福島正則が贈った酒樽(1)
関ヶ原の合戦後、安芸一国の大名となった福島正則。
自他共に認める酒好きの彼は、江戸に詰めて居る間に所領の安芸から物資を送って来させる時、必ず酒を送る様に命じていた。しかも樽の数、産地や銘柄まで細かに指図するほど念の入り様であった。
ある時、安芸から物資を送る船団が嵐に遭い、行方不明となった。正則が落胆し諦めかけた時、奇跡的に船団が江戸に無傷で辿り着いた。正則はその報を受け取るや、一目散に港へ駆けつけた。
福島正則が贈った酒樽(2)
港に着いた正則は、船団をねぎらいもそこそこ、さっそく積荷の確認を始めた。酒樽を数えた正則は怒った。頼んでいた数より1つ少ないのだ。しかも、もっとも楽しみにしていた備前の酒が詰まった酒樽であった。正則は船頭を問い詰めた。
「貴様!嵐にかこつけて酒をくすねたな!正直に言え!」
今にも斬りかかりそうな正則。だが船頭は静かに答えた。
「実は船団は嵐にて、八丈島まで流されました。そこで難を逃れ、出航の仕度をしていると、島の男が訊ねて来ました。」
福島正則が贈った酒樽(3)
船頭は続けた
「その男はこう申しました。『もしや福島家の船団とお見受けいたした。積荷の酒樽は、我が故郷、備前の酒ではあるまいか。後生である、私に一杯だけで良い、恵んでもらえないか。』と。その男の風貌、立ち振る舞いを見るに、先の中納言、宇喜多秀家様と見受けました。福島家は中納言様に酒の一杯も差し上げなかったと言われては家の恥と思い、一樽を献じた次第でござる。」
それを聞くと正則は、涙を浮かべて言った。
「間違いない。その者は宇喜多殿だ。無き太閤殿下に忠節を尽くした漢だ。お前が酒を献じてくれて良かった。これよりは必ず八丈島に立ち寄り、備前の酒を宇喜多殿に届けよ。頼むぞ。」
それから暫く、宇喜多秀家の元に福島家から備前の酒が送り続けられた。秀家も正則の友誼に感謝し、島の侘しい生活に耐え続けたと伝えられる。
これお礼に秀家が家宝のお皿あげたとか
そんな話もなかったけか?
それはたしかおにぎりくれた代官さんとの話
>>104
俺が昔聞いたVerだと
八丈に辿り付いて、独断で一樽あげちゃって福島正則に白状したら
普通に褒められてその時はそれで終了
そしたら後日秀家から正則宛に丁寧なお礼状と一緒に家宝の皿が届けられて
それ見た正則が
「昔はあんだけブイブイ言わせてたのに今はただ酒一樽にもこれ程の事をしないといかんとは云々~~」
でヨヨと泣き崩れ
「これから毎年、宇喜多殿に酒届けてやってくれ」
とズビズビ洟すすりながら家臣に命令、みたいな
まぁ後半おにぎりと殆ど一緒だから
どっかでごっちゃになった話を聞いたんかな
ニュース
悪かったの?
宇喜多は秀吉の親族扱いで、福島はあくまで秀吉の旗本でしかないから、ぶっちゃけると
身分が違うので、仲がいいとか悪いとかの感情はなかったんじゃないかな?
仲良くっても戦う時は戦うさ。関ヶ原なんてそれこそ、家康と三成も個人的な関係は良かったって説もあるくらいで。
ボンボンで人柄はよく戦場では勇猛
福島あたりに嫌われる要素はないな
・領民を守った九条政基、蠣崎家のイイ話か微妙な話
・寺を守った僧「受連」、最上家臣「北楯大学」、被災者を救う伊勢宗瑞
・海老をすくい上げた酒井忠次、長曾我部家の禁酒法、板倉勝重のお触書
・勝新太郎の三味線、秀吉と鶴、細川忠興が隠居した頃
・土屋昌恒の忠誠、吉川元春と鮭料理、賃金を奮発する鮭様