優しさと強さを兼ね備えた英雄じゃないか、なんで低評価なんだよ
アイユーブ朝とエルサレム王国によって1177年に戦われた。この戦いではハンセン病を病んでいた16歳のエルサレム王ボードゥアン4世がアイユーブ朝のスルタン・サラディンの大軍に数の上で圧倒されていたキリスト教軍を率いていたが、ボードゥアンはイスラーム軍を敗走させ、イスラム軍の損害は甚大でなんとか逃げおおせたのはわずかだった。
ミスだがサラディン軍は貧乏だったからやらざるを得なかったと思うんだよね
そこをつかれたのは痛かったけど復活して2年後に勝てたんだからアリじゃね
サラーフとか、メフメドとかな
そりゃ西洋史観と、それを輸入した日本じゃそうなるのが当たり前だが
西洋と関係ないところで活躍したイスラム君主がもっと評価されるべき
他のイスラムの君主はどれだけ酷いんだろうな
優しいってレベルじゃねーぞwww
十字軍から酷いことされたのに獅子心王に見舞いの品渡してんだぞ
新紀元社が出してた「海外の偉人伝」の中では
「次々に実に都合のいいタイミングで、自分の上司やライバルが偶然に病死していく。実に鼻持ちならない偽善者だ。もっともリチャード1世のような独善的な支配者よりは、彼のような偽善者の方がよほどまともだ」
みたいな書かれ方してたっけ
>次々に実に都合のいいタイミングで、自分の上司やライバルが偶然に病死していく。実に鼻持ちならない偽善者だ。
中世でそんな証拠も残らないような暗殺を次々と成功させたんならむしろ凄いような。「山の老人」の手下なんてとりあえずターゲットに接近してナイフで刺すぐらいしか考えてないw
>>21
アサシン派のは、政治的示威活動の一つだからなあ
でも、サラディンはたしかに政敵の死亡が短期間に集中してるように感じるねえ
1171年 ファーティマ朝アーディド
1174年 エルサレム王アモリー1世
ザンギー朝ヌールディーン
1180年 ビザンツ皇帝マヌエル1世
(ミュリアケファロンの戦いは1176年)
1181年 ザンギー朝サリーフ
1185年 エルサレム王ボードワン4世
23: 名無し 2012/06/23(土) 01:05:16.85 0.net</d iv>
一緒に風呂に入ってる時に殺害とかもっとましな手は無かったのかって感じ
マムルークが死守してたがオスマンに食われた
サラディンが個人では人徳のある人間であることには違いないが、王や軍人での立場ってのはまた違う
当初はサラディンも軍人然として、捕虜を全員殺害とかやってたんだよね
自分の息子くらい若いボードワン4世と戦ってるうちに段々と何かしら変化があったような気がする
宿敵が、生意気でハレムに入り浸ってるようなクソガキならともかく、個をすてて病身なのに全力で頑張ってる純粋そうな健気?な若者相手じゃ元来人の良いオッサン(サラディン)はやりにくかったんじゃなかろうか
丁度日本では源平合戦で、平敦盛と熊谷直実のエピソードでそう思った
リチャード獅子心王もDONで戦闘・血や争いを好む人間であるが、豪快で詩人でどこか憎めないタイプの人間ではあったようで、人間ってのは一面では語れない複雑さがある
サラディンがやたら西洋で高く評価されているのは
自分(西洋)を負かした相手を高く持ち上げることによって
自分の評価を下げないようにするためw
関係ないけど
映画ブレイブ・ハートでは残虐な王として描かれていた
エドワード一世だけど
イギリスでは政治・軍事ともに名君であり
私生活では后を大事にして16人も子供を儲けた良き夫だった
一般的には無能扱いの武田勝頼だが
私生活では夫婦仲睦まじく
銃の必要性も考えていたようだが信長に遅れをとった
総ては時代の流れ・・
>>21
サラディンは個でというより
一族総出で天下取りを狙ってた感じ
親、叔父、兄弟皆優秀(兄がちょっち問題あったけど能力はあった)で結束してた
少数派のクルド人の立場を上げたかったのかもしれない
特にサラディンの父親が相当な策士で影で様々なことを案外やってたかもw
サラディンやバイバルスぐらいは多少知名度が上がるんでない
まあ、他のイスラム君主がどれだけひどいか。
容赦ない異教徒大虐殺がしばしばされてるからな。
十字軍はかわいいもの。
財政考えないで、なんでも気前よくあげちゃうから
家臣はしかたなく隠し財産作ったりしてる
捕虜の釈放も文句言われてる
叔父のシールクーフもすごいよな
知将と武将って感じ
補給なしでシリア砂漠横断とか
根拠地を包囲されてるのに上エジプトに逃走して反乱軍を組織して対抗とか
色々と規格外すぎる
アッディーンはイスラム君主としての決まりを遵守しただけ
捕虜住民強姦惨殺当たり前のヒャッハー十字軍から見ると捕虜を殺さず帰すのは有り得ないほど名君な対応にみえただけだろう
父親は策略家だったのに、兄ときたらね
クレクレ病はどうにかならんかったのかね
捕虜がみんな集結して結局その後苦戦しちゃうっていうお茶目なサラディン
日頃蔑んでるクルド人の英雄ってのは
十字軍との戦費調達でエジプトの税率はかなり上がってたらしいな
戦争第一
サラディン伝の英訳読んでるけど
基本リチャード1世には負けまくりだな
まぁエルサレム守り切ったんだから戦略的には勝ってるんだろうけど
た
聖地奪還したんだからムスリム全体からの評価は高いんじゃね?
夭折したから自然消滅、サラディンの幸運が大きい。
>>98
その後のエジプト各地のシーア派裁判官の入れ替え
シーア派宮廷勢力の排除
他にも幾つもあるぞ
十字軍国家が弱かったのか
初期の十字軍はセルジューク朝の衰退・分裂に助けられたからな。
ちなみにサラディンはボードワン4世に一度負けている。
リチャードの評価が低いから、ほんとはリチャードに負けまくりのサラディンも評価が下がり
そのサラディンに戦略目標達成を完封されたリチャードはさらに評価が下がり…とデフレスパイラルに突入する