三国志齧ってるワイが正史三国志の先主(劉備)伝を意訳と解説していくで
興味あったら見ていってクレメンス
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先主、姓劉諱備、字玄德、?郡?縣人、漢景帝子中山靖王勝之後也。
先主は姓を劉、諱を備、字を玄徳といい、?郡?県の人で、漢の景帝の子の中山靖王劉勝の後裔である。
勝子貞、元狩六年封?縣陸城亭侯。坐酎金、失侯、因家焉。
劉勝の子の劉貞は、元狩六年(紀元前117年)に?県の陸城亭侯に封じられた。酎祭の金を出さず、侯を失い、こうして家がここにあった。
先主祖雄、父弘、世仕州郡。雄、舉孝廉、官至東郡范令。
先主の祖父の劉雄、父の劉弘は、代々州郡に仕えた。劉雄は、孝廉に挙げられ、官職は東郡范県の令にまで至った。
先主少孤、與母販履織席、爲業。
先主は幼い時、母と履を売りむしろを織るのを、生業としていた。
>>9
舍東南角籬上有桑樹、生高五丈餘、遙望見、童童如小車蓋。
家の東南のまがきの側には桑の樹があり、高さは五丈余りで、遥かに望み見ることが出来、生い茂っていた小さな車の蓋のようであった。
そこらへんも注目して見ていってほしいで
全然そんなことないから
往來者皆怪此樹非凡、或謂當出貴人。
往来する者は皆この樹を非凡だと怪しんでいると、ある人が(この家から)貴人が出ると言った。
やるつもりやで
人気なかったら打ち切るけど
ガッツあるな~頑張ってや
サンガツ
頑張っていくで
先主少時、與宗中諸小兒於樹下戲、言「吾必當乘此羽葆蓋車」叔父子敬、謂曰「汝、勿妄語。滅吾門也」
先主は幼い時、宗族の子供たちと樹の下で遊び、言った「私は必ずこのような羽のついた蓋車に乗るぞ」叔父の子敬は、言った「お前は妄言をするな。我ら一門が滅ぶぞ」
年十五、母使行學、與同宗劉德然、遼西公孫?、?事故九江太守同郡盧植。德然父元起、常資給先主、與德然等。
歳が十五歳の時、母は遊学させ、同族の劉徳然、遼西の公孫?と共に元九江太守で同郡出身の盧植に師事させた。徳然の父は元起といい、常に先主に資金を与え、徳然と同等に扱った。
元起妻曰「各自一家、何能常爾邪」起曰「吾宗中有此兒、非常人也」
元起の妻は言った「各自で一家なのに、どうして常にこのようなことをするのか」元起は言った「我ら宗族の中でこの子は、並の人ではないからだ」
而賛、深與先主相友。?年長、先主、以兄事之。
公孫賛は、先主と親密な友となった。公孫賛は年長であったので、先主は、兄のようにこれに仕えた。
先主、不甚樂讀書、喜狗馬音樂、美衣服。
先主は、読書をとてもは楽しまず、犬や馬・音楽を喜び、衣服を着飾った。
頑張れ
サンガツ
意訳とはいうけど結構丁寧に訳してるつもりや
間違いあったらバンバン指摘してええで
中国語なんてわからないんですがそれは
なんとなく変だと思ったら質問してみるくらいの感覚でええで
ワイも正直ニワカで前やった時はどんどん質問されたし
身長七尺五寸、垂手下膝、顧自見其耳。少語言、善下人、喜怒不形於色。
身長は七尺五寸で、手を垂らすと膝を越え、自らその耳を顧みることが出来た。口数が少なく、よく人にへりくだり、喜怒を顔色に表さなかった。
好交結豪?、年少爭附之。
侠気ある者と結ぶのを好み、年少の者は争って彼に従った。
ここの豪?=任侠と解釈して劉備をヤクザって言う人もおるけど
侠自体は悪い意味じゃないんでこう訳させてもらったで
もう後のカリスマ性の片鱗はみせとるんやね
劉備は正史やと最初からチートや
諸葛亮がいない時代にすら左将軍やし
中山大商張世平、蘇雙等、貲累千金、販馬、周旋於?郡、見而異之、乃多與之金財。先主由是得用合徒衆。
中山の大商人の張世平、蘇双らは、千金を用意し、馬を売りに、?郡を回っていたが、彼を見て素晴らしいと思い、こうして多くの金や財産を与えた。先主はこうして人を集めることが出来た。
靈帝末、?巾起、州郡各舉義兵。先主率其屬、從校尉鄒靖、討?巾賊。有功、除安喜尉。
霊帝の時代の末年、黄巾が蜂起し、州郡は各々義兵を挙げた。先主は属している人を率い、校尉鄒靖に従い、黄巾賊を討った。功があり、安喜県の尉になった。
督郵、以公事到縣、先主求謁、不通。直入、縛督郵、杖二百、解綬?其頸、着馬?、棄官亡命。
督郵が、公事があって県に到ると、先主は拝謁を求めたが、通してもらえなかった。ただちに入り、督郵を縛り、杖で二百回打ち、印綬を解いてその首に掛け、馬を繋ぐ柱に縛り付け、官職を棄てて逃亡した。
これ注目してほしいで
演義やと張飛の仕業になっとるけど
正史やと劉備が督郵を殴っとるんや
キャラ付けやね
演義は劉備ぐう聖やから張飛になるのもしゃーない
頃之、大將軍何進、遣都尉?丘毅、詣丹楊募兵。先主與?行、至下?遇賊、力戰有功、除爲下密丞。
この頃、大将軍何進は、都尉?丘毅を遣わし、丹楊で募兵していた。先主は同行し、下?に到ると賊と遭遇し、力戦して功があり、下密の丞になった。
?丘毅って?丘倹の一族なんか?
ちくまの索引で調べてみたらそこしか載ってなかったわ
要は記載がないから一族かもしれんし違うかもしれん
わからんってことになる
ほーんサンガツ
ほえ~。
じゃあ飢え死にしかけてなのを助けたともとれるのか
せやで
実際わからんことが多いのが正史や
ワイに着いてきたら飯食えるで~とか
いかにも言いそうやしなぁ
復、去官。後、爲高唐尉、遷爲令。
また、官職を棄てた。後に、高唐県の尉となり、令に昇進した。
爲賊所破、往奔中郎將公孫?。?表爲別部司馬、使與青州刺史田楷、以拒冀州牧袁紹。
賊に破られ、中郎将公孫?の元へ行った。公孫?は上表して別部司馬とし、青州刺史田楷と、冀州牧袁紹を拒ませた。
虎牢関が無いけどあれも創作だったんやね
虎牢関どころか反董卓は参加すらしてない感?
反董卓は参加してないな
そもそも
そこの活動の記録がないからわからん
數有戰功、試守平原令、後領平原相。
幾度も戦功があり、試しに平原の令となり、後に平原の相となった。
劉備はこの時点ですでに相になっとる
どれくらい凄いかというと太守と同等や
諸葛亮とかおらんでも普通に有能なんやで
郡民劉平、素輕先主、恥爲之下、使客刺之。客不忍刺、語之而去。其得人心、如此。
郡民の劉平は、元より先主を軽んじており、その下につくことを恥じ、刺客を送った。刺客は殺すに忍びなく思い、この事を語ってから去った。人心を得ることは、このようであった。
袁紹攻公孫?、先主與田楷、東屯齊。曹公征徐州、徐州牧陶謙、遣使告急於田楷。楷與先主?救之。
袁紹が公孫?を攻めると、先主と田楷は、東に行き斉に駐屯した。曹公が徐州を征伐すると、徐州牧陶謙は、使者を遣わして田楷に急を告げた。田楷は先主と共にこれを救った。
時先主自有兵千餘人及幽州烏丸雜胡騎、又略得飢民數千人。
この時先主は兵千余人及び幽州烏丸の諸部族の騎兵を有しており、また飢えた民数千人を略奪した。
略奪…?
民は人の所有物との考えやから略奪になるんや
劉備としては連れて行っただけかもしれん
いちおう正史七割創作三割とはいわれとる
何故か主役が特に取り柄ないのに人望ある奴みたいなのが多いよな
演義の劉備に水滸伝の宋江に西遊記の三蔵とか
流行りやったんかな
四代名著やと多いね
隋唐とか楊家将とか説岳とかは主人公が超有能やけど
既到、謙以丹楊兵四千、益先主。先主遂去楷、歸謙。謙表先主爲豫州刺史、屯小沛。
(徐州に)到ると、陶謙は丹楊兵四千を、先主に与えた。先主は遂に田楷の元を去り、陶謙に帰順した。陶謙は上表して先主を豫州刺史とし、小沛に駐屯させた。
徐州なのに丹楊兵なのか
傭兵なんかな
そういえばそうやな
陶謙伝読んだらわかるかもしれんが読んでないんや
今度調べてみるわ
今ちょっと調べてみたけど
どうやら陶謙の出身地らしいからそこから得た私兵かもしれん
サンガツ。
なるほど、あの頃は土地つながり強いやもんなぁ。
謙病篤、謂別駕麋竺、曰「非劉備不能安此州也」謙死、竺率州人、迎先主。
陶謙は病が重くなると、別駕麋竺に、言った「劉備でなければよくこの州を安んじられない」陶謙は死に、麋竺は州の人を率いて、先主を迎えた。
先主未敢當、下?陳登謂先主曰「今漢室陵遲、海?傾覆。立功立事、在於今日。彼州殷富、?口百萬。欲屈使君撫臨州事」
先主は敢えて引き受けず、下?の陳登は先主に言った「今漢室は衰退し、海内は傾き転覆しております。功を立て事を立てるのは、今日にあります。彼の州は富み栄え、戸数は百万もあります。それが使君に屈して州の事を取り仕切って欲しいと願っているのです」
先主曰「袁公路、近在壽春。此君、四世五公、海?所歸。君、可以州與之」
先主は言った「袁公路は、近くの寿春にいる。この人は、四世五公であり、海内が帰服している。君は、州を彼に与えるのがよろしかろう」
ええええええ 袁術に譲ろうとしてたの!?
3回断る掟?みたいなんの冗談なんやんかな
ワイが思うに
敵に囲まれた土地やから取りたくなかったのかもしれん
あくまで推測やけど
>>68
公孫サンはもう北海に影響力なくなってた時期か。
そういうところ見つけるとなんか和むよな
登曰「公路驕豪、非治亂之主。今欲爲使君、合?騎十萬。上、可以匡主濟民、成五霸之業。
陳登は言った「公路は驕慢で、乱を治められる主ではありません。今使君のために、歩兵騎兵十万を集めたく存じております。上は、主を助け民を救済でき、五覇の業を成せます。
下、可以割地守境、書功於竹帛。若使君不見聽許、登亦未敢聽使君也」
下は、地を割譲し国境を守り、功を竹帛に書かれます。もし使君に聞いていただけね、登もまた敢えて使君の話を聞きません」
色々言っといて最後はごり押しだったんだな陳登…
最後の一文は笑ってしまった
北海相孔融、謂先主曰「袁公路、豈憂國忘家者邪。冢中枯骨、何足介意。
北海相孔融は、先主に言った「袁公路が、どうして国を憂い家を忘れる者であろうか。塚の中の枯れた骨が、どうして意に介すに足りようか。
勢いある勢力とやりあいたくないってのが
本音やったんちゃう?
それもあるかもしれん
劉備はそういう判断出来る人やと思うし
この時期は
袁紹(曹操)
袁術(孫堅もう死んだっけ?)
公孫サン(劉備)
っておもろい時期よね
今日之事、百姓與能。天與不取、悔不可追」先主遂領徐州。
今日、百姓は有能な人と共にありたく思っている。天が与えた物を取らねば、悔んでも及ばないであろう」先主は遂に徐州を領した。
袁術が來攻先主。先主拒之於??、淮陰。曹公表先主、爲鎭東將軍、封宜城亭侯。是?建安元年也。
袁術先主を挟撃した。先主はこれを??、淮陰で拒んだ。曹公は先主を上表し、鎮東将軍とし、宜城亭侯に封じた。この年は建安元年であった。
先主與術、相持經月、呂布乘?襲下?。下?守將曹豹反、閒迎布。布、虜先主妻子、先主轉軍海西。
先主と袁術は、対峙して一月となり、呂布は虚に乗じて下?を襲った。下?の守将の曹豹が離反し、密かに呂布を迎え入れた。呂布は、先主の妻子を虜とし、先主は軍を海西に転じさせた。
演技だと
張飛のいつものアレなミスがあったが
正史だと普通に裏切られてるのね
そうなんや
実は張飛が酒で失敗したことって
正史ではまったくないんやで
>>81
キャラ付けとはいえひどいなぁ
呂布騒動も演技とは違うのね。
迎え入れる前に奇襲されて和睦後また奇襲なんか。
関羽が下ヒに入った意味はウゴゴゴ
そう
正史やと大分違うんや
色々と違い探すと面白いから
ワイはこのシリーズやってみたで
楊奉、韓暹、寇徐揚閒。先主邀?、盡斬之。先主求和於呂布、布還其妻子。先主遣關羽守下?。
楊奉、韓暹は、徐州・揚州に攻め入った。先主はこれを迎え撃ち、二人とも斬った。先主は呂布に和を求め、呂布はその妻子を返した。先主は関羽を遣わして下?を守らせた。
先主還小沛、復、合兵得萬餘人。呂布惡之、自出兵攻先主、先主敗走歸曹公。曹公厚遇之、以爲豫州牧。
先主は小沛に帰ると、また、兵一万余人を集めた。呂布はそれを憎み、自ら出兵して先主を攻め、先主は敗走し曹公に帰服した。曹公はそれを厚遇し、豫州牧とした。
付け加えわすれたけど
先主=劉備、曹公=曹操や諱を憚ってこう呼ばれとるんで
そこんとこよろしくやで
將至沛、收散卒、給其軍糧、益與兵、使東?布。布、遣高順攻之。
小沛に到ると、離散した兵卒を集め、軍糧を支給し、兵を与え、東に向かわせ呂布を攻撃させた。呂布は、高順を遣わしてこれを攻めた。
新参な方やし一部の古株から良く思われてなかったのかもしれんな
唐突も唐突よな。劉性のごり押し感
そこんとこも正史からやとわからんけど
そういう想像すると面白いな
曹公遣夏侯惇、往不能救、爲順所敗。復虜先主妻子、送布。
曹公は夏侯惇を遣わしたが、行っても救えず、高順に敗れた。また先主の妻子を虜とし、呂布に送った。
実際は戦より内政が得意なんやっけ
惇は勝ち戦あるんやろか。
漢中攻めで道に迷ったのがいい目に出たってトンデモ説ぐらいしか…
何度も負けてるのに前線立たせて貰ってるから
極端に下手ってことはないと思いたい
曹公自出東征、助先主圍布於下?、生禽布。先主復得妻子、從曹公還許。
曹公は自ら東征に出て、先主を助け呂布を下?で包囲し、呂布を生け捕った。先主はまた妻子を得て、曹公に従い許に帰った。
うーんこの曹操の大物感
大正義曹操
やっぱり神だわ
正史曹操は間違いなく呂布より上
負けも多いけど少数の戦なら結構勝ってる
表先主爲左將軍、禮之愈重、出則同輿、坐則同席。
先主を上表して左将軍とし、礼は益々重くなり、出れば同じ輿で、座れば同じ席であった。
もうこの時点で左将軍や
ここにも注目してほしいで
劉備厚遇され杉内
劉備は曹操に愛されてるから出世もすごいんやで
人気者に任せてまおうって感じやったんちゃうか?あの地域
それもあるかもしれんな
曹操だと反感を持たれるかもしれんし
みんな好き勝手なのってたやん?
この頃の官位はまだ効果生きてたんか?
朝廷から送られるものもあれば自称もあるで
曹操に与しているかどうかで決まる
袁術定期
霊帝が三公(最高位)すらお金で売ってた時代があって
その頃から本格的にボロボロになった
どこも落ち目の国はそんなもんか
ちょっとした箔レベルに考えとけばいいのかな
劉氏にかかわるある事件があったからね
袁術欲、經徐州、北就袁紹。曹公遣先主督朱靈路招、要?術。未至、術病死。
袁術は、徐州を経て、北に行き袁紹につこうとした。曹公は先主を遣わし朱霊・路招を督させ、袁術を攻撃させようとした。到らぬうちに、袁術は病死した。
先主未出時、獻帝舅車騎將軍董承辭、受帝衣帶中密詔、當誅曹公。先主未發。
先主が出ぬうちに、献帝の舅の車騎将軍董承は、帝の衣帯の中の密詔に、曹公を誅殺しろとあるのを告げた。先主は行動を起こさないでいた。
是時曹公從容謂先主曰「今天下英雄、唯使君與操耳。本初之徒、不足數也」先主方食、失匕箸。
この時曹公はくつろいでいる時に先主に言った「今天下の英雄は、使君と操だけだ。本初のような輩は、数えるまでもない」先主は食事をしていたが、驚いて箸を落とした。
補足すると本初は袁紹のこと
ちなみに雷の逸話は信憑性ないんで
今回はカットしたで
袁紹ディスられてて草
やっぱりこの二人のライバル関係は熱いな
これ正史に乗ってるのは嬉しいと思ったで
劉備主人公だから盛ってるのかもしれんがべた褒めやなぁ。オーラ凄そう
劉備は曹操が一番恐れたといってもいいくらい評価しとるからな
曹操はこの時期の劉備のどこをそんなに評価してたんやろな
劉備好きすぎやろ
後の経緯見ると納得の評価ではあるけど
すでに曹操の元に行く前に徐州の牧なんや
大陸の13分の1を司る男なんで
十分警戒すべきやとワイは思うで
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