劉邦はショウカがいなければ劉邦は天下を取れなかったと思う
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組織作りという点では並ぶものなき功だね。
漢中をまとめてからせっせと食料送ったのも勝因の1つじゃないかな
このスレの軍師の定義は何?かだね
俗に言う宰相的な人物を含むのか、軍の参謀的な人なのか
ただ軍略家という形がここでは適当で、あるいは局地的戦闘においてのみ戦術を指南・献策した人は定義からいってズレるな。
参謀長にはなれないというイメージも含めて
>>162のイメージは張儀ではなく蘇秦や蘇代のイメージだろ
そもそも同じ天下三分でも蒯通と諸葛亮のでは格が違う。
諸葛亮の天下三分の計は自然の要塞蜀に立て篭もろうってだけだし。
北伐の意義も曖昧だし、歴史に名を残すために行った「行事」であったことは否めない
魏が蜀征伐に晩年まで本腰いれなかったのは、あの自然の要塞に数万の兵で立て篭もられたら、被害甚大なのが目に見えてたから
スレ違いだが諸葛亮の天下三分は荊州あってのものだよ。
荊州を関羽が失陥したため、より北伐に注力しなければならなくなった。
条件が変わったのに計画を大きく変更しなかった点については是非があると思うけどね。
涼州を落として三輔を手に入れることの意義が曖昧とはこれ如何に?
まあ仮に北伐が成功していても魏の天下を覆せるとこまで行けるかはわからないけどね。
伍子胥が一番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、五月五日の祭りのネ申なんだろ?
「屍に鞭を打つ」という語源を作るなんてクールでカッコイイじゃないか。
陳平が二番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、兄嫁に手だして物にした剛の者なんだろ?
倫理なんて糞としか思ってないところがカッコイイじゃないか。
太公望が三番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、ようするにただの裏切り者だろ?
義理人情は糞としか思ってないところがカッコイイじゃないか。
申包藷?だったっけか。
伍員の幼なじみは、かなりひいちゃってそう表現したんじゃなかったか。
クールというかヒールな逸話だと思うが・・・。
その後に今は反省しているという手紙を送ったので、人の道を外れているとは言い難い
だが特に理解できなくもないのは、現代人だからかな
あとは?范蠡?管仲?
范蠡に一票!!
この人の功績や処世は後世の模範になってるんじゃないかな
>>182
無一文の状態から農業で大金を稼ぐ
その大金を惜しげもなく民衆に分け与えて無一文になっても今度は相場師になって大金を稼ぐ、国の宰相になっていたら、その国は強国になっていたと思うよ
ネタか?
陶朱公=范蠡
奴の場合は軍師ってよりも学者
それで黄河に頼った国防が可能になり国内を固めるのに大きな影響が出たはず。
魏が西河を失う時期は前330年頃で、商鞅の死後。
その前年に雕陰で戦争があり、秦軍を率いた人物は公孫衍で、対した魏の将軍は龍賈。
魏は龍賈が捕虜となり、八万のうち四万五千の兵を失う。
河西のことかな?
この頃、商と何か土地を与えられて、公孫鞅から商君と呼ばれる。
漢では要所要所でえげつない策を打ちたて楚陣営に楔を打ち込んでいったんだし。
もし項羽の下で実力を発揮出来ていたら張良と良い頭脳合戦を繰り広げていただろうな。
政治家としても超一流だし。宰相としての器量、謀略共に范蠡に負けず劣らずな感じもするしね。
軍師や謀臣と判別される人物
張良 孫ビン 陳平 范蠡
范増 呂尚(太公望) 先軫
史記を読む限りでは、先軫も範疇に入ると思います。
范蠡は名相と言った方がいいと思うが、
呉への策謀を行ってるしどうなんだろうなぁ?
下記の人物は軍師ではありません。
孫武 趙奢 呉起 楽毅
伍子胥 藺相如 司馬穰苴
藺相如は名相の部類だと思いますが?
あとは自ら兵を率いて戦った将軍です。
>>212
>范蠡は名相と言った方~呉への策謀を~
范蠡は名相であり、超一流の策士だと思います。
個人的には范蠡は陳平の春秋版だと思いますがいかがでしょうか?
(強かさとえげつなさでは両人とも甲乙付けがたいと思いますが)
孫武は呉の兵法指南役であり、軍事の最高責任者。
闔廬の命令で自ら兵を率いて戦ったとありますから、将であり軍師であると思われますが。
戦国時代を実質的に収束に向かわせた秦の軍師だぞ
陳平も宰相経験者で、張良も宰相やってたこともあるよね
現代日本語で言うところの軍師的な活躍をした人間を挙げているスレなんだろう? 違うのかね
戦国七雄の内実質的に三晋を滅ぼしている
趙と長平を争い情報工作で廉頗を更迭させ一気に衰亡させた
魏を徹底的に討ち果たして秦に入朝させ中原を制圧した
これらの情報工作が無ければまだまだ戦国時代は続いていたし、燕によって一敗地に塗れていたが復興しつつある強国斉、国家のポテンシャルとしては秦をも凌駕する大国楚があって三つ巴になっていただろう
陳平は軍師から後に宰相に昇格した人。
張良は韓の宰相で貸し出しという形で漢の軍師及び相談役?をやってた人。
范雎は遠交近攻を上奏して宰相に抜擢された人で、
あくまで秦の宰相として国家戦略を打ち出していっただけで軍師ではないと思うが・・・
軍師だの宰相だの参謀だのの定義にこだわらんでいいとおもう。要は「すばらしい軍略を行使した人物」だと思うがな。
よって1位太公望 2位 士会 3位 楽毅
当時の大国 斉の首都を占拠。歴史的に彼以上に武功のあるものがいるのかというくらいである。
当時、兵法などまともにない時代にかの?の戦いにおいての撤退指揮は神がかってるとしかいえん。士会がいなければ天下は楚の荘王にとられていただろうなと思う。
八百諸侯の頂点に立つゆるぎない大国 商(殷)を滅亡(後の宋につながるが)まで追い込んだ軍略、手腕は諸葛亮でさえ無理だったのでは、とおもう。詳しくは忘れてしまったが、一部有力諸侯の離反かつ包囲網作戦、ゲリラ作戦、緻密な情報戦、世論を味方につける等、当代にも通ずる戦上手。
一見いい事言ってる様に見えるが、それ全部宮城谷作品じゃん!!
小説で活躍してないから、張良先生・陳丞相・陶朱公・孫子は論外ですか。そうですか・・・
袋叩きにされる前に史記ぐらい読んで出直しな。
>>221
史記も横山マンガだが読んだよ(4,5回読み返したよ)
赤龍王もな(てかこっから入った)
あと左志伝も書籍で読んだよ。
だがな、おまえもどうせ横山マンガの史記読んでゆってんだろうけど横山先生のときはまだ日中友好条約が結ばれてなくて今ほど分かってなかったのだよ。
ちなみに張良も陳平もはんれいもPHPの文庫本の小説を読んだよ。孫子にいたっては何冊読んだか分からん(ほとんどがビジネス書的なものや孫子の兵法の解説書だったが)
当然われわれが束になっても及ばぬほどの英傑たちだがなぜ選ばなかったのかを説明するよ。
まず張子房。 この人はたしかに軍師かもしれんが戦略家という側面のほうが秀でてるとおもうぞ。まともに戦を指揮して活躍したと聞いたことがない。おそらく戦においては韓信のほうが上ではないか?劉邦の危機を幾度も救った功績(鴻門の会や桟道の焼き払いなどな)があるからどちらかというと相談役だと思ってる。 そういう意味での三傑なら管仲も挙げねばならぬ。だから挙げなかった。
滅亡寸前だった国が覇まで唱えた国をその長所を助長する事によって
滅ぼすなんて他に例を見た事無いのだが
陳丞相はあのえげつなさがいいの。
楚陣営に楔打ち込んだ時や美人画の策も彼が人間の心理を巧みに付いた策略、呂后でさえ欺いた頭のキレ、策略だけでなく、左丞相にまで上り詰めた政治家としての能力。どれも俺は好きだ。
陶朱公こと范蠡は策士、政治家てしては陳丞相の先駆けと俺は思っている。>>222の言う通り滅亡寸前だった国が覇まで唱えた国をその長所を助長する事によって、滅ぼしたのは彼の凄いところだろう。美女を送りこみ君主を駄目にするなどえげつなさも中々なものかと思うし、躊躇うコウセンを諫め呉にとどめをささせたのも彼の力。隠遁後商人として二度も成功してるし、マルチ過ぎ。
張良を推す流れが強いけど、私は韓信に一票入れたい。同時代、張良と范増を比すると前者が上とされがちだけど、戦略眼として范増は張良にひけを取らないと思う。上に立った人物の差が大きい。張良が項籍に仕えてたら、范増と同程度の活躍だったと思う、ただ死に方は違ったかもしれないけど。
で、張良と范増に比べ、韓信の方がより有能に感じる。
張良がいなくても、韓信がいれば漢は時間はかかっても楚に勝利しただろうが、韓信のいない漢で、張良の軍略をもってそこそこの将軍が軍を率いて、楚に勝利できたかは疑わしい。
張良の仕事は大規模な宣伝戦略だろ
ナチのゲッベルスみたいなさ
韓信は軍師じゃなくて戦略も理解してる将軍じゃん?
>>247
韓信は中国のみならず世界軍事史上の名将ですよね?
軍師・参謀の類とは別次元な人物
張良は軍事どころか諸問題、果ては韜晦まで謀れる偉大なプランナー
例え項籍が主君でも張良の手腕なら范増の様な結果にならないと思います。
亜父とまでいわれた范増を追放するような主君を持ったらどうしようもないと思うが
実際張良は劉邦避けて仙人になろうとしたし殺されないようにするのが精一杯だろ
一応斉を統治してるけど中華全土を束ねられるかは疑問だね。
まあ張良とは根本的に役割が違うからどちらが優れてるとは比べることは出来ないし。
「平定した後のグランドビジョン」は無いだろうね。
でもそれは韓信やここで言う軍師の仕事じゃなく、君主である劉邦の仕事だろ。
ミクロな謀略なら当時右に出るものはいないんじゃない?
ただそれが出来たのも、一時とは言え項羽に仕えて内情と人となりについて詳しかったお陰だろう
ポンと置いて、さあ謀略しろと言っても中々難しいかもしれん
現に彼を手放した項羽は陳平の策で自陣営をガタガタにされた訳だし、えげつない策略を考える能力は范蠡に負けず劣らずな感じがする。
太公望は実在が微妙だから、代りに入れるとすれば孫武あたりかな。
基準は、主君に天下を取らせたってこと。孫武は著書が後世に絶大な影響を与えたあたり。
主君を選ぶ目、主君に選ばれる器量、その主君が天下を取る器ってことも合わせて名軍師だと思う。
諸葛亮は政治家や一軍の将としては優秀だったろうけど、劉備に仕えちゃったあたりでもうダメ。
逆に言えば、彼が張良や陳平ほどの軍師なら、劉備が天下を取ってたかも知れんし。
俺はこの三人にする。
姜子牙
伍子胥
張良
どの戦いでどういう作戦案を立てて自軍を勝たせたかが記録に残ってる人としては、斉の孫月賓かな。
参謀=自分で軍の指揮を取ってない人限定ね。
軍師としてこうあって欲しいという理想像みたいな感じで。
軍師ていう定義が曖昧だな。俺の中では范蠡が最高の理想だな。後世へ制度への影響すらも残した商鞅は最高クラスの軍師(トップ補佐官)だろう。韓非子がその次点。
寇恂なんかは、能力的には張良の智謀、韓信の用兵相当のレベルを兼備した理想的軍師と思う。さらに戦国の縦横家並の外交術と保身術すら備えているぞ。
残念ながら後漢だが前漢を新まで含め新が完全に消滅する前に誕生していたという意味では入るぜ・・・藺相如と孫臏と張良と蕭何足したくらい有能だ。
寇恂ってすごいね。各分野に於ける才能マルチ過ぎ!!
まだまだこれからって時に病死したのが悔やまれるが…
2孫武
3張良じゃね?
ほぼ同意。孫子はやはり入れるべきだろ
世界的に名声がある。
孫武は兵書を書いたりしているがじゃあ孫武は軍師なのか?
歴史的には軍師じゃなかった
彼は優秀な将軍だったのだよ
呂尚
管仲
張良
でFA
呉子は軍師としてそいつらより落ちる。
孫子に至っては軍師ですらない、とのこと
管仲は宰相兼将軍兼外交役だけど軍師とはちげぇわな
管仲は宰相兼将軍兼外交役であって軍師じゃない
史実の太公望がそうなんだろうというのは分かるが、
管仲がどう軍師と違うのかよくわからんのだが。
そこまで丸投げしてたら演義孔明とほとんど変わらんじゃん。
孔明は劉備の軍師やってた時期もあるが、管仲は桓公の軍師だった事はない。
鮑叔の推挙でいきなり宰相に抜擢されたからな。
春秋:管仲、范蠡
戦国:孫臏
西漢:張良
のうち三人でいいだろ。
張良のどこがすごいかあんまよくわからん
韓信とショウカだけでいいんじゃね??って思う
衛青とか士会、屈庸
この辺は軍師じゃないの??
張良がいなかったら劉邦は関中に入ることすらできなかったぞ。
秦軍に手こずってる間に項羽に先を越されてた。
もし項羽に先んじることができてたとしても秦宮の女にうつつを抜かした挙句項羽の大軍に叩き潰されて終了。
衛青は将軍
士会は将軍かつ政治家
屈庸は政治家
軍師とは言い難い
陳平のような随時に局所で修正していく個別事項対応の型に分けられる感じ
これとて大雑把な分け方ではあるにせよね
うん 一番勉強ができて常識人で自滅しないタイプか?フィクサーというかアドバイザーというかそういう感じするね
陳平は頭も当然いいけどもっと具体的に…コズルイ感じか
魅力的だ
それ以外の人はどっちかってゆうとオールマイティに力を発揮したって感じかな。
ただ、横山光輝の漫画読んでると、范増が一番すごいと感じる。范増の人を見る目はハンパない。
范増は結局陳平に負けたようなもんだからなー
陳平可愛がっときゃ自身の失脚は無かったろうに
1位張良
項羽という強敵をやぶり劉邦を皇帝にした
2位范レイ
勾践を見事覇者にしたが、相手が夫差という二流の敵という点で張良に一歩落ちる
3位孫武
活躍は他の軍師と比べると劣るが、孫子の作者補正で
無敗だし。