項羽と劉邦 漢

根本的なところなんだけど、劉邦には戦略があったけど、項羽にはあんましなかったんではなかろうか?

2022年11月12日

97: 名無し 03/07/30 15:10

根本的なところなんだけど、
劉邦には戦略があったけど、項羽にはあんましなかったんではなかろうか?
項羽は戦術では他を圧して優れていたけど(韓信等との比較はおいといて)
戦術という点では・・・人を使うのもイマイチ、いやむしろ人材は流出してるし・・・
なにより「局地戦」にこだわり過ぎてる気がする。
確かに劉邦をとっちまえば終わるってのは正しいけど、あれだけ前線までの距離や戦地が拡大してるのに・・・

とか後世の私なんぞは思ってしまうんですが、いかがなもんでしょうか?

 

100: 名無し 03/07/31 02:19

>>97
>なにより「局地戦」にこだわり過ぎてる気がする。
>確かに劉邦をとっちまえば終わるってのは正しいけど、あれだけ前線までの距離や戦地が拡大してるのに・・・
項羽は劉邦を置き捨てて、補給線を撹乱する彭越を二度も自ら討伐に向かってます。
鉅鹿の戦いでも最初は秦の補給線を断つところから始めているので、補給の重要性については認識していたようです。
また、宿敵の斉に援軍を送って、韓信軍を防ごうとするなど、ある程度大局的な視野も無かったわけでは無いみたいです。

ただ、楚には優秀な戦略家や、敵陣営に陰謀を仕掛ける人間などが欠けており、戦略面では常に後手に回り、謀略工作や後方撹乱を仕掛けられ放題だったこと。
そして、漢軍には一国の主力軍を相手に戦える将帥が劉邦と韓信の二人いたのに、楚軍には項羽一人しかいなかったことが、勝敗を分けたのだと思います。

純軍事的に言えば、劉邦軍が項羽軍を拘置している間に、韓信軍が楚領を切り取っていけばいいわけですから。
項羽軍が韓信軍を攻撃したら、韓信軍は負けない戦いに徹して、項羽軍を動けなくして、その間に劉邦軍が楚領に攻め込めばいいのです。

戦場で劉邦を殺す以外に、項羽に勝ち目は無かったんですよ。
劉邦はいくら負けても、生きている限りは軍を再建して戻ってきますから。

ニュース


101: 名無し 03/08/01 22:29
劉邦配下では張良が一番好きだ
というか中国史で一番好きな人物
孔明よりマイナーなのが悲しい

 

105: 名無し 03/08/02 00:11
>>101
ゲームと小説、ビジネス本のせいでしょう。

 

109: 名無し 03/08/18 04:09
>>101
オイラも好き。横光の項劉読んだときから。

 

106: 名無し 03/08/02 01:04

やっぱり陳平でしょ、楚漢の功労者は

張良はまるで女のような風貌だったらしいが、陳平はかなりの美男子だったとか
そりゃ兄嫁も道を踏み外しますわ…

 

107: 名無し 03/08/02 01:28

>>106
個人的には、漢楚戦争の最大の功労者は、ゴキブリのような回復力を劉邦の主力軍に与えた蕭何と、劉邦の主力軍が項羽と対峙している間に、河北と山東を切り取って、楚の本国を脅かした韓信だと思います。

ただ、一番好きなのは陳平ですけどね。
やってる仕事のえげつなさと、律儀で実直な性格のギャップが、何とも言えないです。
彼が晩年に言った言葉は、何ともせつないです。

 

110: 名無し 03/09/15 11:55

項羽が降伏した秦兵20万を生き埋めにして殺したってあるでしょ・・・

でもあれって、囚人中心の軍隊だったんだよね
しかも囚人って、楚や斉など、征服された国の人間が多いとか秦人って決めるけるのはおかしいよね
どう?

 

111: 名無し 03/09/15 15:01

>>110
秦は商鞅の変法以降、厳格な法治体制を布いた結果、囚徒として収容されるないし労役として利用される人間が多く発生しているから、秦人が占める割合は多いのでは?

…と思ったんだが、項羽が坑殺したという秦の降兵って、章邯が叛乱鎮定のためにかりだした囚徒で、しかも当時は秦の皇帝の陵墓造営やらに全国から役夫として手配された人間も含まれてるみたいだし…
実際、英布のような脱走した六出身者の人間もいるしね…

詳しい方の出現を待った方がよさそうだ。

 

112: 名無し 03/09/15 20:11
そうでしょ
秦の人を二十万も殺したから関中を放棄したとか
秦兵と楚兵の間で喧嘩が絶えないからやむなく処分したとか
・・・あたかもみんな秦の人のような記述(小説とかだけど)が多いので不思議

 

120: 名無し 03/09/23 21:31

>>111 >>112
急激な軍の拡大に補給も編成もおいつけなかったんだよ。

要するに飯を食わせられないから、適当な理由をつけて埋めたに100ペリカ。

・・・でもそれだったら、放流しちまえばいいじゃんとも思うが、再び秦軍に戦力化されることを恐れたのかな?

 

113: 名無し 03/09/15 20:19
しかし、各国の兵がごちゃ混ぜになってると士気に影響がでるんじゃないの?
他国者なんて真っ先に脱走しそうな気がするけど

 

114: 名無し 03/09/15 22:38
たぶん言葉も違っただろうにね

 

115: 名無し 03/09/15 22:53
するとやはり秦出身の囚人中心の軍隊か。

 

119: 名無し 03/09/23 18:32
領土分配について
項羽はもっと大きい領土をもらってもよかったんじゃないの?
意外に太っ腹

 

121: 名無し 03/09/23 22:48
米を主食にする民族が中原を支配するのは難しかったんじゃないのかな、と思ったりする

 

128: 名無し 03/10/13 17:06

韓信、最高。
カイトウの言を入れて三国鼎立を実現して欲しかったね。
500年も早く三国時代が成立し、我らが使っている漢字も斉字と呼ばれるようになったかもね。

人の食を食する者は人の事に死す
劉邦如きに忠節を誓い、最後は族滅か。

功は成りがたく敗れ易すく
時は得難く失い易し
時なるかな時、再びは来たらじ

さて、仮に斉楚漢の三国鼎立が生じていたら、どのような結末を迎えたか、想像の翼を羽ばたかせ、大いに意見を述べてくれ

 

129: 名無し 03/10/13 23:59
>>128
韓信に統一ができたとは思えないが・・・

 

136: 名無し 03/10/14 20:41
韓信麾下にはいまいち人材がいないポ。

 

137: 名無し 03/10/14 21:47
>>136
歴史上名が残ってないだけの予感。
それも大した事ないから残らなかったのではなく。
優れていても記録に残る様に目立った活躍をしなくちゃ意味ないし。

 

144: 名無し 03/10/18 13:14
韓信の場合、領土の制覇はできても統治は難しいのではないかな。
カイトウは一流の策士だが、そういうタイプの人間は政治・民政は得意とは思えない。それから史記から受ける印象でも、斉は賢者は多いが国家の大事を預けられるような政治家は出にくいようにも思える。

 

145: 名無し 03/10/23 22:14
その時歴史が動いた
第156回
古代中国シリーズ
項羽と劉邦
~天下を動かした運命の宴 鴻門の会~
放映日:平成15年11月5日(水)21:15~21:58 総合
その時…紀元前206年12月
鴻門の会。 項羽と劉邦の両雄が、次代の中国のリーダーをめぐる駆け引きをおこなった時

 

146: 名無し 03/10/24 23:39
>>145
新発見・初公開の資料もあるみたいだね。ものすごく楽しみ!!

 

149: 名無し 03/11/05 21:15

その時歴史が動いた

はじまったよage

 

151: 名無し 03/11/05 22:44
高校時代の漢文の授業を思い出すよな

 

153: 名無し 03/11/05 23:19
劉邦も、天下統一後は
項羽のように独裁的になりましたね?

 

154: 名無し 03/11/05 23:43
>>153
それでも結構、臣下の提言・諫言には耳を傾けてるけどね。

 

155: 名無し 03/11/06 04:33
韓信って、無実の謀反の嫌疑をかけられてヌッ殺された
悲惨な奴というイメージがあるけど・・・
実際はマジで謀反の計画を練ってた(つぅか着手してた)んだよね?
それなら誅されて当然だな。

 

157: 名無し 03/11/06 11:41
>>155
>実際はマジで謀反の計画を練ってた(つぅか着手してた)んだよね?
謀反の嫌疑をかけられて殺されそうになったから、やむを得ず謀反を起こしたのでは?

 

160: 名無し 03/11/06 19:20
>>157
いえ。
韓信は項羽バラバラ事件後に楚王になりますが、そこでほとんど言いがかりな反乱疑惑を受けて捕まり、列侯(淮陰侯)に降格。
その後は何も出来ず鬱な日々だったようですが、代相陳キに反乱を唆し、韓信自身は長安で内応しようと計画。
で、これが発覚して殺されています。

 

158: 名無し 03/11/06 17:37

367 名前:ヘンリー4世
劉邦にはなんでこんなに優秀な部下が集まったの?

531 名前:公共放送名無しさん
一言で言うと部下を厚遇し土地や褒美を出し惜しまなかった。
それゆえ劉邦=秀吉。

634 名前:公共放送名無しさん
項羽はその正反対
「成功はみんなオレのおかげ」
と思っていた

 

162: 名無し 03/11/06 19:26
>>158
劉邦はさすがだよな。
天下取った後に功臣を粛清すればどちらにせよ手前の者。

 

166: 名無し 03/11/16 00:37
>>162
韓信、彭越、黥布あたりはともかく、蕭何、盧綰、樊檜(木の代わりに口)まで疑うのは行きすぎだと思われ。

 

167: 名無し 03/11/19 20:41

>>166
禿同。
廬綰みたいな、生まれたときからのつき合いでも信用できないものかねぇ。
蕭何なんて兵持ってないのに。
樊カイも鴻門の会でがんばったのに(たしか呂后の妹の婿だったよね?)

韓信たちは、まぁ仕方ないというか。
でも一番 潜在危険度が高そうな張良はノーマークってのはなんでだろ。

 

168: 名無し 03/11/19 20:54

>>167
そうなんだけど、
廬綰は王にしちゃったのが分かれ目。当時の諸侯王への疑惑の目は尋常じゃない。
蕭何は本拠地関中でかなり支持されていたらしいので、皇帝たる自分を凌ぐ威光を持つのが怖かったんでしょう。
樊カイは>呂后の妹の婿ってのがまずかった。
愛息子趙王如意を殺されると思ったらしい。

張良や陳平は兵や土地を握っていた訳ではないから。
張良は劉邦に信頼されていたのでしょうか。
陳平はみんなに嫌われていたから、劉邦死後はどうせつまはじきだろう、とか思ったんじゃない?

 

171: 名無し 03/11/20 03:31
>>168
>陳平はみんなに嫌われていたから
みんなに嫌われてたってのは言いすぎじゃないかと思うが、確かに良平コンビでも人に恨まれるような策略は陳平が担当してたからな。
張良はあれだけ神算鬼謀っぷりを発揮しながら、恨みを買うような事はほとんどしてないし、実際彼を悪く言う奴って皆無。
つくづく凄い人だと思うよ。神の粋に達してるな。

 

169: 名無し 03/11/19 22:50

劉邦の大粛清については一つ疑問に思ってることがあるのだけど、何が劉邦をそこまで追いつめたのだろう。
もし劉邦一人の猜疑心の増大であるのなら、大反乱勃発→劉邦政権=漢の崩壊という可能性もあっただろうと思う。明とは違って、劉邦の時代の皇帝の権威は絶大とはいえなかっただろうし。
劉邦の立場は「最大の諸侯であり、対項羽連合軍の盟主」とは違うのだろうか?
むしろ劉邦の猜疑心を奇貨として、朝廷権力の強大化を望んだ者達がいたのではないだろうか?

それは漢が本質的には郡県制を指向していたことと一致すると思うし、諸侯の弱体化自体=中央集権強化は、文帝~武帝期の政策とも一致する。
個人的には名家(戦国時代の領主層と賓客)や諸子百家の学徒出自の官僚が背後で暗躍してたのでは、とちょっと疑いを持ってる。
領主層=農村の支配者が鍵を握ってるなら、重農政策、商人への重税も納得いくし

おかしければ突っ込んで下さい

 

170: 名無し 03/11/19 23:21

>>169
個人的には似たように考えています。
ただ、劉邦一人の猜疑心というか、
劉邦自身も皇帝権力強大化を望んで諸侯王を退治したんでしょう。
あと、大反乱があっても漢の中枢(関中、三河)は一気にやられないだろうし、それらが大丈夫ならまた勝てるだろう、というある種の自信もあったと思われます。

あと、
>劉邦の立場は「最大の諸侯であり、対項羽連合軍の盟主」
だったのは高祖5年までで、皇帝に推戴されてからはまた違う立場でしょうね。

あと官僚に名家などを想定するのは流石に考えすぎな気はしますが。
名家などに拠らずとも、当時の政権中枢は秦の支配法を理解していた訳で、「今度は緩やかに郡県制を進めよう」と計画したのではないでしょうか。

 

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