海賊退治の格好良い話
ある時とある武将が船に乗り上洛の途中播磨の沖を通る時、近くの海賊衆が積み荷を略奪しようと攻め寄せ、船を囲んだ。
船員達は弓で応戦し矢の撃ち合いとなりますが、双方ほとんど矢を射尽くしてしまいました。
これに気付いた海賊の一船は接舷しようとし近づき、鈎付の縄を肩に引き付けた海賊の大将が立ち居出て大声で「矢があるなら、この首を射てみよ」と挑発してきた。
武将は残っていた刃先四寸の雁俣の矢を取り出し、大将めがけ射放ちます。
矢は狙い違わず、首を射切り、首は舟底に転がり海賊の大将の骸は海にまっさかさま。
武将は、「我は花房又左衛門(正幸)なり。文句があるなら何度でも攻めてこい。弓矢のある限り、何時でも射殺して見せよう」と言い放つ。
大将を討たれ恐れをなした海賊衆は一目散に逃げ去ります。
この後、花房家の家紋雁金の幕を張った船には海賊は恐れて近づいて来なくなり、他の者がこの領域を船で通るときは、花房正幸に家紋の幕を借りるようになったと伝わっています。
ニュース
鍋島直茂の話
直茂が隠居した頃のことだったと思う。
ある寒い冬、奥さんと「ここでもこんなに寒いんだから、牢屋ではもっと寒いんだろう」と話し、牢の囚人に、かゆを炊きだして振舞ったことがある。
(たしか「葉隠」より)
鳩の話
武田信玄が信濃に兵を出したときに、鳩が庭先の木の上にとまり、家来が口々に「うわ~、ラッキー。」と喜んだ。
信玄がそのわけを聞くと
「鳩が木の上に来るときは、戦は大勝するという迷信があります。今回はその鳩が来たのですから、吉例です!」と家来が答えた。
それを聞いた信玄は火縄銃を持ってこさせ、すぐさま鳩を撃ち落とした。
ビックリした家来に対し、
「今回は鳩が来たからよいものの、もし鳩が来なければみなに『今回はハト来ないから負けかな』という余計な心の迷いがでて、勝てる戦も負けるおそれが出るであろう。よって、そのような愚かな迷信を打ち砕くために鳩を殺したのだ。」
と信玄は答えましたとさ。
出典「名将言行録」
古代ローマで出陣前の鳥占いのためにちゃんと鳥飢えさせといたのに
餌思ったようについばまないもんで怒って鳥を海に投げ捨てた愚将がいる
そうなのか
公園の鳩とか凄いのに
>>784
公園とかいうからなんか一気に平和なイメージが浮かんだwww
動物だから思うように行かないときはあるよなw
大阪の陣が終わってしばらくたった頃
池田氏岡山藩の家臣たちが集まり、あの戦の思い出話をしていた。
そのうちの一人が思い切ったように話し出した。
「これは今まで誰にも言っていないことなのだが」
大阪冬の陣の岡山藩の攻め場では、厳しい寒さで難渋していた。
すると、当時まだ16歳の藩主、池田忠継が見回りに来たおり、その者に
「これはないしょだぞ?」
と言って、手ずからそっと、小さい手樽に入った酒と、暖かい綿入れの肌着を渡してくれた。
このことは忘れる事が出来ない。
口外するなと申されたので、今まで話さなかった。と言った。
するとその座の者達は皆驚いた。
「我らにも、そのとおりの事があった!」
若き君主の心遣いに皆、しみじみと感動したと言う。
みんなもらったってことは単なる心遣いじゃなくて
藩主としての人気とりも半分だろう。
内心にどんな思惑があろうとも、よい心遣いであることに変わりは無いさ。
16歳でそんなふうに気を回せる人間なら大したものでしょ。
「ないしょだよ」って言われたことを語ったのは、忠継が死んだから。
池田忠継は家康の孫でもあり、本人も相当聡明で、池田家の期待を一身に集めてたらしいのよ。
大阪の陣の前の忠継の逸話
家臣たちを集めた前で、忠継は
「父、輝政は16歳の時、摂津花熊で初陣をして、武功を上げたと聞く。私も今16歳なので吉例だろう。必ず武功を上げて、父の武名を継ぎたいと思う。
しかし、私には未だに戦の経験が無いので、武功を立てられるかどうかは皆の忠勇にかかっている。どうか、宜しく補佐して欲しい。」
と、頭を下げた。
こんな、若いのに謙虚な殿様だったので、家臣から物凄く好かれたそうな。
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