ジュニア
伊達忠宗の晩年、江戸藩邸で家臣同士のケンカが起き、死者まで出た。
この時、騒ぎの場から立ち去った者がおり、卑怯と見なした老臣により国許での蟄居が命じられた。
しかし忠宗は
「彼らが士道を知らぬはずはなく、己の義によって進退したのだろう。私欲にふけり主君の禄を盗む者と違い、恩の返し所を知っているのだ」と言って許した。
一方、政宗は晩年、旗本を挑発しまくりケンカの種を振りまいた。
南国の銘酒が流行り、贈答用の泡盛が不足した薩摩藩では、薩摩焼酎と泡盛を混ぜて送り
その間に琉球に督促することを藩主・島津光久に上申した。
しかし光久は
「琉球にさらなる重課を求めるのはどうか。そもそも泡盛は、酒盛りで多量に飲む酒ではない。少しずつ味わうことで身の養生にかなう酒だ。酒瓶を小さくして送れば良い」と言って許さなかった。
一方、忠恒は飲み過ぎで義弘から折檻状を食らっていた。
加藤家断絶後、肥後に入った細川忠利は初入国の際、清正の位牌を行列の先頭に立て、さらに天守閣で「清正公の菩提所はどちらか?」と聞き、その方角に頭を下げた。
その謙虚さに幕府の上使も加藤の旧臣も感服したという。
一方、忠興は「加藤と黒田はシカト。守れないヤツ処刑。」と通達した。
>>36
おもしろいw
なんとなく世代の違いで平和な世の中になったんだなって感じさせるし。
そういえば細川さんのところは熊本に入って、加藤は尊重したけど、小西に関しては
徹底的に存在の痕跡を排除しようとしたそうな。
まあ、キリシタンの問題があったせいなんだろうね。
忠利については、親父の忠興があれで、かなりいろいろ口うるさく手紙が送られてきてるし、「最近父上はますますこらえ性がなくなり」
とかぼやいている。そのせいか気を使いすぎて煙たがられるような性格になってしまっているんだよね。
まあ有名な話だと思いますが
徳川家康が将軍になった頃、山名豊国という老人が家康に目通りした。
ところが彼は、古く、うらびれて、ところどころ継はぎすらある羽織を着て現れた。
家康の家臣たちは「なんと無礼な」と、豊国に注意しようとしたが、家康はそれを止め
「その羽織は何か由来があるのか?」と聞いた。
すると豊国は
「我が山名家において、将軍様に拝謁する時は、この羽織を置いて他にありません。これは、足利12代将軍、義稙様より拝領したものです。」
その旧恩を忘れぬ姿勢に家康もその左右の者達も、皆感心したとか。
>その旧恩を忘れぬ姿勢
捉えようによっては「俺ん家は由緒正しい家系でこの羽織だって物凄い価値のある古着なんだぜw」
って自慢してるようにも見えるよなw
正則ならそう思っただろうな
延命して>>42を経て存続したんだよな。
案外すごい人なのかも。
でもやっぱり礼に反すると思うけど。
同じようなことを現代で天皇陛下相手にやろうと思っても宮内庁に追い出されるだろう。
身なりってのもときと場合によるが、人によって考え方は様々だよね。
戦国時代ならそれを誇りといってくれる人が今よりはいたのかなと考えさせられた。
一服の恩
真田信之の家臣に原郷左衛門という男がいた。家老・矢沢頼綱の孫という名門の出でもあったが乱暴者として悪名高く、親類縁者からも嫌われ、信之からさえもロクに声をかけられない有様だった。
大阪夏の陣で毛利勝永の猛攻を受けた真田家は、前線が崩れかけた。
若殿・信吉が郷左衛門に出撃を命じたその時、小姓が持ったキセルが郷左衛門の目に止まった。
郷左衛門「一服吸わせろゴルァ」
小姓「若殿様のタバコを渡せるわけないだろ!何言ってんのコイツ!」
信吉「かまわん、郷左衛門に一服吸わせてやれ」
「うめェ・・・」一服した郷左衛門、袖でキセルの吸い口をキレイにふき取り、信吉に返した。
信吉が郷左衛門を見ると、目には大粒の涙が光っていたという。
それもわずかの事、ヒラリと馬にまたがると、郷左衛門は毛利隊に突進していった。
真田家は辛くも毛利隊をやり過ごし総崩れをまぬがれたが、多くの犠牲を出した。
犠牲者の中に原郷左衛門の名もあった。 「真田家武略記」は郷左衛門の死にざまを「当家の者が討死する手本」(真田家之侍討死手負覚)とまで記している。
カッコイイ話だな。家臣が身命を賭して仕える話はなんともいえないものがある。
悲しいけどな。
DQNかと思いきや・・・すごくかっこいい話だ
伊達政宗、面倒くさい三河武士に出会う、の巻き
伊達政宗が大阪へと上る途中、相模の中原と言う所で鷹狩りをした。
ところがそこは徳川家のお鷹場であり、この地域の奉行の大岡伝右衛門は、その事を知ると、なんと槍を手にして、政宗の元に物凄い勢いで走って来た。
怪訝な顔で大岡を見る政宗に、
「き、貴殿はここが、徳川家の鷹場とご存知で、この様な狼藉をなされているのか!?私はここを守るように言われている身分です。このままでは言い訳が立たない!早々に私の首を取って、家康公の前に持って行って頂きたい!!」
政宗は当惑した。この男、本気で首を取られる気になっているのだ。
さあ斬れ今斬れすぐに斬れと叫んでいる大岡に、政宗は
「いや、お前が責任取らなくていいように、俺が家康公には色々言っておくから、とりあえず落ち着こうよ。な。ここで鷹狩りしたのは俺が悪かったからさあ…」
何故か大岡をかばう羽目になった政宗。どうにかこうにかなだめ引き取らせた。
大阪についてから家康にこのことを話すと、家康も笑いながら
「まことに失礼たしました。どうか、大岡の無礼を許してやってください。あ奴の家も安祥以来の譜代なだけに、主命を大事にしすぎまして…。」
すると政宗は、
「まあ、私も有名人だから、彼も張り切っちゃったんでしょう。」と、変な納得をした。
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