1: 名無し 2011/11/05(土) 18:14:24.12 0
名将・名軍師がぞろぞろ出てきた時代だよな
2: 名無し 2011/11/05(土) 18:15:25.55 0
司馬炎が女にだらしなかったばっかりに・・・
3: 名無し 2011/11/05(土) 18:17:10.82 0
慕容儁、慕容恪、慕容垂、慕容徳の兄弟が最強でしょ
5: 名無し 2011/11/05(土) 18:19:44.29 0
張賓が諸葛亮を超える最強軍師
8: 名無し 2011/11/05(土) 18:21:48.93 0
冉閔は呂布より強いよな
7: 名無し 2011/11/05(土) 18:21:45.45 0
でもいまいち締りがないよね
盛り上がりに欠けるっていうか
9: 名無し 2011/11/05(土) 18:27:49.75 0
漢の後継国家を自称する国がいくつかあって
漢の威光がまだ続いていた事を思わせる
10: 名無し 2011/11/05(土) 18:31:12.28 0
五胡十六国時代になったのは三国時代に
漢民族にとっての異民族の移住を
進めていたからっていうのも大きいんだよな
11: 名無し 2011/11/05(土) 18:33:12.92 0
慕容紹宗は慕容恪の末裔
12: 名無し 2011/11/05(土) 18:36:20.58 0
最初の「中国文明」自体、昔からそこに住んでいた人が築きあげたものではない。中国史家の岡田英弘氏は、夏王朝は東南アジア系民族が、
殷は北方狩猟民が、周は西方の遊牧民が、それぞれ中原の地にやってきて建てた王朝だとしている。ちなみに、秦も西方民族系である。
まあ、大昔に多種多様な民族が混じり合ってできたのが「漢族」で、そのハイブリッドな文明が「中国文明」なのだ、と言っても別にかまわない。
問題はその後、中国文明が大きな断絶を経験している、ということなのだ。
戦国時代以来、農業技術の発展にともなって、中国の人口はおおむね上昇カーブを描いてきた。秦末の動乱と、武帝の圧政でかなりの人口減があったとみられるが、その後順調に回復し、前漢末(紀元二年)には戸数1223万、人口5959万に達している。
古代中国ではこの数字がピークだったと思われる。この時代、森林の減少など環境破壊が深刻なレベルに達していたことがわかっている。
それ以来、中国は気候変動や疫病、戦乱などに対してきわめて弱い地域になってしまった。前漢→新→後漢という混乱の中、人口は3分の1に激減しているのである。
もっとも、戦乱がおこれば大量の流民が発生するし、王朝が人民を把握する能力自体が落ちるから、実際はそんなに減っていない、という見方もできる。
実際、後漢の144年には戸数995万、人口4973万という数字を記録している。
真の崩壊は、その後やってきた。2世紀の寒冷化と、それにともなう飢饉・戦乱である。「三国志」で有名な魏・呉・蜀の時代、中国の戸数は全部足しても146万、
後漢のなんと7分の1という惨状となってしまった(推定人口は400万~700万)。
19: 名無し 2011/11/05(土) 18:57:05.78 0
>>12
戸籍外の多かったってのが実相だな。
五胡十六国の北朝側も君主こそ非漢族だったが、住民の多数は漢族だった。
13: 名無し 2011/11/05(土) 18:36:32.76 0
三国がそれぞれがんばっても、この程度の人数しか把握できないという光景。これこそ、「ひとつの文明の死」とよぶにふさわしい。世界史上にもまれな一大カタストロフといえよう。
晋の統一(280年)の時には、人口は1616万まで持ち直している(とはいえ、後漢の3分の1にすぎない)。が、統一は20年で崩れて乱世となる。華北の人口はまたもや大打撃を受けて300万ほどになり、しかもその半分は江南に移り住んでいった。
その空白を埋めたのものこそ、五胡、すなわち北や西からやってきた異民族である。4世紀半ば、その数は900万に達したという推計がある。ようするに、「中国文明」の中心だった華北の住民がすっかり入れ替わってしまったのだ。したがって、華北が江南をのみこんでできた隋唐帝国のとき、支配層(両王朝とも鮮卑系)だけでなく、住民そのものが秦漢帝国のときとは別物になっていたと考えていい。
その証拠にこの時期、二重子音がなくなり、RがLに変わるなど漢字の音が変化している。これは遊牧民の言葉のせいだという(岡田氏より)。
さらに、もうひとつ大きな断絶が存在する。
言語学者の橋本萬太郎氏によれば、十世紀を境に言語が変わっているのだそうだ。
たとえば、「たべる」は「食」→「喫」、「のむ」は「飲」→「渇」、「いぬ」は「犬」→「狗」、「め」は「目」→「眼」、といった具合である。
このような基本的な単語が変わるというのは、大規模な人の移動があったことを示しているという。十世紀は、唐末~五代の動乱期にあたる。五代のうち3つ(後唐・後晋・後漢)がトルコ人の王朝であることを考えると、五胡十六国時代のような大幅な住民の入れ替わりがあったのかもしれない。
15: 名無し 2011/11/05(土) 18:39:52.17 0
呂布が乗る名馬「赤兎」
冉閔が乗る名馬「朱龍」
18: 名無し 2011/11/05(土) 18:55:36.73 0
冉閔←読めない
20: 名無し 2011/11/05(土) 18:57:41.95 0
>>18
ぜんびん
21: 名無し 2011/11/05(土) 18:59:34.38 0
ゲルマン人大移動期の欧州みたいなもんだな
名将・名軍師がぞろぞろってことはないな
22: 名無し 2011/11/05(土) 19:01:56.74 0
慕容恪や冉閔は名将
張賓や王猛は名軍師でしょ
24: 名無し 2011/11/05(土) 19:11:12.91 0
戦国期の将と比べると間抜けな死に方のが多い印象で名将揃いとは思えん
25: 名無し 2011/11/05(土) 19:13:26.46 0
王弥は名将なんじゃね
27: 名無し 2011/11/05(土) 19:18:31.24 0
慕容兄弟の父ちゃん慕容コウが真の名将
28: 名無し 2011/11/05(土) 19:19:13.69 0
石勒以外は小者の印象
29: 名無し 2011/11/05(土) 19:20:22.77 0
確かに石勒は大物だが慕容垂も大物じゃね
31: 名無し 2011/11/05(土) 19:24:25.34 0
>>29
身体はでかかったらしいな
33: 名無し 2011/11/05(土) 19:28:54.73 0
漢民族の王朝ってめっちゃ弱い印象
34: 名無し 2011/11/05(土) 19:38:04.26 0
非漢族の王朝も漢族化すると弱体化するな
35: 名無し 2011/11/05(土) 19:38:11.77 0
でも清朝を除いたら栄えてるのは大抵漢民族の王朝
36: 名無し 2011/11/05(土) 19:40:30.56 0
元は栄えてない方?
43: 名無し 2011/11/05(土) 19:57:23.10 0
>>36
版図は拡げたけど栄えたとは言えないだろうね
その時期 南宋は経済発展し文化が栄えたけど
37: 名無し 2011/11/05(土) 19:42:46.97 0
軍事的にはともかく
中華圏の最盛期は宋朝期だな
文明的には世界の最先端だったから
44: 名無し 2011/11/05(土) 19:58:21.25 0
文化栄えても繁栄してなかったんじゃね?
45: 名無し 2011/11/05(土) 20:02:10.04 0
そもそも蒙古族の元が北京を拠点に中国を支配した期間は短い
そのかわり民族文化の保持は出来たけどね
そこが言語すら喪失した満州族との違い
40: 名無し 2011/11/05(土) 19:51:02.20 0
前に立った五胡十六国スレで
三国志で言うと董卓死後あたりから赤壁までを無限ループしてる感じ
って言われてたのがちょっと面白かった
42: 名無し 2011/11/05(土) 19:56:48.98 0
乱れ過ぎてて醜い
東南アジアの戦乱並みに酷い