヴェルダンやマルヌの諸会戦 ついでタンネンベルグ ユトランド海戦 無制限潜水艦作戦ときてガリポリまあこんな所である
この大戦でイタリアは65万もの死者を出した これは日露戦争の日露両軍の死者15万の4倍以上であり当時人口3500万ほどのイタリア社会への打撃は極めて大きかった
しかるにイタリアが第一次世界大戦で何をしていたかほとんど取り上げられることがない イタリアはイゾンツォ川で実に12次に至るイゾンツォ会戦をオーストリアとの間で展開していたのだが全般の戦局に与えた影響ガ低くこれがベルサイユでの扱いに繋がったとも思える
日本では愚将などと言われる指揮官というと牟田口廉也 或いは小説の影響もあり乃木希典を挙げる人もいるだろう
イタリアで愚将と言えば何と言っても第一次世界大戦で参謀本部長を務めたルイージ・カドルナをおいて他にはいない
イゾンツォ会戦を何度も戦って最後にカポレットで大惨敗を喫しその評判は歴史家からはボロカスである 戦勝国にしてこの扱い
しかしそんな国民から総スカンのカドルナにムソリーニは何か思うところがあったのか元帥をくれてやったのである
横流しが横行してたり軍事情報が漏えいしたりでNATOの
悩みの種になってた?
郷土愛は強いがそれはナポリとかジェノバとか御近所周辺の郷土愛でイタリア国そのものには向いていない
そんなイタリア人がリビアだのロシアだので戦えと言われてやる気が出る訳がない
しかしまた、そういう体質だからムッソリーニが用済みになるとあっさり連合国に寝返っても問題なかったのだろう
双方とも士気が低そうなイメージだが軍配をあげるとしたらどっち?
現在イタリアにははっきりした敵国というものがない
脅威といえば地中海を渡ってくる難民であって軍事的にイタリアを攻撃しようという国はないだろう 欧州が警戒するのはロシアだがロシアは遠くイタリアにとってはほぼ他人事
ギリシャはトルコとの間にキプロス問題を抱えているし独立以降ずっと犬猿の中でありNATOのタガが外れたら一戦交えても不思議ではない そうした緊張感はあるのでは
>>135
イタリア統一後のナショナリズムは、もっぱら「オーストリアからの領土奪回」に向けられ、反墺一色だった。
韓国のナショナリストが反日ばかりで、中国には文句を言わないのと似てるかもしれない。
でも、ムッソリーニのファシスト党は、「フランスからニースやコルシカ島を奪回せよ」と言い出した。
しかし、第二次世界大戦の敗北で、あっさりと挫折した。
ドイツ統一も、イタリア統一も、「いかにしてオーストリア帝国を排除するか」が最大の課題だった。
欧州最強の陸軍を保有したプロイセン王国のドイツ統一とは異なり、サルデーニャ王国には、独力でオーストリアと戦う軍事力が無かった。
フランス軍に戦ってもらわなければ、どうにもならなかった。
そのために代償として割譲したのが、ニースやサヴォア。
ここも本来ならイタリアの領土といってもおかしくないのだが、この経緯からいって、なかなか言い出しにくかった。
第二次世界大戦のイタリア、
独裁者ムッソリーニの野望から英仏に参戦
リビア・東アフリカの植民地を護るのが精一杯で
東アフリカは英連邦軍に取られた。
地中海の制海権を得るためにマルタと抗戦
三年間戦っ勝てなかった。
北アフリカは西から米軍、東から英連邦軍に反撃されて
ドイツ・アフリカ軍団とカルタゴの地チュニジアで降伏。
>>139
足利尊氏が、足利を割譲するようなものだ。
徳川家康が、三河を割譲するようなものだ。
そんなところまでフランスに譲るってんだから、「どんだけ譲歩するんだよ」って感じ。
さすがは、現実主義者のカブール首相。
統一以前からイタリア諸国はチュニジアと密接な関係を有しており、
イタリア出身者も多数居住していた
しかしフランスにチュニジアを取られてしまったので、イタリア国内の
反仏感情が一気に高まることになった
イタリアに文句を言われたフランスはリビアを取ったらいいよと唆しそれが伊土戦争に繋がった
列強はこのように次から次へとトルコから領土を毟り取っていた
ナポレオンが生きてた頃は、「ブオナパルテ」と呼んで差別してたくせに、フランス人も勝手なものだ
ナポレオンがエルバ島脱出してからパリ入場までの新聞の見出しの変遷を見るに長いものに巻かれるのはフランス人変わらんなと
>>148
済州島民が、「なんで対馬は日本領なのに、ウリはコチラ側になったニカ?」と嘆いたのと同じだな
結果的には、「サルデーニャはイタリア、コルシカはフランス」と分け合って、丸くおさまった
シチリア島って、イタリアで言えば九州でしょ
沖縄じゃなくて九州占領されてどうする?
むしろ日独がいつまでも降伏しなかったのが
許されない まして和平派を迫害しながら
防寒具を求めるドイツ兵の要求を拒絶し、
自分だけ楽に自殺したヒトラーや
ドイツ国民見捨てて南米に逃げたナチ幹部なんて
人間のクズだ バドリオはまとも
結局ドイツのくずのせいで、イタリアも先に降伏してるのにドイツ同様本土決戦が起きたな
連合国は非戦闘員を標的に爆撃して、女子供の見境なく焼き殺していた
そんな奴らに無条件降伏したら、どんな目にあわされるか分からないから幸福なんてできなかった
そこはイギリスの海軍基地だったから
言語的にもアラビア語の方言だし、古来から独立してたからでは?
たしかに根本的にはそれがあるんだろうけど、近世においてはマルタ騎士団領だったこと、近代においてはイギリスの拠点だったのが直接の原因
イギリスはキプロス島も自国のものにしていたな
地中海の重要な拠点だったのか
ジブラルタル海峡も、ずっとイギリス
イギリスはスエズ運河の入り口のアレクサンドリアにも
軍事基地を持っていた
現実には、地中海はずっと「イギリスの海」だったんじゃね?
イギリスから奪い取ろうと、マルタに空襲かけたが、ダメだった
スエズ運河が開通してからは、地中海からスエズ運河を通ってインド洋に抜けるルートが、ますます死活的に重要になった
どう見ても、イギリスが地中海の覇権をイタリアに譲ってくれそうな気配はなかった
関ヶ原の小早川並
西軍盟主である石田三成 枢軸盟主であるドイツ
いずれも人望なく同盟国を束ねる能力に欠けていた
イタリアは第一次大戦では戦勝国なのに扱いが軽く第二次世界大戦では敗戦国なのに報復は軽い
丁度バランスが取れている
アドリア海東岸のトリエステやイストリア半島は
スラヴ系住民の多いところだな
あんな場所を取ったらかえってややこしくなるとは
考えなかったのかな
歴史的なんて言い出せば繋争地はどちらの領土でもあった経験があり住民の民族も混交している
それを押し切って併合するなら住民のクレンジングをしておかないと禍根を残すしそれをしたらしたでやはり禍根が残る
領土回収など面子に過ぎないと割り切った方が国家としては有益と思われる
14世紀中葉、フィレンツェの総収入は、
エリザベス朝英国の総収入より上だった
中世イタリア都市国家の繁栄ぶりがわかるな
内陸で交易に不利でEUにも入ってないスイスなんて超高所得じゃん
>>182
17世紀以降、イタリア諸国の「再封建化」が進んだからじゃね?
ルネサンス文化を発展させた市民たちが貴族化して、商業への
投資の代わりに土地への投資を増やし、帯剣する者も出てきた
ちなみに統一イタリアは農産物の輸出と工業製品の輸入を通じて
発展し、国内総生産で工業部門が農業部門を上回るのは
1930年代以降のことだったし、農業就業者の割合は
20世紀半ばにいたるも就業人口の4割以上を占めていた
・滝川一益とかいうマイナーなのに信長の野望でいつも良い能力もらってる謎の男
・三国志が歴史の教科書で一瞬で終わってしまうの怖すぎだろ・・・
・昔の人「俳句は5・7・5、決まりです。すこし余る位ならOKです」種田山頭火「…」
・歴女「えまって。武将の家系図に母親の名前ないのって女性蔑視じゃない?呆れる」
・島津家ってよく考えたら、とんでもない畜生じゃね?
・アメリカ人「原爆を落とさないと戦争は終わらなかった原爆は必要悪」←論破できる?