昭和17年6月
ミッドウェー島上陸作戦を前に島への空襲に向かった
南雲機動部隊の母艦機107機は、予想以上に激しいアメリカ軍の抵抗に遭う。
島の上空で待ち構える多数の戦闘機と地上から撃ってくる砲火の嵐…。
この結果、基地を完全に破壊できず、
隊を率いた友永丈市大尉は機動部隊に再攻撃を要請する。
だが、機動部隊も度重なる空襲を受け
すかさず迎撃する零式艦上戦闘機(零戦)。
ここに日米最大の決戦の火ぶたが切って落とされた。
現地時間4日午前4時半(日本時間5日1時半)
南雲機動部隊は、友永大尉率いる107機の空襲隊を発艦させた後、
敵艦隊の姿を求めて空母の赤城と加賀、重巡洋艦の筑摩と利根、
さらに戦艦の榛名(はるな)から計7機の偵察機を発進させる。
特に利根の零式水上偵察機は対潜哨戒機の発進を優先したこともあり、
飛び終わったのが予定より30分遅れの5時だった。
そして、その直後に空母から艦隊護衛にあたる戦闘機12機が発艦した。
一方、アメリカのミッドウェー島でも5時40分に偵察機からの
「日本の空母発見」の電文を受けて
6時、迎撃の戦闘機26機に続いて、
南雲機動部隊への爆撃と雷撃のための計38機が発進する。
午前6時10分過ぎ
日本の空爆隊はミッドウェー島手前で
島から飛んできたアメリカ戦闘機26機の急襲を受ける。
アメリカの戦闘機が
運動能力に劣る雷撃(水平爆撃)機と急降下爆撃機に襲いかかるが
そこにアメリカ機よりも性能で勝る零戦が群がり次々と追い落としていく。
雷撃機と急降下爆撃機は
零戦に守られながら空襲に取りかかろうとすると、
今度は島からの対空放火が予想以上の激しさで迫ってきた。
撃墜された機は少なかったが、被弾する機が続出した。
島の防御力があらかじめ聞いていた“貧弱”とはあまりにも差が大きく、
戸惑いもあったため、なかなか思うように爆弾を落とすことができない。
30分ほどの空襲で滑走路に大ダメージを与えた様子はなく、
対空砲の激しさも相変わらずだった。
このため午前7時、友永大尉は機動部隊に向け「第2次攻撃の要あり」と打電する。
(続く)
http://www.sankei.com/west/news/150717/wst1507170004-n1.html
特に宇垣纏はアホとしか言いようがない
更迭する理由がないよね
だってあれは誰でもできるやつだもん
>>22
誰でもできるというのは、後だから言えることで・・・
大体、開戦時に空母機動部隊の指揮・運用経験者なんていないだろ
ミッドウェーはさすがに南雲だけのせいにはできないだろう。
軍令部と連合艦隊司令部、そしてまあ山本だよなあ。
この時即ちミッドウエーで日本の空母4隻が沈んでる時に
五十六さんは後方の大和ホテルで将棋してたからなw
この人が名将のように語られるのは以前から疑問だった。
しょうがないよ。それこそ当時の日本では考えられないほどの
大規模な戦争にして講和を目指すしかないって事だろう。
対米総力戦で軍事的に合理性のある戦略なんて、誰がやっても
成り立たなかった。
情報は筒抜けだったし、上層部は無能の集まりだった
様々なことに慢心、油断だよ
敵空母からの攻撃機が南雲艦隊にいつ来るかの時間も予想は出来てたろうから
南雲司令官の完全なミスだよなあ。
更に連勝でアメリカをなめきってたものだから
アメリカ軍機なぞ全て撃ち落とせるって自信過剰が
南雲司令部に蔓延してたんだろねえ。
アメリカの駐在武官時代山口司令官は情報収集に熱心だったらしく
アメリカの底力を山本と並んで知っていた。
対して駐在武官経験の無い南雲とではアメリカへの接し方も違ったはず。
少なくとも司令官は小沢にすべきだったろね
最速で講和を目指してたなら
ミッドウェーを艦砲で攻撃する位の戦艦群を前衛に出してるべきだった。
でも陛下からお預かりした艦艇を傷付けるわけにいかないって
逃げの考えもあったろうからこれは仕方がないだろうなあ。
全てにおいて日本は負けるべくして負けたんだろうかね
山口多聞にやらしたかった
というかライトフライヤーからまだ40年
空母機動部隊の運用に精通した提督なんていないって
あの中ではフレッチャーが経験者だな
実は戦艦決戦派だよな
航空打撃力のデカさに着目したのは鉄砲屋としちゃ画期的だけど
あの打撃力で敵の航空兵力による脅威を排除したあと
戦艦で決戦て思想だろ
だから航空主兵思想ではなく航空従兵思想だぜ
ミッドウェーの布陣を見るとそう思う
あの時期としちゃ当然な選択でないかな?
あの被弾さえなければ何とかなってた
レーダーがちゃんとあって
無線で誘導される艦戦が充分な数ある末期の米艦隊でも
特攻を完全に防ぎきれてないんだし
数で圧倒的優位にたてない日本の機動部隊じゃ
どうあがいても無理でしょ
いつも思うんだけど対米戦争に国として勝つ気が本当にあったのかね?
バンザイ突撃と変わらない気が…
五十六には最初から勝つ気なんてなかったもの。
だからこそ早い段階で米に打撃を与え早期講和しかないと言ってたわけで。
長期戦に持ち込まれたら勝てないってみんな思ってのでは?
講和する気もなかったんじゃないかと思えるんだけど。
真珠湾ミッドウェーの両戦はいらなかった様な気がする。
一番いらなかったのはガダルカナルだろな。
ポートモレスビー攻略を失敗した時点で
ニューギニア・ソロモン方面を諦めるべきだった。
まあ、その場合ラバウルをどうするかになるけど。
補給線の維持が無理ゲー
そこで現地調達ですよ
ウェーク島如きに大苦戦してるのに、ハワイ上陸なんてできるわけない。
初期の陸軍は強かったんやで?
大陸打通や硫黄島・沖縄やぺリリューでの制空・制海権がない上に
海軍の援護なしであそこまでやった陸軍は強かっただろな。
一部、牟田口みたいなあほがいたせいであれだけど。
海軍が陸軍をガダルカナルに巻き込み無駄な消耗につき合わされてからは
苦戦ばっかりだったけど
沖縄の陸軍ってそこまでかね?
マッカーサー相手にしたフィリピンの山下の壊滅的大敗よりは
マシって程度じゃね?
沖縄戦での米軍の日本軍の戦術は「スマート」と評価しているっぽい
ミッドウェー作戦に反対したのに強行したのが間違い
たとえ南雲以外のだれが指揮しても成功しない作戦がミッドウェー作戦
ミッドウェー基地と機動部隊の2つを同時に倒すには兵力が足りない
必然的に無理が出てくるのは当然
よくある勘違い
ミッドウェー海戦で日本側は兵力で勝っていた
→攻略作戦全体では大戦力だが、海戦の兵力数は負けていた
南雲は航空戦の素人なので小沢や山口がよかった
→小沢や山口も素人、結果も南雲の方が上だった
ミッドウェー作戦を考えたのは南雲司令部
→南雲司令部はミッドウェー作戦に反対、山本司令部が押し付けた
小沢は南雲より無能
結局はそこ 米海軍により高度の学習能力があった
南雲も小沢も航空機に関する基礎的知識さえなかった
ここが猛勉強で短期間に専門能力を身に付けた
スプルーアンスとの違いだなぁ
てか 勉強さえしてれば多少は違ったが
なぜかそれをしない 不思議だよホント
あくまで主眼を空母艦隊においておけばよかったものを
>>101
当初の作戦計画ではそうだったし、
通常爆弾・魚雷を装備した艦爆・艦攻が待機して
いたのだが・・・
ミッドウェー島攻撃の後、「第二次攻撃ノ要アリト認ム」の電信を受けて、
司令部が迷いはじめたのが敗北の始まり
自決と考える日本では最初から勝ち目ない。
兵隊育てるのにおギャーから20年近くかかるんだから。
欧州戦線のアメリカは
後半1年間の勝ちステージで40万の犠牲者を出してるんで、
それほどには人命優先な軍じゃない。
対日戦は海上の戦いが中心のまま終わったので
人的損害が少なかったんだろう。
勝ち戦だから大問題にはなってないけど、
アメリカの提督だっていろいろミス犯してるよね
後世の人間は、全情報を知ってるからあれこれ言えるわけで・・・
アメリカにしても
こりゃ空母だって言って空母にシフトしたワケじゃないしな。
金に任せ、両方作ったって落ちw
平和な時代なら医療や政策だな
>>116参照
メリケンにしても空母の威力は認めつつ艦隊決戦を捨てることができなかった。
そこで、アイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシンを始めとする
6隻の戦艦を建造すると同時に
より大きいモンタナ級5隻の建造を許可
これは1943年までキャンセルされてない
といって責任をうやむやにするようにな組織だからな。
南雲に草鹿は罷免!
とかいうと「山本さん、あんたは?」ってことになって
さらに「あれ、永野さん、あんたは?」ってことになる。
だからおめおめ帰ってきた南雲に
そのまま空母艦隊の司令を続けさせることになる。
みんな仲良しの同じ釜の飯を食ったことの弊害ですかな。