室町時代の日本人はめちゃくちゃ荒っぽかった? 明大教授が語る、ハードボイルドな日本人像
農民が武器を手に隣村と戦(いくさ)をしたり、行きかう船から通行料をせしめる「賊」が横行していたり。家族のなかでも、人身売買で人が財産として扱われたり、夫の浮気相手を妻が仲間を引き連れて襲撃したり。室町時代(1336年~1493年)の日本人は、とかく荒っぽかった。
彼らはなぜ、ハードボイルドだったのか。なにゆえアナーキーでアウトローな生き方をしていたのだろうか。歴史学者で明治大学教授でもある著者に話を聞いた。(土井大輔)
(中略)
ーーそんな「ハードボイルド」な室町時代を生きた人たちが大事にしていたものはなんなのでしょうか?
清水:自分の利益、家、名誉といったものでしょうね。逆に見返りのない組織への忠誠はあまり大事にしないんです。基本的な生活の単位は守るんですけど、彼らには組織とか国家というものへの帰属意識は希薄です。
「肌感覚として共有できるもの」に対する連帯感は強いんですけれど、それを超えた、抽象的な次元からの理不尽な圧力にはそうそう簡単に応じない。それって現代人が忘れている大事なことなんじゃないかなっていう気がするんですけどね。
ーーたとえば、会社の不正をひとりで背負い込んで責任をとる……なんてことはなかったわけですね。一方で、人身売買も行われていた。
清水:残念ながら、どの社会にも人身売買というのはあったわけです。ただ、それを倫理的な観点から「悲劇」というのは簡単なんですけれども、そこには彼らのなかでもひとつのロジックがあることを忘れてはいけないと思います。 生きていくために自分の自由を売って奴隷になることにはもちろん抵抗はあるけれど、死ぬよりはまし。しかも、我慢すれば、ひょっとしたら、またふつうの人に戻れる可能性もあるわけです。
要するに、食うことに精一杯だった時代のなかでは、人身売買もある種のセーフティネットとしてあり得た選択肢だったんです。その点は、現代から善悪の価値観を持ち込むことなく、見ていく必要があるだろうと思っています。
ーー室町時代といえば「一休さん」のイメージしかなかったので、本を読んで驚くことが多かったです。
清水:そうですよね。ひとつには戦前に天皇中心の歴史というものが語られた時に、足利幕府(=室町幕府)は天皇から権力を簒奪(さんだつ。君主の地位を奪いとること)しているというので、長く悪者とみなされていたわけなんです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7b5f29c4d5210d97a8d00a5d4f74e4383521eff
剣鉄也やビッテンフェルトのご先祖と言われても納得しちゃいそうになる
子孫はアパッチ野球軍の監督もやってるぞ
コイツも最初はハードボイルドみたいな感じだったよな
初めは将軍から、後小松帝の御落胤である一休を見張れ、てことで来たんだからね。
新右衛門さん初登場の場面は一休さんに対して凄くタカビーで引いた。
その後、監視対象の一休さんに寄りかかるようなるとわ。
読みは「しんうえもん」じゃなくて「しんえもん」な
今の今までC衛門だと思ってたわ
おれは「しんげもんさん」だと思ってた。
しえもんだと思っていた
五右衛門のひとつ手前で
蜷川新右衛門さんは実在のお侍さんで、ご先祖もいらっしゃるよ。
K-1ファイターの武蔵が子孫らしい
連歌が得意なお侍さんだったとか
しんゑもんな
ああそれな
「一休どのー」じゃなかったか?
初対面からしばらくは殿だった
本人から一休さんとよんでくださいと頼まれて最初はなれなれしいと固辞していたが照れながら変えたという流れだったはず
一休和尚は後小松天皇の御落胤だから敬語を使わないとダメ。
実祖父は足利義満の可能性大
母は藤原氏、南朝の高官の胤、後小松帝の寵愛を受けていた、て記録があるから、それはないんじゃないの?
伊予の局、だよね。
鎌倉武士の人間狩りとか
承久の乱の時の鎌倉武士の洛中大虐殺とかな
鎌倉兵二十万は一人残らず京の者の首を討ち取ったとか
男衾三郎絵詞の「馬庭の端の生首絶やすな」
が象徴的
マジで
お前見てきたのかよ?と言いたい
>>126
けっこう日本人は日記や手紙を残しているので、複数のこれらを突き合わせ、歴史的な事件の日を正確に検証したり、心理的な社会への影響を我々が思う以上に分析されている。
以前正倉院展にいって驚いたのは西暦700年代のお役所の休暇届とか、何度も書き直された休暇制度の改善願いなどが残されており、
当時の人の考え方を感じとることが出来る。
休暇届けいいねw
日本史の有名人より名も無き一般人の暮らしぶりや考え方や言語や愚痴、食べてる物や遊びを知りたいね
どうしても信玄餅を連想してしまう。
鎌倉時代末期の佐々木道誉も有名
陣内孝則が大河で演じたが至高だった
あれ良かったねえ
交代した2代目が桔梗屋さん
女性ナレは数回で降板したけど桔梗屋さんの娘
母上さまは不二子ちゃんだよね。
弥生さんはクララね
まじ??知らなかった!ありがとうw
戦国時代も江戸時代も明治時代も大正時代も昭和時代もそれなりにヤバかっただろ
戦国時代には戦があって、明治時代から昭和初期にかけては海外で戦争してたんだし
平和と言われてた江戸時代でさえ、武士が好き放題やって農民との間に貧富の差ができた
徳川幕府が腐りきったから、結局、倒幕運動というのが行われたんだから
戦国時代も室町時代じゃないの
江戸時代は単に財政難で四苦八苦してただけだと思うが。四苦八苦するだけ法が機能していた。
江戸時代の武士は貧乏で農民は裕福だったんだが。。
なんだこれw
続きがあったら見たいわw
ゴル休3 www
これポクポクチーンいるんか?
北条政子も頼朝の浮気相手の家に軍勢差し向けて、防衛にあたった頼朝の部下が戦死しとるからな。
世界中荒廃していた
守護に権力を持たせ過ぎた室町幕府の治世の失敗もあるが
英仏百年戦争と同時期室町
鎌倉末期ゴダイゴ天皇がやりたい放題の時代からこんな感じ
朝廷と将軍家が相争ったり手を組んだり
価値基準がめちゃくちゃになった
後醍醐は全国の土地を朝廷のものにして自分に味方した武士にあげた
建武の新政はリセット法なんだよ
武士の時代を終わらせたくない尊氏と再び天皇第一の時代に戻したい後醍醐が対立するのは必然
問題は後醍醐が京都以外を見下してたレイシストで求心力が無さすぎた事
>行きかう船から通行料をせしめる「賊」が横行
この時点でもう読む価値がない
例えば戦国時代近江では琵琶湖を行き交う船から津銭という関税をせしめる湖賊が存在していて
中でも堅田衆が大きな勢力を誇っていた
堅田衆は信長が台頭すると当初は敵対するも恭順し関税徴収を認められた上で
その一部を上納するように命令された
伊達氏の史料には織田への使者が安土に向かう途中で関税を要求され「こんな所でも銭をとられるのか」と不満をこぼした記録も残る
山名 大内 赤松やら北朝に味方して領土広げすぎたのを幕府の脅威になる前に1人ずつ潰していったり将軍直属の部隊を初めて作ったのも義満だし南北朝終わらせたのも義満
細川頼之とか
今川了俊とかまったく映像化されたことがない人達
金閣とか銀閣を上回る建物なんて、その後無いだろ。
現代和風文化の原点ではあるだろうけど、ね
建物だけなら五重塔、平等院
好みじゃないけど、東照宮
お城なら、姫路城とか もね