項羽が非難される理由は主に三つの点による、
①主君である懐王を蔑ろにした点。
②大量殺戮等の残虐行為を行ったこと。
③自分の好き嫌いで論功行賞をし不公平であったこと。
これらを通常の倫理観に基づいて考えれば弁護の余地なく極悪非道な行いである。
しかし、項羽は一つの軍閥のトップという立場の人間である。
その立場を考えれば、おのずと彼の行動について一般とは違った評価を下す必要が生じるだろう。
※「項羽は悪虐の人物との評価が一般的だが、項羽は本当に極悪人か?」の続きです
懐王は元々項羽の叔父である項梁が己の軍閥を強化するために傀儡として招いたものである、このこと自体現代的な感覚では悪であるが、軍閥の首領としては至極当然の行為である、ところが、項梁は不幸にも戦死してしまった。
当然後を継ぐのは項羽のはずであったが、ここで傀儡であったはずの懐王が、実権をも手に入れようと行動を起した。
これは本来項梁に招き入れてもらった存在である懐王が項梁の軍閥を乗っ取ろうとした、いわばクーデターである。そしてその先頭に立ったのが宋義であった。
つまり、宋義殺害から懐王に対する命令無視そして最終的にその殺害に至る一連の項羽の行動は、項梁軍閥の乗っ取りをはかる懐王に対する項羽の反撃であり、この点で一組織内の権力闘争であったと言える。
いわば売られた喧嘩を買っただけで人としてはともかく政治家としてはなんら非難されることはない、結果は最終的に正当な後継者である項羽が項梁の軍閥を相続しとことなったというだけのことである。
②についてだが、
殺戮や略奪といった残虐行為を悪だというなら、およそ古今の軍司令官は全て悪ということになってしまい、項羽だけを特別非難することは出来ない。
軍司令官たるものその行為が軍にとって有利になるあるいは必要だと感じたなら、虐殺でも略奪でもそれを行うのはむしろ当たり前である。
ただし、その行為が実際に軍にとって有利なことであったかどうかは問題で、項羽の場合むしろ殺しすぎたことが不利に働いた面も否定できず、この点での批判は免れ得ない。
しかし、この批判は善悪とはまた別のものである。
③について、
これは全く勝者にとって当然の権利である。
軍事・政治において勝利するということは、すなわち己の好き勝手を押し通す権利を得るということであり、このことは全く批判の対象にならない。
無論そのような勝手をした結果後に自身が不利な立場になってしまったとしても、それは自己責任というもので、項羽の場合正にそうなってしまったが、このことも善悪という面で評価されるものではない。
さらに同じ軍人・政治家の中で見ても、主君殺害といっても、自分を引き立てて出世させてくれた主君を殺したわけではなく、本来持っていた自己の権益を侵害しようとした君主を殺しただけである点、また、残虐行為も軍にとってそれが利益になると(誤って)判断したために行ったという点で、一般的な主君殺害者や己の嗜好のみの為に残虐行為を行った政治家に比べれば、まだしもましな方であり、到底極悪人と呼ばれるには値しない。
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ところが、今の日本ではこういうことを述べると、「不謹慎だ」と言われる。
確かに不謹慎かもしれないが、この発言が不謹慎かどうかについては論じていない。
にもかかわらず、「不謹慎だ」ということで片付けてしまい、それ以上突っ込んだ話を論じようともせず、思考が停止されてしまう。
南京大虐殺についてなんかがいい例だろう。
こういうことは実に由々しき問題だと思う
結局何が言いたいんだ?
1人殺したヤツと比べて、家族4人殺したヤツの方が苦労したからあまり悪くない、ってことか?
全然違いますよ。
例えば南京大虐殺で30万人を殺したというが、一体どうやって30万人を殺せるのか?
という疑問に対して、なんというひどいことを言うんだ!で片付けられてしまうこと。
とか言ったらだいたいその十分の一位だと考えればよいかと。
これは面白い論点になりそうですね!
一亭から若者30人として一郡でせいぜい6000人くらいが妥当な動員力じゃないか?
20分の1にしておこう
>一郡でせいぜい6000人
とかは関係ないんじゃ?
降伏した兵を殺したところにあって、
殺した人数ではないんじゃないのか?
囚人の人口に占める割合が高すぎ。誰が食わせてやってたんだろう?
普通に考えれば人数は水増しされているな。
降伏した秦の兵なんて実際は2万程度じゃないの?
さらに史記に書かれているよりも、ずっと明確に反乱の意志を持ってた可能性もある。
>>98
そういえば、号する兵の数は×何倍という法則があったけか。。。
10分の1と見るべきが妥当なのかも。
劉邦は左遷されても仕方はないが、他のもかなりいい加減なのはどうしようも無いと思う。。。
がけから落とした虐殺は、歴史上もっとも効率的(安い)虐殺。
初めて聞いた時、ちょっと信じ難かった。
ある程度、創作じゃないかと?
権力争いで、ニンゲンひとり煮殺すのとどっちが残虐か?
まあ、むつかしい問題だし、俺にはわからんわ。
これを抹殺しておくことは安全策だった。
問題は、殺した人数でもないし、兵が反乱するかどうかでさえない。
項羽は一旦は降伏を受け入れているのに、あとから約定を破って降卒を抹殺している。
当時の人々に指弾されるのは、この約定を破ったという点が大きい筈。
何故なら、当時は然諾を重んじる、という意識が強く、一旦した約束を破る事に対する意識は我々とはまるで違う筈なのだ。
もちろん、後には劉邦自身が項羽との約を破っているのだが、項羽はそれを指弾する間もなくやられてしまってはどうしようもない。
いや、反乱を起そうとしたのが事実なら、
そっちが先に約定違反だろ。
つまり、反乱するかどうかが最大の問題なわけだが。
「罪 五 . 詐 坑 秦 子 弟 新 安 二 十 萬 , 王 其 將」
その将を王にした。が議論から抜けてるが
劉邦が批判してるのは>>111にあるとおり
「詐坑秦子弟新安二十萬,王其將」で「賞罰の不徹底&不公平」を責めてるんであって
「二十万も殺すなんて残虐だ」という批判ではないだろう。
よって「実際はもっと少ないんじゃあ?」とか「自衛のための正当防衛」ってのは意味のない議論じゃないかと。
そもそも十の罪自体が戦場での挑発であって戦後は項羽を魯公として弔ってるし
劉邦とて公平無私とは到底思えないが
劉邦はきっちり与えた上で後でいろいろと理由を作って奪ってる。
状況が違うよ。
それが公平無私とは思えない。
なんで公平無私に拘るんだ?
公平無私でなかったから項羽は叩かれたのではないかと言うのが前提にあるからだろ。
圧倒的優勢な状況の中で劉邦に負けた
無能な人物になる。
>>112
よく分からんが、
項羽が負けたのは彼が悪人だったからだと?
正義は必ず勝つとでも信じてるの?
当たり前のことだが、
実際に負けた以上、
むしろ、君主として項羽が劉邦に劣っていたという評価の方が当然だと思うが。
まったく倫理とかがなかったとはもちろん思わんけど。
やっぱり人の命の重さってのが現代人の感覚とはまったく違うと思う。
当然、非難されるべきことだけど二十万の虐殺は項羽の残虐性を非難する
材料にはならないんじゃないかな?
非難の対象にはなりえないね。残虐であることは別に悪いことじゃないよ。
残虐性があって善行する者もいるし、残虐性がないのに悪行する者もいるから。
だから非難するならその者がした行いに限定されるのが当然。
人格を攻撃するのは愚の骨頂。
そうだな。
残虐とか人道、得や義、それら自体を
彼等が作ったのかもしれん。
作っている人間自体なのだから、
何か共通理解や常識があったわけじゃないのだろう。
原初的人間どうしのぶつかりあい。
始皇帝が巨大だったから反動でそおいうことが起こったのだろう。
そりゃあ現代的倫理観から見たら悪だが、
そんなこといったら歴史上のほとんどの英雄が極悪人になってしまうし。
秦兵20万人を坑殺した時点で、個人的には極悪人かと…
秦兵が反乱を起こす可能性、兵糧の問題があったとしても、対応の方法があったろうに…
それが現代的な倫理観から見た場合の話なんだよ。
現代的な論理でなくても、大量虐殺は非難されるべき問題だろ。
戦国時代に40万坑殺した白起も非難されたし、三国時代の曹操の徐州での虐殺も
当時非難された。
時代はかなり下るが、宋末のチンギスハンの屠城(皆殺し)に関しても
諌める人間は大勢いたし。
倫理的な問題もさることながら、人民数=生産量が顕著に出る漢楚の時代に
大量虐殺は愚の骨頂だと思われるが。
ソースは忘れたけど、范増も反対してなかったっけ?
>大量虐殺は非難されるべき問題だろ
残念ながら全っ然ちがう。176は根本的に心得違いしてます。
「大量虐殺」だから非難されるんじゃなくて、非難したいから「大量虐殺」と表現するんです。
176は大量虐殺があったことを信じて疑わないようだけど、そもそも一般的な歴史に関して疑問をもった事はある?
文脈から察するにそういう経験は未熟でしょ。
まあ秦兵との間に何もなかったとはいわないけど、まず疑う必要のないことは
1.楚軍と秦兵の間で衝突があったこと
2.騒動の結果、秦兵にけっこうたくさん死者がでたこと
3.騒動のあった土地は高低差のある地形をしていたこと
たぶんこんなところでしょ?
だから、漢帝国朝廷の目を気にしないですむ歴史家は
「自軍の兵のための兵糧確保で手一杯だった項羽は、秦の捕虜に十分な糧を補給することができなかった。
飢餓状態に陥った捕虜たちは、このままではどうせ死ぬと判断し楚兵の武器を奪い反乱を起こした。
深夜、楚兵と秦兵の激闘が始まったが項羽は反乱を鎮圧した。夜が明けると楚秦双方に大量の屍が確認された。項羽は行軍を急ぎたかったが、死者の埋葬をすませることを決断した。
しかし屍一つに墓一つ作るほどの時間的余裕はなかったため、近くにあった渓谷に屍を集めさせた。そこに上から土を盛り、応急的に処置した。」
なーんてことを書けるわけ。もちろんこれは即席でつくった一つの説であって、これのほうがより事実に近いのだとはいわないよ。
だからといって劉邦のために、強引に項羽を貶めなければならなかった立場の歴史家がつくった説を、176が鵜呑みにしてやる必要はないんだよ。
歴史を書いた。信じる奴がいっぱいいる。これって歴史家の意のままになってるってことだからね。
ここまで書けばたぶんわかってもらえるだろうけど、後世の人間を「項羽の非難」に誘導したい歴史家が「秦兵に多数死者がでた」ことを都合よく解釈して「大量虐殺」と表記にたにすぎないってことです。
だから>大量虐殺は非難されるべき問題だろ なんてちょっと恥かしいから他では言わないほうがいいよ。
>>177
>176は大量虐殺があったことを信じて疑わないようだけど、そもそも一般的な歴史に関して疑問をもった事はある?
今のところ、手元にある漢楚戦争に関する史料が史記と十八史略のみで
なおかつ、坑殺の記述があったので、それを無条件に信用してました。
>>177のいう1~3に関しても、納得はしていますが
「自軍の兵のための兵糧確保で手一杯だった項羽は~そこに上から土を盛り、応急的に処置した」
の下りは、他の史料で記述されていたり、学会などでそういう説はあるのでしょうか?
多分、「史料が正じゃないから~」ってまた反論されそうだけど。
>>177の指摘の通り、史料を無条件に信用する事は危険だと思うが
逆にその史料を反証するだけの物が無ければ、その史料を信用したいと思ってます。
>だからといって劉邦のために、強引に項羽を貶めなければならなかった立場の
>歴史家がつくった説を、176が鵜呑みにしてやる必要はないんだよ。
個人的に、史記に関しては内容を見る限り歴史の事象に対して公正に書いていると
思っています。司馬遷の武帝についての記述以外は。
時系列などで他の史料とズレたりする事はあるけど。
白起も曹操もチンギス・ハーンの皆極悪人だというならなにも文句は言わないよ。
だから、最初にそんなこと言ったら歴史上のほとんどの英雄が極悪人になってしまう、
と 言ってるでしょう。
まあ、ほとんどってのは明らかに誇張だったなと思うが。
確かに虐殺をしたが、一般的に白起も曹操もチンギス・ハーンもむしろ英雄という評価なわけで、
そのなかで特に項羽だけが責められるほど突出して悪だったというわけではない。
「極悪人」の対義語が「英雄」でも無いわけで。
虐殺という一事に対して、個人的に極悪人という定義をした訳で。
白起も曹操もチンギスハン、もちろん項羽も英雄でないと思っていません。
具体的に対処法とやらを挙げてみ。
例えば秦兵をすべて武装解除して生産力として、後方の領地へ送るとか。
後は、章邯、司馬欣、董翳にある程度の兵を預けて、別働隊とするとか。
後者は、反乱などの可能性を考えると、まず無理だろうけど。
>>176
>秦兵をすべて武装解除して生産力として、後方の領地へ送るとか
無理。てかこれでも危険。
秦兵は軍事訓練を受けた兵であり、武装解除しても将来武器を取って反逆する可能性大。
仮に秦兵が自らの意思で反逆せずとも、諸侯がその実力を見込んで反逆を焚きつける危険性も大
本当に項羽の論功行賞は不公平だったのか?
例えば趙に関係する部分を考えてみたい。
歇…代王 張耳…常山王 陳余…南皮三県の領主
まず、歇だが、彼は張耳と陳余に擁立された趙の王だが、秦討伐に何の功績があったのか?
それに対し、趙耳は鉅鹿で籠城軍を指揮して苦戦ながらも章邯を釘付けにし、その後は項羽に従い、関中入りしている。この大きな功績を考えれば常山王は相当だと思う。
そして、この張耳のために無功の歇を代に左遷して何が問題であろうか?
無功の歇を趙王のままにしておいたのならば張耳はどこの王に封じたらよいのか?
また陳余は、確かに趙を興した功は認められるものの、鉅鹿の戦いでは援軍を率いて参陣したが、章邯の大軍に手も足も出ず、何の功もない。
しかも戦後は張耳と仲違いをして、官職を捨てて南皮のほとりで漁師になった。
どうして張耳と同列に扱えようか。
斉・燕などにおいてもほぼ同じことが言えよう
>張耳はどこの王に封じたらよい
天下は広いんだからなにも旧主の隣に置かんでも・・・
似たような条件の持ち主はたくさんいる。
天下が広いとはいえ、無功の旧主に憚っていたら、そういった者たちに褒美を与えることはできない。
そもそもこの大いなる変革の時代、勃興するもの没落するものが出るのは当然のことだ。
>>148
>無功の旧主に憚っていたら、そういった者たちに褒美を与えることはできない。
功績に報いるにしても何も「王」&揃いも揃って「転封した旧主の隣」にすることはないだろう。
項羽の論功行賞での王乱立ぶりは、どっちかというと諸侯の領土を分断して力を削る意味合いのほうが強いと思われ。
ある二人の将軍の功績を比較したとして、物差しのメモリで測れるものではないから、甲乙つけるなら当然項羽の主観がはいるわけで、結局は項羽の好みに左右されるのがあたりまえ。
ただ、勘違いすべきでないのは、覇権を掴んだ項羽にはそれをする権利があるということ。
好みで1将軍を王侯に封じることは、全く非難の対象にはならないってことだね。
一つ、断言できるのは公平な論功行賞なんて金輪際ありえないよ。
論功行賞が終わった後には不特定多数の不満が蔓延するし、満足した者もほとんどが妥協による満足だよ。不満はあるけど、文句言って損するかもしれないリスクはおいたくないという心境のものが大半でしょ。
だから論功行賞が公平か不公平かなんてことは議論するまでもない。不公平に決まってるんだから。
論功行賞で評価すべきなのは、その後の世界情勢だよ。
結果、項羽は諸侯に叛旗を掲げられ、劉邦は漢の治世を築いた。
⇒劉邦の方が論功行賞でうまいことやった。といえるのみ。
抹殺したいような無用な存在だ
ついでに韓信も
そこが項羽との違いで、比べるとやっぱり項羽のやりかたは稚拙と感じるな。
1、項羽から漢中王に封ぜられたにもかかわらず、己の野望の為に天下を争乱に巻き込み、民百姓を苦しめた。
2、彭城に攻め行ったとき、乱暴狼藉の限りを尽くした。
3、項羽に追われたとき。、馬車から子供を投げ捨てた。
4、項羽との和睦の条約を一方的に破棄した。
5、降伏した丁公を有無言わさず殺し、鍾離眛を自害に追い詰め、私怨から季布を殺そうとした。
6、天下統一後は功臣たちを粛清した。。
7、儒者から冠を取り上げて小便をかけるなど、平気で礼儀に反した行いをした。
>1、どの世界に己の野望の為に民百姓を苦しめずに天下を平定した例がある?>2、税を負担している彭城の住人には項羽の兵に防衛してもらう権利があった。彭城の住人を劉邦軍から守る義務を怠った項羽に非がある。>3、「親の為に子が死ぬ」当時の常識。これを非難するのは現代人の感覚。具体的にいえば西洋人から輸入した規範。そもそもこのエピソード自体疑わしい。夏侯嬰の名を上げるための歴史家による捏造の可能性も・・・。>4、講和が成ったからといって安心して退却する帥将がいたら、それはよほど重度の馬鹿将だわ。退却する時には追撃を警戒しながら用心するのが当然。というより、講和条約の文書がない限り、何に違約したのか指摘できないはず。
>5、「私怨」つまらない言葉を軽々に用いるべきではない。いかなる歴史家だろうと殺しの動機がわかるわけない。わかるのは劉邦本人のみ。「私怨」と判断したのは歴史を編纂した人間の個人的見解にすぎない。
>6、天下の経営者に与えられる特権であり、まったくの合法。粛清するには然るべき罪科があるから。粛清を躊躇うことで反乱が勃発したら>>155ご本人が>1で非難するように「民百姓を苦しめ」る原因になる。だから反乱を未然に防いだ劉邦の英断であったといえる。
>7、まず歴史家の捏造を間に受けない眼をもってもらいたい。もちろん捏造でない可能性もあるが。とりあえず一通り猜疑のフィルターを通してから自分なりに歴史を消化すべき。仮に小便かけることに近い行為があったとして腹をたてるのは儒者だけで、礼儀に反することで我々現代人が劉邦を非難するネタとしては最低のレベル。聖書に小便かけた奴をさして、隣にいるイスラム教徒に「最低な奴」だと同意を求めるに等しい愚。
下がるほどの価値あったの?