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【戦国いい話21】元旦から不機嫌な信長と天才木下藤吉郎、長宗我部元親と羽柴秀吉の饅頭

2022年7月18日

530: 名無し 2008/07/20(日) 19:42:06

信長の、ある年の元旦の事

大広間に雑煮の膳が並べられたのを見ていると、よりにもよって信長の膳だけ、箸が片方だけしか置いていないのを発見。

「これは、どういうことだ?」

見る見るうちに機嫌が悪化する信長、硬直する家臣一同、凍てつく空気、その時である、末席にいた、当時まだ木下藤吉郎と呼ばれた秀吉が進み出た

「やあやあ!これはめでたい!上様が今年から、諸国を片はしに取られると言う吉兆でございますぞ!ああ、めでたやめでたや!」

信長、機嫌を直す。家臣一同、秀吉に深く深く感謝する。

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531: 名無し 2008/07/20(日) 21:12:35

信長の、また別の年の元旦の事

正月のご挨拶に諸大名が出仕してみると、信長の機嫌がまたえらく悪い。

「昨夜、このような夢を見た

どこかへの出陣で、具足をつけて馬に乗ったところ、その馬の足が四本とも突然折れて、
わしは地面に投げ出された。これはいかなる兆しであるか?」

一同、それは凶兆だろうと思うが、そんな事を言えば大変な事になると思い押し黙る。
その沈黙に、ますます機嫌の悪くなっていく信長。硬直する諸大名。凍りつく大広間。その時である。

またも木下藤吉郎進み出て

「やあやあ!これはめでたい!その夢はすなわち、合戦に出るたびに勝ち(徒歩)武者の武名をお上げになるお告げでございますぞ!いやはや千秋万歳千秋万歳!」

信長、機嫌を直す。諸大名再び秀吉に深く感謝する。

 

419: 名無し 2008/07/03(木) 14:05:43

既出かな
義に篤く礼を重んじる蒲生氏郷の話

知行200石の六角子四郎(承禎の子)が秀吉に謁見する時
92万石大名氏郷はかって主従関係だったことから、太刀持ちを務めた。

 

430: 名無し 2008/07/09(水) 09:46:06

ある時、加藤忠広は
「余は武勇では到底、父・清正には及ばない。もっと、大力の持ち主になりたい」って、家老の飯田覚兵衛に語った。
忠広を暗君だと思っていた飯田は、主君がめずらしくまともな反省の弁を述べたので、
「大力でないのは生まれつきゆえいたし方ありませぬ。しかし、その分学問に励まれて知将になりなされ」って励ました。

それを聞いた忠広は薄ら笑いを浮かべ、
「大力であれば、戦場で鎧を2重に着込むことができ、命を落とさずにすむだろ。余が大力になりたいと言ったのはそういう意味じゃ。覚兵衛は何か勘違いしておるのう」と言った。
覚兵衛は、やっぱバカ殿じゃん…と暗澹たる気持ちになったとさ。

 

456: 名無し 2008/07/10(木) 20:21:49

天下統一を果たした羽柴秀吉は、自分に臣従した大名を呼び寄せ、舟遊びに興じた。秀吉は饅頭を用意して、船に乗り合わせた大名達に配った。皆、美味そうに饅頭をほうばる中、長宗我部元親は饅頭を少しかじって、そのまま紙に包んだ。

それを見咎めた秀吉が訊いた、
「長宗我部、その饅頭が気に入らぬか?」

長宗我部は答えた
「いえ、秀吉様に頂いた貴重な饅頭を、私一人で食べるのはもったい無き事。持ち帰って家臣達と分け合って食べます。」
秀吉は大いに喜び、用意していた饅頭をすべて長宗我部に与えた。

一時は四国全土を席巻し、「土佐の出来人」と謳われた
長宗我部元親。彼ですら戦国の世で生き残るには、こうした心遣いが必要であったのかもしれない。

 

462: 名無し 2008/07/11(金) 13:38:12

大坂の陣で徳川勢が城を囲み始めたころ、
城内で開かれた軍儀で真田信繁が
「敵の準備が整う前に奇襲を掛け、出鼻を挫けば、豊臣に味方するものもさらに増えよう」
という提案に将達も賛成した。藤又兵衛は「では私がそれを仕ろう」と言った。

信繁は自分にまかせろといい、
又兵衛は、「信繁様は一軍の大将なのだからもしものことがあってはまずい」と言い、
ついには喧嘩になってしまったため、城を出ての奇襲は却下となった。

武将として戦功の無い信繁の焦りと自信過剰の又兵衛。
なんとも残念な情けない本当の話。

 

463: 名無し 2008/07/11(金) 13:46:06

>>462
その頃家康は

自軍の兵たちに自ら、竹束による鉄砲除けのやり方を教え、「最近の若い者は戦のやり方をまるでわかっとらん」と怒っていた。

 

465: 名無し 2008/07/11(金) 15:08:44
15年も戦争が無けりゃそうなるだろうね

 

492: 名無し 2008/07/15(火) 01:19:32

細川忠興が隠居した頃のお話。

土井利勝のところに秀忠と家光が御成りになるという話を聞いた忠興、利勝のところに贈り物をした。
幕府の筆頭人として世をときめく土井利勝は、しかし、己の身を慎み、大名たちからの贈り物は一切受け取らない男だった。
この時も、「私は大名からの贈り物は一切受け取っておりません」と断る利勝に、使者は、
「主人が申すには、とにかく見るだけ見てほしい、と言っております」とのこと。
利勝が何かと思って開封するとそれは、よく贈られる高額な品物ではなく、忠興自らが目利きした、ありふれた感じの掛け物や香台などの道具類だった。

「これは…?」

ふと、何かを悟った利勝、なんとその贈り物を、そのまま受け取った。

そして御成りの日、御成りの間には絵の類が一切飾られず、床の間には鳥の子紙の貼付壁の前に、忠興の送った道具類だけがさりげなく置かれていた。それは高価なものではないが、一つ一つの品の確かさといい、全体の調和といい、素晴らしいものだった。そしてその飾りつけは、忠興の審美眼の高さをさらに強調していた。
幕府の芸術監督である小堀遠州も、ただただ感心したと言う。

後でその話を聞いた忠興、「利勝は芸術と言うものを良くわかっている」と、喜んだ。

 

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