長崎原爆の日
爆心地・・・長崎刑務所浦上刑務支所
原子爆弾で破壊する意味があったのか?
浦上天主堂は完全破壊
主任司祭・西田三郎、助任司祭・玉屋房吉を始めとする、天主堂にいた信徒の全員が死亡。
原子爆弾で殺害する意味があったのか?
仮説1)広島だけでは威嚇に不十分と思ったのか?
仮説2)ウラン原爆とプルトニウム原爆の比較に必要だったのか?
仮説3)誤爆?
小倉で失敗して燃料も不十分だったんで、第二目標の長崎に落としたら
それが刑務所の支所の真上だった?
ニュース
以前の八幡空襲でB29 体当たりで2機同時に落とされてたから
>>2
素人で申し訳ないんだが
長崎に防空部隊っていなかったのかな?
数機で侵入してくる相手に手も足もでないなんて
当時の防空体制は既に完全崩壊しちゃってたの?
防空部隊はいたが、本土決戦用に航空機を温存することになっていたから、積極的に敵機を迎撃するような命令は発せられなかったようですね。
広島がやられたのだから、少数機のB29が侵入してきたら、絶対に撃墜するように命令すれば良かったのに。
八幡製鉄の煙幕だが
米軍には前の日までの空襲の煙で視認しにくいと
思われてたが
実は煙幕だったってやつか
最近になっての打ち明け話だから検証しにくいのがな
たくさん被爆者生きている間は言えたもんじゃないが
本土決戦が前提だし
当日の作戦目標、投下目標は小倉であったそうだが、雲が厚くて小倉への投下を断念
燃料が無くなりかけた時点でたまたま別の投下候補地だった長崎が視認出来たので投下した
と言う話は聞いた事があるけどね
そのお陰で浦上天主堂と中に居たキリシタンも被曝した訳だが
三菱の工場群があるので戦前から空襲ターゲットの一つだった。
優先順位は低かったが、当日の天候云々はご存知の通り。
一番近い防空戦闘機部隊は343空が大村に進出していて、当日も紫電改が上がっている。
残念ながらボックスカー部隊には接敵しなかった。
数回侵入試して燃料がやばくなってきてるときにレーダー員が謝って無線オンにして反転空中衝突寸前
だったり、そうこうしてると芦屋や築城からワラワラ上がってきたので長崎に向かったね 帰りも不時着寸前だった
まあ、小倉を守るって成果は上げてはいるんだが
実際に使わないと分からない人体に与える影響など違いがないか確認したかったんだろうな
直接には浦上地区にあった三菱の兵器工場。
市街地の中心から外れているのは、当日予定されてた小倉が視界不良のため
急遽長崎に変更され、かつ長崎も天候不良だったので投下地点を探しているうちに
燃料不足で時間切れになり、焦って雲の切れ目から落とした。
朝ではなく昼近くの投下時刻になったのもそれが理由。
搭乗員は「雲の切れ目から三菱の工場が見えたのでそこを狙って落とした」と言っている。
確か小倉からたどり着いた長崎上空も雲が垂れこめていて下界が見えなかったため
いよいよレーダー爆撃も考慮していたところにたまたま雲の切れ間が見えたから
そこから投下した
というかこれくらい長崎原爆に関する書籍読んでりゃ誰もが当たり前に知っている事なんだが
ちなみに本来の長崎市の投下目標は眼鏡橋上空だった
当時のアナログの安全装置は、いったん解除してしまうと再設定は難しかったから
米軍のマニュアルでは投下できなかった場合はテニアン島近海に投下することになっていたけど、
そうすると放射性物質が飛散して基地が被爆する可能性もあったからね
刑務所は爆心地よりやや北側
爆心地には三菱の兵器工場があった
今のビッグNスタジアムの場所
だから坂の上までびっしり家が並んだ浦上で
球場が作れるほどの平地を確保できたんだよ
同時にその執念たるやエゲツないと思う。
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