森忠政のお話
大阪夏の陣の前、森忠政が多賀明神に奉納した願文
「今回は戦は、なんにもしないで凱旋できますように。」
(調子の)いい話
お前本当に鬼武蔵の弟かよ
ニュース
森忠政といえば、13歳の時に、兄達に習い信長の小姓になるため城に上がったのだが、近習の梁田河内守が、忠政の顔をプニプニしはじめて、「止めてください」って何度言ってもプニプニプニプニ面白がって止めないので、しまいに怒って
「やめろっていってるだろーーーーーーーーー!」
と、梁田を信長の前でポカポカ叩き始めて、それを見た信長から
「仙千代(忠政)は、側仕えにはまだ早いな」と言われて、家に帰らされた。って話があるね。
このとき天正10年。おかげで、本能寺に巻き込まれる事なく、彼は生き残ったとか。
頭を撫でたんだっけ?どうあれ、構いたくなるくらい愛らしかったんだろうか。
どんなの?
>>874
忠興「こないだオレ、マイホーム(小倉城)建ててさ、それが…」
忠政「…この手の話ってやたら細かい上に長くてウザイよな」
あまり忠興が吹くのでくやしくなった忠政、家臣の薮田助太夫らに大工をつけて小倉に派遣し、城の縄張りの絵図面を取らせた(平たく言えばスパイ)。
ところがこの一行、自分たちがヤバイ事をしている自覚はあったのか、小倉沖で海上生活を送ったのは良いが、灯火が漏れてバレ、小倉城内に連行された。
一行の自白はたちまち城主に伝わったが、忠興は友人のオイタを笑って許したばかりか本物の絵図面を土産に一行を解放してやった。
後に忠政がその図面を参考に居城・津山城を築いたとき、忠興は祝い品として秘蔵の南蛮製の鐘を送り、鐘は津山城天守で長く時を告げたという。
なんかかわいい話だな。
そして、やっぱり忠興は嫁とかが絡まなければ比較的まともwww
>>876
>自分たちがヤバイ事をしている自覚はあったのか、
>小倉沖で海上生活を送ったのは良いが、灯火が漏れてバレ、小倉城内に連行された
海上生活を送ったというのがリアリティあるよなw
にしても主人の思いつきのせいで工作員をやらされる家臣がカワイソス…
>一行の自白
自白したことについての忠政の反応が激しく気になるな。
忠興の粋な好意によるものとはいえ絵図面を手に入れてきたから許してやったのか、敵に捕まっておきながら自害せずに主人の密命をペラペラと自白してしまったことに怒り狂うのか…
激しく気になるw
>一行の自白
忠興にはバレたが、忠政には隠せばバレないかもよ?
>>876
ウチは岡山県南だけどさ(津山は県北)、ちょっと俺が聞いた話と少しズレが
忠政は小倉城が西国一の名城と聞いて、それを純粋に参考にしようとしてスパイを送り込んだ、って聞いた
だから「忠興が吹くのでくやしくなった」ってところにちょい違和感
まぁ地元補正が入ってるんだろうけど
ちなみに忠政が暴君だってことは津山では入府以前から知られていて、
忠政一行を津山に入れないように地侍達が一揆を起こして津山への街道を封鎖した、って話がある
ある日、池田輝政の部屋から「アアアァァァァ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!」
と、ものすごいシャウトが轟いた。
驚いて近臣が部屋に部屋に駆けつけると笑って輝政が答えた。
「いやなに、軍法について考えてたら、名案が浮かんだのだ。それだけ。
…なんでもないのだ。……ナンデモナイデスヨ?( ・ω・ )」
その後、池田家中の諸将に部隊間の合図としてニワトリの鳴きまねを使うよう命が下った。
敵に気づかれること無く、味方のみで暗号として使えるからだという。(武将言行録)
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