莫大なドイツ人全てを食わせて行けるための農業生産力が無いし鉄やら石炭やら売ろうにも植民地競争に出遅れ市場が無い。
各領邦諸国は英仏墺露の各列強に追随しおこぼれに預かり、ついでに旧ドイツ騎士団の子孫を中心とした諸外国の民族ドイツ人がそれぞれの国で有力な民族集団となることによって、いわば後のイスラエルのようなロビー活動で狡猾に生き残る。
英国の没落と米の台頭によって植民地型ブロック経済が終焉し、少なくとも欧州域内において自由経済が発達したら、その時初めて統一すればよい。
そもそも植民地帝国主義真っ盛りの欧州に覇を唱える事自体が無理。
むしろ欧州のほぼ中央にある地の利を活かし
19-20世紀のヴェネツィアとして
通商立国でも狙った方が良かっただろうが
ドイツ人の商売下手さを考えるとそれも難しかろう。
結局>>7が一番しっくり来そうw
オーストリア帝国崩壊で食料と市場、文化的な繋がりのある同盟国を失った。
更にヴェルサイユ条約の賠償金でかなり経済、軍事力にハンデがあり歪になった。
>オーストリア帝国崩壊で食料と市場
ダウト!
そもそも墺が独の生産品を完全に消費しうる市場であるかどうかすら怪しいし
(消費できるなら新たな市場としての植民地を得る為戦争起こす必要ない)
地続きで食糧供給できるはずのWW1ですら「蕪の冬」で散々だったじゃん。
WW1の食糧不足はむしろ食糧供給上依存してた露仏両国を敵に回したからだろ
スペイン領北米の開発権をもらい、
北米にカトリック=ドイツ人植民地を築く
事実WW1じゃメキシコに旧領回復をエサに対米参戦させようとした「ツィンメルマン電報」が、ルシタニア撃沈と共に米の対独参戦の主要な要因になってる訳だし。
史実どおり北米が勝って、ポーランド系やイタリア系同様
米国内じゃ「二級白人」扱いで終わりだろw
てかドイツ人って、'70年代以前の本国や
東欧諸国の民族ドイツ人の例を見る限り
厳しい環境下でこそそこそこ勤勉さを発揮し発展するけど
オーストリアしかり南米各国然りあるいは現在のBRDしかり、
衣食住が満たされると途端に怠け堕落する民族だしなw
ロシアやチリやブラジル南部のドイツ系住人は今も優秀ですよ
でもロシアやブラジルはともかくチリは発展したとは言い難い。
大体三国とも国の実権はドイツ系以外の民族が担ってるじゃないか。
要は東南アジアにおける華僑みたいなもんだろ。
後ロシアの場合は「ドイツ風の名前の」ユダヤ人の方が
エスタブリッシュメントに占める割合は多い。
片やドイツ系が幅を利かせた国を挙げるなら
ドイツ系移民の出であるストロエスネルが
40年近く長期独裁政権を敷いたパラグアイはどうなった?
ナチかぶれのペロン夫妻のアルゼンチンにおける統治は
今なお国を滅ぼしたポピュリズムの代名詞じゃんw
さてスレタイがドイツ帝国である以上は1871年以降なんでしょうから
18世紀以前の問題は歴史難民板ででもやっていただくとしまして、
そうですねぇ……最初の分岐点はフリードリヒ三世の早世じゃないですかね?
ヴィクトリア女王が英国とハノーファー両国の国王を兼ねる形で英独統合w
ついでにフランスを挟み撃ちにすれば後顧の憂いも絶たれて言う事無しw
史実における英国植民地及びシーレーン&海軍が
そっくりドイツの手に入るってのがミソであって
独英が別な国の場合、国益上の対立が解消されない限り
その構図は不可能に近い。
で、植民地の再分配を求める独にとって
再配分の対象足りえ、かつ独にとって有益な既存の植民地は
たいてい英仏の唾が付いてる訳で、
その意味じゃ英仏の利害は一致している。
まあナポレオン戦争から歴史改変でナポレオン帝国フランスがスペイン&ポルトガル、イタリア、南ワロンのラテン民族支配化で生き残った場合なら、英普墺の団結で英独統合の可能性は有りそうだが。
ウィルヘルム2世皇帝がマハンではなくマッキンダーを読んで、海上覇権に挑まず、
ロシアの工業化に対する予防戦争に集中する。西側では守りに徹して、史実では
1915年夏にロシアで得た戦果を緒戦で得る。第2次攻勢でエストニア・キエフ・
オデッサの線まで進出する。講和に必要ならキエフは返してよいが、白ロシア人と
ウクライナ人の衛星国を樹立して、ポーランド人と対立させる。フランスを黙らせる
ために必要ならアルザス・ロレーヌを放棄する。
②
あるいは、1917年11月に西側連合軍が第3次イープル攻勢に失敗した時点で、
以上の条件での講和をロシア革命政府に強要して、西側での占領地とアルザス・
ロレーヌと海外植民地と引き換えに西側と講和する
東欧の地域覇権国で20年間は持ちそうだが、民族的にはウクライナとベロルシアはロシアだし、ロシアの恨まれるな。
ポーランド、ベッサラビア、コーカサス、バルト三国、フィンランド、辺りなら民族的に異なるけど。
ウクライナ人インテリはロシア帝国のウクライナ語禁止令に反発してた。
ドイツ帝国は東欧の覇権を持っている間に核抑止力を開発できるかな
ミュンヘン会談で認められた所領で満足していれば・・・
寸止めしたら軍拡のツケで財政破綻してドイツ経済再あぼーん
ヴェルサイユ条約が最大に痛いこれで財政的に大ハンデだナチスドイツでは財政破綻で自壊死亡フラグが立っているから手遅れだな。
米英の後ろだてさえあれば財政破綻だって超えられるわけだが。
西部戦線を外交に委ね、ソ連と敵対し続ければ(そして勝ちすぎなければ)
英仏は最終的にドイツの援助の方向に動いたはず。
ミュンヘン会談
ミュンヘン会談の際に英仏がナチス・ドイツに譲歩したのは、戦争を回避するためだけでなく、ナチス・ドイツの勢力拡大よりもソ連の共産主義の方が脅威と考え、ドイツに譲歩することによって矛先をソ連に向けさせ牽制させようという思惑があったことが最大の理由だったと考えられている。さらに、英仏はいずれにせよ対独開戦は避けられないと考え、戦争準備のための時間稼ぎの必要性から譲歩を行ったという可能性も指摘されている。
ソビエト連邦
ベルリンの国会議事堂に突入したソビエト軍政権を掌握したヨシフ・スターリンは、ポーランドやルーマニアなどの東ヨーロッパ諸国を社会主義化し、自国の衛星国として、第一次世界大戦後にその勢力を急速に強めていたアメリカやその同盟国であるイギリスなどの「帝国主義」国との緩衝地帯にする計画を持っていた。
ドイツとは当初独ソ不可侵条約を結び、1939年のドイツのポーランド侵攻の際にはポーランドの東半分のガリツィアなどを占領した。またバルト三国に圧力をかけ、ソ連軍の通過と親ソ政権の樹立を要求し、その回答を待たずに3国に進駐した。さらに親ソ政権を組織し、反ソ連派を粛清或いは収容所送りにして、ついにこれを併合した。
同時にソ連はルーマニアにベッサラビアを割譲するように圧力をかけ、1940年6月にはソ連軍がベッサラビアと北ブコビナに進駐し、領土を割譲させた。
さらに隣国のフィンランドを侵略して冬戦争によりカレリア地方を併合した。
ロシアもイギリスの方こそ、国力消耗で敗北寸前だったでしょ。
イギリスはBOBで勝利したし、ロシアはモスクワ前面でドイツを押し返して反攻に転じたじゃん。海軍が弱体なドイツはイギリスに勝てないし地続きのロシアには陸軍力、生産力において劣っている。この2国相手に事を構えるのは無理だ