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天智と天武だと蘇我氏もかっこよくかかれてるよ
の意味がわからない
なんとなく、日本という国は最初から天皇が治めていて、
たまたま一時期、蘇我氏が専横を極めて皇位簒奪まで企んだのを大化改新で阻止して滅ぼした、
と思ってるけど実態はたぶん違うよな。
それまでのヤマト政権は豪族の連合政権みたいなもので、大王(オホキミ)家は実務としては祭祀を担当する名目的統治者にすぎず、
それに不満を持った大王家がクーデターを起こし有力豪族たちから権力を奪い、
実質的君主の地位を確立したのが大化改新の実態だろう。
日本という国号と天皇という君主号もその際に初めて考案され、(それ以前は倭であり大王)
ついでに、日本や天皇というものがはるかな過去から存続していたかのように歴史も改竄された、と。
祭祀を担当していたのは物部氏と中臣氏
仏教崇廃に関して蘇我氏と対立
その頃の天皇て権力闘争で変わったりイメージ変わった
世襲じゃないじゃんて
主に近代以降の国制を意味する天皇制と
前近代の天皇の在り方を混同するような言い方はやめた方がいい
純粋になんだこりゃと
そんな分けて考えなきゃいけないなんて知らんかったよ
ちなみに蘇我一族の嫁の多くは朝鮮人
この時点で夫で天皇が朝鮮人の疑い濃厚なのに、頑なに嫁だけ朝鮮人と主張するのはウヨの無理な解釈
雄略天皇は朝鮮人でしたというのは都合悪いもんね
まあ朝鮮人といっても今半島にいるのとは違うらしいけどね
当時半島に住んでたのは日本人だったというのは十分あり得る話
特に蘇我氏に縁の深い百済は日本人が半島に作った国の一つと考えられる
>特に蘇我氏に縁の深い百済
じゃあなぜ蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子が百済を救うために日本の全軍を百済に派遣したんだよ
蘇我も中大兄も百済重視かよ
そりゃ蘇我氏がいようがいまいが日本人の国百済を守るため全軍投入したんだろう
で破れて半島に日本人の国が無くなったんで
びびって琵琶湖まで都を引っ込めたというわけ
蘇我氏にもいろいろいる
滅ぼしたわけではなく蝦夷入鹿親子を打倒しただけ
実際にこれ以降に天智天皇に仕えた蘇我氏はいる
いったん滅んだ百済を日本(倭)の全軍出動で助けに行った中大兄皇子が怪しい
蘇我本家を滅ぼした中大兄皇子が怪しい
>>32
天武天皇の男系子孫は皇族としては全滅している
現在の皇室は中大兄皇子の男系子孫
皇統が天武男系から天智男系に切り替えられたことは大きい
しかも天智男系のうち百済王の子孫が入った系統へ切り替えられた
君臣の別はわきまえなくちゃね
日本の場合それを男系継承で守ってきたということ
残りまくり
すまんが調べたいから残ってるやつの名前を教えてくれ
>>45 >>52
称徳女帝は西暦770年に亡くなっている
その時点で生存していた天武天皇の男系男子の系統のうち一部を列挙する
・天武天皇-草壁皇子-文武天皇-聖武天皇-称徳女帝
・天武天皇-高市皇子-長屋王-桑田王-磯部王-石見王-峯緒王(844年臣籍降下)
・天武天皇-高市皇子-長屋王-安宿王---高階浄階(834年死没)
・天武天皇-忍壁皇子-山前王-葦原王-仲嗣王-春枝王-岑正王(843年臣籍降下)
・天武天皇-長親王-智努王-大原王-文室綿麻呂(823年死没)
・天武天皇-舎人親王-御原王-小倉王-繁野王(804年臣籍降下)
・天武天皇-舎人親王-貞代王-有雄王(850年臣籍降下)
・天武天皇-新田部親王-塩焼王-氷上川継(812年伊豆守)
わかりやすいように男系子孫がその数十年後にも存命がわかるように年を入れた
つまり天武天皇の系統がこれだけ残っているにも関わらず
突然に天智天皇の系統へと切り替えられている(しかもその時に百済王の血筋が皇統に混入)
>>67
ありがとう
こういうのは母親の血統も重視されるので、その観点も含めて少し調べてみた
✕高市皇子(母:地方豪族の娘)
✕忍壁皇子(母:宮人→めしおんな)
◯長親王(母:天智娘)-✕智努王(752年臣籍降下、皇位の放棄)
◯舎人親王(母:天智娘)-△御原王(母:当麻山背…淳仁天皇廃帝に従い、淡路流刑→罪人?)
-△貞代王(母:不明)
◯新田部親王(母:藤原鎌足娘)-✕塩焼王(聖武天皇に無礼を働いた経緯から、孝謙天皇に皇嗣となることを拒否される)
高市・忍壁の系統は血筋で除外、長親王と新田部親王の系統は経緯からなしとわかる
あり得るとしたら舎人親王の子のどちらかくらいか?
不明の母の血統には期待できそうもないだろうが
>>68の基準ならその子である桓武天皇は皇位を継げないだろ
それでも天皇になっているのだから>>68の主張が間違っているということだ
それは明らかな嘘だ
貴方の理論だと天智天皇の第7皇子である志貴皇子は母親が地方豪族なのでこの子孫は皇位に就けないことになる
しかし実際には志貴皇子の第6皇子の白壁王が光仁天皇となりその息子が桓武天皇となり現在の皇室の祖である
身分が低い出自の母だとなれないとは言ってないじゃんw
もし天武系から次を選ぶんなら誰だったのかな?っていう想像だよ
称徳天皇崩御時点でも大量に天武天皇男系男子がいたのだから母親の出自が低くてもいずれかを選べばいいだけですね
それなのになぜ天智天皇男系で母親の出自が低い志貴皇子の子である白壁王を選んだのですか?
100年ぶりに天智男系男子を即位させる意図があったからでしょ?
見事に皇統が天武系から天智系しかも百済王の子孫へと切り替えられたのが奈良時代→平安時代の出来事ですよ
そうそう
意図があるからこそ天智系に移った
オレが想像したのはもしもその意図がなく天智系に移す必要がなかったらの仮定の話
ただのお遊びだからそんなに必死に噛みつかんでくれ
崇神が来る前から三輪山麓には文明があった
聖徳太子=蘇我馬子
天皇家は自分たちのクーデターを正当化するため
蘇我馬子を悪人として歴史に残さなければならなかったけど
王としての馬子の功績全てをなかったことにするのは不可能だったので
聖徳太子という架空の人物を作り上げて馬子の功績を彼の所業ということにした
わざわざ天武男系から天智男系へ皇統を移した目的はそれしかないよな
百済を救うために日本を敗戦に巻き込んだ天智(中大兄皇子)の男系へと100年ぶりに血統を戻すなんて怪しすぎる
百済の血を入れる為に…とか知能が低すぎだろ
その早良親王の母親が百済王の子孫だぞ
>>76他戸親王のことと間違えているのだろう
確かに、100年ぶりの天智男系男子である光仁天皇の擁立は、他戸親王(=聖武天皇の外孫)を皇太子とする名目で仕組まれたわけだが、
他戸親王は立太子のすぐ翌年に皇族の身分まで剥奪されて幽閉死されている
そして本来の計画通り、百済王の血を引く山部親王(=桓武天皇)が皇太子とされて、更に、父親の光仁天皇から生前譲位されて桓武天皇となった
つまり100年ぶりに天智天皇男系男子へ皇統を移すとほぼ同時に、百済王の血を天皇家へ入れることに成功している
以上の件は異説も推測もない史実である
したがっておっしゃる通り井上内親王の存在がポイントですね
全て裏で動いていたのは藤原氏だから使えなければ他の手段を用いたまででしょう
「本来の計画」という部分が明らかに推測でしかないな
天智天皇の孫の白壁王(光仁天皇)へ皇統を移す名目に用いた他戸親王が立太子の翌年に殺されている史実から
百済王の血を引く山部親王(桓武天皇)を立太子することが本来の目的だったと見てよいのではないか
聖武天皇の娘である井上内親王は伊勢神宮の斎王だった
ところが既に10歳の男子がいる白壁王の元へ突如嫁がされた
その10歳の男子が百済王の血を引く山部親王すなわち後の桓武天皇である
百済というのは前期、中期、後期に分かれていて、漢城に都があった前期百済を高句麗が滅ぼし、雄略天皇が文周王を任命して熊津に再興させたのが中期百済。
これは日本書紀にも記載がある。
任那四県を割譲したのも中期百済。
桓武天皇の母親である高野新笠は和乙継(やまとのおとつぐ)の娘だけれど、「やまと」を名乗る和氏がなぜ渡来人と言われているかというと、中期百済の王である武寧王の子孫だと続日本紀に書いてあるから。
それが事実ならおそらく中期百済の再興のために雄略天皇が派遣した倭人の中から、倭国とも関係が深かった武寧王の后あるいは側室になる者がいて、その末裔と考えられる。
>>81
それはさすがにあなたが無知すぎる
桓武天皇の外祖父である和史乙継は百済の武寧王の男系男子の子孫です
和史[やまとのふびと]は倭国へ帰化してから朝廷により賜ったカバネです
ちなみに和史を賜る前に最初は倭君[やまとのきし]を賜っています
このように桓武天皇は百済王の血を受け継いでいることが史実としてはっきりしているので
その子孫である現在の上皇さまもそのことを言及なさったのです
続日本紀に書いてあるだけだけどね
・蘇我が元々の皇族だった
・百済系の中大兄と鎌足が蘇我本家を滅ぼした
・そして倭(日本)が全力で百済救援戦争をしたが敗北
・中大兄(天智)の天下が続くと思ったら息子(大友)が破れて大海人(天武)の時代へ
・天武系の天下が続くと思ったら奈良時代の最後に大ドンデン返し
・天智系に戻るとともに百済王の血が皇統に入り現在の皇室にも続いている
これで合ってますか?
その通り
しかし蘇我の血は残ったよ
まず天智天皇自体が蘇我稲目の子孫なので現皇室は蘇我の子孫でもある
次に不比等の息子の藤原四兄弟のうちイマイチだった京家を除いた三兄弟(北家・南家・式家)はいずれも母親が蘇我つまり藤原の子孫のほとんどは蘇我の子孫でもある
つまり日本人の上層部のほとんどは蘇我の子孫なのである
持統天皇の血脈を守りたかったんじゃないのかな
白壁王の妃は孝謙天皇の妹だし
他戸親王へのつなぎのつもりだったのかも
天武天皇の男系子孫をっていうならそもそも阿倍内親王を即位させる必要はなかったと思う
天武系というより持統系って感じがする
淳仁天皇は持統天皇の血を引かないぜ
あくまでも天武男系とその皇后だけで約100年間を守ってきた
それなのに突然に天智男系男子の白壁王へ皇統が移ったのは異常事態
阿倍内親王を含め女帝は全て一時的な繋ぎにすぎないから本命じゃない
純粋なつなぎは後桜町くらいだと思うよ
同じく光仁天皇の擁立に尽力した藤原式家の良継が自分の娘が嫁いだ山部親王を皇位に就けて主導権を握ろうとした結果として井上内親王と他戸親王が廃されただけ
当初から百済系に移行させる為に光仁天皇を擁立したなどというのは結果を原因と取り違える倒錯的思考
古事記と日本書紀作った時にも
不比等に意図的に悪者にされてるのは確か。
蘇我蝦夷とかどう考えても名前おかしいだろ。
天智天皇がクーデターで世襲制にしたのが天皇制だと思うわ
推古天皇は創作
同時代資料には当時の日本は男王とある
蘇我氏が滅ぼした物部氏も有力豪族で大王も出していたんだろうな
それを藤原家が仕える家の正統性を強調するために日本書紀を編集した藤原不比等が色々歴史の改ざんした
倭国の王は、姓が阿毎(アマ)、字が多利思北孤(タリシヒコ)、号は阿輩雞彌(オホキミ)、妻がいる
つまり日本側で推古天皇となっているのは創作
それは聖徳太子のことだと思うが
推古時代には皇太子で摂政であったことだし、日本書紀にもおおきみと呼称されてる
蘇我馬子よりはしっくりくるんじゃないかと
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