司馬遼太郎「国盗り物語」をはじめ、戦国時代の「策士策に溺れる典型の貴族趣味の暗君」として、評価される事が圧倒的に多い足利義昭
対信長戦争の結果は最悪なものとして終わったが、しかし、室町幕府の将軍としての権威を背景に、諸大名に号令を発し信長包囲網を作り上げ、信長に対抗しようとしたことは狡猾で愚かなことだったのか
ニュース
詰めが甘かった。
ただ暗君ではなかろうな
利用されるだけ殺される可能性もあったし
いや書状も含め総て偽装工作と
基本的には気の強いただの馬鹿だったと思うが
結果しだいによっては名君に仕立て上げられてた可能性もあったとも思う
先代の将軍たちより優れている
義輝の死によって地に堕ちた将軍家の権威を、
信長包囲網成立に寄与するまでに復活させた力量も凡人では敵うまい
しかし『御輿』に甘んじることができない将来の気位が
結果的に身を滅ぼしてしまった
将軍家ではなく一大名として生まれていたなら、
乱世をどのように処していったのかな
じゃあ冷静に検討をしていくとしようか
まず一番有名な信長包囲網
信長ファンたちからは、
「信長を敵に回して勝てるわけないだろ、馬鹿」
という意見が多いようだが、
この信長包囲網を作ったことはそこまでおろかな事だったのか?
ここに勝機はなかったのか?
>>7
仲良くって・・
信長からすればただの権威としての御輿にすぎないから
利用価値が無くなれば・・
歴史に名を残す事はほとんど無くなるだろうね。
信長に利用されて捨てられた最後の将軍・・ん?名前なんだっけ?
ってな感じに。
なんでそんな両極端なんだ・・
そりゃ足利将軍15人の中では5位以内には入れるだろうけども、稀代の謀将とまでは
上位5人を順位と一緒に発表せよ
1位: 義満(南北朝合一、日明貿易開始、北山文化)
2位: 尊氏(執権北条氏打倒に勲功、征夷大将軍就任)
3位: 義教(日明貿易再開、比叡山討伐、鎌倉公方討伐)
4位: 義昭(実力者を次々と味方につけて倒幕勢力に対抗)
5位: 義輝(戦国大名同士の死闘をしばしば仲裁、剣豪)
そこの4位には義詮が入って義輝が抜けるのが俺的評価。
尊氏と共に苦労してる幕府開府の功労者だし
>>11
徳川家でも家康が関ヶ原戦のちすぐに没していたら・・
本多、大久保抗争や兄・秀康の去就(父・家康の存在なければ・・)など
もし豊臣秀頼と淀君存命で大変だったろうね。
義詮もカリスマ父・尊氏が没した為に内部の抗争
(京極道誉、斯波高経、細川清氏、仁木義長)激化
南朝や鎌倉府の存在などもあってよく崩壊しなかったね・・
秀忠の為に将軍の権威を地ならししてくれたカリスマ家康の長命っぷりもすごいがw
義詮は江戸幕府で言うと
秀忠的功績があるの?
そこまで大きな功績ではないけど
弱体な幕府を滅ぼさずに義満に繋げられたのは上出来だと思う。
義教が幕府の中央集権化を進めようとして失敗したんだっけか?
将軍の中では超強硬派だよね
義持が入っていないのはおかしい。
父親と比べれば陰が薄いとか
信仰狂いとか後継者問題でやらかしてるとか色々あるが、
「長年にわたり安定した時代を築いた」と評価されてるのに。
少なくとも義輝やら義昭よりは上だろう。
尊氏が一位
それは結果論だw
信長と対立するとその松永と手を結ぶ。
無節操な・・・
なりふり構わずって感じだわな
名を捨てて実を取ったと見るか、ただの無節操と見るか・・・
多分後者だな。
問題はそこだ
義昭の直轄軍が存在せず、権力基盤がない状況
誰か大名を「管領」とかいう形で直臣とし、
この勢力を直轄化することで勢力を拡大するしかないね
そんなものはありえない。
まあ謀将なんて評価は過大ですね。
義昭を謀将とする理由の第一として包囲網があげられますが、正直、そんなもん存在してませんでしたから。義昭がやったことは、信長と敵対する理由のある連中に名分を与えただけで、信長の味方をその手練手管で敵に回したなんて業績はありません。
そして、朝倉にせよ三好にせよ彼らは勝手めいめいに信長と戦っていただけで、当人たちに同胞・味方なんて意識はなかったし、そして重要なことは義昭には彼らに対する命令権もない。
ただ、一本化された指揮権がなくバラバラに戦いを挑まれるというのが、結果的に信長にとっては対処困難にさせた。そしてそんな状況を少しでも自分の利益に還元しようと工作したのが信玄だったり本願寺だったり。しかしこの二人にしても、他勢力に対する命令権なんてないのだから当然思うようには状況を動かせなかった。
義昭がやったことは、構想も戦略もなにもなく、ただ手紙をばらまいただけ。
日独伊三国同盟みたいにバラバラに戦ってたら、勝てないわなw
利に敏い細川藤孝や明智光秀が早々と義昭に見切りをつけ、
織田に走ったことで結論は出ている。
信長にしても義昭との初対面で、その人間的軽さや軽挙妄動ぶりに興ざめしている。
本人の資質もそうだが、
あの時期に幕府を背負わねばならなかった時勢的な要因も大きいだろうな。
義輝死なずに逃亡→信長が担いで上洛
だったとしても、たいして変わらなかったような
尚且つ成功したためしがない
結局自分が武力を有していなければ
追い払っても次々取って代わられるだけで
全くもって意味がない
武家の棟梁たる将軍である義昭が
そこのところを理解できない時点で終わっている
武力を持たない者が、それしか無いからその方法を取るんだろうが。
結果どうなるかを予想するとか、理解するという問題では無いだろう。
まずは、当時の足利義昭置かれた状況と、
その状況下で取れる最善の策について考えねば、
一般論を語った所で意味が無いと思うんだがな。
こいつ自信は何もしてないしホント口だけ番長だろ
朝倉撤退や信玄急死がなければ、と考えると単なる口だけ番長とは違うと思う
義輝は「自分で何かをしようとする公方」、
義昭はそれに対して「他人に何かをさせようとする公方」。
京や日本の政情が違うから比較できないがどちらも御輿にはなりにくい
癖のある公方。
いずれも文弱に溺れた印象が強い足利公方にしては
最後を飾るにふさわしい人物だったのは間違いないだろう。
いや、御輿になり得なかったからこそ滅びたのか。
義輝は有終の美を飾れたので得してるな
仮にあそこで生き残っても結局食い潰されて終わっただろうし
いや、剣豪将軍大好きですけどね
自分も剣豪将軍好きだが何かをしたいのなら
義昭のように自分を押し売りするくらいの方が身の丈にあっているだろ。
まあ義昭は最後は帰洛できて准三后。目的の京都復帰はできたわけで
あそこまですれば執念だな。信長が死んだのが一番大きいが。
周り中を混乱に巻き込むあたりはさすがに足利らしい
足利義昭て信長への憎しみだけが生き甲斐だったんだろうな。
信長が死ぬと権力への執着まったく無くなっている。
本当に野心家なら、秀吉が養子縁組を申し込んできたときに、もっと巧く立ち回って征夷大将軍と交換に関白職を貰うとか足利幕府を復興させたりしそうなのに、京にすら戻らなかったんだから。
案外将軍職には執着がなく、仮に信玄とか謙信が上洛してきたら、あっさり将軍職を譲てたかも。
いまどのような評価がスタンダードなのかは知らんが
義輝、義昭はあの時代の将軍としては及第点だろう。
その目標に対する結果が全てだからそれ以上の評価はできないが
将軍職として自己の権威を最大限に利用しているのは単なる傀儡将軍とは違うわな。
まあ義輝は少し「剣豪」のイメージのせいで調停工作なんかが薄れているが
どちらかといえば復古主義的な(幕府復興)人物だったのだろう。
義昭は「お手紙」のイメージが強いが行動力は兄貴よりも優れているよなあ。
ただどうも義輝旧臣との関係が微妙なあたり時代の急激な変化もあるだろうけど
人徳という点ではイマイチだったのかもねえ。
才能と行動力はあったけど性格面で活かせなかった感じがする。
秀吉が天下人には勇気と大気と智恵が必要だが惜しいのがいると言ったような。
追い詰められて結果的に真価を発揮したけど優勢になると元に戻る。
まあ自分でも買い被ってると思うけど。
信長にとっては道具でも足利義昭にとっては身分が上であり、幕府も存続していて軍がないのだから御輿に乗るのは当然であり、義昭にとっては信長は裏切り者でもあり、現政権を軽んじた人間と見るのは筋が通っている。力の世界じゃなけりゃな。
ただ彼がとった包囲網なんてもんは軍がなく権威と発言権が高い物なら容易に考え付くものだろう。しかもばら撒いて、信長を潰す大義名分を与えたにすぎず、彼が積極的にまとめたわけではないと思う。正直足並みが揃っていたとは思えないし、包囲網。
謀将とはとてもいえない。歴代続いてきたわけだから、自分が呼べば周りは呼応すると安易に考えてたような気もする。
僧侶上がりで、よく実情が把握できてなかったのかな?
側近も耳の良いことしか入れず、裸の王様状態で。
義昭の手腕で追い詰めたってわけではないのでねえ
信長を追い詰めたランク
S 今川義元 石山本願寺 足利義昭
A 斉藤義龍 浅井・朝倉連合
B 毛利輝元 武田信玄 上杉謙信
C 織田信友 武田勝頼 松永久秀
D 六角義賢 北畠具教
明智光秀が入ってないぞ!
豊臣時代でも将軍に任命され続け
秀吉の朝鮮攻めの九州動座にも武将として兵を引き連れ従軍している
兄の義輝とは違い
公家的しぶとさを持った武将だと思う
さすが足利家
政略上領地などを与えることは出来なかったが
秀吉も義昭を嫌いではなかったのだと思う
近衛家のような摂家に産まれておれば
もう少しは幸せな人生を送れたと思う
奉公衆を持っていたし、佐々木(六角)の旧臣も指揮出来た。
戦力だったからこそ秀吉も朝鮮出兵に従軍(渡海はしてないけど)させたんだよ?。
明智が本当に直臣だったのかは分からんが、少なくとも間違いなく直臣で幕府有数の名門、細川のオヤジにあっさりと見限られたあたりに、彼の人間的限界を感じるなあ。
尼子の旧臣、山中鹿之助が節義を通した例とかあるし、浅井朝倉にしても主家の滅亡に殉じて死んだ家臣はたくさんいる。
義昭は、将軍であるのに、有能な家臣たちには愛想つかされて、忠臣の一人も得ることも出来ず、自滅同然に滅んでいった・・・・
この辺からも、大した人物ではなかったようにしか思えんな。
一応、一色藤長や槙島昭光などは幕府滅亡後も従っているけどな。
>>75
君の知識は根本から間違っている。
長岡藤孝は、ただの裏切りものだが、その他の、まともな旧室町幕臣は義昭に従い鞆の浦まで下向し、かの地、および全国を飛び回り、幕府再興のため尽力している。
細川京兆の一族、斯波の一族、一色の一族、上野の一族、六角の一族、京極の一族、大館の一族などなどキラ星のごとく名門の子弟一門が従軍している。
義昭に軍隊があったからこそ、秀吉も朝鮮出兵に名護屋まで従軍させたんだよ。
内容の薄い、簡単な歴史ものばかり読んでいては、真実など教えてもらえないよ。
たいがいの歴史ものは信長ファン、信長オタクが書いたものだからね。
>>81
ほほーう、貴殿は御詳しい。
信長の姑息な手段により、担ぎ上げられ、また都を追われた将軍ですよね。
最近の研究では。
だいたい信長は上洛するのに、六角氏の宗家と戦ってもいないらしい。
だから観音寺城も、無傷で残ったらしい。
信長が戦ったのは六角氏の一門の、箕作六角家だったらしいよ。
六角の宗家は、京極氏や足利将軍と同じように公家化してたみたいで、京極の浅井氏みたいに執事で庶家の箕作六角が施政してたらしいけど。
義昭上洛、将軍職就任以後も六角宗家と織田は同盟してるらしい。
だから南近江で六角殲滅の大戦はなくて当たり前らしい。
上洛軍に成敗されたのは執政の箕作六角だけだったらしい。
信長は細川京兆とも畠山とも義兄弟だし、実は室町幕府の権威をフルに取り入れているんだよね。
当時の政府である室町幕府からすれば、信長は大裏切り者、反乱軍でしかない。
基本的には斯波氏の軍事力(織田氏)でしかないんだから、三好と同じくらいでしゃばり過ぎなんだよ。
ただの家臣として、身を粉にして働いて、斯波氏や将軍家を支えるのが正しい道。
前時代には、実力があっても慢心せずに、分をわきまえた武士も
たくさんいたわけだから。
憐れだね義昭は、信長みたいな家臣が出て。
准后になってたはず
経済力も軍事力も人間的大きさも信長に及ばなかったけど
噛み付いたってのがいかにも小物らしくていいじゃない
鎌倉武士が関東に移してしまった政権を再び京都に戻した
京都中興の家柄。当時の天皇家が認めた武家の中の武家。
足利家は為政者として完全に失敗。
戦国時代ではなく大謀反時代。
悪いのは家臣達のほうだ。
将軍や管領がやさしくなりすぎたのが悪いといえば、悪いが。
足利義満や義教みたいに、早い目に織田を潰すべきだったと思う。
上杉謙信とともに上洛すれば、あんな目に遭わくてすんだかも。
信長が薄情すぎるんだ。足利将軍は六角氏などを頼り、よく地方に下っていたが、あんな酷い目に遭わせたのは三好一味くらいじゃないか?。
室町幕府自体草創期から有力者連合政権だったから、
野心のある者が出てくれば持たなくなって終わりなの当たり前。
そもそも戦国以前に何度も内乱、内戦だったし、没落の決め手になったのも足利一族の争い。
これほどダメな政権も珍しい。
おれらの好きな戦国時代があったと感謝しようぜ
そういう意味でも足利ってやっぱ武家の名門だよなw
武士が一番輝いた戦国時代を招いたんだからな
坊主だった期間が長かったから、世間知らずだったんだろう。
将軍家の威光など、随分昔に落ちていたことにも気づかなかったわけだし。
>>97
お前のは20年前くらいの史観だなw
義昭の時期も足利将軍が一定以上の権威を保っていたのはあきらか。
でないと信長だって利用しない。
だいたい将軍家の威光が地に落ちているのなら、
何故に2次にわたり信長包囲網を構築できたんだよw
義昭の失敗は自前の強力な軍事力構築に失敗した
(信長がそれをさせなかった)事に尽きる。
もとから信長と敵対している、利害がぶつかる大名に手紙おくっただけ。
義昭が反信長包囲網をつくったなんて妄想もいいとこ。
一定の権威っても、かなり不自由な権威だけどなw
義満の頃のような絶対君主になれると義昭は思ってそうだが。
>だいたい将軍家の威光が地に落ちているのなら、
>何故に2次にわたり信長包囲網を構築できたんだよw
朝倉とか空気読んでないしw
共同戦線とか全然張れてないから、脅威は本願寺、遠国の毛利と武田ぐらいっしょ。
「将軍」と言う地位にある程度の権威と求心力があったからこそ「包囲網」と呼べるような政治的状況を作り出せたのだろうが。
「信長に敵対している者同士なら誰でも簡単に連係させられる」
って思うのは、例えば今の日本で
「反自民の野党なら、オレが手紙出しただけで連係させられるよ」
って言っているのと同じだということを
何故に理解出来ない?
呼びかけ人には呼びかけるなりの物が無いと、人を動かす事は出来ないんだぜ。
>>102
>信長に敵対している者同士なら誰でも簡単に連係させられる
この認識がそもそも間違い。連中は手前勝手に信長と戦っただけで、連携なんてない。
せいぜい朝倉と浅井くらいか。あとは、状況に応じて戦っただけで、例えば信長が浅井を攻めている間に六角が蜂起したとしても、それは信長の留守中に自分の失った権益を取り戻そうとしているだけで、「信長の背後をついて浅井を救援しよう」なんて意識はカケラもない。
そういった連中を自分の利益のためにとりあえず纏めようとしたのが信玄であり顕如。
義昭の手腕なんかどこにもない。
じゃあ何で信長はその、何の影響力も無い義昭を頂いて、
そして信長包囲網には何一つ関係の無い
義昭を追放するはめになったんだ?
>>104
実際に信長追討の手紙を出して、反信長の起兵をおこなっている義昭を放置なんてできるわけないだろう。
それから影響力の有無と強弱は別だ。信長は上洛して京を支配する大義名分として足利将軍の影響力を利用したが、それが通じるのは当時はもう精々京と畿内周辺で、とても全国に通じるもんではない。
義昭は信長を倒すために手紙を出して見方を誘ったが、手紙に応じたのは義昭とは関係なしに信長と敵対していたか、する動悸がある連中だけ。上杉は徳川は義昭の手紙を無視して信長と同盟。畿内の諸豪族にも筒井や荒木など義昭を見捨てるものがでているありさま。
そして義昭には命令権もなければ指示を出した痕跡もない。彼がやったことはただ信長を倒せと目標だけが書かれた手紙をだしただけ。
これで、義昭が包囲網を作ったなんて妄想もいいところ。
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