毛利元就は学問を重んじていた。だから、常に学者を脇において、いろいろ学んだ。
ところが元就の勢いがますと、ある学者がおべっか使いに変わった。
ある時、学者は元就にこう言った。
「あなたはまるで周の王様と同じです。この国の人々は、あなたが領主になっていい政治が行われていると大変喜んでおります。そこでいかがでしょう?この際、私にあなたの伝記を書かせてくださいませんか?」
これを聞くと、元就は苦笑してこう答えた。
「周の王のことは私もよく知っている。できれば、ああいうふうになりたいと思っている。しかし、お前が勘違いしていることが一つある」
「なんでございましょうか?」聞き返す学者に、元就はこう答えた。
「周の王には、おべっか使いはいなかった」
これを聞いた学者は顔を赤くし、すごすごと退がった。
元就は側に残っていた者にこう言った。
「学者は頼むにたりない。俺の伝記などとんでもない話しだ。まして、俺のような至らない者のやったことを書き残せば、後世の者は毛利元就とはこの程度の男だったのか、こんなくだらないこともやっていたのか、と嘲笑うにちがいない。そんな笑われるような書物を俺は後世に残したくない」
この話しが広まって、元就の脇にはおべっか使いが一人もいなくなったという。
おべっかはともかく、元就は自分のところの家臣には相当不満があったらしいね。
「譜代の連中は無能ばっかりで何の役にも立たない」なんて、グチを残したりしてるw
ニュース
海賊退治の仕方
織田信秀から信長の時代にかけて織田弾正忠家に仕えた家臣に、熱田神宮大宮司家、千秋李忠という者がいた。
彼の領地、羽豆崎近辺には海賊が出没し、それに織田家の被官なども共謀し、住民を苦しめていた。
ある時彼は海賊の首領に会いに行った。
「先日熱田神宮の勧進で、十万貫を得ました。このお金で熱田社修復のための材木を、紀州より運んでもらえないだろうか?」
首領は承知し、部下全員を従え出発、首尾よく材木を輸送してきた。
ところが、戻ってきてみると、根拠地がなくなっていた。
海賊が留守にしている間に、李忠の軍勢がそれを焼き払ってしまったのだ。
李忠は約束どおり代金を払おうとするが、海賊達は泣きながら「金よりも住むところをください」と懇願する。
そこで李忠は、遠江の鷲津浜に住居を与えてやった。
これ以降、羽豆崎には海賊の出没する事はなかったとか。
サッカーの李忠成を連想させる名前だな。
「すえただ」
「李」も「すえ」って読むの?「季」ならわかるが。
ああ、ごめんこっちの記入ミスです。「季忠」ですわ。
女の話が少ないんでないの?
「美にして武なり」
備前常山城主上野高徳夫人・鶴姫
天正3年、常山城は毛利の大群に包囲され、落城が迫っていた。
高徳は一族を集め自害を促した。母・妹、息子達が自害して、高徳が介錯し、鶴姫の番になった。
鶴姫は「仇を討たずして自害などできようか!」と叫ぶと、宝刀を腰に、薙刀を抱えて、敵の中に躍り出た。
すると、共に自害するつもりだった女房達34人も槍を持って後に続いた。
子を負ぶった者や腰の曲がった老婆もいた。
同時に男達も高徳を先頭に80余人が敵中に飛び込んだ。
突然の出来事に毛利軍は面白いように討たれたが、やがてその殆どは討ち死にした。
鶴姫は敵将浦野宗勝に、一騎打ちを挑むが、女を相手にはできないと逃げられてしまった。
もはやこれまで、と「宗勝どのに進上する」と宝刀を鞘のまま投げ出し城の中に駆け戻り、高徳の介錯で改めて自害した。
高山城跡には高徳と鶴姫、その一族と共に、34人の女軍の墓が並んでいる。
悲しい話だね…
いきなり走って出てきて、決闘を申し込んで断られた相手に宝刀を投げてよこして、また走って帰って自害とは、まるで嵐。なんと豪気なお姫様
浦野宗勝にしてみると、わけがわからなかったろうな
>>679
女なら、百武賢兼の嫁さん
恩人一族である蒲池鎮漣を竜造寺隆信がだまし討ちしようとしたとき、賢兼は納得いかず、自宅で不貞寝。
それに対して嫁さんが、「他の人も行ってるんだから、はよ行けや」と、よろいを投げつける。
が、賢兼は、やっぱり不参加。これは亭主の良い話か。
じゃあ嫁さんが主人公の話。
百武は、柳川の砦か小城をあずかってたらしいが、沖田畷の戦いで討死。
そして柳川に攻めてくる敵勢、留守番の兵数はごくわずか。
そこで多くの旗指物を立て、縦横に動かし、兵力を多く見せて、守りきったとか何とか斯んとか。
体もでかかったらしい。
以上、全て葉隠に書いてあったと思う。
・医学に通じていた毛利元就、桜の木にしがみつく鮭様
・武田信玄の異母弟「川窪信実」の心根、北向きに置かれた信長の兜
・瓜の皮むきをする尼子経久、若き上杉景勝が佐竹義重に送った手紙
・歌舞多城の乞食、池田輝政と福島正則、千利休の石灯籠
・福島正則が宇喜多秀家に贈った備前の酒が詰まった樽