1: 名無し 2006/01/25(水) 23:39:45 0
どんな生活をして
どんな宗教を信じていたのか
何でもいいので教えてください!
3: 名無し 2006/01/25(水) 23:53:10 0
民族はコーカソイド
語族はインドアーリア系
生活は遊牧民
分布した地域は時期によって異なるが、
確認された東端が現在のモンゴル北部、西は現在のEU東部
5: 名無し 2006/01/25(水) 23:59:08 0
遺跡の多くは墳墓の形で発掘される。
ウラルアルタイ地方のそれはソ連アカデミーによって詳細に研究された。
クルガンで検索。
11: 名無し 2006/01/26(木) 00:22:43 0
12: 名無し 2006/01/26(木) 00:23:45 0
>>11
たしかに有力な説
24: 名無し 2006/01/27(金) 04:18:33 0
紀元前のスキタイについては、ギリシア人が残したギリシア語のものくらいしかまとまった文字資料がないため、どういう言葉を話していたか確実に分かってはいないが、少ない人名などの情報から恐らくイラン系の言語を話していたのでは無いかと推測されているとか。
ただ、スキタイの一派と思しき大月氏のクシャン人たちは確実にイラン系の言語を話していた事が分かっている。バクトリア語と呼ばれるものがそれで、ギリシア系の文字で読み書きされ、中期イラン語の特徴を持つ。古代語のアヴェスター語や同じ中期イラン語のソグド語と同じく東イラン語の特徴が見られ、おおよ東イラン語の中期語に分類されている。
しかし同じ時期のパルティア語や中世ペルシア語などの西イラン語の特徴も少なからず見られるとのことなので、東西イラン語の中間的言語かも知れないという予測もされているらしい。
カニシュカ王がバクトリア語の碑文で、碑刻した自らの言葉を「アルヤ語」と呼んでいるが、カニシュカの前代か前々代からこのギリシア系の文字で自らの言語を筆記するようになったと考えられている。2世紀からアラブ征服がはじまる7、8世紀頃までアフガニスタン周辺で使用されていたようだ。
26: 名無し 2006/01/27(金) 22:19:38 0
月氏=クシャン=スキタイは微妙だな。
貴霜を含めた五翕侯は月氏が大夏征服後に
その国を分割して置いた物だよ。
25: 名無し 2006/01/27(金) 21:04:47 0
連中はマリファナを焚き火にくべてその煙を吸ってハイになっていたというぞ。
33: 名無し 2006/01/29(日) 22:15:18 0
>>25
正確に言うと「天幕の中で麻の実を焼け石にのせてそこから出る蒸気を浴びていた」だ。
単なるサウナでないかと思うが。
28: 名無し 2006/01/28(土) 12:27:05 0
スキタイは遊牧民じゃねえ
農耕スキタイ人ってのも『歴史』に登場するし
29: 名無し 2006/01/28(土) 12:41:25 0
スキタイ人って遊牧民の元祖だよな確か。
しかもコーカソイドだから何気にカッコイイ!
34: 名無し 2006/01/29(日) 23:44:42 0
>>29
スキタイはイラン系じゃねえの?
36: 名無し 2006/01/29(日) 23:48:32 0
イラン系もコーカソイド
ラテン系やスラブ系だけがコーカソイドと言うわけではない
37: 名無し 2006/01/30(月) 01:05:27 0
だいたい「アーリア人」というのもイランやインドを征服した遊牧民だ。
38: 名無し 2006/01/30(月) 01:13:17 0
アーリア人のせいでインドの文明は退化してしまった
今、欧米が築いてくれた経済の下地で頑張ってインドを復活に導いているのは
インドにわずかに残っているインダス文明時代の農耕民族なんだよな
遊牧民は馬乗るのがやたら上手いから昔の戦争ではやたら強かったからインダス文明が滅びてしまったのは仕方ないが
39: 名無し 2006/01/30(月) 01:40:30 0
>>38
アーリア人って騎馬民族だったんでしょうか。
以前古代インドについて読んだら、牛の群れを連れて移動してる人々のようなイメージが・・・
43: 名無し 2006/01/30(月) 11:29:13 0
>>39
戦闘スタイルの面では、キンメリア人やスキタイ人はおおむね騎馬兵として戦ったようだが
古代インドのクシャトリヤ階級はチャリオットや象に乗って戦っていた。
イランはよく知らない。
46: 名無し 2006/01/30(月) 20:09:09 0
イランはササン朝までは、アーリア人がセム系やドラヴィダ系の農民層の上に君臨する、古代インドと似た社会だった。
現代のイラン人はそれらとトルコ・モンゴルのミクスチャー。
48: 名無し 2006/02/05(日) 00:28:39 0
ケンタウロスって要はスキタイのこと?
51: 名無し 2006/02/05(日) 22:50:26 0
フン族は馬から下りると死ぬと思われていたらしい。
ある意味ケンタウロスだな。
56: 名無し 2006/04/17(月) 18:24:14 0
アテアス王の時代が最盛期といわれる。アテアス王はトラキアへ侵攻、マケドニアのフィリッポス王がトラキアに救援軍を出しスキタイは敗北、アテアス王も戦死という大打撃を受けた。指導者を失ったスキタイはイラン系サルマートなど周辺民族に侵蝕され消滅する。
57: 名無し 2006/04/17(月) 20:17:50 0
ミトリダテス戦争の頃にもちらっとスキタイ人が出てくるよね。
60: 名無し 2006/05/08(月) 23:36:51 0
身体を水で洗うことはなく草をすり潰したものを使って髪の毛も洗ったと聞く
それにしても金細工はみごとだね
61: 名無し 2006/05/09(火) 00:01:23 0
って、単にギリシア人の技術者に造らせたのと違うか?>金細工
62: 名無し 2006/05/09(火) 08:14:47 0
ギリシャ本国には無い造形の細工からして「単なるギリシャ職人の製作」では作れない。
64: 名無し 2006/05/09(火) 16:29:01 O
自分も金細工はスキタイ人が造ったと思うが
スキタイ人が征服して農耕をやらせていた農耕スキタイ、農民スキタイとヘロドトスが呼んでいたキンメリア人が造った可能性もある
71: 名無し 2006/05/27(土) 22:17:55 0
ナポレオンはモスクワ焦土作戦に『スキタイのやる事は…』と茫然自失に口にしたとか。
72: 名無し 2006/05/28(日) 00:35:56 0
ギリシャ時代の古代スラヴ人は外敵に侵入されると村を焼き払い、森の奥にあらかじめ作ってある堅固な砦に篭って敵が冬を前に土地から出て行くのを待ったという。
ナポレオン時代もそれと同じことをやっていたわけだ。
70: 名無し 2006/05/27(土) 20:24:43 0
居住地や当時の習慣、歴史学的・考古学的成果からスキタイのうち、農耕スキタイ人、農民スキタイ人(農耕スキタイ人とは別扱いされている)はおそらく原スラヴ人といわれている。
ネウロイ人、ブディノイ人もおそらく原スラヴ人といわれている。
また、メランクラノイ人も原スラヴ人の可能性がある。
遊牧スキタイ人とそれを征服して飲み込んだサルマタイ(サルマート)人は滅亡後行方不明。 やっぱり伝説どおりスラヴ人と混合したか?とすればスキタイやサルマタイの支配層は西スラヴ系や南スラヴ系諸部族の支配層となった可能性がある。
ともかく古代スラヴの何らかの強い関わりが考えられる。
76: 名無し 2006/05/28(日) 22:27:49 0
こんばんは。ハンガリーにはサルマートの子孫がいましたよね。
ローマ兵として他の地域に派遣された兵士は部族内の位としては日本の足軽ほどなのでしょうか?(王族が派遣される事はないと思いますが、、)
80: 名無し 2006/05/29(月) 11:49:27 0
>>76
ローマ兵として一定期間働くと、自動的にローマ市民権がもらえる。
そのため他民族は王族だろうが何だろうがローマ人になりたくて次の2つを選んだ
1.ローマ兵になる
2.市民権を金で買う
77: 名無し 2006/05/29(月) 08:20:56 0
スキタイの青年にアマゾネスがくっついて生まれたのがサルマート族だとかいう俗説がある。スキタイの青年はアマゾネスの所に自分の家財(遊牧民の財産なのでそれほど多くは無いだろうが)
を一切持ち去り元の部族を出たという。
78: 名無し 2006/05/29(月) 10:36:10 O
スラブ人は5C頃まで活動的でない
7Cになるまで鉄製農具も製造できず、木製農具で生産性の悪い焼畑農耕していた民族がスキタイやサルマタイを制圧することなどできようがない
サルマタイ人はゴート人に征服されたのが有力
ゴート騎兵にサルマタイ騎兵の影響が見られる
フン族到来以前に現在のウクライナ、ベラルーシに勢力を持っていた東ゴートのエルマナリック王の妃がサルマタイ人の一族で彼らの兄弟が王を暗殺しようとした
81: 名無し 2006/05/29(月) 11:56:51 0
>>78 原スラヴ人がその時代に一つの部族に過ぎなかったならそんな仮説も無くはないが、ヘロドトスの時代には原スラヴ人と推定される民族がすでに多くの部族に分かれ、部族ごとに生業も文化程度も異なっていたことがわかる。
そのうち南方のステップ地帯に近く住んでいた諸部族はギリシャでは農業をするスキタイ人と呼ばれて穀物や鉄器を生産・輸出している。そこからすこし北に行ったところにいた部族は牧畜を主としていた。
その奥のプリピャチ川上流地帯の森林奥地に住んでいた部族は鉄器は武具程度にしか使わず、焼畑で回遊式ののんびりした生活を送っていた。
スキタイやサルマタイは原スラヴに制圧されたのではなく、別の理由で滅亡した後に原スラヴに取り込まれたのが妥当。
82: 名無し 2006/05/29(月) 13:23:13 O
スキタイにより征服され農耕に従事していた農民・農耕スキタイはキンメリア人 スラブ人とするのは一部の歴史学者の仮説
それにスラブ人のものと確定的にいえる古代の歴史的遺物はコルチャク式土器のみ
鉄器を製造するには鉄鉱石ないしは鉄板を輸入する必要があるが、スカンジナビア、オーストリア、アナトリアという原スラブ原住地に近い鉄鉱石産地と交易したと思われる形跡はなく
また長いロシア、ウクライナでの考古学調査にもかかわらず7C以前のスラブ人による鉄器は一切発見されていない
むしろ原スラブ現住地プリチャピ沼沢地にちかいコウェルでゴート語の刻印された槍の鉄製のヤジリが発見されている
長い間、確定的な歴史的遺物が一切出土せずにわずかな可能性をもとに断定的に発言するのはいかがなものか
85: 名無し 2006/05/29(月) 23:24:46 0
>>82 農耕をしていたスキタイ人がキンメリア人だったなんて話はかなりのトンデモ。
キンメリア人はスキタイ人が黒海北岸に定住する際に南方に駆逐されている。
また、キュリロス・メトディオス兄弟がスラヴに文字を伝えたのは9世紀の話である上に、
その前後にプリピャチ沼沢地に住んでいたのはスクラヴェニ(スラヴの語源となった)と呼ばれた原スラヴの一派にすぎない。
これはBC5世紀ごろにネウロイやブディノイと呼ばれていた原スラヴ諸部族の末裔と考えるのが自然。
紀元後のタキトゥスの記述が確かならば古代スラヴ(ウェネト)はもっと広い地域、おそらくロシアへ平原全体に広がって住んでいた。
つかヨーロッパ最大民族のスラヴが古代では殆ど存在が無視できるような小集団だったと考えるのはいかにも不自然。
その仮説なら、6世紀ごろ史上に現れてから短期間にこの小集団があんなに巨大化したことになるが、それをどう説明するのか?
86: 名無し 2006/05/30(火) 01:08:45 O
物証もなく主観で断言されたらスラブ以外の民族である可能性だってかなりの確率になる
牧畜中心の北カルパティア文化もスラブ、農耕中心のチェルノレス文化もスラブ、農民・農耕スキタイのスルブナヤ文化もスラブ、ほんと欲張りな民族ですな
在来の定説である紀元後6Cまで半定住、半狩猟半農で木製農具で焼畑農耕していたスラブ人のイメージとは合致しづらいですがね
88: 名無し 2006/05/30(火) 01:23:16 0
>>86 >牧畜中心の北カルパティア文化もスラブ、農耕中心のチェルノレス文化もスラブ、農民・農耕スキタイのスルブナヤ文化もスラブ
この民族の生業の地域的多様性を証明するだけのこと。
実際6世紀に歴史時代に入ったときすでにそういう多様性はあったから別に不思議でもなんでもない。
それを欲張りとは。
基本的にスラヴ人は古代にはすでにヨーロッパで最大の領域に住んでたわけだから。
89: 名無し 2006/05/30(火) 01:29:17 0
>>88
スラヴはSlavicという民族というよりはSlavonicという語族と捉えたほうがいいです
古代に言語的には共通性があったが、すでに生活様式や文化は多様化していた
Slavonicだけでなくとも、地域的な多様性は同じく広い範囲に住んでいたイラン系語族にもみられます
97: 名無し 2006/05/31(水) 09:55:05 0
「スキタイ」と「サカ」ではサカのほうが自称に近いんですか?
108: 名無し 2006/10/14(土) 03:15:54 0
スキタイのタイは複数形。スク=サク=サカ=塞(サク)という繋がり。
一体でもない民族を、アケメネス朝が、「海の向うのサカ」(南ロシア)、「尖帽のサカ」(ホラサン)、「ハウマ崇拝のサカ」(ソグディアナ)などと「サカ」と一環して呼ぶ根拠はない。
民族か、言語か、なんらかの共通点があった筈。考古学遺物も、北モンゴルにもあったというのであれば、サカ民族が広い範囲に広まっていたことは間違いないと思われる。
109: 名無し 2006/10/14(土) 23:04:11 0
サカ族ってアフガニスタンあたりにもいたよね?
スキタイの文化とあんまり共通性無い気がする。
110: 名無し 2006/10/15(日) 10:49:48 0
北アフガンあたりは遊牧民の行動範囲だから。
115: 名無し 2006/10/23(月) 19:12:08 0
イラン系って何を以てイラン系っていうの?
現イランが現住地なの?
トルコ系もよく分からないが・・・
116: 名無し 2006/10/23(月) 20:44:34 0
一応言語をもって分類していると思う。
トルコ語に詳しいわけではないが、片言のトルコ語を知っているが、これが、中国新疆からトルコ共和国まで通じるものがある。中央アジア横断旅行した時ビックリした。イラン系も似たようなもんじゃね。
117: 名無し 2006/10/23(月) 22:51:50 0
中央アジア横断旅行か・・・
中国からトルコまで行ったの?
100万くらい掛かったんじゃね?
120: 名無し 2006/10/25(水) 12:44:46 0
>>117 全部の経費
西安~敦煌5000円
敦煌~新疆20000円
カシュガルからフェルガナ 2000円
フェルガナ~マリー 30000円
マリーからイラン一周 20000円
(ザヘダン->バンダルアッバース->アフワズ->タブリース->カスピ南岸横断->ゴルガンまでいって、テヘランへ戻り。
テヘラン~トルコ国境ノドゥーウバヤジット 2000円
トルコ一周 60000円
ここまでで、139000円
名古屋-西安100000円、
イスタンブール-成田 60000円の航空代金
総合計299000円か。だいたい30万円 日数60日くらい。
134: 名無し 2006/11/11(土) 09:46:10 O
>>120
参考になった。
楽しそうね。
121: 名無し 2006/10/26(木) 00:26:15 0
食費宿泊費は別?
139: 名無し 2006/11/12(日) 08:46:52 0
>>121
食事・宿泊費全額込みです。
ツアーではないので、安く済みます。バックパッカーで2年間世界一周した知人によると
だいたいのバックパッカーは1年150万程度とのことです。
125: 名無し 2006/11/08(水) 20:33:12 0
スラヴ人の祖とも言われる農耕スキタイは王族スキタイに租税を納めて
その勢力下で農耕していたというが。
126: 名無し 2006/11/09(木) 22:13:43 0
農耕スキタイ=スラブだとすると、その草原地帯に居たスラブはモンゴル襲来で奴隷連行され居なくなった?
127: 名無し 2006/11/09(木) 23:49:24 0
モンゴルに租税を納めて農耕していた
128: 名無し 2006/11/09(木) 23:58:21 0
農耕スキタイは、定住民族で王族スキタイの隷属化にあったと見るべきでしょう。
モンゴル襲来後は、モンゴルの支配下に置かれて国名も変わったってわけかと。
130: 名無し 2006/11/10(金) 21:26:38 O
スキタイはかなり広範囲に居住していた遊牧民であったらしい
漢の史料の月氏(zgudscha)
アッシリアの史料のスクジャ(Skuja)
中央アジア~北西インドで活躍したサカ(Saka)
も同系民族という説がある
キプチャク草原ではサオルマタイにとって代わられたが、彼らもスキタイと同系である確率が強い
遊牧民支配下の定住民がなんの民族であるか推測することは文献史料がなければ困難だが、例えばテュルク系遊牧民突厥がイラン系定住民ソグドを真似て文字を創作したように異民族間では文化的交流の痕跡が必ず残る
しかしそのような痕跡を認められないのなら定住民もスキタイと同系統の文化的に共通性のあるイラン系だったのだろう
遊牧民が定住民化した例はウイグルがキルギスに滅ぼされ、ウイグル人が中央アジアのオアシス地帯に移住し定住化した例がある
地名がそこに居住した古代の民族を推測することができるというのはナンセンスだろ。例えばギリシャ史料に見られたクリミア半島のスキタイ都市名が現在ほとんど残っていない
それにスキタイ語の都市があったということはスキタイの言語・文化を享受した同系民族が定住したことでもある
137: 名無し 2006/11/11(土) 21:48:28 0
>>130 キルギスや突厥と抗争した8世紀のウイグルと、今の新疆のウイグルとは、集団に継続性は
無いぞ。
現在のウイグルは、清の支配地の「回部」を、共産政権が後付で定住性トルコ人の民族名
として既に四散したウイグルの名称を政治的理由でかぶせたに過ぎない。
当時の新疆の住民の帰属意識は居住する都市にあり、民族・集団の自称は、「チュルケ」
(トルコ人)や「モスレム」(回教徒)といった漠然としたもので、ロシア領中央アジアの
ウズベクやキルギスと特に区別する意識は無かった。
新疆の独立を力ずくで押さえ込んだ共産政権は、隣接する回教圏やトルコ語圏との連携を
恐れて、意識的な分断策に出るわけだ。これが、数百年も埋もれていたウイグルの呼称の
復活の真相。
都市に遊牧トルコ人が定住したというよりも、広域軍事支配をした遊牧トルコ人政権の下で、商業上の利便からもともとトルコ人ではない都市住民がトルコ語を商用・外交に用い定着しまた混血により風貌が周囲の遊牧民と均一化したに過ぎない。
141: 名無し 2006/11/12(日) 20:38:28 0
>>137 独立運動が「東トルキスタン共和国」
歴史的にも西トルキスタンとは分かれている期間のほうが長いような。
138: 名無し 2006/11/12(日) 04:05:07 0
オセット人がスキタイ末裔?
140: 名無し 2006/11/12(日) 09:24:42 0
オセットがアランに直結するところまでは確実だがアランとスキタイがどういう関係かはまだわからない。
アランはサルマタイの一部族だったらしいから、全く関係ないわけじゃなさそうだけど、系譜を追うのはなかなか難しい。
144: 名無し 2006/11/14(火) 01:47:15 0
匈奴とスキタイって関係ないの?
145: 名無し 2006/11/14(火) 06:10:05 O
五胡十六国時代に華北に後趙国を建国した羯族は匈奴の別種といわれますが、各種の記述からこの部族は人種的にコーカソイドであったらしく、最近では中央アジアのコーカンド地域の出身(イラン系?)でないかと推測されています
無論、スキタイと関係あるかどうかはわかりませんが
146: 名無し 2006/11/14(火) 08:17:07 0
月氏(河西に居残った小月氏)の末裔という説があるよ。
147: 名無し 2006/11/15(水) 15:19:56 0
小月氏の末裔ならテイ族のが可能性高い。
148: 名無し 2006/11/15(水) 15:45:47 0
東欧の原スラブ民族とスキタイ民族の一部が結合してスラブ民族になったのは確かだな。
170: 名無し 2006/11/25(土) 14:04:31 0
エフタル=スキタイ=サカ=クシャン=トハラ、
みな同じ中央アジアのイラン系遊牧民が模様替えしただけだろう。
171: 名無し 2006/11/25(土) 14:53:09 O
トハラって微妙だよね
『トハラ語』は天山山脈南麓に住んでいたクチャ人、アグニ人の使用言語で印欧語族の区分であるがイラン語系でなく、ケントゥーム語系
クシャーン朝の支配民族であるといわれる現アフガニスタンのトハリスタンのイラン系原住民のイラン系とは少し違うみたいだ
172: 名無し 2006/11/25(土) 17:16:01 0
そもそもクチャ人・アグニ人の言葉に何故トハラ語と名付けたの?
173: 名無し 2006/11/25(土) 18:19:38 O
ただ単に初期の研究者の誤解に基づく命名が定着してしまって
やむを得ず現在も使われているのが現状
179: 名無し 2006/11/30(木) 06:08:20 0
月氏は古くは「禺氏」
180: 名無し 2006/11/30(木) 14:57:57 0
>>179
ウ?
181: 名無し 2006/12/01(金) 00:41:55 0
ye shi か ue shi って読むんじゃないかね。
最も古代中国の発音が一緒ではなさそうだけど。
184: 名無し 2006/12/01(金) 21:29:02 0
中古音は、
禺氏=ngiu zie
月氏=ngiwat zie
現代音の ye shi から民族名を
探ろうとしても不毛だよ
最近は月氏じゃなくて肉氏=liuk zie だ
という説もある
185: 名無し 2006/12/02(土) 23:14:34 0
その中古音ってのが非常に変な発音で怪しい。
何を根拠にそんな音だって言えるの?
186: 名無し 2006/12/03(日) 00:38:14 O
中古音はあくまで推定の発音だからそのまま事実だと考えるなよ。
ただ単純に現代の発音から比定するよりはなんぼかマシだいうこと。
188: 名無し 2006/12/03(日) 00:55:03 0
途中で書きこんでしまった。
中国語は韻書が充実してたり、漢詩の押韻のルールが厳格だったり、
漢字音が中国語の各方言や、日本語、ベトナム語、朝鮮語などに伝わっていたり、
世界の言語の中でも、古代の発音を復元する材料は群を抜いて多いのです。
特に、いろいろな言語に伝わった漢字音が、別個に音韻変化を被っている点が重要です。
それぞれの音韻変化を逆にたどっていくと、共通する祖音を見いだせる場合があります。
それが中古音というわけです。
190: 名無し 2006/12/10(日) 16:30:00 0
スキタイのタイって人って意味?
192: 名無し 2006/12/11(月) 23:37:19 0
>>190
複数形です。スクが単数形で人。スキタイは人々=人間
194: 名無し 2006/12/13(水) 23:48:49 0
サルマタイやマッサゲタイのタイもそうなのか。
195: 名無し 2006/12/13(水) 23:58:50 0
そうです。