1(中)ガリポリの戦い (557,000人)
2(二)イゾンツォの戦い (1,252,000人)
3(右)ヴェルダンの戦い (976,000人)
4(一)ソンムの戦い (1,090,000人)
5(三)ブルシーロフ攻勢 (2,337,000人)
6(左)パッシェンデールの戦い (708,000人)
7(遊)マルヌ会戦 (513,000人)
8(捕)ニヴェル攻勢 (400,000人)
9(投)1918年春季攻勢 (1,553,000人)
(控)タンネンベルクの戦い (184,000人)
(控)ゴルリッツ=タルヌフ攻勢 (637,000人)
(控)セルビア攻勢 (745,000人)
カッコ内は人的損害数
ニュース
第一次世界大戦に参戦した国は以下の通りや
【中央同盟国軍】
・ドイツ帝国
・オーストリア=ハンガリー帝国
・オスマン帝国
・ブルガリア王国
【連合国軍】
・フランス
・イギリス帝国
・ロシア帝国
・イタリア王国
・大日本帝国
・アメリカ合衆国
・ルーマニア王国
・ベルギー
・セルビア王国
・モンテネグロ王国
・ギリシャ王国
・オーストラリア
・ニュージーランド
・カナダ
・英領インド帝国
・英領南アフリカ連邦
・ポルトガル
・タイ
その他多数
19世紀頭:ヨーロッパ諸国で産業の発達に伴い生産過剰状態が続き、不況が発生
↓
不況打開のため、ヨーロッパ各国は植民地支配に力を入れる
↓
植民地確保合戦で紛争が生まれる
↓
ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアが三国同盟を結ぶ
イギリス・フランス・ロシアが協商を結ぶ
オーストリア=ハンガリーの皇太子がサラエボでセルビア人に殺害される
↓
オーストリア=ハンガリーがセルビアに戦線布告
↓
ロシアがオーストリア=ハンガリーに戦線布告、総動員開始
(ロシアはセルビアの後ろ盾であった)
↓
三国同盟を結んでいたドイツがロシア・フランスに戦線布告、総動員開始
ドイツ軍がフランスに攻め入るため中立国であったベルギーに侵攻
↓
ベルギー・イギリスがドイツとオーストリア=ハンガリーに戦線布告
↓
各国が連鎖して戦線布告
↓
第一次世界大戦開始
人的被害に比してソンムとやらが4番なんは何で?
損害の中で戦死者数が圧倒的に多い
1(中) ガリポリの戦い
【期間】
1915年2月~1916年1月
【交戦戦力】
・連合国
イギリス
フランス
オーストラリア
ニュージーランド
その他
合計戦力 489,000人
vs
・中央同盟国
オスマン帝国
ドイツ
オーストリア=ハンガリー
合計戦力 316,200人
【結果】
中央同盟国軍の勝利
連合国軍が撤退
【人的損害】両軍合わせて557,000人
・連合国
戦死・行方不明 123,400人
負傷者 178,600人
合計 302,000人
・中央同盟国
戦死・行方不明 158,000人
負傷者 97,000人
合計 255,000人
黒海への唯一のアクセスルートであり、オスマン帝国の首都であるイスタンブールを攻撃するために確保が必須であったダーダネルス海峡を巡り、連合国軍と中央同盟国軍の戦闘。
この戦いにイギリスを中心とする連合国軍は多くの陸・海軍戦力を投入する。
しかし、ダーダネルス海峡横のガリポリ半島に多数設置された砲台や、狭い海峡に多数設置された機雷の除去は困難を極め、イギリス海軍は壊滅的打撃を受け敗北した。
さらに、当時は潜水艦に対する有効な対処法があまりなく、ドイツ軍が派遣していた潜水艦Uボート1隻によりイギリス海軍は甚大な被害を被った。
この戦いの敗北で当時イギリス海軍大臣だったチャーチルは失脚し、当時のイギリス首相アスキスは辞任した。
この戦いでは後のトルコ初代大統領となるムスタファ・ケマルがオスマン帝国指揮官として活躍した。
Uボート、ジョーカーゲームで初めて知ったわ
ペタン?
ペタンや
なお第二次世界大戦
2(二) イゾンツォの戦い
【期間】
1915年6月~1917年11月
【交戦戦力】
・連合国
イタリア
vs
・中央同盟国
オーストリア=ハンガリー
ドイツ
【人的損害】両軍合わせて1,252,000人
・連合国軍
832,000人
・中央同盟国軍
420,000人
1915年~1917年にかけて現スロベニア西部・イタリア北部を流れるイゾンツォ川周辺で行われた戦い。第一次から第十二次まで複数回にわたって交戦が行われた。
以下
第一次~第一二次イゾンツォの戦いの詳細
・第一次イゾンツォ川の戦い 1915年6月~7月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 225,000人
vs
中央同盟国軍 115,000人
【結果】
連合国軍の戦略的勝利
【人的損害】両軍合わせて26,000人
・連合国
16,000人
・中央同盟国
10,000人
・第二次イゾンツォ川の戦い 1915年7月~8月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 250,000人
vs
中央同盟国軍 78,000人
【結果】
連合国軍の辛勝
【人的損害】両軍合わせて105,000人
・連合国
60,000人
・中央同盟国
45,000人
・第三次イゾンツォ川の戦い 1915年10月~11月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 不明
vs
中央同盟国軍 不明
【結果】
中央同盟国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて110,000人
・連合国
68,000人
・中央同盟国
42,000人
・第四次イゾンツォ川の戦い 1915年11月~12月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 不明
vs
中央同盟国軍 不明
【結果】
連合国軍の辛勝
【人的損害】両軍合わせて83,000人
・連合国
50,000人
・中央同盟国
33,000人
・第五次イゾンツォ川の戦い 1916年3月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 不明
vs
中央同盟国軍 不明
【結果】
引き分け(攻勢の中止)
【人的損害】両軍合わせて4,000人
・連合国
2,000人
・中央同盟国
2,000人
・第六次イゾンツォ川の戦い 1916年8月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 不明
vs
中央同盟国軍 不明
【結果】
連合国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて93,000人
・連合国
51,000人
・中央同盟国
42,000人
・第七次イゾンツォ川の戦い 1916年9月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 不明
vs
中央同盟国軍 不明
【結果】
中央同盟国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて32,000人
・連合国
17,000人
・中央同盟国
15,000人
・第八次イゾンツォ川の戦い 1916年10月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 不明
vs
中央同盟国軍 不明
【結果】
中央同盟国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて49,000人
・連合国
24,000人
・中央同盟国
25,000人
・第九次イゾンツォ川の戦い 1916年11月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 不明
vs
中央同盟国軍 不明
【結果】
中央同盟国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて72,000人
・連合国
39,000人
・中央同盟国
33,000人
・第十次イゾンツォ川の戦い 1917年3月~6月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 400,000人
vs
中央同盟国軍 200,000人
【結果】
連合国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて72,000人
・連合国
39,000人
・中央同盟国
33,000人
・第十一次イゾンツォ川の戦い 1917年8月~9月
連合国軍による攻勢
【交戦戦力】
連合国軍 不明
vs
中央同盟国軍 不明
【結果】
連合国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて280,000人
・連合国
160,000人
・中央同盟国
120,000人
中央同盟国軍による攻勢
この戦いではドイツ軍が援軍を送り、浸透戦術により敵軍殲滅に成功した。
【交戦戦力】
連合国軍 350,000人
vs
中央同盟国軍 258,000人
【結果】
中央同盟国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて326,000人
・連合国
306,000人
・中央同盟国
20,000人
中立国「中立国ワイ、高みの見物」
ドイツ「侵略するで~」
これひどくね?中立国巻き込むなよ
君通路だよね
いうてもクリスマスまでには終わるし
なお終わらん模様
兵器と戦術の進化が速すぎて超えちゃいけないラインが分からないまま突き進んでいってる感じがやばい
3(右) ヴェルダンの戦い
【期間】
1916年2月~12月
【交戦戦力】
・中央同盟国
ドイツ
合計戦力 不明
vs
・連合国
フランス
合計戦力 不明
【結果】
連合国軍の勝利(ヴェルダン要塞の防衛成功)
【人的損害】両軍合わせて976,000人
・中央同盟国軍
434,000人
・連合国軍
542,000人
フランスのヴェルダン要塞を巡ってドイツ軍とフランス軍が死闘を繰り広げた。攻勢側のドイツの戦闘の方針が消耗戦だったこともあり、両国は大量の兵員を前線に送り続け戦闘は泥沼化、とてつもない数の犠牲者が出た。
ドイツはヴェルダン要塞を占領、フランス軍を敗走一歩手前まで追い込むも、東部戦線においてブルシーロフ攻勢が発生。
また同時期にイギリス軍によるソンムの戦いが発生したため兵力を分散させざるを得ず、ヴェルダン要塞を放棄し、もとの防衛線まで撤退せざるを得なくなった。
ちなみに、消耗戦とは人的資源を大量に消耗させ、相手国に「これだけの犠牲を出しても突破が無理なのか」と思わせ有利な状況で講和を結ぶことが目的の戦闘方針のこと。
この方針を打ち出したドイツ軍参謀総長のエーリッヒ・フォン・ファルケンハインは大損害を出しながらも前線へと兵力を送り続けたことから「ヴェルダンの血液ポンプ」、「ヴェルダンの骨ミキサー」と呼ばれた。
ww1のドイツとかいう知れば知るほどめちゃくちゃ強い国
ww2のドイツとかいう知れば知るほどめちゃくちゃ弱い国
4(一) ソンムの戦い
【期間】
1916年7月~11月
【交戦戦力】
・連合国
イギリス
フランス
オーストラリア
カナダ
英領インド
英領南アフリカ
合計戦力 2,970,000人
vs
・中央同盟国
ドイツ
合計戦力 1,500,000人
【結果】
膠着
【人的損害】両軍合わせて1,090,000万人
・連合国軍
656,000人
・中央同盟国軍
434,000人
恐らく第一次世界大戦で最も有名な戦闘。連合国軍によるソンム川付近での攻勢。
両軍合わせて110万人近い犠牲者を出したのにもかかわらず戦線はほとんど動かなかった。
損害は連合国軍の方が多かった。
この戦いでは軽機関銃や戦車が歴史上初めて戦闘に使われた。
この時のイギリスの指揮官であったダグラス・ヘイグは最前線に兵力を送り込み突撃をさせては機関銃で蜂の巣にされることを繰り返したことから通称「ソンムの肉屋」と呼ばれた。
また、この戦いにはアドルフ・ヒトラーがドイツ軍兵士として参戦しており、毒ガスによって一時失明している。
ダグラスって重工業の社名であった気がするけど関係あんのか?
ダグラスって普通の名前じゃないの
そうなんか
知らんかったわサンガツ
5(三) ブルシーロフ攻勢
【期間】
1916年6月~9月
【交戦戦力】
・連合国
ロシア
合計戦力 不明
vs
・中央同盟国
オーストリア=ハンガリー
ドイツ
合計戦力 不明
【結果】
ロシア軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて2,337,000人
・連合国
1,000,000人
・中央同盟国軍
1,337,000人
ロシアの将軍アレクセイ・ブルシーロフによって発案・実行された東部戦線おける大攻勢。
両軍合わせて200万人を超える損害が出た。
この攻勢でブルシーロフは長大な戦線の複数の弱点部分の同時かつ集中突破という新戦術を実施し、圧倒的破壊力により中央同盟国側に大損害を与えた。
ドイツ軍は攻勢を押しとどめることに成功するものの、この攻勢を防ぐ為に兵力を西部戦線から東部戦線に回さなければいけなくなり、ヴェルダンの戦いにおいて敵を突破・勝利することができなくなった。
また、オーストリア=ハンガリーはこの攻勢で140万近い大損害を被り国全体の兵力が不足、その後様々な戦線においてドイツに援軍要請をする必要が生まれてしまった。
ブルシーロフはその後もこの戦術を用いて攻勢をしかけるが、中央同盟国軍は二重防衛という対策を生み出したため、これ以降の攻勢は失敗に終わる。
その後、ロシアはこの戦術の真価を見出すことができなかったが、一方でドイツ軍はこの戦術に注目し、これを発展させることで浸透戦術を生み出す。
この浸透戦術はその後のWW1の各戦線で用いられるだけでなく、WW2の電撃戦の礎となったり、日本軍のインドシナ等大陸侵攻・朝鮮戦争などでも使用されるなど近代戦史に大きな影響を与える事となる。
どっちかと言うと歴史の転換点はWW2後よりもWW1後なのに
6(左) パッシェンデールの戦い
【期間】
1917年7月~11月
【交戦戦力】
・連合国軍
イギリス
フランス
オーストラリア
ニュージーランド
カナダ
英領南アフリカ
合計戦力 不明
vs
・中央同盟国軍
ドイツ
合計戦力 不明
【結果】
引き分け
【人的損害】両軍合わせて708,000人
・連合国軍
448,000人
・中央同盟国軍
260,000人
連合国がベルギーのイーペル付近にあるパッシェンデールの奪還を掲げ仕掛けた大規模な攻勢。
この攻勢により両軍は大きな被害を被った。特に、連合国軍の被害は甚大だった。
大規模な準備砲撃により地表にぬかるみを作ってしまい、8月に大雨が降った影響を受けて沼地が形成、多くの兵士が溺死した。
一方のドイツ軍は先の塹壕戦での損害を鑑みて、防御陣の機械化(トーチカ等)を進めていたため、連合軍に比べ被害が軽微だった。連合国側に45万近いの損害が出たのに対し、ドイツ軍の損害は25万ほどであった。
この戦いでは、ベルギー領内の小さな村であるパッシェンデールを占拠することに成功するものの、この場所は戦術的価値は全くなく、連合国軍が見栄とプライドを得るために仕掛けた攻勢と評価されている。
また、この戦いは第一次世界大戦における大規模戦闘の残虐さを象徴する戦いとして有名であり、1平方マイル(2.56 km2)辺りに砲弾が約1,000,000個打ち込まれ、戦闘終了後には身元の特定できない多くの遺体が戦場に残された。
なお、この攻勢により45万近い犠牲を払って獲得したパッシェンデールは、後の1918年春季攻勢において僅か3日間で奪還されている。
イペリットガスの語源やったっけ
せや
ちなみにその時に毒ガス作って撒いたのはフリッツ・ハーバー博士
この博士はハーバー・ボッシュ法っていう空気から肥料作る方法を考案して人類の食料問題解決に貢献してノーベル賞取ってるで
ある意味ノーベル賞に相応しいやん
>>161
なお奥さんは自殺する模様
あなた!?毒ガスなんてやめて!!
なおその後の博士
もんの凄い人類やドイツの為に貢献したのにな…
7(遊) マルヌ会戦
【期間】
1914年9月
【交戦戦力】
・中央同盟国
ドイツ
合計戦力 1,071,000人
vs
・連合国
フランス
イギリス
合計戦力 1,485,000人
【結果】
連合国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて513,000人
・中央同盟国軍
250,000人
・連合国軍
263,000人
パリ近郊のマルヌ川付近におけるドイツ軍の攻勢。連合国軍がドイツの攻勢を凌ぎきることに成功する。
この戦いでドイツが敵戦線を突破できなかったことによって、ドイツ軍のフランス侵攻作戦であった「シュリーフェン・プラン」の頓挫が確定的になり、第一次世界大戦は短期決戦から長期戦へと変わっていった。
この戦いは、マルヌの奇跡とも呼ばれており、もしドイツ軍が勝っていたら第一次世界大戦が短期決戦で終わっていた可能性が十分にあり、歴史上重要な意味を持った戦いであった。
一方、フランス軍の戦争計画であったプラン17も、この戦闘での甚大な被害により頓挫した。
そして、両軍が次善の策を用意していなかったことから互いに塹壕による防衛線(西部戦線)を構築し、第一次世界大戦は長期戦へと突入していった。
8(捕)ニヴェル攻勢
【期間】
1917年2月~4月
【交戦戦力】
・連合国軍
フランス
イギリス
ロシア遠征軍
合計戦力 1,200,000人
vs
・中央同盟国軍
ドイツ
合計戦力 480,000人
【結果】
中央同盟国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて400,000人
・連合国軍
217,000人
・中央同盟国軍
183,000人
西部戦線での相次ぐ膠着に次ぐ膠着で厭戦気分が漂い、徴兵できる人間が枯渇しかけていたフランスがこれを打開するために行った連合国軍による大攻勢。フランス軍司令官ニヴェルが発案・実行したためニヴェル攻勢と呼ばれる。
この攻勢では連合国軍は120万人という、ドイツ軍の2.5倍もの戦力を投入し大攻勢に出る。
しかし、これだけの戦力を投入したにも関わらず戦線を全く押し上げることができず、20万人を超える損害を出し大敗する。
さらに多くの砲や戦車がドイツ軍によって鹵獲された。この戦いで連合国軍は大打撃を受け、ニヴェルは司令官を解任された。さらに、この戦闘ののちに連合国軍内で士気の大幅な低下が生じ、反乱・抗命・軍規違反が相次いで発生した。
9(投) 1918年春季攻勢
【期間】
1918年3月~7月
【交戦戦力】
・中央同盟国軍
ドイツ
合計戦力 不明
vs
・連合国軍
フランス
イギリス
アメリカ
ポルトガル
イタリア
【結果】
ドイツ軍の攻勢失敗
【人的損害】両軍合わせて1,553,000人
・中央同盟国軍
689,000人
・連合国軍
864,000人
第一次世界大戦でのドイツ最後の大攻勢。
この攻勢は経済的・人的な国内の疲弊やアメリカの参戦により、長期的な大戦での勝利が難しいことを悟ったドイツ軍が、アメリカ軍の存在が致命的になる前にイギリス・フランス軍に致命的打撃を与え有利な条件で休戦に持ち込もうと考え実行した大攻勢である。
ロシアと休戦協定を結んだのちに東部戦線の戦力を西部戦線へ移動させ、数的優位・浸透戦術の徹底・航空機の活用・毒ガスによる攻撃・詳細な砲撃計画によって英仏軍の中間点に攻勢を仕掛け、イギリス軍を北に圧迫しつつフランス軍を追い込もうとした。
このようにドイツが攻勢の準備を仕掛ける一方で、連合国軍は未だ士気が低いだけではなく、統一指揮権を巡って揉めているという有様だった。
ドイツはこの戦闘において、史上初の短機関銃(個人が持ち運んで運用できる機関銃)やドイツ初の戦車、列車砲(パリ砲:射程130km、ドイツ領内からパリを砲撃できる)を投入した。
戦闘初期は、浸透戦術によって敵塹壕を簡単に突破、その後多くの敵拠点を新兵器や重武装歩兵に制圧させ、8日で65km前進するという空前の前進を実現する。(塹壕戦では数百メートルの前進のために数万~数十万の犠牲を払っていたことを考えるととんでもない距離の前進)
パリ砲も精度はとても低かったが、数多くの砲撃によりパリ市民を精神的に追い込み、多くのパリ市民がパリから脱出を図った。
このようにドイツ軍はパリ郊外にまで迫るほどの快進撃を見せた。
しかし、戦力不足と補給線が追いつかず前進することが困難になり、戦況は長期化してしまう。
その結果、アメリカ軍の西部戦線投入までにパリを占領することができず、総勢210万人にも及ぶアメリカ軍の物量の登場もあって、戦局を覆すことができず作戦は失敗に終わった。
この戦闘ではドイツ軍とイギリス軍の間で史上初の戦車戦が発生したことが記録に残っている。
ちなみに、この戦闘に投入された列車砲の砲弾が人類が初めて大気圏外へと到達させた物体である。
こういうの見るとドイツの兵器開発力すげぇなって思うわ
(控)タンネンベルクの戦い
【期間】
1914年8月
【交戦戦力】
・中央同盟国
ドイツ
合計戦力 150,000人
vs
・連合国軍
ロシア
合計戦力 416,000人
【結果】
ドイツ軍の圧勝
【人的損害】両軍合わせて184,000人
・中央同盟国軍(ドイツ)
14,000人
・連合国軍(ロシア)
170,000人
ドイツ領内(東プロイセン)のタンネンベルク付近で起きたドイツ軍とロシア軍の衝突。
ドイツ軍側の損害は14,000人程度だったのに対しロシア側は17万人近い兵力を失い大打撃を受ける。
勝因はドイツ側の鉄道網による強大な輸送力、ドイツの無線傍受だとされている。
当時、ロシア軍は平文で無線を送信しており、ドイツ軍に情報が筒抜けだった。
(控) ゴルリッツ=タルヌフ攻勢
【期間】
1915年5月~7月
【交戦戦力】
・中央同盟国軍
ドイツ
オーストリア=ハンガリー
・連合国軍
ロシア
【結果】
中央同盟国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて637,000人
・中央同盟国軍
87,000人
・連合国軍
550,000人
オーストリア=ハンガリー方面に対するロシア軍の圧力を緩和させる為にドイツ軍とオーストリア=ハンガリー軍が合同で行なった攻勢。
圧力を緩和させるのが目的であったが、結果としてこの攻勢によりロシア軍は全戦線で潰走状態に陥る大敗北を期し、ロシア領まで撤退することとなった。
(控) セルビア攻勢
【期間】
1914年7月~1915年12月
【交戦戦力】
・中央同盟国軍
オーストリア=ハンガリー
ブルガリア
ドイツ
vs
・連合国軍
セルビア
モンテネグロ
【結果】
中央同盟国軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて745,000人以上
・中央同盟国軍
340,000人
・連合国軍
405,000人以上
同盟国軍によるセルビア侵攻作戦。セルビア軍は地の利を生かし敵の侵攻を遅らせ、イギリス・フランス軍の援軍を待った。しかし、この戦闘中にバルカン半島最大の軍事力を誇りセルビアと遺恨があるブルガリアが中央同盟国軍として参戦、セルビア侵攻に加担した。
ブルガリアはギリシャ経由で進軍する連合国を食い止めつつ、北方より攻勢を仕掛けるオーストリア=ハンガリー軍・ドイツ軍と共にセルビア軍を挟み撃ちにした。その結果、セルビア軍は敗走はセルビアは壊滅した。
また、セルビア軍およびセルビア国民は、ギリシャへの逃亡を行なったが、ギリシャまでの経由地であるアルバニアにおいて、多数のセルビア人が虐殺された。(アルバニアは当時無政府状態に近かった。また、アルバニアとセルビアには遺恨があった。)
第一次世界大戦の後期には空軍が作られてる国もある
初めて空軍を作った国はイギリスや
独立した空軍は無かった
陸軍の航空隊ってこと
有名はイギリスの物理学者が戦死してる
終盤になるとボロ負けしだすの草生える
途中で飽きてくるのかな?
しかし滅茶苦茶な事を2回もやらかしてるのに今やヨーロッパ1の経済大国
野蛮なイメージもそんなにない、30年間だけ狂ってしまったのかな?
戦略が悪いよ戦略が(適当)
歴史に名を残す有能な指揮官もおるのに不思議やな…
そら日露どちらも自称帝国の後進国同士の喧嘩としか思われてなかったしな
いうてロシアは列強やん
言うて軍事力だけやし大英帝国やアメリカと比べたら国内だけは貧しかったし何より産業革命がめっちゃ遅れてたやん
それでも軍事力は大事やろ
それこそブリカスが警戒するくらいには
違うぞ日本軍が要塞を歩兵突撃で攻略しちゃったけら各国の観戦武官に歩兵による肉薄攻撃は近代要塞に有効って戦訓を与えたんやぞ
乃木希典とかいう有能
司馬遼太郎のせいで無能扱いされてるけどあの人普通に有能だわ
奉天でもクロパトが乃木第三軍の動向に右往左往してるしな
>ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアが三国同盟を結ぶ
【連合国軍】
・イタリア王国
イタリアってWW1でも裏切ってたん?
当時のイタリア王国は同盟は結んでるんやけど
オーストリア=ハンガリーと領土問題で争ってたんや
それで最初は中立の立場を表明してたんやけど
途中で連合国として参戦して勝ち馬に乗って領土獲得する事を目論んだんや
なお国境で泥沼の戦いになって大損害を被った模様
ガチでゲスすぎるけど有能やなって思う
空気読んで負けときゃ良かったのに
中途半端にマルヌで奇跡起こしちゃうのが悪いわ
これはフラカス論法
・【春秋戦国】魏の有能人材逃し率の高さは異常【呉起、范雎、楽毅、商鞅、孫ピン】
・【春秋戦国】統一された中華と統一されていないヨーロッパの比較
・【春秋戦国】秦の軍制は商君の変法の内容から窺えるけど男の軍なのよね
・【横山光輝】「三国志」「項羽と劉邦」「水滸伝」を語ろう
・【野盗山賊】彼らはいつごろ表れ、いつごろ消えてしまったのか。
・【解説付き】第一次世界大戦の壮絶な戦闘で打線組んだ【ソンムの戦いなど】