京極高氏というべきじゃない?
どっちかと言うと「同誉」の方につっこむべきだと思うんだが。
本当は「導誉」が正しい。
尊氏も、吉良上野介とおなじように
現代では冷静な評価がなされている。
彼に集まる武家勢力も彼自身も、
倒幕後の体制を整えるうえでは、現実路線だった。
後醍醐天皇の延喜天暦聖代へのノスタルジーにもとずく理想主義が
戦乱を長引かせてしまったともいえる。
挫けて「死にたい」などと言ったり
お地蔵さんに救済を託したり、
意外なほどデリカシーを持った
およそ開幕した武人英雄たちとはタイプの異なる
やさしい人物だったみたいだ。
黒駒にまたがる肖像が有名だが、
あれは実は高(高階)師直の肖像じゃないか、って説もある。
江戸時代の忠臣蔵では吉良さんが師直におきかえられていた。
しかし、尊氏が南北朝を長引かせた原因では?
確かに源頼朝や徳川家康がいい人とはいい難いかもしれない。
しかし、政治家としては、時として非情さが必要では?
今の小泉はその非情さがない。
まあ、そうは言ってもあの時代の最前線にいながら天寿を全うしただけでもたいしたもんだと思うが。
少なくとも、ただのボンボンじゃない。
それに、そもそも尊氏って政治が嫌いだったんじゃないか、という気もする。
前半は直義が大半の政務をとってるし、後半はさっさと義詮に全部任せたがってるようにも見えるし。
その点では、観応の擾乱も直義に権限を与えすぎた尊氏の責任という面が大きいですね。
>> 29
ちなみに足利尊氏は、大往生じゃなくって
瘍(よう)という原因不明の皮膚ガンのような症状で没したらしい。
イマジネーションをはたらかせると、
背中に遅効性の毒矢のような狙撃をうけたんじゃないかな?
遅効性だったので放置しておいたことが致命的になったのでは?
足利尊氏は数え年54歳だから、死因が老衰とは言い難いね。
「よう」は、要はオデキのバケモノですよ。
ペニシリンなんてなかった当時、ようで亡くなる人も
多かったとか。
徳川家康もこれで死にかけているし。
これは政治の得手不得手の問題じゃないんでは?
弟の所へ養子に出した実の息子とも抗争してたような…
弟を殺し、(嫡子ではないが)実子とも抗争し、って凄まじい人生だよね。
殺す時期が遅すぎる!頼朝ならとっくに殺してる。
後醍醐天皇に対する処置も激甘。そのせいで南北朝ができてしまった。
政治092 政治100 政治87
戦闘090 戦闘056 戦闘96
智謀074 智謀091 智謀100
野望093 野望082 野望74
魅力100 魅力073 魅力84
史実人物コーエー化スレの住人からすれば高すぎ
コーエーが太平記ゲーム作ればそのくらいだろうな。
っていうか作って欲しい
楠のほうが尊氏より戦闘高いのか?
実際は楠がボコボコにされたじゃねーか。
一応あれでも生涯に負け戦はそう多くない
不敗将軍と言ってもいいくらいの軍功を残してるのに
長崎高貞以下か。そうなのか。
いまだに新田義貞だけ出てきてないとわ・・・
新田義貞
政治:40
武力:80
智謀:20
野望:70
魅力:60
こんなもんだろ
政治0 政治30
戦闘0 戦闘10
智謀30 智謀100
野望30 野望0
魅力200 魅力80
楠木正成を勝手にライバル視して笠置山に単身突撃したアフォ。
あわてた他の武士が追いかけて援護した。
生涯にわたって寝返りに寝返りを重ねた奴。
最も良識ある人物のひとり
>>82-83
幕府滅亡時は、楠木正成の千早城攻めに参加していて、六波羅にも鎌倉にもいなかったので、取り残されて命拾いした。
>>84
西園寺公宗&北条泰家の後醍醐帝暗殺計画発覚の時に関係を疑われて処刑されたのでは?
太平記物は右左の思想問題があるので、ゲームの題材にはなりにくい。
戦国史というフリーのSLGで、足利尊氏シナリオがあるよ。
西の朝廷(後醍醐)vs 東の足利軍団(尊氏)
メガドライブで出てるじゃん。
大河の時に便乗して。
両方ともやったことはないが、面白いんかな?
第二鎌倉幕府を開けて南北朝も応仁の乱も無かったかも。源頼朝に尊氏も忠義も学ばなかったのか。
ただ織田信長も埋没してたりして。
いや実際に制圧後に鎌倉で仮政庁みたいなのを作って
一時期は政務をとりしきっていた。しかし論功行賞までやりだしたので
大塔宮が切れて追いかけてきた。
明らかに朝廷から謀反人扱いされている段階で頼朝の政策と比較してもしょうがないでしょう