王国が衰退するとか、分らなかったのかな。
今で言う公という概念がなかったんでしょ
彼らの感覚では大土地所有者が資産分割してるだけだったってことなんじゃないかな
なるほどね。たしかに。
行政システム、貨幣制度とか満足に持ってなかったから最初にシアグリウスの本拠地攻めたぐらいだし。
他国ならイルハン朝、後漢、東晋、元、明の諸帝と
ファーティマ朝やセルジュークトルコ後半など
せいぜい20代30代で病死する君主を連発する王朝がありますが
昔とはいえ当代最高の食事と医療を享受できたはずなのに
何が悪かったのだろう?
栄養学があったわけじゃないから「最高の食事」が健康的であるとは限らない
最高のワインをガバガバ毎日飲んでたらいくら若くても肝臓ぶっ壊して死ぬぞ
ミッタイスにそんな記述があった。
還暦過ぎて永らえたクロタール1世、グントラム、シャルルマーニュ、ルートヴィヒ1世2世といった輩の生命力が逆に人間離れしてたということですか
アッバース朝もスルタンに乗っ取られたし
チャガタイ・ウルスもアミール・キュレゲンに乗っ取られ
意外に日本の天皇と征夷大将軍みたいな関係って多いよね
王様が実務執らなければその実務を担う人が実権握るってのは
現代の株式会社の社長と専務のような関係でも起こる
結成から数十年後の4世紀初頭、これら十数の小部族の中からライン川の支流のひとつ、アイセル河口付近に居住するサリ支族、ケルン市近くのライン川東側に居住するリブアリ支族、ヘッセン地方を中心とする上フランク支族が台頭する。
後にフランク王国を成立させるサリー支族には、海の民でゲルマン人で唯一の商業の民として知られるフリジア(フリース)人も含まれていた。また、かられは海上交易だけでなくローマ人の間では海賊としても知られていた。
これら3支族によるフランク族の集約化もあり、西暦354年にはライン川上流のアラマンニ族と共にライン川西側の下ゲルマニア州に対する大規模な侵略を開始し、ケルン市を占拠した。しかし…
西暦358年には、ユリアヌス副帝による効率的かつ効果的な軍団運用によってフランク族もアラマンニ族もライン川東側に撃退された。ライン川を防衛する地元のローマ軍団とユリアヌス直属の騎馬軍団双方を彼は効率的に運用して、両部族は、撃退した。
この事により大打撃を受けたフランク族は、ローマ帝国に対する敵対性、侵略性を改める事になる。
そしてフランク族の3大支族は、サリー支族は、事実上ローマ帝国に降伏し、リブアリ支族は、ローマに対する抵抗を続け、上フランク支族は、弱体化しライン川東側に再度定住してしまう。
これ以降フランク族は、サリー支族とリブアリ支族に2分される。
4世紀後半
マーカマー(弟)
4世紀後半
フェロモンド
?-428
クロディオ
428-448
メロヴィス
448-455
キルデリク
458-482
クローヴィス
485-511
それはともかく、サノーとマーカマーは、伝説上の人物とされ実在がかなり疑われています。
彼らが実在したとしても、おそらく4世紀後半の人物であり、サリー支族がローマ帝国に降伏し、事実上ローマ帝国領内に移住した時期の人物です。モデルになった人物が居りその投影とも言われています。
元々、サリ支族は、現在のオランダのオーファーアイセル州やヘルダーラント州の西部のフレヴォ湖に(現ゾイテル海)に面した一体の地域が、サリー支族の原住地であった。しかし西暦358年にローマ帝国に降伏してからは、ライン川の共同防衛の軍役を条件にローマ帝国から付与された居留地に移動南下しライン川を越えて南側の現在の北ブラバント州北部(トクサンドリア)に移住した。ライン川を国境線として南側からローマ軍と協力して維持する為でこのサリー支族の居留地をテラ・サリカ(terra Salica)と呼んだ。
サリー支族は、政治的地位を高めてローマ帝国の同盟軍(foederati, フォエデラティ)の地位を獲得した事でこの様なローマの国境線のライン川防衛に関与出来た。この時期のサリー支族はガロ・ローマ系の地元住民すら同じ民族として迎え入れ混血が進んだ。
そしてライン川国境線の傭兵としての活動時期の4世紀後半から5世紀前半の間にサリ支族の生活にローマ文化が既に浸透し始める。
ちなみにサノー、マーカマーの両王は、トロイヤ人とされており、フランク族の祖先にもトロイヤ人が位置付けられた。
フェロモンド(ファラモン)の子のクロディオとその子メロヴィスは、ローマ帝国の同盟部族として北ガリアを中心に転戦を繰り返し、兵力の提供も行った。クロディオは、ローマ帝国に認められた居留地の南側の都市トゥールネに軍事的拠点を築く事を認められる。更にその息子のメロヴィスは、ローマの将軍でガリア軍司令官のアエギディウスやアエティウスに協力し、カタラウヌムの戦いでフン族を撃退する。
この様にクロディオ・メロヴィス親子は、親ローマの同盟部族として活躍しますが、サリー支族の支配領域は基本的に副帝時代のユリアヌスに認められた居留地以外には拡大出来ませんでした。
クロディオの場合に例外的にトゥールネに軍事拠点を認められたが、それでもサリー支族の居留地を拡張した領土としては認められなかった。
アンだけ、混乱すれば、当然、経済は停滞するでしょう。
セナトール貴族は、ローマから逃げ出して、ヴィラに引き篭もっている。
決済手段も途絶して、物々交換が、復活している始末。農業も商業も全般的に沈滞ムード。
メロヴィング朝が成立しても、分割相続で、王国が頻繁に分割され、内戦ばっかりだし。
それを補う意味でも、中央集権の行政手腕を持つ、ローマ人を宮宰に登用して徴税機構などを整えておりますがな。
セナトール貴族だってフランク王国の行政に協力してますよ。
クローヴィス王が、スワソン管区(シアグリウスの国)を制圧する過程でセナトール貴族は協力している訳ですからね。
王国も瞬間的に分割されて内戦となっていますが、その後に統一を回復してます。
>>257
メロヴィング時代はまんまゲルマン名だけど、カロリング時代にはかなりラ
テン化されたってことじゃないのかな
カロリング朝の始祖の名前だし、頼朝とか尊氏とか家康みたいに偉大な人の名前だしカロリング家のハウスネームだし誇らしい感じだったんじゃないかな?
日本語でピピンがおかしく感じるのは擬音語・擬態語ぽいのが大きいな。
その根拠は?
アッティラの子孫とは限らないが遊牧騎馬民族と血縁はあるようだね
イギリスのリチャード三世のY染色体がコーカサスとかあの辺に多いタイプなんだよ。だからアンジュー家もサルマタイだったかも知れないと思う。
なんか白人優越主義的的傾向の有るグループとかはサルマタイがヨーロッパの古い層を成してるんだって考え方をしてたりして
要は弓のスキタイなんかと違って、ランスで突撃のサルマタイが白人優越マッチョ的に良いんだろな。
そんな奴らはフンの平たい顔族の血筋って言われるのは嫌だろうw
フンはオーソドックスな軽装弓騎兵スタイルでアッティラを中心とする支配階級は褐色肌のモンゴロイド系
民族一般の話してもしょうがないだろ
てかこの頃のフランク人でキリスト教の聖人名を持つ人っていたんかな。
みたいな感じになるんかな
メルイ(Merouis)とはならないのね。
ラテン語形:ルドヴィクス(Ludovicus)
メロヴィッヒ(Merowig)
ラテン語形:メロヴェウス(Meroveus)
後の構成要素は同じwigなゲルマン起源名だけどラテン語形になると一方はvicusと比較的原形をとどめてるのにもう一方はveus・・
それにしてもメロヴェウスってなんかギリシャ神話に出てきそうな感じの名前だよなぁ(苦笑)
メロヴィッヒという名前はどうなのだろうか?
クロヴィスの爺さんくらいしか名乗ってない特殊名だったんじゃないか?
その後広まったとしても、もっぱらメロヴィング王家の名声に拠るものでしかないのでは