毛利 柴田 伊達 九州

【肥前】龍造寺氏を語るスレ【今山の戦い・沖田畷の戦い】

1: 名無し 2006/07/17(月) 12:00:13
龍造寺氏について語りましょう。

2: 名無し 2006/07/17(月) 12:03:38
龍造寺五天王

 

17: 名無し 2006/07/25(火) 17:49:39
>>2
四天王の語源が仏教ってことわかってるか?

 

19: 名無し 2006/07/25(火) 21:56:03
>>17
マジレスするとな、「竜造寺四天王」と呼ばれる武将が5人いるんだよ。
円城寺をはずすとする意見が多いが、沖田畷から生還した木下を除いて、
戦死した4人を顕彰して「四天王」とするのがいいと思う。

 

5: 名無し 2006/07/17(月) 18:25:27
沖田畷の龍造寺はどのくらいの兵力だったんでしょうかね。
定説の6万は軍記物がソースで、いくらなんでもありえない。
有馬も離反しているし、頑張って2万ほどですかね。

 

11: 名無し 2006/07/18(火) 10:51:11
>>5
竜造寺隆信の最大兵力は版図が最大になった天正8年の幕下着到で5万。
いわゆる「五州二島」だけど、厳密に一国支配出来ている国は無い。
沖田畷のときに動員しているのは肥前の国侍と筑後衆のごく一部だから、
フロイスの記す2万5千といったところが妥当だろうね。
対する有馬島津連合軍も、諸書で3000から1万前後と開きがあるけれど、
これも7000程度だったと思っている。
戦力比は3対1で、連合軍は塁壁を築いて迎え撃ったのだから、
激戦になって勝敗の行方も容易に決しなかったのが実態、と信じている。

 

27: 名無し 2006/08/05(土) 01:30:15
龍造寺は九州では珍しい下克上でのし上がった一族。
謀反と謀略が得意で残忍で、よくも悪くも九州では一番戦国大名らしいね。

 

39: 名無し 2006/09/02(土) 23:56:46
>>27
謀略が得意?馬場に一族皆頃しにされてるのにか
今山後に大友の影響力が弱まり周りの弱小大名を傘下に収めただけっしょ
有馬大村から正室を迎える辺りから新興勢力ぶりが伺える
それにしても裏切りに対するトラウマはでかすぎ

 

40: 名無し 2006/09/03(日) 00:49:04
>>39
家兼時代は戦が上手って感じだけど
ひ孫の熊様は謀略が得意だよ

 

41: 名無し 2006/09/03(日) 02:26:22
じゃあその得意な謀略って何があるの?

 

42: 名無し 2006/09/03(日) 18:01:55

蒲池の騙まし討ちとかじゃね?
その前に大村純忠を歓待して、無事に帰すってアピールまで入念にやって騙してる
まあ何度も使える手ではないが

つかそれ以外は熊の名のとおり力づくって感じだが

 

46: 名無し 2006/09/04(月) 19:00:33
龍造寺もさんざんやられてるからなぁ
結構東肥前の歴史は血塗られてる

 

47: 名無し 2006/09/04(月) 22:57:37
筑前では負け組だった少弐が流れてきてさんざんかき回したあげく、
肥前でも凋落して最後は熊様につぶされるんだよな

 

48: 名無し 2006/09/05(火) 09:03:19
蒲池誘殺に関してはどこの大名家でもやってることなので謀略が得意とはいえないな
ただやり方がエグイのは同意

 

49: 名無し 2006/09/06(水) 00:43:12
国人衆の家臣化を推進した島津に比べ、熊様って結構半端だよね
有馬はじめ、南肥前に対する政策見てると

 

50: 名無し 2006/09/06(水) 01:16:18
結局、策士だった鍋島の一族がいなければ龍造寺はたいしたことはなかったと思うね。

 

52: 名無し 2006/09/06(水) 12:41:03
竜造寺の一門衆は優秀のようだが。
悉く鍋島直茂に従ったけど。

 

53: 名無し 2006/09/06(水) 12:44:46
ことごとく本家をあっさり見捨てて鍋島に従ったところが
龍造寺(分家)の優秀さを示すのかw

 

54: 名無し 2006/09/06(水) 14:22:43
分家が鍋島に従ったっていうより、鍋島が分家の推挙を受けて家政を取り仕切るようになったんだが

 

57: 名無し 2006/09/06(水) 16:19:57
己の力量を知り、瀕死の佐賀を鍋島へ委ねたのは愚鈍じゃない気が。
鍋島は一門みたいなもんだしな。

 

61: 名無し 2006/09/07(木) 01:36:10
>>57
己の力量を認識出来ない典型が龍造寺隆信じゃん。
隆信の母親が偉かったね。

 

75: 名無し 2006/09/12(火) 10:50:33
>>61
政家のことじゃないのか?

 

80: 名無し 2006/09/14(木) 16:39:24
>>75
隆信のこと。
隆信の母親は、隆信の粗暴さと思慮の無さを憂いていて、
鍋島を龍造寺の婚族にさせた。

 

83: 名無し 2006/09/15(金) 07:01:10
佐賀城のボラガイドも>>80と言ってたね。

 

84: 名無し 2006/09/15(金) 07:55:46
>>80
田手畷の功により清房が家純の娘を娶り、すでに龍造寺の婚族ですが何か
ちなみに二人の子が信生な

 

63: 名無し 2006/09/07(木) 10:05:15
あれだけ勢力を伸ばした奴とその一門が愚鈍ってことは有り得ないだろ

 

64: 名無し 2006/09/08(金) 13:43:42
>>63
だからすべては鍋島一族の功労の結果だよ。
龍造寺はすべてが愚鈍ではないが、鍋島一族がいなければ、
肥前の中小豪族のままで滅びてるよ。

 

65: 名無し 2006/09/08(金) 14:15:05

それはいくらなんでも言い過ぎのような・・・

まあ隆信死後についてはそうかもしれんが

 

67: 名無し 2006/09/08(金) 21:46:32
隆信がいたから頑張れた

 

68: 名無し 2006/09/09(土) 00:35:37

後世これだけ評価されてる鍋島が、命がけで仕えたってのは
それなりに隆信もいいとこあったんじゃないの?

資料とかしらねーよ。地元民の勘だ。

 

69: 名無し 2006/09/09(土) 14:13:46
>>68
もしそうなら乗っ取りなどはしなかったと思うよ。
そりゃ隆信だっていいところはあるさ。無ければ誰もついてこんよ。
ただ、隆信は人間的に否定的側面の方が強いということ。
ただ、その冷酷非情さこそが、大友や島津にはない隆信の攻撃的体質であり、
それが龍造寺をたとえ即席にすぎないにせよ、大友や島津と肩を並べる存在にさせたのよ。
ただ、それがあだで龍造寺は短期に凋落してしまうが。

 

70: 名無し 2006/09/09(土) 14:24:09
隆信の首を受け取らなかったのは島津を欺く為で本意では無いぞ。つまり隆信が家中を掌握できなくなっていたとか、検討違いに思う。
隆信死後に鍋島が台頭したのも鍋島が優秀だからというか、沖田畷で有力家臣が死に絶えたからと思う。

 

71: 名無し 2006/09/09(土) 19:15:00

隆信は家中の掌握はできてただろ
ただ有馬大村等の有力豪族を形式的な臣従しかさせられなかっただけで・・・

時間かければまた結果も違ったんだろうが

 

72: 名無し 2006/09/10(日) 05:23:49
隆信は家兼以来の譜代の家臣以外は、ほとんど家臣化に失敗している。
だから崩壊も急速だったんだよ。政家がアホすぎたことも理由だが。

 

73: 名無し 2006/09/11(月) 21:29:01
直茂が優秀なのは否定しないし、一個人では竜造寺家臣群では一番だと思う。
しかし歴史は勝者の都合のいいように変えられると言うのはよくある事だと思う。
竜造寺一門や他の家臣がメインでやった事も少しでも直茂が関わった事は
直茂の手柄になっていると言う事が多々あると思う。

 

86: 名無し 2006/09/15(金) 19:20:11
地元の人間は龍造寺なんぞ知らん

 

88: 名無し 2006/09/19(火) 14:47:03
>>86
やっぱ地元の人間は鍋島マンセーなのか?

 

89: 名無し 2006/09/19(火) 14:54:25
佐賀人だが別に鍋島派じゃないぞ
消防の頃は面浮立も踊ってたし
その前口上で今山の合戦のことも言ってた

 

90: 名無し 2006/09/19(火) 18:03:56

オマィ等 龍造寺一族の出生地を知ってるか?

奈良から和歌山にかけてだよ

 

91: 名無し 2006/09/20(水) 13:40:04
つか、地方豪族って土着しただけで、別の地方から来た一族なんてザラにいるだろ

 

92: 名無し 2006/09/20(水) 18:29:30
>>91
大友氏とか足利氏もそうだね。

 

93: 名無し 2006/09/20(水) 18:44:35
宣教師が隆信のことをカエサルだと言ってるけど島津や大友みたく南蛮貿易とかはしてたのかな?

 

94: 名無し 2006/09/20(水) 20:17:19
全然してない。

 

95: 名無し 2006/09/22(金) 13:46:56
まあ隆信って元坊主だし、キリシタンには抵抗あっただろうね
南蛮貿易を考えるとキリシタンをある程度は受け入れないとできないし

 

100: 名無し 2006/09/23(土) 18:54:15
龍造寺家の火繩購入だけどどこから仕入れてたかわかる人います?

 

101: 名無し 2006/09/24(日) 22:34:02
>>100
やっぱ平戸からじゃない?
(ただの推測ですが)

 

102: 名無し 2006/09/27(水) 01:25:48
基本的にキリシタンは弾圧してたし、日本商人経由で入手してたんだろうけど・・・
龍造寺の領内に貿易港ってあったか?
後期の頃はともかくとして

 

103: 名無し 2006/09/30(土) 15:12:21
そもそも龍造寺って火縄をどれくらい使ってたの?
島津あたりに比べてやはり数は少なかったんじゃないか?

 

104: 名無し 2006/09/30(土) 21:41:27
昔見た諸大名の比較表じゃ、アホみたく大量に所有してたけどなあ。
あれは奈良本氏のおもしろ事典か何かだったと思うが、
ちゃんとしたソースはどこかにないものか…

 

105: 名無し 2006/10/01(日) 04:24:07
室町時代朝鮮の「海東諸国記」に小城の千葉氏が朝鮮と貿易をしていることが
書かれており、山越えで博多を通じて交易していた模様
大内に誼を通じていた竜造寺も博多を窓口にしていたのでしょうか・・・

 

117: 名無し 2006/10/06(金) 16:37:26
熊萌え
NHK大河で、熊やれ

 

119: 名無し 2006/10/07(土) 00:36:24
>>117
龍造寺隆信は、おぞましい。

 

118: 名無し 2006/10/06(金) 19:42:33
それはビジュアル面でキツイものがある。

 

120: 名無し 2006/10/07(土) 03:39:37
大河だとむしろ熊は名脇役のようなきがする
今川義元的なw

 

121: 名無し 2006/10/07(土) 08:09:19
熊いいじゃん
悪だくみ・伊達政宗だって高視聴率だったんだし。
たまには毛色の違う奴やらないと飽きるよ

 

173: 名無し 2006/10/19(木) 03:28:41
大阪府堺市に「百武理容店」という店があった。
佐賀県出身らしいが、単なる同姓なだけなのかな?

 

176: 名無し 2006/10/19(木) 14:31:25
>>173
佐賀で百武だったら、(養子も含め)同祖だと思うけれどなあ。
鍋島姓のように、百武姓がばら撒かれていなければ。

 

177: 名無し 2006/10/19(木) 17:36:20
>>176
百武といえば、
侍従武官の三郎海軍大将、
偏屈反戦家の源吾海軍大将、
餓島守備の晴吉陸軍中将
の3兄弟は佐賀市出身。

 

178: 名無し 2006/10/19(木) 17:42:01
>>177
みんな城下町在住武士の出身かな。

 

174: 名無し 2006/10/19(木) 06:59:18
佐賀に行けば、百武さんは珍しくない

 

176: 名無し 2006/10/19(木) 14:31:25
>>174
佐賀県中部から東部に多い。
特に江北町では人数で上位5位に入っているはず。

 

242: 名無し 2006/12/10(日) 00:12:59
俺、長崎県北在住だけど百武は割りとポピュラーな苗字だよ。

 

243: 名無し 2006/12/11(月) 21:09:47
アマチュア天文家に百武っていたよな?

 

246: 名無し 2006/12/12(火) 19:48:39
しかし円城寺はなかなかいまい

 

247: 名無し 2006/12/12(火) 21:47:10
江北だかに円城寺がまとまっている集落がなかったか

 

248: 名無し 2006/12/14(木) 21:56:21
>>247
本当? いつか佐賀の実家に帰ったら、電話帳を探して見ます。
百武も江北に多いね。

 

249: 名無し 2006/12/14(木) 23:55:42
佐世保だよ。

 

250: 名無し 2006/12/15(金) 01:29:10
ちなみに佐世保は佐賀や福岡の人が移住してきた町だから
百武姓が普通にあるのかも。

 

251: 名無し 2006/12/28(木) 00:24:28
佐世保に百武が多いとは知らなかったな
今度分布とか調べると面白いかもな

 

252: 名無し 2006/12/28(木) 16:36:22
同僚に佐世保出身で百武って人がいるが賢兼の子孫なの?
百姓が地元の有力者に姓をもらったり自称することはよくあると聞くが。
本人に聞いてみたけど戦国に興味ないらしくよくわからんって言われた。

 

331: 名無し 2007/08/19(日) 00:47:59

取り敢えず四天王の死亡描写。
沖田畷の合戦で有馬島津連合軍の強襲をうけて……

成松信勝
「御先」にいたというぐらいだから、おそらく前線にて戦闘。
主従16、7人に減らされ休息していたが、周囲の同輩の討ち死にしていくのをみて
「大将の御前にて討ち死にを遂げ、生前に兼ねての御恩を奉り報いるべし」と決意、
金地に日の丸の扇をはためかせて
「我は豊後の大友八郎を討ち取りたる成松遠江守と言う者ぞ」
と名乗り、長刀を手に家人とともに島津勢百人に挑み、7人をなぎ倒して後、討ち取られた。

百武賢兼
これも「御先」にて敵を防ぐ。
主従40人余りで戦い、隆信を落ち延びさせるために近寄る敵に辺り、一人残さず討ち死にした。

円城寺信胤
もともと隆信と同じ家に覆われたよろいを着ており、隆信の名を名乗り、
影武者として戦い討ち取られる。

しかし奮戦むなしく、隆信は討ち取られ…

江里口信常
「負け戦の常」でどこで戦っていたかは不明。
隆信討ち死にの音声を聞き、討ち取った首を左手に提げ、髪を乱して、島津勢のふりをして敵陣に紛れ込む。
首を見参におよぶふりをして馬上の島津家久に近づき、首を投げかけ、切りかかり、家久の太ももを斬る。
そのまま家久の馬廻に取り囲まれ、家久が「無双の剛の者、助けよ」と呼ばわる間もなく殺される。

木下さんは鍋島の下にて戦っていたとか。
沖田畷で討ち死にしたとも、生き延びたともいうようだが、細かい事は知りません。

 

332: 名無し 2007/08/19(日) 00:51:46
やっぱり、江里口が一番輝いて見えるね。

 

333: 名無し 2007/08/19(日) 02:36:33
しかし名のある武将のほとんどが討ち死になんて、滅多にないな

 

334: 名無し 2007/08/19(日) 03:46:31

沖田畷にて討ち死にの面々、これは…

龍造寺隆信
龍造寺康房
成松信勝
百武賢兼
円城寺信胤
江里口信常
木下昌直?
勝屋勝一軒
小川信俊
安富純治
納富能登守(家輔、賢嘉)
徳島信忠
徳島信盛
安住家能
安住秀能
秀島家周
枝吉種次
宇礼志野通治
執行種兼
執行種直
執行種国
執行信直
蒲原信俊
少弐資宗
関新左衛門
中牟田七郎兵衛
中牟田新兵衛

 

340: 名無し 2007/08/19(日) 07:24:21
やはり詳しい方もいるんですね。
>>334
名のある将がことごとく討ち死にしてますな・・・
これでは御家滅亡も仕方がないか…

 

341: 名無し 2007/08/19(日) 09:05:14
龍造寺への忠誠心が残る家臣や実力者は、ほとんど戦死
鍋島への抑えをきかせることができる人物は皆無だもんなぁ
しかし九州の戦いは、当主をはじめ有力者が討ち死にって多い希ガス

 

342: 名無し 2007/08/19(日) 11:32:24
家久がいるからさ

 

343: 名無し 2007/08/19(日) 13:50:59
九州ってか、島津だな
釣り野伏せは難しいが、はまればそういう戦法だもんな

 

-毛利 柴田 伊達 九州

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