Q:原爆で地面に人影が焼きつけられたというのは本当ですか?
A:「人影が焼き付けられた」と言われている石は旧住友銀行広島支店の正面玄関石段(花崗岩)に残っていました。
現在、石段部分は保存され 広島の原爆資料館に展示されています。
ちなみに影を残した女性は投下数分前に現場を通った知人(生存)に目撃され、ほぼ氏名が確認されています。
また 最近の学術調査で、影の成分が石の成分変化でなく、炭素系物質であることが確認され、「影」ではなく人体の溶融物ではないかと考えられています。
補足
原爆で地面に~の人は遺体を搬送されており、蒸発したわけではない
Q:原爆で人は蒸発するのですか?
A:広島・長崎型の初期型核爆弾ではしません。
ただし爆心直下で外に出ていた人は致死量の放射線を浴び即死する可能性が極めて高いです。
Q:爆心直下にいたのに命拾いした人がいるというのは本当ですか?
A:爆心地(島病院)の元安川をはさんだ対岸にある燃料会館(現・平和公園レストハウス)に勤務していた野村英三さん(当時47)は被爆当日の朝出勤し、原爆投下時にはたまたま書類を取りに地下室に下りていて熱線や爆風を直接浴びることなく命拾いしました。
地下室は非公開ですが現在も保存されています。
8月5日12:37 天候観測機3機離陸
8月6日
01:45 エノラ・ゲイ離陸
02:00 爆弾最終装填始まる
02:15 同作業終了
04:55 硫黄島上空到着
05:05 グレートアーチスト、ネセサリーイーブル合流、日本へ
07:00 機内にて乗員朝食
07:09 警戒警報発令
07:15 ストレートフラッシュより広島市上空の天候報告受信、勧告、主目標を爆撃せよ
07:31 同警戒警報解除
08:06 松永監視所 敵大型機2機、西北進中
08:09 同報告、3機に訂正
08:13 エノラ・ゲイ、西条上空通過、中国軍管区司令部「0813ケハ」命令
08:14 エノラ・ゲイ、目標、相生橋を捉える
08:15 原爆投下、離脱 グレートアーチスト計測器3個投下離脱、中国管区司令部警戒警報発令
08:17 リトルボーイ、地上570mで爆弾炸裂。投下高度9473m
12:00 乗員機内にて昼食
13:58 エノラ・ゲイ、ノースフィールドに帰投
18:00 乗員ノースフィールドにて夕食
ニュース
(1)広島原爆の本当の死者は15万人にも満たないのに30万人以上と主張する。
(2)広島原爆の放射線による死者は千人にも満たないのに何万人もいるかのように主張する。
(3)広島原爆の被曝者は程度によってはかえって健康になったのにその事実を隠す。
(4)広島原爆はアメリカによって予告されていたのにその事実を隠す。
日本ってどうしようもない国だね。
その釣り糸アンド釣り針使い古され杉。
すべて事実ですが。
(4)広島原爆はアメリカによって予告されていたのにその事実を隠す。
これって他の都市にもまかれているじゃん。
こんなのかく乱にしかならん。あほか。
>>14
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4769806191/qid%3D1125919464/250-6850577-1145826
原爆投下は予告されていた!―第五航空情報連隊情報室勤務者の記録
黒木 雄司 (著)
広島への原爆投下予告は3日前から朝・昼・晩の3回、延べ9回、長崎への原爆投下予告は2日前から朝・昼・晩の3回、延べ6回にわたってニューディリー放送が行なった―。情報室勤務の昭和20年3月11日から8月21日までの約5ヵ月間の情報入手の日々を克明に書き綴った迫真の記録。戦争を考える1冊。
http://www.geocities.jp/namioyazi/book.html(リンク切れ)
語り継ぐ戦争体験1/日本児童文学者協会編(草土文化社)
太平洋戦争体験者の手記集第1巻、「原爆予告を聞いた」の章(元・広島市役所無線係の宮本広三さん筆)。ビラだけではなかった投下予告。VOAの対日放送(6.1メガヘルツ)による原爆投下の事前予告を聞いたという衝撃の経験談が、当時の被爆体験とともに語られています。8月5日とアナウンスしたのはGMT換算だったためでしょうか。
国際法を意識したポーズだったとしても、市民を避難させようとしたのが敵軍だったというのはあまりにも皮肉で惨い話です。
急遽投下が決まった長崎になんでビラがまかれていたんだ。
これはかく乱の証左ではないか。
>>14
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/singata.htm(リンク切れ)
新型爆弾投下の予告ビラ ~2001.8.6
私の母親は、戦時中の女学校時代を広島市で過ごしました。ところが、昭和20年8月6日の原爆投下の時は、母親は、危うく難を逃れたのです。なぜ逃れることができたかというと、事前に新型爆弾投下の予告のビラが市内にまかれたからです。
そのビラによって、「近々、アメリカが広島に新型爆弾を落とす。その爆弾は水爆といって、町中が凍りついてしまう」という噂がワッと広がったそうです。私の母親は、とても心配性というか、そういうことをすぐ信じてしまう質でしたので、すぐに田舎に帰りました。
そうしたら、何日か後に原爆が落されたわけです。田舎は広島湾の沖合いの島でしたが、突然、空がピカッと光ったのです。大慌てで防空壕に逃げ込んだものの、その後何も起こりません。恐る恐る防空壕から出てみると、広島市の方角に物凄いキノコ雲が立ち昇っていたそうです。
当時 水爆なんて言葉あったか?
>>14
「高橋さんの職場では、ある伝単(宣伝ビラ)の噂が広まっていた。実際に彼女は、その伝単を見たわけではない。
しかし、伝単には恐ろしい爆撃予告がされていたという。
『八月五日、広島を大空襲する』」
「デマ放送(宣伝放送)は、だいたいニュースや空襲の予告だった。敵の空襲の予告は実際、その予告どおりに行われていた。(略)
八月一日にアメリカ軍が次のようにくり返し放送するのを聞いた。
『八月五日、特殊爆弾で広島を攻撃する。非戦闘員は広島から逃げろ』
「B29エノラ・ゲイ 原爆搭載機 射程内ニ在リ」 NHK広島放送局原爆取材班 P76-78
*アメリカ時間の8月5日は、日本時間の8月6日に当たる。
http://meinesache.seesaa.net/article/5604820.html
わたしの母は終戦の年広島市に住んでいたのですが、米軍による「新型爆弾を落とすから非戦闘員は逃げろ」というラジオ放送や空からのビラ撒きがあったそうです。母は8月6日に祖母と疎開する予定だったのですが、その放送を聞いた親戚が5日夜に慌てて現在の東広島市に連れて逃げたため運良く難を逃れました。
親類が何人も死に、その家族も身内を探して市内へ行って被爆・・・原爆については色々複雑な気持ちになりますが、一応告知はあったようです。残念ながら、気付いた人はとても少なかったようですね。
>>14
http://www.kuchita-e.edu.city.hiroshima.jp/k-page/jiman/f1gennbaku.htm(リンク切れ)
◇原子爆弾が投下される前に
広島に原子爆弾が投下される前には、その爆弾を投下する予告の宣伝ビラが投下されました、その宣伝ビラには「やせ細った人、がお米屋さんの前に行列している姿のマンガ」が書かれていて、広島はマッチ箱ぐらいの爆弾で全滅すると書かれていたように記憶していますが、口田国民学校の北側にある弘住神社の裏の山には沢山落ちていました。
おそらく、広島市内に落とすつもりであったのでしようが、風向きによって私たちの住んでいるこの地に落ちてきたものと考えられます。
たとえ広島市内にこの宣伝ビラが落ちていたとしても、市内の殆どの人はこのビラの内容を信じ、原子爆弾が落とされることを予測して避難する人はなかったと考えられますが、警告どおりに予め避難した人は助かっていたかも知れません。
第一目標の小倉と、第二目標の長崎をターゲットに予告放送しただけじゃね?
「この兵器を○○、××、△△の都市に使用する」
ってトルーマンなりマーシャルなり、そのスポークスマンなりが言わなきゃどうどうと予告とは言えないだろ
別段アメも「俺たちは予告だってしたんだ」とも言ってないのに
だから小倉に落すのは失敗してしまった。
「『人影の石』は人の影が焼き付けられたもの」と並ぶ都市伝説ですね。
東京は皇居以外に効果的な目標が無く、アメは皇室存続の戦後プランを考えていたからそんな事はない
「京都が投下目標に入ってたけど投下はなかった」自体はほんとだけどそれが「文化財のおかげ」は嘘ですよ(大半の京都人は信じてるけど)。
確かにスティムソンは京都への原爆投下には反対したけど、それは「文化財を守るため」じゃないし、京都への一般爆撃(空襲)には反対してない。
都市伝説では無く事実、京都を投下候補地として強く押す者もいたが知日派(かならずしも親日ではないが)のスチムソン他がさらに協力に反対して阻止している
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0603/exhi_top.html
「宮武甫・松本栄一写真展:被爆直後のヒロシマを撮る」が
9/28まで広島平和記念資料館で開催中です。
翌日から撮影を開始したようです。
「畳の上の少女」(宮武甫)は有名ですが未公開のものもかなりあるようです。
県庁は当日の夕刻から比治山の多門院で臨時防空本部を設置。
(翌日には東警察署に移転)
市役所は翌7日からくすぶる庁舎前で罹災証明書発行などを開始。
県知事は他県出張中で命拾いしたのに対し市長は公邸で爆死したというところで若干のギャップが生じたのか?
よく知られてるところでは軍(陸軍)は第二総軍以下ほぼ全滅したので宇品の船舶司令部が事実上第二総軍の指揮をとり市内の警備に当たった。
すいません。広島市内の地理にうといんですが、
比治山や市庁舎は、グランドゼロからどのくらいなのでしょう????
>>56
広島市役所(現在と同じ位置)…爆心から1.0km強。全壊全焼地域。
比治山多聞院(同上)…爆心から1.8km弱。
全壊全焼地域からはかろうじて外れている。多聞院自体は半壊程度?
ちなみに
広島県庁(現在とは位置が違う)…爆心から1.0km。全壊全焼。
陸軍船舶部…爆心から4.0km。半壊地域だが被害軽少。
>>58
結構近いですね。
家族の消息もはっきりしない状況下で、行政も懸命だったのがわかります。
なおかつ、史上初の原爆の惨禍にだったのに。
たいしたものです。
被爆後市内の水道がほとんど断水しなかったのは
自ら傷つきながらも必死で復旧作業にあたった水道部職員さんのおかげ。
と聞いたことがあります。
>>98
「跡」というのは保存建物のことですか?
市役所はその後全面改築されて旧館は地下室のみが保存(だったと思う)。
その地下室に被爆当時を示す資料などが展示。
多聞院は回収はされてるだろうけど基本的にそのまま。
爆風でねじ曲がった塔の先端(五輪?)が今でも見れます。
県庁と陸軍船舶部については当時の痕跡は全くないと思う。
小倉が曇りの為。
長崎の方。
長崎は爆心が都心から外れてて坂が多いのにあの被害だもんな
小倉はヤパーリ造兵廠が目標?
京都は梅小路機関庫が目標だったらしいけど。
鉄道省小倉工場
それは上空から見て目立つ目標なんでしょうか。
ついでに現在のどのあたりなのか教えていただければ幸いですが。
晴天ならちゃんと狙える目標
原爆の威力から考えればレーダーのアシストでも充分に精度がある爆撃が可能だったと思われるが
原爆投下は目視による照準が命令として義務付けられていた
小倉を天候不良であきらめた後、長崎も目標地点は視界不良だったので長崎で目視照準が可能な地点に投下した
>>65
小倉の鉄道工場は、小倉市街地の西側端に位置する。目標として不適当ではないか。
何かのソース付きなら教えて下さい。
上空からの視認しやすさや、中心地からあまり離れないようにすることを考えれば、紫川近辺となると思う。具体的には、現在の鉄の橋あたりとか。
東側は一帯が市街地、西側は造兵廠中心部。
北側は海岸線まで充分な距離があり、無駄な地域が少ない。
ある意味凄いよ。
紙屋町交差点から広島城の壕に北進する道路は戦後新設されたもので(戦前は西練兵場)、作られた当時は「マッカーサー道路」と呼ばれていたらしい。
おそらくGHQの日本統治も非常に巧みだったこともあると思うけど、それ以上に日本国民が日本政府にどれだけ抑圧されていたか。
それが“解放者アメリカ”絶賛の一番大きな要因と思われる。
書簡集『拝啓 マッカーサー元帥様』で当時のGHQ宛ての手紙を読むと日本国民の憎悪が大部分日本政府に向けられているからね。
被爆後の広島再建に一部のアメリカ人が協力した事も日本人に好印象を与えたと思う。もちろんGHQの報道官制も功を奏した。
それが「ウォーナー博士のおかげで京都が戦災に遭わなかった」
という都市伝説につながっていくわけですね。
本当は原爆に限って言えば、京都に対する攻撃にもっとも強く反対したのはマンハッタン計画の実質上の責任者であるスティムソンだったんだがその手の話は良く出てくるな
スティムソンは京都への空襲自体には反対してなかったんじゃない?
だから「京都の文化財を守った」ということにはならないのではないかと。
広島に原爆が落とされた瞬間
当時校長が住んでいた神戸の新開地からも空が光ったのが見えたそうだ
>>648
広島と神戸は250キロ離れてるから、それはウソだろうと思ったが、
ここには
「ニューメキシコ州での実験の際、原爆の閃光は400キロ離れたテキサス州エルパソで目撃され、
轟音は150キロ離れた地点にも響いたという」
http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/kame24.htm(リンク切れ)
とあるから、トリニティが夜明けだったことを考慮に入れてもあり得るのかもな。
原爆の投下がなければ、ソ連が北海道に侵攻してきて、日本は東西に分断され、東日本はソ連の領域になっていたことは間違いない。
そうなれば日本はメチャクチャになり、数百万どころじゃない犠牲者が出ただろう。アメリカはそこまで先を読んで、日本人のために原爆を使用したんだよ。
日本人は原爆投下をアメリカに感謝こそすれ、逆恨みするようなことはない。
そもそもソ連が参戦したのは単独で日本を屈服させるのが難しいと
アメリカが踏んだからだぞ??
けど結局はソ連に権益奪われるのが怖くて原爆投下。
そんなんで何を感謝するんだ?
※太平洋戦争の他の記事一覧はこちらです
「太平洋戦争」