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【伊能忠敬】日本の探検家たちについて【間宮林蔵】

5: 名無し 2017/11/29(水) 21:43:23.64
同時期の探検家と言えば最上徳内と近藤重蔵くらいしか思いつく人が他にいない

 

6: 名無し 2017/11/30(木) 17:35:51.55
今となっては間宮の探検って、あんまり意味なかったね。
最上や近藤も。

 

7: 名無し 2017/11/30(木) 17:41:29.25
地理学的にはそうだけど民俗学的には評価高いと思う

 

8: 名無し 2017/11/30(木) 23:02:17.47
間宮の探検は対ロシアの防衛ライン想定という意味で重要だったでしょ
もちろんその後ロシアが攻めてこなくなったから意味がなくなったという側面はあるにしても

 

9: 名無し 2017/12/13(水) 16:53:09.88
この人たちが幕府の密偵だったって本当?

 

10: 名無し 2017/12/14(木) 21:16:02.12
間宮は下級役人で、ロシアが千島を襲撃した時に徹底抗戦を訴えたことが「千島白浪」かなにかに書いてあったな。

 

11: 名無し 2017/12/16(土) 00:59:43.13
政府の黙認ぽい非公認探検家は
みんな密偵にされちゃうよ

 

12: 名無し 2017/12/16(土) 07:37:34.88
樺太探検は幕府の命令では

 

15: 名無し 2018/01/05(金) 22:23:11.19
吉村の小説だと第一回樺太探検で間宮に同行した松田伝十郎が最初に樺太が島であることを確認したことになってるが、
その時に松田(と間宮)が到達したラッカは欧州の探検家ペルーズが探査したところよりずっと南で、
松田の言ったことは答えが当たっていただけのあてずっぽうだったというオチ。

 

16: 名無し 2018/01/06(土) 03:19:35.33
間宮の樺太探検は、間宮の独断だよ。
幕府が命令するわけないだろw

 

17: 名無し 2018/01/06(土) 07:53:44.61
独断ならなんで松田伝十郎が同行したの?

 

18: 名無し 2018/01/06(土) 23:22:38.12
>>17
松田の同行は、松前奉行の命令だろ。
途中で分かれてるしね。

 

19: 名無し 2018/01/07(日) 07:49:32.01
また合流したけどね
独断なら報告書もいらないはずだが
そもそも役人の間宮が勝手に異郷にいくなんてありえんし
帰国後に出世してる時点で探検が幕府の命令だとわかるんだが

 

20: 名無し 2018/01/07(日) 20:03:25.63
東韃紀行に「幕命を受け」と書いてあるんですけど

 

21: 名無し 2018/01/07(日) 23:42:50.47
>>20
北海道や樺太から、どうやって、幕府に連絡して、返事をもらったのか?

 

23: 名無し 2018/01/08(月) 11:51:55.06
>>21
幕府に命じられて樺太に行ったんだよ
樺太に行ってから幕府に命じられたのではない
あなたは順番が逆

 

24: 名無し 2018/01/27(土) 21:10:22.14

樺太~(間宮海峡)〜デレン が林蔵の独断だっけ?

吉村昭の小説によると。

 

25: 名無し 2018/01/27(土) 22:34:56.47
さすがに幕府が大陸行きを命じるとは思えないよな
事後承諾みたいになったけど

 

27: 名無し 2018/05/14(月) 12:48:03.78
伊能忠敬は樺太の地図もつくろうとは思わなかったのだろうか

 

28: 名無し 2018/05/14(月) 21:03:15.09
樺太どころか蝦夷地すら林蔵にゆだねていますけど

 

29: 名無し 2018/05/14(月) 21:48:38.93
蝦夷地は伊能忠敬が測量してたよな。

 

30: 名無し 2018/05/29(火) 14:58:11.89
函館山に伊能の顕彰碑があったと思う

 

31: 名無し 2018/06/06(水) 22:42:55.56
岩場とかどうやって測っていったんだろ

 

32: 名無し 2018/06/08(金) 21:48:42.96
目測かな
ある地点から岬の突端が見える角度を計測し
また別の地点から同じように角度を計測し
それによって距離がわかる

 

36: 名無し 2018/09/01(土) 13:25:48.45

戦国時代、越前を治めていた戦国武将・佐々成政は雪の北アルプスを越え、黒部峡谷を渡り、遠州浜松まで出向いて
徳川家康に同盟交渉をしたという。

俗に「サラサラ越え」と呼ばれるこの山越えは

常願寺川→立山温泉→ザラ峠→中ノ谷→刈安峠→黒部川の平→針ノ木谷→針ノ木峠→籠川谷のルートを使ったというが、

当時の装備で可能なのか?

当時は寒冷地仕様のシュラフもテントもない、防寒衣もない、バーナーもない
カロリーメイトもフリーズドライ食品もない…

ないない尽くしじゃん
おまけに雪の北アルプスといえば積雪量は10m越え…

 

37: 名無し 2018/09/01(土) 21:02:07.80
そりゃまたロマンあふれる話だな
探検というよりも大冒険と呼ぶにふさわしいエピソードだ

 

38: 名無し 2019/07/15(月) 20:50:45.59
松潤が松浦武四郎役のドラマNHKでやってる

 

58: 名無し 2020/06/04(木) 11:07:39.49
>>38
2019.7全国放送され2020.2再放送されたNHK札幌局制作
「永遠のニシパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」
ですね。

 

41: 名無し 2019/08/09(金) 20:04:51.10
間宮で大河ドラマやれば面白いかも

 

43: 名無し 2019/12/22(日) 23:43:32.36
間宮林蔵の大河いいね!

 

44: 名無し 2019/12/31(火) 14:48:08.04
最上徳内も入れてくれ

 

45: 名無し 2019/12/31(火) 17:55:29.28
近藤重蔵も

 

46: 名無し 2019/12/31(火) 20:34:54.96
探検とは違うが漂流民の冒険物語も面白いよな。

 

69: 名無し 2020/06/08(月) 20:40:57.66
間宮林蔵、近藤重蔵、松田伝十郎、最上徳内あたりの歴史ドラマてないと思うんでやって欲しいな

 

75: 名無し 2020/07/16(木) 22:07:02.01

江戸時代に船が流されカムチャツカに行った日本人船乗りが千島列島沿いに南下して帰国したらしいが、
人間の生きる力って凄いなと感動した。

まあ、これは探検ではなく冒険だね。

 

79: 名無し 2020/07/20(月) 15:34:09.09
>>75
18世紀後葉に津軽地方に行き「西遊記」、「東遊記」を
著した京都の医師橘南谿は探検家でよいかな?

 

95: 名無し 2020/08/10(月) 08:32:22.80
>>75
その江戸時代にカムチャツカ半島まで漂流帰還した
日本人船乗りって名は何でAD〇〇年頃の事なの?

 

96: 名無し 2020/08/10(月) 11:38:46.59
>>95
「継右衛門 カムチャツカ」で検索するとwikiはじめ興味深い記事がいくつか出てくるよ

 

77: 名無し 2020/07/18(土) 23:37:13.75
面白かったのは鳥島で20年も過ごして生きて帰ってきた遠州の船乗りだな。
無人島でこんなに長く生きていけるなんてすごい生命力だな。

 

80: 名無し 2020/07/21(火) 22:20:57.55
津軽だと異郷とはいいがたいから、探検冒険というよりは旅行者、かな。
西行とか松尾芭蕉とかと同じ系譜。

 

82: 名無し 2020/07/21(火) 23:23:59.00
>>80
>津軽だと異郷とはいいがたい・・・・・・・
おいおい、それは現代の区分けだろ。現代の視野を
適用するなよ。
18世紀の津軽地方は同化以前の蝦夷聚落のある
異郷・異文化地域。

 

83: 名無し 2020/07/22(水) 11:44:35.83
>>82
いくら異郷人が多くてもいつ殺されてもおかしくない樺太みたいに異国とは違う

 

85: 名無し 2020/07/25(土) 23:18:19.49
>>83
間宮林蔵は樺太から海峡渡ってアムール川下流のデレンという町まで行ってるから、これこそ冒険じゃない?

 

86: 名無し 2020/07/25(土) 23:20:59.35
なんか話がかみ合ってねえな
「冒険もしくは探検ではない」というのは津軽に行った橘南谿の話だろ

 

88: 名無し 2020/07/27(月) 22:30:16.22

探検冒険を特集した本にその区別が書いてあったな

冒険は「危険を冒す」だから別に辺境の地に行くことだけとは限らない
会社辞めて事業を始めるのもまた冒険というわけだ

探検は「調べる」の意味が強いのだそうです
だから異郷の地を調べに行くのが探検
もちろん危険を伴うので探検は冒険のジャンルの一つともいえる

冒険の旅も探検もどこかに行くことだから抗議の意味でどちらも旅行に含まれるってことになるだろうね

 

91: 名無し 2020/08/08(土) 12:51:43.03
伊能忠敬は、その意味だと、探検・冒険というイメージはないね。
かろうじて蝦夷地の山奥に行った時が探検と言えるかもしれない。
最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵の異国調査は探検であり冒険であった。

 

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