1: 名無し 2006/12/31(日) 15:02:18
李自成(1606 - 1645年)は、明朝を滅ぼした農民反乱の指導者。延安府米脂県出身。
清朝は、李自成によって死に追い込まれた明朝の崇禎帝の仇を取るという名目で中国の支配を正当化したため、清代を通じて李自成は逆賊とされて貶められた。
一方、共産党政権以後は、毛沢東が李自成の反乱を起義軍と見なしたことから、再評価されるようになっている。
果たして李自成は英雄なのか? それとも逆賊なのだろうか?
2: 名無し 2006/12/31(日) 15:05:24
漢民族としては英雄で、満州族から見れば逆賊
3: 名無し 2006/12/31(日) 15:13:48
李自成が明を滅ぼしたのは正しかったのか?
4: 名無し 2007/01/01(月) 15:49:39
明は、李自成が滅ぼさなくても、別の誰かが滅ぼしていただろう。
まさに明は天命が尽きていた。
5: 名無し 2007/01/01(月) 20:20:09
呉三桂を臣従させられなかった時点で尾張
7: 名無し 2007/01/02(火) 15:25:46
にしても、李自成も逸話には事欠かないね。
僧侶になって生き延びたという伝説もあるし、間違いなく英雄だろう。
8: 名無し 2007/01/02(火) 22:48:29
金庸も雪山飛狐や鹿鼎記で、李自成は実は生き延びていた伝説をネタに使っているな。
中国ではかなり民間で浸透している人物だね。
11: 名無し 2007/01/04(木) 13:52:41
>>8
武侠小説で李自成はいいネタになるね。
碧血剣とか、白髪魔女伝とか。
10: 名無し 2007/01/03(水) 19:34:51
皇なつきの『黄土の旗幟のもと』という漫画は李自成を扱った作品だよ。
12: 名無し 2007/01/07(日) 13:00:19
李岩と紅娘子は実在の人物なのかな?
21: 名無し 2007/01/25(木) 13:02:10
>>12 現在のところ実在は否定されているのではなかったかな。
李岩は明史にもちゃんと伝があるんだけどね。
出身とされる河南杞県に戸籍が残っていなかったり、兵部尚書李精白の二男という記述も、まったく別人が別の場所で死んでいる記録があったりで。
あと李岩の死の前後の記録にも時系列を追っていくと矛盾があったとかなんとか。
紅娘子も各地にいろんな伝承があるみたいだし
そもそも紅娘子って芸名で本名すらわからんしね。
22: 名無し 2007/01/25(木) 13:35:25
うヴぁ、今調べなおしたら間違えてた。
李岩は独立した伝は明史には載ってないね。流賊伝の中で出てくるくらいだ。
「逆案中の尚書李精白の子」としか書いてないし。
23: 名無し 2007/01/30(火) 20:13:21
伝説の域の人物だね。
24: 名無し 2007/02/03(土) 09:54:52
李岩というか明末農民反乱の問題は文革の影響もろに受けてるからねぇ。
李岩の実在が学問として論議されるのは文革終わったあとの1970年代後半あたりからだから。
明末は、崇禎年間に金属活字が使用されるようになった影響で印刷業出版業が隆盛したため、情報伝播が速いのが特徴の一つで、李自成の乱を扱った通俗小説が順治8年~10年位には複数出回っていたらしい。
これらの通俗小説には李岩の名が散見される。
そこから『綏寇紀略』などの史書に混入し、そこから『明史』に取り入れられた、のではないかとされてるみたい。
26: 名無し 2007/02/06(火) 22:35:58
>>24 >李自成の乱を扱った通俗小説が順治8年~10年位には複数出回っていたらしい。
早いなあ。まだ一部現在進行中じゃんw
13: 名無し 2007/01/11(木) 22:32:21
弱者を助けるため、血の最後の一滴まで絞りだして戦った張献忠先生の方が上。
4人の養子もつわもの揃いよ!
14: 名無し 2007/01/11(木) 23:32:11
張献忠公は人道主義に根ざした、正義の英雄だったからな。
あれほどの人格者、歴史全体を見渡してもなかなか見つかるまい。
15: 名無し 2007/01/13(土) 23:47:28
李自成と張献忠は手を組んでいたんだよね。
最終的に訣別したのかな? それとも連携は続いていたのかな?
16: 名無し 2007/01/15(月) 23:59:50
進んだ方向が違うから。
17: 名無し 2007/01/16(火) 23:44:06
張献忠(ちょうけんちゅう、1606年 - 1646年)は、明代末期の反乱軍の指導者。
陝西延安衛の出身。崇禎3年(1630年)に王嘉胤が反乱を起こすと、これに呼応した。一時は官軍に降ったものの、間もなく高迎祥の下に投じて、山西、河南を転戦した。後に李自成との反目から高迎祥の敗死を招くも、湖南、江西から四川に侵入して独立勢力を形成し、崇禎17年(1644年)には成都府に拠って大西皇帝を称した。
明滅亡後は、清軍の圧迫を受け、粛親王豪格の軍勢と交戦中に射殺された。張献忠は嗜虐癖が異常に強く、残酷な殺戮を好んだ。
18: 名無し 2007/01/18(木) 23:53:57
李自成の「順」とか、張献忠の「西」といった国号は何を元に決めたのかな?
宋までは、主に地名から国号を取っていたようだけど、元、明あたりからよく分からんようになってきたな。
19: 名無し 2007/01/20(土) 15:39:13
元以降の国号は、陰陽五行とかに基づいたものだったかな。
張献忠は西の方に拠ったから、西とか?w
20: 名無し 2007/01/21(日) 23:36:09
側近として仕えていた科挙の落第書生あたりが考え出したんじゃないの。
30: 名無し 2007/02/15(木) 16:34:25
この人は満州族が興隆してきた時期じゃ無かったら新しい王朝を拓けたんだろうな。
時期が悪かった。
31: 名無し 2007/02/19(月) 22:41:36
>>30 北に満州族が興隆してなくても無理じゃなかったかと思ふ。結局滅亡に至るまで流賊の組織的体質は抜けなかったみたいだし。明皇族の残存勢力と争ってるうちにグダグダになって、そのうち別の実力者が出てきたりしたんじゃないかな。
劉邦や朱元璋のようなアクの強さとかしぶとさみたいなものがないんだよな。この頃の満州族が凄かったのは確かだが、李自成勢力の瓦解の早さは異常。天下統一に持っていけるだけの求心力はちょっとないんじゃないかと思うけど。
32: 名無し 2007/02/20(火) 22:43:14
もし満州族がいなくて、漢族の中から明朝に代わる新しい王朝を開く者が出てくるとしたら、官軍の武将の側から出てくるんじゃないかな。場合によっては、朱温みたいに、李自成軍から朝廷へ寝返ったような人物。
そして朝廷側で軍閥として勢力を築き、簒奪へと進む。でも、明朝は皇帝の独裁権力が強化されているし、簒奪まで進むのは難しいかもね。
33: 名無し 2007/02/22(木) 17:01:45
>>32 呉三桂とか?
明は確かに皇帝独裁権が強くなってるけど、それと簒奪のしやすさはあまり関係ないんじゃないかな。明王朝って太祖が以前の王朝と違う手法を色々と採ったけど、結局子孫達が駄目にしてっちゃった感じ。
34: 名無し 2007/02/26(月) 16:15:16
明朝の場合、地方に封じられた皇族が多いから、新王朝を開く時は、その始末も大変なんじゃないだろうか。
35: 名無し 2007/02/26(月) 16:35:21
長安を占領した時点で、知識人を登用して国家の体制づくりに取り組んでいたらもう少しマシな結末だったかも。
36: 名無し 2007/02/26(月) 17:17:07
>>35 つ 牛金星
これ置いておきますね。
てか大順政権で他に知識人らしい知識人っていたっけ?
37: 名無し 2007/02/27(火) 01:55:46
>>36
でも牛金星って架空の人物だって説も有るよね。
38: 名無し 2007/02/27(火) 16:02:08
>>37 牛金星は実在の人物で確認取れてると思ってたけど。
むしろ宋献策……も実在で確認取れてるはず。
李岩のみが黒に近い灰色だったと思う。
39: 名無し 2007/02/27(火) 20:46:17
牛金星は最期どうなったんだっけ?
40: 名無し 2007/03/01(木) 13:52:06
牛金星親子は清に帰順し高官になってる。
乾隆帝は牛金星親子があっさりと寝返ったのが気に入らなかったらしく、牛金星親子は一時的に歴史書から存在を抹殺された。
乾隆帝が死ぬとあっさりと名誉回復。
41: 名無し 2007/03/06(火) 14:22:16
>>40 >牛金星親子は清に帰順し高官になってる。
うわー、何か最悪w
47: 名無し 2007/03/29(木) 13:44:04
>>41
清朝に仕えたのは息子で、金星はその邸で養われて二度と世に出なかったとか。
42: 名無し 2007/03/07(水) 02:35:53
結果論だけど、大順が長安を占領したタイミングというのは略奪型から定住型への組織転換を行う時間的余裕があったわけで、女真があんなに強いとは思ってなかったための失敗なんだろう
43: 名無し 2007/03/07(水) 23:30:08
>>43
呉三桂をもうちっと上手く懐柔して女真を防がせられればね。でもあっさり呉三桂が寝返ってあぼーん。陳円円の話はともかくとして、呉三桂の父親を人質にしたんだったっけ?
44: 名無し 2007/03/08(木) 19:00:43
つーか、後智恵的には潼関と函谷関を固めて、北京の明朝廷の出方を見ながら陝西の支配を固めるのが良かったのでは
たしか李自成の集団も湖北、湖南出身者が多かったんだっけ?
それも長安に落ち着きが悪かった一つの理由かもしれんが
45: 名無し 2007/03/26(月) 23:35:34
この時期に、陝西一帯を固めるのはどれぐらい有利だったんだろう?
経済力的には、江南の方がずっと重要だよね。
陝西に割拠して、その後の展望はどうなんだろう。
46: 名無し 2007/03/29(木) 03:58:40
陝西に割拠して、清が河北を制圧するのを見物
函谷関を固めて守るぐらいか
49: 名無し 2007/03/29(木) 16:33:33
陝西に引き篭もっても河北を清軍に奪われ
背後に当たる蜀を張献忠に押さえられては
行き着くところは自滅しかないな。
50: 名無し 2007/03/30(金) 04:36:26
さあ、それはどうかな。
四川へ兵を出すオプションはあるし、清の動きも流動的だろう。
清が南京の明を先に攻撃したりすると、かなりもつれたのではないか
51: 名無し 2007/03/30(金) 12:03:11
でも、明の皇族と違って求心力がないね。
52: 名無し 2007/04/02(月) 21:38:19
>>51 そこら辺が李自成の限界、なんだろうな。
実際後世の我々から見てもいまいち強い魅力を感じない。
北京占領して即位したまではともかく、それで気を抜いちゃう辺りもうね
陳勝、呉広に似たかませ犬臭さがあるように思う。
結局、李自成の軍が大所帯になり、北京占領までどうにかこうにか漕ぎ着け得たのはひとえに宣伝の効果、これに尽きるのかな、と。
「十八子主神器」とか、「闖王を迎え入れれば税を収めなくてもいい」とか
「闖王がくれば食べ物に困らない、着る物に困らない(たしかこんな意味の歌。うろ覚え)」だとか。
結局、明王朝という民衆を苦しめに苦しめた古い体制の破壊者ではあっても、新時代をつくる英雄の器はこれっぽっちも持ち合わせていなかったのではないかなぁ。
53: 名無し 2007/04/28(土) 23:59:20
税金のない国なんて不可能だからな
54: 名無し 2007/05/01(火) 23:58:56
税金は課さないが掠奪はするw
55: 名無し 2007/05/10(木) 23:38:46
流賊として掠奪を続けているうちはいいけど、いざ政権を倒して、それに取って代わる立場となると、税金のない国にするなんて公約は実現不可能。
何だかねずみ講みたいなの思い起こすな。
56: 名無し 2007/05/11(金) 02:21:13
明朝を打倒する事を目標としたけど、皮肉にも見習うべきは、その明を創建した人物なんだよね。
流賊から政権担当者への移行の方法。
57: 名無し 2007/05/11(金) 20:03:08
朱元璋の真似をすればよかったんだ。
功臣皆殺しw
58: 名無し 2007/05/12(土) 18:38:17
所詮は盗賊ですからね。結局のところ「勝てば官軍、負ければ賊軍」でしょう。勝って長期政権を樹立した劉邦や朱元璋は英雄となり、一時的には勝って政権を建てたものの結局は短期で終わった黄巣や李自成などは逆賊ではないかと。
李自成の失敗と朱元璋の成功の大きな原因としては、抱えていた知識人の人数と質の差が
あったと思います。もちろん有能な知識人を抱えても、それを有効に活用できるか否かはリーダーの資質にも拠るのでしょうけど。
82: 名無し 2007/09/22(土) 23:48:33
元々盗賊の集合体的な性質が強かったから仕方ないんだろうけど、李自成軍ってやることが乱暴なんだよね。
83: 名無し 2007/09/23(日) 00:00:26
李自成なんでそこまで嫌われてるんですか?
84: 名無し 2007/09/28(金) 23:35:46
>>83
いや、そんなに極端に嫌われている人物ではないと思うけど、嫌われる原因として一番大きいのは、明朝を滅ぼして、結果的には満州族の清朝が中国を支配する事態を招いてしまったからだと思う。
87: 名無し 2007/10/17(水) 23:53:24
李自成は時代によって評価が変わりやすい人物だね。
98: 名無し 2007/12/04(火) 19:45:01
李自成側の立場に立つと、明そのものが異民族王朝の元を北に追いやって出来た王朝だしさ
呉三桂が李自成に降るのを潔しとしないにしても、まさか山海関を開いてまで異民族に積極的に協力するとは想像の範囲外だったんだろうな。最悪でも後金に亡命とかそのレベルだろうと
満州蒙古を押さえある程度明の遺臣(漢民族知識人)が流入した女真王朝と中国大陸を支配する順王朝の並立状態は歴史のifとして興味がある
並立すれば軍事的緊張は続くので17~18世紀のアジア的停滞をむさぼったまま欧州の産業革命の荒波に翻弄される事もなかっただろうし、女真王朝は満州の開発しつつアムール川流域で露西亜とぶつかっていたかもしれない
99: 名無し 2007/12/16(日) 23:55:36
ただ、李自成の政権はあまりに基盤が弱いな。
明の残党勢力は残っていただろうし、並立しての存続は難しい。
100: 名無し 2007/12/21(金) 23:27:56
李自成自体があっさりと南明政権に帰順して、王に封じられる展開だってあるかもよ。
101: 名無し 2007/12/26(水) 23:54:17
李定国は忠臣みたいになっているけど、元をたどれば、張献忠の配下にいた人なんだよね。
102: 名無し 2008/01/28(月) 17:29:22
逆賊か英雄かは、立場で違うだろ、勝てば官軍、負ければ賊軍
103: 名無し 2008/01/28(月) 18:46:30
李自成、一応明には勝てたのにねえ
112: 名無し 2008/06/20(金) 23:57:09
闖王を名乗ったり、庶民的な人気は得やすいタイプだな。
それなりに人物としての器はあったんだろう。
上手く士大夫層を味方につければ、王朝創業者にもなれただろう。
128: 名無し 2011/12/01(木) 23:50:01.61
李自成はなぜ朱元璋のようになれなかったのか
130: 名無し 2011/12/02(金) 22:04:24.55
李自成はとても大物とは言えないが
たとえ朱元璋でも山海関抜きで当時の清を相手にするのは㍉
131: 名無し 2011/12/15(木) 09:05:56.16
やっぱり李自成と朱元璋の違いは知識人の差が大きいだろうな。
同じ盗賊上がりでも朱元璋は有能な知識人を抱えてたし特に南京のような大都市を占領した時は劉基・宋濂といった大学者を味方に付けたからな。
ところで明末の盗賊は水滸伝や三国志などの登場人物から取ったあだ名を名乗るのが多かったんだよな
134: 名無し 2012/10/11(木) 04:29:49.35
李自成は結局三日天下だったせいで小物っていう印象あるけど、正直、ほかの盗賊あがりの高祖太祖と比べて、さまで能力人格に遜色があったとは思えんなぁ。幕下に加わる知識人の有無も含めて時の運じゃない?
正史で劉邦・朱元璋が美化されて、かつ李自成が貶められてる分を差っ引けばたぶん、同等レベルの指導者だったと思うんだよね。
時代的に、儒教が浸透してたせいで秦末・元末に比べて明朝の官僚(知識人)が反乱に参加するのをためらったってのが大きかったんではないか
135: 名無し 2012/10/25(木) 11:04:46.91
あくまでも結果論だけど
華南を押さえず先に華北を制した事が裏目になっちゃった感じ
まあ呉三桂が関を開くとは予想出来ないよなー
136: 名無し 2012/11/06(火) 12:54:23.23
>>135 だよねー。呉三桂にしたら、自分が山海関でがんばってるおかげで李自成が天下取れたようなもんなわけだし、感情的に爆発しちゃったんだろね
ただ、当時の中国大陸は南北の経済格差がひどかったから、華南の人士が反乱になびかなかったのは仕方ないかなとも思う。李自成の勢力って基本的には食い詰めた貧民層を母体にしてたわけだし、裕福な南部は「農民反乱ナニソレ」って認識だったんではなかろうか。
明朝倒して正式に帝位に就く前に華南に侵攻しても、現地の反発が強いと判断したんだと思う。
137: 名無し 2013/05/08(水) 00:58:22.63
李自成は流賊であったのも失敗の原因だろうな。
毛沢東は歴史に学んで劉邦など成功した盗賊のやり方を踏襲してまずは強固な根拠地の建設を重要視した。
138: 名無し 2013/05/11(土) 02:31:37.90
清は李自成に勝利し、明の仇討をしたというが、その後、明再興を目指す南明を滅ぼしてるよな。これは矛盾してね?
144: 名無し 2015/12/09(水) 22:14:03.13
>>138
明の仇討とか単なる大義名分だろう
140: 名無し 2015/09/11(金) 22:42:31.90
毛沢東による李自成評価も反面教師としての側面が強いよね(・∀・)
だけど、私はそんな李自成が好きなんだよなぁ。
ちょいと抜けているor甘い人、運がなかった人に惹かれるから。
141: 名無し 2015/09/12(土) 15:24:35.96
訂正
○ 詰めが甘い
× 甘い
だが、都に攻め上ったことは間違いではないと思うよ。
根拠地を強固にしてからと言う意見もわかるが、ライバルたる張献忠と清がある中で、
あの機会を逃したら次はなかったかもしれない。