誰か、8月16日にガ島に上陸した高橋中隊のデータ持ってる人いない?
第五陸戦隊のうち一個中隊で編成されて、タサファロンガ付近に上陸したって事くらいしかわからない。一木支隊の総攻撃にも全く参加してないし、上陸後の足取りが全然つかめない。
>>155
ご存知だろうけど、横須賀第5特別陸戦隊の1個中隊で兵力113名(戦史叢書)。
駆逐艦「追風」で上陸しているので、装備はどうせ小火器だけだと思う。
本隊のほうは玉砕して有名なので、わりと資料があるだろうから、ある程度推定できそう。
初期配備の海軍部隊残存を集めた「ガ島守備隊」(警備隊100、設営隊1000?)と合流している。
以後、「ガ島守備隊」に編入され、第11設営隊の門前大佐指揮下。
それまでも米軍の偵察部隊が数度出現して交戦してるので、警備で手一杯だと思う。
一木支隊とは、総攻撃まで連絡できていない。銃声から戦況を推定して報告している。
総攻撃失敗の一報は、海軍部隊から出ている模様。詳細不明ながら生存者の報告受けたか?(戦史叢書)
あとで川口支隊の舟艇機動班(岡部隊)を発見収容。
おそらく、以後は後方警備じゃないかと。
以下、おまけの資料↓
初心者の質問なのですが、よろしいでしょうか。
ガダルカナル島の戦いで、一木支隊の第一悌団が投入される前には基地建設隊や守備隊が数千人いたと聞きました。
よくガダルカナル戦史というと、一木支隊や川口支隊などの戦闘あたりから詳しく綴られているような気がするのですが、それ以前に真っ先に上陸時の海兵隊を迎撃したであろう、守備隊や建設隊の戦闘状況及び彼らの
その後の運命についてはほとんど情報がありません。
生還者はいるのか、文字通り全滅したのか、それとも一木支隊と合流したのか、全く分かりません。どうか教えてください。
1.
確か、ガ島には元々守備隊はおらず設営隊しかいなかったはずです。けど、その設営隊も米軍が上陸してきたら一目散にジャングルに逃げたとか・・・。
2.
現物が見当たらず、記憶モードでしか書けないことをお断りしておきます。
光人社のNF文庫「ガダルカナル戦記(第I巻)」に少しだけ記述があったはず。
一木支隊と一部が合流したんじゃなかったかと思いますが。
確かその時はすでに飢えていたような・・・。
3.
「ガ島在島の日本軍は2個設営隊2571名うち陸戦部隊280名、他に遠藤幸雄大尉を長とする第84警備隊派遣隊約150名」との用です。
4.
便乗で教えて頂きたい。
自分が調べた範囲では
ガ島の部隊は
第84警備隊ガ島派遣隊150名
第十一設営隊(岡村徳長少佐以下1350名、内武装部隊約180名)
第十三設営隊(門前鼎大佐以下1221名、内武装部隊約100名)
となっています。
但し、武装部隊が280名となっていますが
拳銃や小銃で武装しているだけで戦闘部隊ではありません。
ところが
資料によると第3特別陸戦隊約百名が別に記述されているのもあり
これだと陸戦隊は総計約250名となります。
ですが
ツラギの第84警備隊は
呉鎮守府第三特別陸戦隊の1個中隊に
第81警備隊の1個中隊を加えて編成されたものですから
この呉鎮守府第三特別陸戦隊がダブって記述されているような気もします。
この辺りがよくわからない(TOT)
最初は
8/16上陸に上陸した高橋中隊(113名)のことかと思ったりしたのですが
しかし
高橋中隊は横須賀鎮守府第五特別陸戦隊ですし
よくわかりません。
誰が教えて下さい。
ちなみに
海軍部隊は川口支隊の岡部隊と合流はしていますけど
一木支隊とは合流していません。
海軍の残存部隊はルンガ飛行場の西側のマタニカウ川左岸に撤退しており
この地で戦闘をしています。
また
一木先遣隊はガダルカナル島タイボ岬に上陸して
ルンガ飛行場東側のイル川河口付近で米軍と戦闘しています。
しかし
これは東西からの共同戦闘では御座いません。
自分の質問は
第三特別陸戦隊の正体と
陸戦隊の総数は
150名なのか250名なのか
或いはそのどちらでもないのか
これを教えて頂きたい。
よろしくお願いします。
5.
ほとんど情報や記述が残っていない、ということは生還者はいない、と判断してもよいのでしょうか。彼らは「ガ島」の最初期の戦闘に立たされたのですものね(涙)
一木支隊の第一悌団ですら、数えるほどしか生還者はいないと聞きました。
6.
当初の海軍部隊は全滅しておりません。
とりあえず
自分の知っている範囲で書きますと
米軍の攻撃時に
第十三設営隊はたまたまいつもより早く作業準備をしていたために
混乱はしていません。
よって、組織だって西方に撤退しています。
彼等はマタニカウ川を渡河してクルツ岬西方の小川の線まで後退し
指揮所を設置します。これがのちに海軍本部となります。
一方、第十一設営隊の方は
米軍攻撃時には、まだ寝ている時だったので一部を除き離散しています。
但し、第十一設営隊長の門前大佐は第十三設営隊の撤退時に合流しています。
その後、この第十三設営隊の陣地に
第84警備隊や第八通信隊、離散していた設営隊員も逐次合流しています。
十八日付の記録によりますと
警備隊100名、設営隊員328名計428名、
ルンガ岬の西方八000米以西を確保とあり
そして
設営隊約1000名飛行場周辺の密林中にあるも
未だ連絡取らざる情況の如し。とありますから
第十一設営隊と推測されるこの約1千人の離散した人達のことはわかりません。
一部の方々が川口支隊や丸山師団に収容されたことは間違いないようです。
そして、この人達の証言によると
離散して隠れている場所によって
運良く生き残ったと言うみたいですから
餓死した人達も多かったのではと思われます。
また
小川付近に撤退した各種海軍部隊は
高橋中隊の増援を貰い
ガ島守備隊として再編され
マタニカウ川付近まで進出します。
その後
この部隊は川口支隊西北部上陸部隊(岡部隊)と合流しています。
これ以後のことは調べておりませんからわかりません。
但し
生還者は情況からして
一木先遣隊の方々よりは居られるのではと推測します。
7.
たくさんの詳しいご回答、有難うございます。
あまり触れられない設営隊の方々のその後の運命、一木支隊の方々よりも
生還者が多かったのかもしれないんですね。
もしかなうのならば、生還者の方の手記なども読んでみたいと思います。
さんくす。やっぱり海軍守備隊に編入されてたんだ。
8月18日や19日に米軍がマタニカウ川付近の海軍守備隊に攻撃をかけてるけど、そのとき戦闘に参加した可能性もあるわな。
エドソン隊に同行していたトレガスキス記者は、「立派に役に立つ三十七ミリ野砲で最新組立式の車架、
ゴムタイヤの車輪のついたやつ」が2門水際にそのまま放置されているのを発見します。
多分これは放棄されたラインメタルでしょう。
日本側の本では、独立速射砲中隊のラ式4門と熊速射砲中隊の6門の中の旧式の2門が運搬不能で埋められたとあります。
ほかに七十五ミリ野砲が4門アメリカ軍によって破壊されますが、
ト記者は「七十五ミリ砲の照準器が英国製であった」と書いています。
ニュース
魚雷外した駆逐艦ぐらいで送れたの?
それとも最初から焼け石に水とはわかってるけど、撤退はさせられないから行ったポーズ?
鼠輸送に従事した駆逐艦は予備魚雷を降ろしたケースもあるものの、魚雷発射管やそこに搭載された魚雷もまで降ろしちゃいないぞ。
>>162
3万の将兵が1日に必要な食料が大体40トン。弾薬、医薬品その他の消耗品を含めても100トンにはならない。
甲型駆逐艦で15から20トンくらいの物資を積めるから、毎日3隻、少なく見積もって2隻分運べれば、少なくとも生命維持はできる。
攻勢が可能になるほどの物資を運ぶにはもっと隻数がいる。理論上は不可能ではない、が、厳しいだろうね。
ガダルカナルの場合、船腹問題をクリアしても、次に、揚陸能力の問題が。
まあ、これをクリアしても、次に陸上での輸送能力、管理能力が問題だが。
物資を積んでも、たどり着けない。
たどり着いても、下ろしきれない。
おろしたところから運べない。積みっぱなしで艦砲と空襲でやられる。
いわゆる「10を計画し、6を輸送し、3を揚陸せしめ、2を利用す」ってやつだね。
揚陸地点がタサファロンガや、悪いときはカミンボだったのに、アウステン山付近の戦場まで運べってんだからね。
後方にいた船舶工兵さんは、前線の兵より食糧事情が良かったようですね。
「ガダルカナル兵隊日記」を読むと、全然飢餓に苦しんでなくてちょっと驚くくらいだった。
>>174
どっちもラバウルとガダルの間の島ですね。
ラバウルとガダルの間には、海兵隊がガ島に上陸した後に
飛行場を作ってたはず。どこだったか・・・
1942.8以前、なぜガ島に飛行場を作りニュージョージアやボーゲンビルに飛行場を作らなかったのでしょうか?
ブインに一応は作った。
8月7日の時点で南方の海軍設営隊は6隊あったけど、2つがガダル、2つがブナ、それとラバウルとカビエンに1つずつ派遣されてて、それぞれ設営中だった。
つまり、予備戦力なしで、新飛行場の設置は遅れに遅れた。
ブインに戦闘機が進出したのが10月15日で、南太平洋海戦にはギリギリ間に合ったくらい。遅すぎるって。
もともとソロモン海域でガダルカナルまで伸ばしたのは、FS作戦の絡みもあるんだろうか。
5月3日、ツラギ占領。6月中旬、ガダルカナル設営開始。7月11日、FS作戦中止。
それなら、限られた設営能力を投じるには、なるべく前進しようというのもありそう。
ツラギ近くだったから手を付けやすかったのもあるのでは?
中継基地の整備は、ガダルカナル敵襲以前に、ブーゲンビル島のキエタを検討していますが、
中攻の進出できる規模の用地が無いという理由から、中止になっています。
(ただし、あとになってから、一応整備されています。)
あと、ブーゲンビル島西端のブカ島も、ある程度は整備していたようです。
ガダルカナル敵襲時の初動反撃で、緊急整備した上で零戦・艦爆の不時着地に利用されてますね。
米豪遮断作戦の絡みもあると思う。二十六航戦(三沢空、六空、木更津空)はガ島に進出する準備を整えてたし、ガ島に展開して通商破壊をやる気だったんじゃないか?
いくらなんでも、フィジー・サモアまでは届かないだろうけどw
元々の作戦予定ではソロモン諸島から直接サモア・フィジー攻略ではなく、その前にニューカレドニア攻略を挟むんだよん。
FSニューカレドニア米豪遮断!とか言う前に
海路での第二次ポートモレスビー攻略作戦でも立てたほうがまだ現実味がありそう
>>185
もともと、延期直後はMO作戦は海路での攻略で進められているし(大海指九十九号別冊のモレスビー作戦に関する陸海軍中央協定)、
陸路に決まった後も状況によっては途中で海路に変更も作戦に盛り込まれてるよ。
ただ、状況が許さなかったために海路による第二次MO攻略作戦は実施されなかったけど。
つーか、モレスビー陸路攻略に関して大陸命を偽造した辻が凄い。
そして、それに対して何のペナルティもない(いくら結果として同様の命令が出たとはいえ)大本営陸軍部のもみ消し体質が心底嫌いだ。
十七軍も少しは怒れよ。
・人員不足
・米豪遮断作戦のため
・ガ島が一番飛行場建設に適していた
・アメリカ軍が1942年中に反攻に出ると予測できなかった
こんな感じですかね?
>>187
そんなのがあるから、辻はあんまり好きになれません (´д`;)
ガ島に飛行場を建設した目的ってこと?、それともモレスビー攻略が陸路になったこと?
ガ島に飛行場を建設した目的です。
そういうことなら、その理解で概ね正しいけど、「人員不足」というファクターがわからないな。
ブインや他の中間地点に飛行場を作ろうにも、設営隊がなかったって事だろ。
それはガダルカナルを選んだ理由ではなく、ソロモン諸島のそれ以外の場所に飛行場を建設できなかった理由。
一箇所しか作れないとなると、できる限り遠くへ作りたくなる。
もっと遠くへ侵攻しなきゃいけないんだからね。
で、その「できる限り遠く」が、ガダルカナル。
ムンダとかバラレ作ってないか?
不時着飛行場は単なる空き地に毛が生えたレベルだ。
ガダルカナルと同時期にってことな。
ムンダやバラレ、ブインはガ島への米軍の上陸作戦が開始された後の目標選定・工事着手だし。
不適切かもしれません。
「1942.8以前、なぜガ島に飛行場を作りニュージョージアやボーゲンビルに飛行場を作らなかったのか?」と
ごっちゃになっていました。
利点ではなく、理由の一つがツラギ防衛の為の戦闘機が配備できる陸上基地建設。
もちろん、至近に哨戒を実施している水上機基地があるので敵からの奇襲を受けにくい、海図や航路がある程度整備されているなどの利点もあるけどね。
南東方面海軍作戦からガ島飛行場設営に至る経過を抜き出してみた。
5/3 ツラギ占領
5/18 第5空襲部隊司令部へ横濱空司令よりガ島に飛行場適地ありと報告
同日 FS作戦の実施を発令(大海令十九号、大海指九十八号)
5/25 第5空襲部隊他による現地調査→調査結果は極めて有望
6/1 基地航空部隊並びに大本営海軍部へ第5空襲部隊指揮官よりガ島基地急速設営の意見具申
6/6 ミッドウェイ海戦
6/7 MI作戦の中止並びに、FS作戦の2ヶ月間延期で陸海軍が一致
6/12 FS作戦の延期が発令(大海指百三号)
6/13 海軍部、次期FS作戦の方針を決定。ここでツラギ方面に陸上基地を整備することに
6M GF、南洋部隊にガ島を始めとする南東方面の基地の急速整備を発令。合わせて4個設営隊を南洋部隊に編入
これを受けて、南洋部隊はソロモン・東部ニューギニアでの航空基地設営作戦(SN作戦)を発令
6/15~19 第4艦隊、第5空襲部隊などによるガ島の現地調査
6/17 GF参謀長名でブーゲンビル島(以下ブ島)キエタの調査の要望が出される
6/18 南洋部隊、SN作戦に対応する兵力部署の改定を実施。この時点でソロモン諸島内での陸上基地設営予定はガ島のみ
6/19 第5空襲部隊によるキエタ他の飛行偵察を実施
6/22 基地航空部隊、横濱空のツラギ進出を下令
6/25 ガ島進出部隊先遣隊、トラックを出航
6/29 ガ島進出部隊本隊、トラックを出航
6/30 基地航空部隊より南洋部隊にキエタの基地整備の要望が出る
7/1 ガ島進出部隊先遣隊、ガ島に到着
同日 ラエに到着していた第14設営隊のキエタへの転用が決定、ラバウルへ転進(これによりラエの基地整備が遅れる)
7/6 ガ島進出部隊本隊、ガ島に到着
7/8 第5空襲部隊他によるキエタの現地調査→調査結果は基地設営の見込みなし、またボ島内に飛行場適地なし
7/11 人員・資材の荷揚げ終了(資材自体の輸送は、その後も継続して実施される)
7/16 ガ島飛行場の設営を開始
そういえば、第一次ソロモン海戦で、駆逐艦「ブルー」って何してたの?
同じく前路警戒に当たってた「ラルフ・タルポット」が夕凪と交戦してるのに、すぐ近くのブルーが何もしてないのは変な気がするんだけど。
何日か後に江風に沈められたから、資料があんまり残ってないのかな?
戦闘に気づかず、警戒ラインを哨戒しつづけていたよ。
マジで?
ビンセンスも第一次戦闘が起きたのに気づいてなかったし、米艦隊は何やってんだ? 夜だけど、別に悪天候でもなかったのに。
そう、何やってんだよって当時の米軍自身がそういってる。
むしろ、今夜は襲撃無し、という事前情報で弛緩していたと考えるべき。
というか米海軍の事後調査報告でもそう記述があったはず。
分散しているうえ混乱している米豪艦隊と全艦が一列で走ってる三川艦隊では勝負は明らか。
んなこと言っても、シカゴは逃げてるし、サンジュアンやホバートはずっと東側にいたし、他の巡洋艦はルンガ岬で船団と一緒にいたから、残ってる大型艦なんてオーストラリアくらいでしょ。駆逐艦はいっぱい残ってたけど。
どうも、ガ島よりもインパールのほうがましだったらしいね。
補給がないのはどちらも同じだけど、インパールは地積も大きいし人口密度も小さかったから、比較的食料を調達しやすかったのかも。
あれ、俺はインパールの方がキツかったと聞いたぞ。
ガダルは基本陣地に篭って適時応戦してれば良かったけど、インパールは歩かにゃならんかったから。
ガダルカナル戦で直接沈んだ輸送船は
8月8日の「明陽丸」
8月25日の「金龍丸」
10月14日の「九州丸」「吾妻山丸」「笹子丸」
11月14日の「かんべら丸」「長良丸」「ぶりすべん丸」「信濃川丸」「ありぞな丸」「那古丸」
11月15日の「広川丸」「山浦丸」「鬼怒川丸」「山月丸」
の合計15隻でいいのかね?あと「佐渡丸」が大破したりしたけど。
ジョン・トーランドの本によると、
「伊藤春樹海軍少佐によると、最後の撤収の成功はけっして奇跡ではなく、彼が、
二月八日午前四時にラバウルから発信したにせ通信によるものだったという。」
とあります。また同書には、
「もっとも、アメリカ海戦史家は、この説を実証するような記録がなにもないとして、
伊藤少佐の話はまゆつばものだとしている。」
とあります。
この話は結局本当だったのでしょうか?
ガタルカナル撤退に関しては、やり取りは「帝国陸軍の体面」の問題から陸海軍の暗号電文で送られる事は無く、
現地部隊との意思疎通はすべて上陸した連絡将校によってなされたのが成功の原因では?
暗号電文を流していたら解読されていたと思う。
ガダルカナル 餓島
ボ(ブ)-ゲンヴィル 墓島
スペイン人はソロモンにたどり着いた時何を考えたんだろう
まさか数百年後に激戦地になるとは思いもしなかっただろうな
ソロモンで検索するとソロモン諸島とは違うソロモンが出てくるときがあるので、
命名者はなんでこういう名前にしたのかなぁと思います。
>>282
スペイン人がたどり着いた時に、ソロモンの現地人が金で装飾してて
ソロモン王の時代みたいだってことでソロモンと名づけたそうです
今でもここら辺の戦いは島の古老が昔話として、虚実入り混じりながら伝承してるのかな
病で動けない兵隊、衰弱した兵隊は薬殺か自決強要。
それに逆らって生に執着する兵隊は射殺だもの。
撤退の円滑化の為に犠牲になった兵隊達、みんな悔しかっただろうなぁ。。。
どこらへんが?
>>287
・部隊、兵士個人を問わず、文字どおり降伏できないしない。
(「一部の例外は除く」ってのが本気で極一部)
・メインの島嶼戦では、突破、撤退どころか、移動自体が不可能。
という素敵なレギュレーションが用意されている。
武装や補給の貧弱さは、触れるまでもなし。
ロシア戦線では寒さにより武器が軒並み使えなくなるという悲劇もあったわけだが。
足の指が凍傷にかかって切断、歩けなくなって撤退に付いていけない。
最終的に凍死か、ソ連兵に惨殺される。
そんな兵士が万単位だ。
↓
そのまま制海制空権を握り艦砲射撃で攻撃を掩護とかいうのは無理だったのかな?
南太平洋海戦後は搭載機、搭乗員の消耗が激しく、制空権は確保できない。
また、艦砲射撃は緒戦、一時的にしか効果がない。
しかし、島上にある飛行機基地のせいで制空権は米軍側。
せっかく輸送船が重装備を運んできても、揚陸の段階で
航空襲撃を受けてぶっこわされるというパターン。
空母6隻で徹底してたたいて終わりだったんだろうな
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