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【戦国いい話14】政宗と鈴木石見、現場で働く人達が好き、可児才蔵と試合

2022年7月14日

366: 名無し 2008/05/05(月) 10:26:26
水戸藩初代藩主、徳川頼房の家臣に鈴木石見と言う人物がいた。
伊達政宗が江戸城に登城すると、控えの間に石見が居た。政宗が控えの間に居る間中、じっと政宗を見つめていた。政宗は石見に近づき訊ねた。
「なぜ俺をじっと見ている?何か言いたい事があるのか?」
石見は答えた。
「最近江戸ではどこかの大名が謀叛を起こす、と噂しております。そこで大名の方々のお顔を拝見致しましたところ、謀叛を起こすのはあなた様以外にいません。もし戦になれば真っ先にあなた様の首をいただこうと、お顔を覚えようとしておりました。」
それを聞くと政宗は大笑いし、石見に言った。
「お前は大層な目利きだ。お前のような、勇ましい武士がいるとなれば、俺もうかうかと謀叛は起こせまい。気に入った、いつでも俺の所に遊びに来い。お前とはもっと語り合いたい。」
政宗の豪胆さに石見は感じ入り、政宗とは真の友となって様々な事を語り合ったと言う。

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369: 名無し 2008/05/05(月) 13:47:09
鈴木石見って鈴木重朝本人?それとも縁者か何か?

 

371: 名無し 2008/05/10(土) 14:41:41
>>369
重朝は伊達政宗に仕えているから当然政宗の顔は知っている。
その後水戸家に召抱えられる。
水戸の家老鈴木家党首は石見守を名乗っているから、>>366は子と考えるのが普通。

 

380: 名無し 2008/06/19(木) 00:50:04

今日、幼稚園の前の道路を舗装してたんだが、
園児を迎えに来た母親が子供に向かって
「ほら、○○、ちゃんといい子に勉強しないとああいう人達みたいになるんだからね」
と言っていた。

あーハイハイって思ってたんだが、そこを通りかかった下校中の高校生2人が
A:「なぁ、B。皆が便利になる道路作る人と、子供にろくな事吹き込まない大人、
なるとしたらどっち?」
B:「そら道路作るに決まってるだろw勉強してろくな大人にならんのじゃ意味ねーww」
みたいな事を大声で言ってくれた。

ダメ出しで
「僕はあのおじさん達好きだよ。トラック見せてくれたもん」

 

381: 名無し 2008/06/19(木) 13:52:54
>>380
(・∀・)イイ話しだなー

 

382: 名無し 2008/06/19(木) 15:23:27
>>380
いい話だね。俺は現場で働く人達は好きだ。

 

385: 名無し 2008/06/19(木) 18:25:58

今日大坂城に参謁しに行ったんだが、
母親が子供に向かって
「ほら、秀頼、ちゃんといい子に学問しないとああいう武断派みたいになるんだからね」
と言っていた。

あーハイハイって思ってたんだが、そこを通りかかった高台院と正則が
高台院:「なぁ、。皆が便利になる天下作る家康と、子供にろくな事吹き込まない大人、付くとしたらどっち?」
正則:「そら天下作るに決まってるだろw勉強してもろくな大人にならんのじゃ意味ねーww」
みたいな事を大声で言ってくれた。

ダメ出しで
秀頼「僕はあのおじさん達好きだよ。虎見せてくれたもん」

かくして加藤清正は東軍に付いた。

 

387: 名無し 2008/06/19(木) 21:56:09
>>385
何という改悪w

 

412: 名無し 2008/07/01(火) 10:19:04

戦国の雄として知られる加藤清正
まだ関ヶ原の前肥後を小西と半分こしていた頃
小西といさかいがあり天草に出陣
弓の名手の木山なんとかとぶつかる
木山が得意の由美を使うと清正は「一騎打ちなら正々堂々と太刀で戦わん」と叫びてにもつ槍を捨てた
それを見た木山も弓を捨てくまんとしたその時清正はすぐに槍を拾い木山をつきころした
木山は「おのれ、たばかったな卑怯者め」と泣き言を言いながら絶命をしたが
清正は勝てばよかろうなだーというようなことを言いすて平然としていたという

朝倉宗滴の教えを守った武士の鑑といえるだろう

ちなみにこの話後日談があり木山の息子が復讐と清正を狙い熊本築城の人夫にマジって潜入機械をうかがっていたが
気づいた清正は井戸掘りの作業をさせ一緒に作業をしていた他の人足ともども上から岩を落とし殺したその井戸は今もある
ついでに木山親父を見事討ち取った戦いのときに敵のこもる城に和平の使者を送り
受け入れた敵兵に襲い掛かり皆殺しにした。完全勝利としてやったりと快活に笑ったという

朝倉宗滴の教えを(ry
さすが武士のかがみわが故郷熊本の神様清正公である我らも見習いたいものだ

 

420: 名無し 2008/07/03(木) 21:35:06
>>412
横手五郎の話じゃないんだよね
横手五郎は怪力なので やはり井戸掘り作業をさせて
岩を落としたがみな受け止めるので 砂で生き埋めにした
その話なら熊本城内の石碑に書いてあったけど

 

422: 名無し 2008/07/05(土) 12:09:12
関が原の合戦の後しばらく戦の無い年月が過ぎたころ、
ある若者が可児才蔵の武勇を知り、試合を申し込んだ。
当日現れた才蔵は、甲冑に旗指物という姿、さらに銃を構えた配下を一人連れていた。
驚いた若者が「1対1のはずだが?」と言うと、
「わしの試合とは全てこのような実戦である」と答えた。

 

425: 名無し 2008/07/08(火) 17:18:57
>>422
カッコイイハナシダナー・゚・(ノ∀')・゚・。

 

424: 名無し 2008/07/08(火) 14:17:52
可児って猪突猛進の典型な気がしてたんだが違ったのか

 

426: 名無し 2008/07/08(火) 17:28:45
>>424
俺はむしろ、司馬遼の「おれは権現」での臆病な才蔵のイメージがあったから、この逸話はしっくりくるなw

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