父型の姓はなんだったのかな?
なぜ、母型の姓をなのってるの?
知ってる人教えて!
いや間違いなく劉は父の姓だろ
母の姓は不明としか言い様がない
ニュース
中国では同姓結婚はタブーだから、劉媼は名前じゃないだろうね。
もちろん、太公って言うのも名前のわけないから、両親ともに名称不明だな。
まあ、この人も粛正されますけど・・・
まあ劉邦も、張耳や陳余の仲違い見てたら、親友でも信用できなくなるなぁ
韓信とかみたく、殺すか殺されるか、にしか行き着けなかったって感じではない。
『史記』『漢書』ともに本人伝については「盧綰かわいそう」ってノリで書かれてる。
麗β食其、随何、陸賈、叔孫通、荊通
食其が一番悲惨だ
この中で封侯されたのは食其だけだが。
(実際には食其の功で息子が封侯された)
范増といい、パワフルな爺だな
当時最高の説客だったのは間違いない。
レキ食其は煮殺されたけど最期の堂々とした態度からも、後悔はしてなかったと思う。
遊説だけで斉を下したり、劉邦の戦線放棄を思いとどまらせたり、凄い爺さんだよ。
それにしても息子につけた名前が“疥”って…
こういうところからも、狂生なんて呼ばれたんだろうね。
盧綰=前田利家
張良=黒田如水
蕭何=石田三成
樊噲=蜂須賀小六
韓信=加藤清正
項羽=明智光秀
始皇帝=織田信長
こういう武闘派イメージの韓信像を持ってる人が多いけど
ゲームかなんかの作品の影響なの?
確かにそこが多少引っ掛かる部分ではあったんだけどね。
いわゆる戦さ上手という意味で、他意はありません。
韓信ほんとに戦の天才.
オレ的には,韓信=武田信玄って印象だが,権力欲がなく学者肌のところは真田幸村か.
項羽=明智光秀はないだろう.
項羽=上杉謙信のほうがしっくり来る.
項羽は目標達成にアメリカやロシアといった圧倒的な大国と事を構えなくてはいけないわけじゃなく、もっと容易だったはずなのに。
それができなった点は痛いな。
戦国期の封建制って、つまりは列強国王をトップに据えて小領主たちがピラミッド状に積み上げられた利権としがらみと因縁の世界。
だが、そのぐちゃぐちゃが世界を作って動かして安定させてた。
それが郡県制で吹っ飛んで、項羽が再建したのは擬似的なものに過ぎない。
形は似てるが中身はないから成り立たない。
反乱が起こる。殴りに行って片付ける。でも、根本的に成り立たないものなので、また動揺する。
そんな偽春秋・戦国的封建制の世界で過去の盟主を真似た時点でアウト。
戦術とかじゃないと思う
項羽は秦帝国のようなものを再建するか、皆が「もういやだ」と思うまで、知らん顔してどん底の殺し合いを続けるのを見て、その後に救世主面で動くくらいじゃないと、どうしようもなかったと思うが。
こっちは、まあ憶測だけど。
そんなの劉邦にも同じことが言えるが?
>>652
劉邦はしっかり秦帝国再建を果たしただろ。項羽とは違う。
三輔・三河は直轄支配し、諸侯にも宰相に自分の息のかかった者を送り込むなど、全土をできる限り漢がコントロールできるようにしていた。
>>662
家が農家ってだけだろ
2人とも百姓ってほどではない
王莽>権勢家の外戚出自
劉秀>皇室に連なる有力豪族出自
曹操>権勢家の金持ち出自
司馬炎>権勢家の有力家門出自
拓跋珪>名門部族の部族長家出自
蕭衍>皇室に連なる有力者
宇文覚>名門部族の部族長家出自
楊堅>名門貴族
李淵>もっと名門貴族
耶律阿保機>外国の王
完顔阿骨打>外国の王
フビライ・ハン>外国の王
愛新覚羅ヌルハチ>外国の王
百姓?
>>663のうち
曹操>権勢家の金持ち出自
拓跋珪>名門部族の部族長家出自
蕭衍>皇室に連なる有力者
宇文覚>名門部族の部族長家出自
耶律阿保機>外国の王
完顔阿骨打>外国の王
こいつらはみんな統一してないし。
ガキの頃に寺に出されただろ。百姓と言えるほど農家の仕事してないよ
一方朱元璋の家は食うや食わずの小作人。
中国全土を統一していないから、ここでは却下。
個人的には好きな君主なんだが次代が酷過ぎ。
実際項羽は秦のような統一国家を作りたかったのか
周のような諸侯連合を作りたかったのか…
なんかあんだけ王を立てたりしてたから後者だと思うが
義帝から授かった称号は無かったと思うけどね。
覇王(もしくは帝)は自称だし。
劉邦の大粛清については一つ疑問に思ってることがあるのだけど、何が劉邦をそこまで追いつめたのだろう。
もし劉邦一人の猜疑心の増大であるのなら、大反乱勃発→劉邦政権=漢の崩壊という可能性も
あっただろうと思う。明とは違って、劉邦の時代の皇帝の権威は絶大とはいえなかっただろうし。
劉邦の立場は「最大の諸侯であり、対項羽連合軍の盟主」とは違うのだろうか?
むしろ劉邦の猜疑心を奇貨として、朝廷権力の強大化を望んだ者達がいたのではないだろうか?
それは漢が本質的には郡県制を指向していたことと一致すると思うし、
諸侯の弱体化自体=中央集権強化は、文帝~武帝期の政策とも一致する。
個人的には名家(戦国時代の領主層と賓客)や諸子百家の学徒出自の官僚が
背後で暗躍してたのでは、とちょっと疑いを持ってる。
領主層=農村の支配者が鍵を握ってるなら、重農政策、商人への重税も納得いくし
おかしければ突っ込んで下さい
>>695
>個人的には名家(戦国時代の領主層と賓客)や諸子百家の学徒出自の官僚が
>背後で暗躍してたのでは、とちょっと疑いを持ってる。
劉邦政権の要職を占めたのは軍人上がりの功臣がほとんどで、
諸子百家の学者(叔孫通・陸賈・随何ら)は、封侯されることも宰相職に就く事もなく、
軍人より低い地位に留まっていました。
また、戦国以来の名家を長安に強制移住させ、その力を削いでいます。
いずれも劉邦政権下では優遇されたとは言えず、
中央集権化による利益も受けていません。
この二者が劉邦の大粛清を後押ししたとは考えにくいです。
>むしろ劉邦の猜疑心を奇貨として、朝廷権力の強大化を望んだ者達がいたのではないだろうか?
そういう者がいたとすれば、おそらくは劉氏一族、呂后一族でしょう。
劉邦一族と呂后だけが功臣粛清によって大きな利益を受けています。
朝廷権力の増大で最も利益を得るはずの丞相蕭何は、
猜疑心の対象となり、危うく粛清されるところでした。
猜疑心の増大というか、
単純に劉家による政権を脅かすような有力な家臣の粛清だろう?
権威・権力が絶大ではなかったからこそ、それを強化する為に、
危険なほど大きくなった家臣を粛清しようとし、そしてそれに成功した。
それだけのことでは。
一体どうやって知ったんだと
当時上演されてた演劇から採ったという説もあるそうな
項羽の末期の「力山を抜き・・・」の舞の場面なんかは
そこに居合わせた人間がみんな討ち死に(虞美人は刺殺)したんだから明らかにフィクションだろうな。
項羽の最期を哀れんだ地元の民衆が創作したのかな。
司馬遷は精力的に各地を回って取材をしたのだが、民間の伝承までも「史実」扱いしてしまったのか。
なんだか、歴史的事実として明らかなのは
「秦の滅亡後、楚漢が天下の覇権を争ったが、結局は漢が楚を破り天下を制した」
という高校の世界史の教科書みたいなそっけない内容だけで、
それに付随する劇的な出来事、例えば
法三章や鴻門の会、四面楚歌などは、無味乾燥な史実を華やかに彩るための後世の脚色のように思えてきた。
これって疑いすぎ?
あの歌は民間伝承が作ったっぽいが、そこに出る「虞」は誰なのかが謎だ。
側室なんてどこにも記述がない。
「スイ」は項羽の名馬として広く知られてたから挿入したのだろうが
疑いすぎだね、
まあ、疑うのは悪くないが、
それだと歴史上のエピソード全てを疑わなければならない。
史記に限った話ではない。
というか、四面楚歌の場面にいた者が全て討ち死にってのが、
根拠なしだと思うが。
最終的に項羽のもとに誰もいなくなったというだけで、垓下から出撃した者が全て討ち死にしたなんて話はない。
まあ、史記の記述が全て正しいとは思わないが、確認も出来ない、そういう記述もない「みんな討ち死」なんて設定を、勝手に作り出してまで「明らかにフィクション」なぞというのは、いかにいっても不当な評価ってものだわな。
もっとも四面楚歌の場面はあまりにも劇的だし、相当以上の演出が入っているのでは?
とは、私も個人的に思うけど。
それを証明する根拠はないわな。
物語としてサマになるのは項羽と劉邦だと思う
文化が高くてヘタに資料が残ったり、政体が成熟してると想像が介入する余地がなくなる
俺は基本的に活字が嫌いなのだが、ローマ人の物語・ハンニバル戦記は面白かったなぁ
文字だけで面白い物を伝えられるとは、思いもしなかったし
物語としてサマになるのは項羽と劉邦と言う訳でもなかろう
まあ失脚だけで済んだ分韓信よりはマシだけど。
大功立てすぎた将軍が戦後危険人物扱いされて陥れられるのは東西変わらんなと思った。
・戦力差の無い合戦に勝てず全然進めません。何かコツとかありますでしょうか
・群雄繚乱なら北条延びないだろうと思ったら周りが養分過ぎてわろた
・全国統一って従属勢力も含めてだっけ?臣従させないとダメ?
・大名特性以外で実用的にぶっ壊れてるのって「鬼島津」だろうか?
・初めてプレイする初心者ですが寿命設定ってオススメとかありますか?
・プレイしてて上級と初級の差がいまいち分からん
・米問屋の存在価値がいまいち分からん兵糧は灌漑連打で全部賄える
・従属したら余裕だがそれでは誉れを失う(北条強すぎ問題)
・評価が高いのは認めつつも難易度設定周りで躊躇してる人は多そう