久間防衛大臣の発言を読んで、タイトルのとおりの疑問を持ちました。
スターリンはあのように凶暴な男でしたが、アメリカと結んだ「ヤルタ協定」には、北海道は含まれていません。
詳しい方、カキコしてください。
「原爆投下しょうがない」 久間防衛相が講演(06/30 13:37)
米国が旧ソ連の日本への参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と指摘。
「原爆投下がなければ、ソ連が北海道を占領してたか?」(日本史板)
喧嘩のようになっている部分は除いてまとめています。前後のつながりなどおかしい部分があれば元スレも参考になさって下さい。
「アメリカは1945年初め、連合国が無条件降伏を主張しないならば、日本には終戦の用意があることを実際に知っていた」
「天皇を守れるような条件付降伏さえ認めれば日本は降伏する」
(原爆は)「軍事的に見れば全く不必要だ」
「空と海からの完全封鎖と条件付降伏があれば日本本土上陸の必要すらない」
「原爆はまったく不必要、アメリカ国民を救う手段としてもはや不可欠でなくなった」
「アメリカがここまで恐ろしい兵器を最初に使う国にならないよう望んでいる」
『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』 長谷川 毅著
若いころにアメリカの大学に学んだ長谷川氏は、ロシア史の博士号を取得して、アメリカの女性と結婚後アメリカに定住、アメリカ国籍を取得した日系アメリカ人だ。従って、日本人でもありアメリカ人でもありロシア史の専門家でもある。
本書は、ハーバード大学出版から2005年5月に出版された「Racing the Enemy: StalinTruman,and the surrender of Japan」を日本版にしたものだ。おもとして1945年4月から太平洋戦争が終結した9月5日までの経過を、アメリカ・ソ連・日本をめぐる外交・軍事関係を中心に分析した内容である。
この本で私が知ったことはまず、あの太平洋戦争で日本がポツダム宣言を受諾(無条件降伏)するに至った大きな理由は、アメリカの原爆投下でなく、ソ連参戦にあったことである。私はこれまで、広島と長崎に落とされたあの2発の原爆によって多くの非戦闘員が犠牲になったがゆえに、日本はポツダム宣言を受け入れたとばかり思っていた。
もちろん原爆も降伏の要因ではあったわけだが、当時の日本政府・軍部は8月9日、ソ連軍が満州に攻め込んで来たことの方がショックが大きかったのだという。これによって、「もうアカン、頼みとしていたソ連が満州に攻めてきたんやから、日本は負けや」。そういう気になったようだ。もし、ソ連が満州に攻め込んでこなかったら、ポツダム宣言の受け入れはもっと後になったかも知れない。
そうなればアメリカは、早く日本を降伏させるために広島・長崎だけでなくほかの都市にも原爆を落としていたかも知れない。
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000005077
↑リンク切れ
「トルーマンは当初、戦争が長引くようであれば45年8月から12月までにさらに18発の原爆を日本に投下する計画を承認していた」
1995年7月のワシントンポストより・・・
ニュース
日本が降伏した後もソ連軍は樺太を侵略してたんだろ。
近代史版で聞いたほうが良いよ。
道民は不可侵条約のもとでもソ連の侵略に備えて準備を怠らなかった占守島守備隊に感謝しろよ。
本来なら根室と稚内に上陸するはずだったが、既に北海道に米軍が展開していたため諦めた。それでも留萌と釧路を結ぶ線より東北側をよこせなんてわめいてたわけだが
露助は8月9日~15日のわずか1週間で満州・朝鮮・樺太方面へ攻撃を開始し8月15日の終戦後も侵略を続け、9月2日のミズーリ艦上での正式降伏文書調印までに泥棒出来るだけ泥棒しよーとした。
だから北海道の一部を寄越せと要求してきたが、すでにトルーマンはスターリンを信用してなかったので要求を跳ね除けたばかりか日本の四分割案も廃棄した。
占守島の戦いを教科書で教えないのは怠慢だ
占守島で頑強な抵抗が続いたために
ソ連軍が国後まで来た時にはもう根室に米軍が入っていた
これを無視してしまうと後ろを攻められるからまずは占守攻撃。
ヤルタ秘密協定 (チァーチル/ルーズベルト/スターリン)
3大国、すなわちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及び英国の指導者は、ドイツ国が降伏し且つヨーロッパにおける戦争が終結した後2箇月または3箇月を経て、ソヴィエト連邦が、次の条件で連合国側において日本国に対する戦争に参加することを協定した。
1 外蒙古(蒙古人民共和国)の現状は維持する。
2 1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシア国の旧権利は、つぎのよう に回復される。
(イ)樺太の南部及びこれに隣接するすべての島を、ソヴィエト連邦に返還する。
(ロ)大連商港を国際化し、この港におけるソヴィエト連邦の優先的利益を擁護し、また、ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する。
(ハ)東清鉄道及び大連に出口を提供する南満州鉄道は、中ソ合併会社を設立して共同に運営する。但し、ソヴィエト連邦の優先的利益を保障し、また、中華民国は、満州における完全な利益を保有するものとする。
3 千島列島は、ソヴィエト連邦に引渡す。
前記以外の外蒙古並びに港湾及び鉄道に関する協定は、蒋介石総統の同意を要する。
大統領は、スターリン元帥からの通知により、この同意を得るために措置を執る。
3大国の首班は、ソヴィエト連邦のこれらの要求が日本国の敗北した後に確実に満足されることを合意した。
日本人がロシアに対して好意を持つことは決して無い。
ソ連が侵攻してくると知るや、ろくに抵抗もせず、住民を見捨てて逃亡。
しかも幹部が我先にと逃げ出しちゃった。
だって、主戦力はほとんど南方に引き抜かれてて
無敵関東軍なんて行っても、ほとんど張り子のトラ状態だったし。
こないだ亡くなった親戚が軍属で奉天に居たんだが、軍の倉庫から市内までの道を兵士が固めて一般人が入れないようにして軍人軍属の家族が総出でリュック背負って物資を運び出したんだと。
それで1年以上売り食いができたそうだ
ただ占守島の場合はソ連は必ず攻めてくると信じて準備していただろうが。
占守島守備隊は米軍侵攻を想定してた。
ノモンハン事件で関東軍精鋭を壊滅させた世界最強のタンク部隊にな
(だからギリシャの共産ゲリラは見殺しにしている)、
北海道占領はなかったと思うけどなあ。
狐狼の国ソ連の言うことなど信用できるか。
8月6日午前8時15分
原子爆弾が、B-29によって広島に投下される。
8月8日午後11時
ソ連が対日宣戦布告。
8月9日午前11時2分
原子爆弾が、B-29によって長崎市に投下される。
8月9日
ソ連軍が北緯50度の国境線を越え南樺太に侵攻。
8月10日
南樺太国境付近にて日本側の約100名の兵力が防戦し、大半が戦死したが、
ソ連軍主力を一昼夜にわたって食い止める(峯木中将の第88師団及び配属部隊)。
8月11日~18日
日本の歩兵第125連隊約3千人による抵抗作戦。
ソ連軍に足踏み状態を続けさせ、老幼婦女子を列車で南に避難させ、なおかつ
主要な鉄橋を次々と爆破して、自らの全滅を賭してもソ連軍南下を防ごうとした。
18日、15日の終戦詔勅公布、17日の陸海軍への勅諭(終戦命令)をもち、ソ連に降伏。
ソ連、なおも南下。
8月15日
終戦。同日、ソ連司令部は千島・南樺太への侵攻作戦を下令。
占守島へは「奇襲上陸の後、攻略せよ」と戦闘行為を容認している。
8月16日
樺太南部の真岡町に配備されていた部隊は師団命令を受け、降伏の使者を送るも射殺される。
8月16日
大本営陸軍部、大陸令一三八六を発令。戦闘行動の即時停止、
しかし自衛のための戦闘は容認している。これによると、18日午後4時が全戦闘の完全停止日となっている。
占守島守備隊第91師団、連合軍軍使が到着したときに速やかに武装解除に移れるよう、武装解除準備を命令。
島北端国端岬にソ連偵察機来襲。午後三時、偵察機再び来襲。
ソ連軍、ソ連領ロパトカ岬より国端岬沖合の沈船に対して砲撃。
8月17日午後1時
ソ連軍戦闘機五機、占守島竹田浜周辺の陣地を爆撃。
8月18日午前0時
ソ連軍、ロパトカ岬の砲兵隊と海軍艦艇で、占守島竹田浜周辺へ砲撃開始。
第91師団、自衛戦闘を開始すると同時に、第五方面軍司令部に対しその旨連絡。
午前1時
ソ連軍、占守島竹田浜に夜間上陸を開始。同刻、第五方面軍
司令樋口季一郎中将、占守島守備隊に対し正式に自衛戦闘開始を指令。
8月18日~21日
占守島守備隊の第91師団をはじめとする約2万5千、決死の覚悟で防戦。
21日まで戦いが続き、日本優位のまま戦闘が終結し停戦交渉が決まりかかるも、本土からの命令により、降伏。この島の守備隊はシベリアへと抑留された。
日本側民間人は奇跡的に全員本土へと撤収。
8月19日
南部の真岡町より、この日までに邦人6千人が本土へ向けて出航。
乗船を待つ避難民がまだ1万5千~8千人。
8月20日
真岡への艦砲射撃開始。
真岡電信電話局9乙女による樺太最終電文打電後自決(真岡9乙女自決殉職)
8月21日
ソ連軍、真岡より樺太庁の庁舎所在地がある豊原を目指す。
真岡9乙女からの情報によりソ連軍より逃れた真岡近郊の将兵、これを阻止すべく、
23日2時ごろまで抵抗。
この間、ソ連軍は赤十字マークのついたテントや、白旗を掲げた豊原駅を爆撃する などして100名以上が落命。
8月22日
ソ連軍の北海道侵攻予定地(この時点でスターリンは北海道侵攻の野望を捨てていない)である留萌沖で樺太からの引き揚げ者でいっぱいの日本船3隻(1隻は日本軍艦)のうち、軍艦を除く2隻を撃沈。
浮上した潜水艦と砲撃をかわすなどした最後の生き残りの海軍の特設砲艦はかろうじて留萌港に到着。1700名死亡。
8月22日
スターリン、トルーマン宛に北海道侵攻の断念を通告。
8月23日
日本軍将兵、投降。
8月24日
豊原陥落。旧大日本帝国旧樺太庁、滅亡。
8月28日
この日までに、ソ連は日本軍将兵をつれ、千島列島を降伏させていく。
択捉島陥落。
9月1日
ソ連、国後島へ上陸。歯舞諸島を陥落させる。
9月2日
大日本帝国政府、連合国に正式に降伏。(8月15日は大日本帝国陸海軍の降伏)
9月4日
歯舞諸島陥落
9月2日の降伏文書調印の後も、ソ連は占領地を広げていたんだな
立場的に考えたらこの防衛大臣の発言
もしかしたらいい時期にいいこといったかもしれない
>>1みたいに疑問に思う人間がふえてくれれば・・・
今やってるマスコミの報道や俗に言う平和団体のいってることがなんか違うってことに気がついてくれるかも
米国がヤルタ密約通り、千島引渡しをソ連と確認したら、北海道占領計画も引っ込められたんだ。
原爆のおかげだとか、北海道を守るためだとか、犯罪者の言い分に、ウンウン頷いて納得するとは、ほんと間抜けな奴らだな。同じ日本人だということが恥ずかしくなるぜ。
まさに、有色人種の植民地根性・奴隷精神そのものだな。
そこはかとなく心配だ
メリケン好きだけど、
原爆投下だけは正当化できんな。
なぜ東京から見える、たとえば海上とかにおとさなかった?
わざわざ東京から遠くの、比較的空襲うけていないところに落とした?
人体実験だよ、あれは。
早々と降伏させたくなかったんだろ。
戦争終結が目的なら、
東京から見える人口希薄地域か、コロネット上陸予定地に落としたはず。
洋上予備も含めると25個師団が参加する作戦であり、対日作戦で最大の上陸作戦となる予定であった。上陸地点は湘南海岸(相模川沿いを中心に北進し、現相模原市・町田市域辺りより進路を東京都区部へ進行する計画予定)と九十九里浜から鹿島灘沿岸にかけての砂浜海岸が設定され、首都を挟撃することが予定されていた。
又、先守島の戦いで分かるとうりそうかんたんには揚陸出来ない。
満州は陸伝いで、北海道は海で隔てられたからね。
もし陸伝いだったら北海道もやばかったね。
そうすればシベリヤ抑留も続いて、関東軍の残党がもっと大勢死んだだろうし、瀬島らも要職に就くのは(時代遅れになって)難しかったと思われるから。
参謀本部にいながら11年も抑留された瀬島はむしろ例外に属する。
スターリンが長生きすればするほど兵隊さん(=日本の庶民)が死んでいったんだよ。
67の意見は軽いし、軽率だと思うぞ。
領土的野心が強すぎるんだよね。
ソ連の崩壊で少しは限界が分かったろうけどさ。
大戦時は領土的野心の固まり。一方的な不可侵条約破棄はやっぱ反則だろ。
できれば、お近付きになりたくない国だな。
原爆投下と北海道占領は、殊更に関連付けることもないんじゃない。
「だから原爆を投下されて良かった」と言わせたいのかもしれんけど、そりゃ実に悪趣味だぞ。
北海道の話が出たので。
父方の祖父はシベリアに抑留中、母方の祖父は明日にもシベリア方面に出兵という日に終戦を迎えました。
親は戦後生まれのため終戦が長引いていれば親も私も生まれていなかった。
それはともかく、ソビエトが日本方面に参戦したのは原爆投下後敗戦濃厚になってからじゃなかったかな?
それが事実なら卑怯な国民性を象徴していると思います。
ヤツラは火事場泥棒だ。
現在の国際的地位にあるのは奇跡といってもいい。
先人の舵取りは決してバカにできない。
のちの日本人に「あのときの失政が…」と言われないような政治家を選ぶしかない。
>>99
>もともと資源のとぼしい小さい島国なんだよ。
それはよくありがちな誤解です。
まずヨーロッパの中で日本より広い国なとじほんの数刻です。
世界的に見ても日本の領土は広さは平均異常だったりします。
あと資源についても昔は金、銀、銅、硫黄の世界的な産地でした。
現代採算の問題で鉱山が閉じられているだけです。
そもそも資源というと鉱物資源や化石燃料だけではないです。
日本は水が豊富なうえ、周囲の海では水産資源取り放題です。
アラブの石油王が日本に来て
「我が国にもこれだけの水があったらどれだけ楽なことか」と嘆息したという逸話があります。
まあ「日本人は水と平和を只だと思っている」というように
水とか魚なんてものは「あって当たり前」という固定観念がありますが、それは実は当たり前のものではないです。
そもそも日本が古来から異様に人口密度が高かった事自体が
日本という国は元来は非常に豊かだった証拠なんですが。
あまり言われませんが、適度な気温の地域に属してるのも資源があるのと同じ事ですよね。
アメリカ好きだけど、原爆投下だけは正当化できないと思う。
富士山頂、東京湾沖など、軍中枢から見えるところに落としていたら、人的被害はほぼなく、すぐに降伏。
どう考えても人体実験だろう。
なんで広島長崎か説明してみろ。
>>111
広島→扇状地で空襲被害が少なく爆弾の威力に関するデータを計測・採取しやすかったのと
かつて大本営が置かれた中国地方における日本陸軍の軍都(軍事目標)だったから
長崎→第一目標の小倉が天候不良だったので第二目標で海軍の軍需工場があった長崎に落とした
領土に目がくらんだとしても、歩兵だけで敵国に上陸するほど馬鹿ではないだろう。
スターリンだからな
歩兵だけでも北海道に上陸させただろう
戦後アメリカに留萌-釧路ライン以北を要求したくらいだし
ただアメリカが猛反発して核の脅威もあったから諦めたらしい。サハリン州の地図を見るといかに北海道がロシア(ソ連)にとって利点の効く地だったかが分かるよ。
日本は当然この方面での本土決戦も考えていただろうから。
制空権がなければ上陸することさえ至難の業だし、少数ができたとしてもチハタンの餌食。
樺太から宗谷海峡だけならT-34の輸送も往復輸送で何とかなるんじゃない?
いざとなれば落下傘部隊もいる。宗谷海峡から先は海岸伝いに海上輸送。
大連とかには空挺部隊来たらしいし。
原爆投下があってもなくても時間さえあれば占領しようとするでしょ。
まず輸送船がほとんどありません。史実でも占守島にすら戦車を送りこめていません。
また、>>124の人が指摘しているように空母もないうえに上陸作戦には支援艦艇が千隻前後以上必要となります。もちろんソ連軍にそんな戦力は全くありません。
北海道の日本軍は民兵含め10万以上の兵力がありましたからその数倍は送り込む必要がありますがソ連軍には全く不可能です。
なによりも米大統領がソ連軍による北海道占領を望んでいないので望み薄というものです。
米軍に戦力の大半を投入した場合は
北海道を守る兵力が足りないから北海道の半分は占領された可能性はあるね。
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