圧倒的に項羽
史書にある個人的な武勇も将として兵を率いる能力も呂布に勝ち目はない
比較するなら常勝将軍の白起だわ
個人的武勇
李広>呂布
文帝の狩の際、接近戦で猛獣と格闘して殺し、文帝に「高祖の時代に生まれていたら万戸候になれた」といわしめ、少数の兵で匈奴の大軍と戦い、弓で敵の将兵を射殺し、「漢の飛将軍」と恐れられた。呂布の綽名は李広から取られたもの。
人格
李広>超えられない>呂布
荒野を行軍中に泉を見つけても、部下が全員飲み終わるまで自分は飲まず、食事も下士官と一緒に同じものを食べ、恩賞は部下に分け与え、最期は軍が道に迷って本隊との合流に遅れた責任を自身1人で取って自害した。李広の死を知った者は、彼を知る者も知らない者も皆彼の為に涙を流した。
司馬遷は李広の孫李陵と同僚で、老年の李広を間近で見たことがあり、その時の事も史記に書かれているが、その才以上に人格を絶賛しており、その言葉から俳優の松坂桃李や安倍首相が卒業した成蹊大学といった名が誕生した。最近、キングダムの主人公の子孫として、注目を浴びている。
下々のものと寝食を共にした、系の話よく聞くけど、それってホントに将として良いことなのかね
ハンニバルや司馬穰苴にも同じ逸話がある。
李広の軍は李広の性格が影響して規律が緩かったらしいが、部下は皆李広の為に命を投げ出して戦うから打ち破る事は出来ないだろう、と同僚の程不識も評価している。
ハンニバルが率いたのは多民族の傭兵と聞いた
そんな連中にアルプス越えさせたんだから半端ない人望だったんだろうなとは思う
武帝の時の衛青と霍去病
衛青は貧乏出身で下々の兵士の気持ちがよくわかる存在
霍去病は傲慢なところがあったけど、人気があったのは霍去病って聞いたことがある
霍去病が人気あったってのは下々ではなく宮廷内での話で
戦績が衛青より華々しく武帝に寵愛されていたため
宮廷人たちがみんな衛青から離れて霍去病にすり寄っていった
ただし当の2人は自分たちの人気取りなど気にもしていなかったという記述だったと思うが
私が読んだ本だと、兵士からも人気があったと書かれてたと記憶してる
どの本か忘れたが陳舜臣の本だったかもしれない
少なくとも史記の衛将軍驃騎列伝で宮廷内での人気のことしか書いてなかったな
陳舜臣の本は知らんが
漢書の衛青霍去病列伝ではどう書いてあった?
漢書もこの部分はまんま史記の引き写しっぽい
史記を読んでみみたが
>一方大将軍(衛青)の人柄は仁慈、善良、謙譲であり、柔和で自ら天使に媚びるようなとろがあった。しかし天下の人々で代将軍を称揚するものはなかった
(中国文学大系12 史記下 p183)
この「天下の人々で~」のくだりから、宮廷から兵士に至るまであまり人気がなかったという解釈になってるのかもしれない
キングダムの飛信隊とかは李広から引用してるよな
李陵が蛮族に降ったから細いながらも
現在まで血筋は続いてる
曹操劉備孫権辺りの人種の子孫は
五胡十六国時代の晋で滅亡してて存在しないからな
現在の中国人は蛮族の子孫で
勝手に曹操やら劉備の子孫を名乗ってる
曹操は後々まで残ってたような。
と思ったけど荀彧と勘違いしてるかもしれん。
このオッさん(丁公)季布の親戚なのに、人間性とその後の末路が雲泥の差。
なお、この後劉邦に処刑されます
晩年の劉邦はおかしいよね
韓信とかもとばっちりっぽいし
いや韓信は反乱起こそうとしてたし勢力も大きいし、そりゃあ粛清されますよ。
国が成っだ後に大事なのは功臣ではなく、安定した政権運営ができる体制なんだし王族や部下を野放しにした国家はその後に反乱の嵐になったことが多いし、天下人は良い人だけではダメなんだろうね。
足利尊氏は功労者へ気前良すぎるくらいに高い役職と広い領地与えてしまい
コントロールできなくなったから確かにそれは言える
最近の研究だと、尊氏にそれほどまで出世欲がないのに、直義が暴走したみたいな感じになってたよね、確か。
研究って最近だと亀田さんの観応の擾乱の本あたりかしら?
直義は武家が勝ち得た領土を公家に返したりしてたので武士政権の中では煙たい存在だったのかも。ただでさえぶとうはの右筆の高師直(ただし女癖悪い)がいたし
そうそう、それは読んだ。
秀吉も没落したしおかしくなるんだろうね
ほぼ空手の状態からそこまで上がったから、失うのが怖かったのでしょう
いつ殺られるかわからん時代だし…
頂点這い上がるのに必死だったけど、頂点に立ったら今まで必死に自分を上にあげようと頑張ってた下にいる部下が、自分を追い落そうとしてるようにしか見えなかったんだろう
功労者を各地の王にしたら、戦国回帰派に担ぎ上げられそうになったから粛清せざる得なかっただけや。
西郷隆盛やん
秀吉は徳川殺しとかなかったのは失敗
なんとかして徳川を北条上杉と争わせて活かさず殺さずとは行かなかったの?
会津の蒲生と越後の上杉で囲い込んで、更に東海道の領地を細分化して堀尾、山内、福島に分け与えずに、誰か信頼の置ける大大名を配置出来れば家康は封じ込めることが出来た。
でも、蒲生氏郷が早死にして前田利家も死に、宇喜多もお家騒動で弱体化し、東海道の豊臣恩顧の諸大名も揃って家康に付いたからねえ。
魏は曹丕が早死にしなけりゃ違ってたろうよ
寧ろ曹叡。
後継者の指名を間違わなければ司馬懿も王朝を建てずに曹の末裔に忠誠を誓ったかも知れない。血縁関係のない者を皇帝に立てようとした決断は、軍略で司馬懿と対等に話せるほどの曹叡が犯した最大の過ち。
配下に優秀なの結構いたのに誰も本性に気付かなかったんだろうか
それとも歳食って呆けて秀吉みたいに急に変わったんじゃろうか
何かあるとトップが殺されて解決な時代で
自分に才能が無いと理解しているから部下を重用
才能がないから威張らない
情に篤い
だから有能な部下が集まる
なのに天下とった後はひどいよねって話だよ
悪く言えばそうだな。
よく言うなら気のいいおっさんで度量が大きく部下に色々と仕事を任せたので信頼されたんだろう。
孤独の中で疑心暗鬼に陥ってから別人になってしまったが。
項羽ってのは自分に恭順してくる相手には異常に優しいんだよ。
ただ戦いの激しさと、自分に敵対するものに対する悪魔のような苛烈さが後世の項羽のイメージを作った。
なので鴻門の会を何回やり直したとしても結果は同じだった。
項羽の優しさが五臓六腑に染み渡るエピソードだな
ハチャトゥリアンの「剣の舞」を聴くと
此の時の情景を想像します。
連戦連敗の劉備軍が常に物量作戦を展開できた
前線の兵士を絶対に飢えさせなかった。
前線で失われた兵を即座に徴兵して埋めた。
本拠地でいつでも謀反を起こして裏切れる立場だったのに忠誠を尽くした。
それでも陳平に「主上はあなたが謀反を起こさないか猜疑心を抱いているのです」と言われ、一族の男子を最前線に送り出し劉邦を喜ばせた。
秦の下っ端の行政官だったから行政文書の重要性分かってて、秦陥落時に真っ先に取得しに行ったんだよね
そりゃそこまで先見の明があるのが劉邦についてれば、その後の補給と徴兵で有利になるのも当然だわ
降伏した秦王や、お飾りだが楚のシンボルだった懐帝を殺したから、項羽から民心離れた
劉邦は戦国四君の信陵君(魏無忌)に憧れてたから。
呂后をはじめ悪女と言われてる皇后の特徴は「内の権力」を脅かす対象を徹底的に排除して、我が子(次代皇帝)と自らの保身に務めるので地方行政官や庶民には余り見向きしない。なので、愛妾や王として各地に封じられた庶子に警戒心と敵対心が剥き出しになる
っていって粛清から逃げた気もする
韓信の才能を見抜いたのは蕭何やら夏侯嬰やら張良やらとちゃうのか
その蕭何やら夏侯嬰やら張良を使いこなしたのが劉邦だから
それは旗揚げ初期からの仲間内だから見抜いて抜擢したと言うより
ともにやらざるを得ないっうて部分が大きいだけじゃないかの
韓信に関しては「お前等昔からの仲間がそこまで言うなら・・」で抜擢だから見る目があるとは言い難い
韓信の場合は、あまりに有能すぎて「そばにいても必ず裏切られる」との思いもあったんでない?
いやーそれは流石に穿ち過ぎでないかい
まあ韓信の事のみで見る目無いとか少し可哀想とは思うけどな
名もないただの兵卒しかも元敵国の人間をいきなり総大将にさせろとか普通絶対却下だし
項羽はその人柄は恭順でよく人を愛しますので、廉節で礼を好む人士が多く帰属しています。ところが功を賞し爵邑を与えることになりますと哀惜してなかなかあたえません。そのため人士もつきしたがいません。
大王は傲慢で礼にかけておりますので廉節の人士が集まりませんが、よく人々に爵邑をあたえて豊かにされます。ですから頑鈍で利を好み厚顔無恥な連中が多く漢に帰属しています。
項羽については韓信も同じようなことを言ってる
その辺り項羽の方が強かった要因もあるかもなあ
利に敏い奴等は少しでもヤバいとなれば当然逃げだすし死してまで戦おうとは思わんじゃろ
結局純粋さだけでは負けますよと言う好みではない教訓になってしまうが